記憶

文字数 2,441文字

 青の間(ブルールーム)ではテーブルや椅子は片づけられ、青い絨毯の中央にさらに円形の絨毯が敷き重ねられていた。
 正面には高く掲げられたランプが灯され、それが部屋全体を照らしている。右手の壁にある暖炉には火が入り、部屋を暖めていた。左手には木製の台に小麦の穂の束が入ったカゴが置かれている。後ろをふり向くと、白い石でできた台の上に、美しい半透明の青い壺が置かれている。近寄ってのぞき込むと、壺には水がたたえられていた。
 部屋の中央に四人が立つと、それだけで部屋の空気の密度が増し始める。セレスティンはエステラとテロンの間に招かれてそこに立った。
 肌をおし包むような部屋の空気を感じながら、目を閉じ、メディテーションをするように意識を澄ませていく。
 二つ目の世界に引き入れられていく感覚。その感覚自体は馴染みのものだけれど、足を踏み入れた場所はこれまでに訪れたどの領域とも違っている感じがした。
 うんと深い。あたりはほんのりと薄暗い。
 でもなんとなく知っているような感じもする。
「ところで、セレスティンは教団には関わらせないとか言ってなかったか」
 テロンが思い出したように訊く。
「それは変わりないわ。でも特定の教団に属することはなくても、彼女はすでに道を歩いている。自分の歩く道がどこから来ているのかは、知っておいていい」
 そう言いながらエステラが一つの方向を指さす。ぽっと光が灯り、洞窟の入り口が照らし出された。
「教団の真の指導者と認められた者はこの場所に達し、そして先へと導かれる。
 ガレンにはそれができなかった。だから指導者の肩書きを得て、教団を外的に動かす力を手にはしたけれど、その座が与える本当の力や知識を手にしたわけではなかった」
 洞窟の中は暗い道が続いていて、やがて急な登りになる。ルシアスがセレスティンの手をとる。
 しばらく行くと、道は今度は急な下りになった。どんどん下の方向に降りていく。
 もうずいぶん降りと思った頃、先に明りが見えて、開けた空間に出た。道はまだ先に延びている。
 それを進んでいくと、セレスティンたちが歩いてきた道以外にも幾つもの道が、いろいろな方向から延びてきて、ここで合流しているようだった。ただあたりは霧に包まれて、それぞれの道がどこから来ているのかは見えない。
 いつの間にか、霧のトンネルの中に入っていた。
 内側にたくさんの立体の絵のようなイメージが浮かび、それがずっと先まで続いている。
 一つのイメージの前で立ち止まると、その立体の絵が動き出す。セレスティンはところどころで足を止め、短い映画のようなイメージがリプレイされるのを見た。
 最初に目に入ったのは20世紀終わり頃のアメリカの光景で、その近くには20世紀の前半から19世紀の終わり頃のアメリカやイギリス、ヨーロッパらしい光景がたくさん並んでいた。
 それらをずっと通り過ぎていくと、啓蒙時代のヨーロッパに行きつき、そしてルネサンスがあって、その前の中世のヨーロッパがあった。
 普通の歴史と違っていたのは、そのイメージの中心になっているのはいつも、大切な知識を守り、運ぼうとしている人たちだった。
 知識は時には人々の目に見えるところで開かれることもあったけれど、ほとんどの場合にそれは、さまざまなやり方で隠されていた……隠されなければならなかった。
 時には書き写された書物や個人のノートの形でこっそりと。時にはそれは遠い土地に逃され、秘密の場所に埋められた。また時にはそれは一人の師からたった一人の弟子へと口づてに伝えられた。
 あるイメージの前でマリーが立ち止まっている。セレスティンはその隣に立ち、どきりとした。
 鎧を着た兵士が激しくドアを叩く。引きずられていく女性たちを、ピッチフォークや棍棒を手にとりかこむ群衆。
 高い席から審問を行う聖職者。「病気の子供や人々を救うために、昔から伝わっていた薬草の知識を使っただけ」という訴えは、その耳には届かない。
 火刑用の木の杭に縛りつけられ、女性たちの足下に火が放たれる……。
 震えながらそれを見ていたセレスティンの背中をマリーが抱く。エステラは二人の後ろに立って静かに待っていた。そのエステラの反応は、冷淡なんじゃない。彼女はこれまでにきっと何度も繰り返し、このシーンを見てきたのだと思った。
 次に目が惹きつけられたのは、海に面した古代の白く高い建物のイメージだった。ふと「これは図書館だ」と思った。
 建物の中では、棚に積まれた膨大な数の書物を、乱入した群衆が乱暴につかんで床に落としていた。口々に「異端の教えだ」「燃やしてしまえ」と叫んでいる。止めようとした女性の司書が殴り倒され、どこかへ引きずっていかれる。
 図書館の外では書物が次々と火の中に投げ込まれていた。
 炎の中に失われていく知識、はるかな古代からの歴史の記憶……。
 群衆が到着する前にかろうじて持ち出された書物は、こっそりと遠い土地に運ばれ、迫害者の目から隠された。はるか後の時代になってヨーロッパへと持ち帰られる日まで……。
 セレスティンはエステラをふり返った。
「これは……」
「道を歩く者たちによって、心の深いところで共有される記憶。過去に生きた、古い流れにつながるすべての参入者の記憶の集積。
 今は白魔術教団に属したり、個々の秘教の実践者(プラクティショナー)として道を歩いている者も、その記憶を過去にたどり続けていけば、いずれ行き着くところ。
 あなたが歩く道は、その記憶と知識を運び、隠し、守り通した者たちがいたから、今も存在している」
 記憶のトンネルが終わりになり、すべてが大きく開けた場所に出た。
「ガレンは教団の内奥の部分に触れることはできなかったけれど、それでも彼が深い部分で固持していた信条と信仰は、教団の集団深層意識に影響を与えた。
 本来なら本物の指導者が座について、時間をかけてその歪みを修復していくべきだけれど」
「ルシアスが嫌だと駄々をこねるんで、別の過激な手法をとるわけか」
「そんなところね」


ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

セレスティン

ホノルルで大学に通う。

動物、植物、あらゆる生き物と星が好き。ダイビングが趣味。

ルシアスとの出会いをきっかけに、世間で「魔術」と呼ばれているものを学ぶ道に導かれていく。

ルシアス

もと海軍の情報士官で、ニューヨークの白魔術教団のメンバー。

訳があって軍を退役し、教団を去ってホノルルに移り住んできた。

彼のまわりでは風が生き物のように不思議な振舞いをする。

テロン

海軍の特殊部隊出身で、もと白魔術教団のオフィサー。

ルシアスの友人で、アメリカ本土から彼を追いかけてきた。

マリー

山の上に隠棲し、植物を育てながら薬草やアルケミーの研究をしている女性。

以前はニューヨークでユング派の心理療法家をしていた。

鳥の羽に導かれてセレスティンと知りあう。


エステラ

ニューヨークに住む、白魔術教団のオフィサーで占星学者。

ルシアスとテロンと親しいが、強面のテロンに「俺もルシアスも頭が上がらない」と言わせる女性。

ガブリエル・ジレ

ニューヨークにある白魔術教団のメンバー。

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み