昼の影

文字数 2,979文字

 ガブリエル・ジレを帰した後、エステラは椅子にもたれて目を閉じた。
 託宣者がその機能を果たすためには、質問者を必要とする。分で問いを発した場合には、得られた答えを自分自身の思考と切り離すことが難しいからだ。
 しかし明晰な質問者と向かい合えば、互いの意識を鏡のように写しあい、通常の範囲を超えた領域から答えを引き下ろすことができる。
 テロンとルシアスはそのための優れた資質を持っていた。
 ただルシアスは託宣を求めるよりもエステラと議論することを好んだし、テロンが託宣としてエステラの力を借りたのは後にも先にも一度だけ。失踪していたルシアスの居場所を訊ねた時だ。
 ガブリエル・ジレに質問をさせたのは託宣としてではない。トランス状態に入ってもいない。ただ意識を澄ませて彼の声に耳を傾け、それが彼という存在のどの部分から発せられたのかを聞き分けた。
 自分の理想のためには、基本的に手段を選ばない青年。それをどこまで信用するのか、注意して計らなければならなかった。
 その答えが得られた今、確かめなければならないことがある。
 夜も遅かったが、タクシーで教団に向った。
 夜間に儀式のある時でもなければ、すでに人気のない時間。外の門も閉まっているが、まだいるはずの書記に電話をする。先代の賢者の時から務めており、いつも深夜まで図書室にいて文献に埋もれている。
 書記は姿を見せると、人が通れるだけ門を開けた。外部の車は中に入ることは許されていない。書記はタクシーのドアを開け、降りてきたエステラに付き添った。
 執務室のドアを開けながら声をかける。
「図書室におりますので、何かありましたら」
「ありがとう。2時間経っても私が姿を見せなかったら、ノックしてちょうだい」
 書記はうなずき、後ろで扉を閉めた。
 夜の闇が広がり、アストラルの(フォース)が強まっているこの時間帯。昼間よりもずっと強く教団の集合意識のざわめきが感じられる。
 昼間はそれぞれのメンバーの自我によって抑えられている、心の深い部分の思考や感情が浮かび上がって形をとる。
 エグレゴールはそれを吸収する。
 エステラは部屋の中央にある椅子に座った。
 目を閉じて意識を静め、全身の感覚を開いてそこにあるものを感じとる。
 長い間、そうしていた。
 やがてコンタクトを止め、深い息を吐く。
 自らを生まれ変わらせ、新しい力の流入を可能にする。これは以前から教団のエグレゴールの中に胎動していた衝動だ。
 それがいっそう表面化に近づいている。しかしその求める表現の形に歪みが生じている。
 意識の影に、種子のように植えつけられた供犠を求める衝動。
 それは血の犠牲を教義の一部とする古い宗教や黒魔術に属するものであって、白魔術の一部ではない。それらと完全にたもとを分かって、白魔術教団は存在する。
  それはオルドの存在理念にとって根本的に異質なものだ。
 そしてそこにルシアスが巻き込まれているとするなら、なおさらそれを止めなければならない。
 エステラはそのことを内的に確認すると、執務室を出た。

 翌朝、再び教団に赴く。書記をつれて、指導者の執務室へ向う。
 書記は扉をノックすると、返事を待たずに重いドアを押し開けた。後ろに下がってエステラを通す。
 ガレンは手にしていた万年筆を置いた。机の上には何枚かの文字の書かれた紙がある。
 突然エステラの顔を見て驚いたはずだが、それを表情には出さずに丁重な口調で言った。
「これは ミス・ネフティス」
 そう言いながら、机の上の紙を束ねて引き出しにしまう。
「それはどこかへの報告書かしら」
「……いえ 単なる私信です。ミスター・ジレが来るのを待っている間に、少し時間がありましたので」
「今どき手紙なんて古風なことね」
 ガレンの表情は動かない。
「あなたが教団の指導者の座についてからずいぶんになるわね。その間、一度も託宣者の執務室を訪れていない」
「教団の運営は順調にいっており、託宣者(オラクル)の助言を求める必要が生じたことがありませんので。用もなく、あなたのお時間をとるべきではありませんから」
 ふいに書記が言葉を挟んだ。
「先代の賢者は託宣者と毎週、顔を合わせられました。オルドを指導する立場にある者は、心を見抜く力を持つ者と対峙することで、自らの鏡を磨いておく必要があると、よくおっしゃっておられました」
 普段あまり口を開くことはないが、その声には貫くような質がある。
 書記の言葉はガレンを刺激した。「書記ふぜい」が「指導者」である彼に意見するという事実に、自分の足場のもろさを感じたのかもしれない。
 無表情さの後ろで感情が動き、それが素早く抑圧される。
「それで……どのようなご用でしょうか?」
「幾つか訊いておきたいことがあるわ。今日の正午に私の執務室へ」
 そう告げるとエステラは返事を待たずに身を翻した。書記が後ろで扉を閉める。
 教団に属する者は、託宣者からの呼び出しは断ることはできない。それは伝統に基づく決まりの一つで、指導者であっても例外ではない。
 書記は、エステラがガレンに対して呼び出しを告げるのを聞いた。古参の彼は自らの役割を心得ている。証人がいる以上、ガレンはそれを無視することはできない。
 書記はエステラに一礼をすると、自分の持ち場に戻っていった。
 古い西洋魔術の流れを汲むこの教団では、指導者は男性、託宣者は女性という伝統が守られていた。
 そしてさまざまな決定は指導者によって行われ、託宣者は相談されるのでない限り、自分から口を出すことはしない。しかし必要な時には指導者の決断に対して、それを否決する力を持っている。
 ガレンもそのことは字面では理解しているはずだが、おそらく実感を持ったことはなかったに違いない。
 しかし今、必要なのは、ルシアスが教団に戻る可能性を無くすために何を仕組んだのかを引きだすこと。ガレンがそれを口に出すとは思えないが、会話の中でそのことが意識に昇れば、読みとることができる。
 そのためには彼を感情的に揺さぶる必要がある。
 表に向ける顔が偽りのものだとわかった以上、それは多少のリスクを含むかもしれない。

 正午の少し前。書記がやって来て、天窓を開けて光を入れた。太陽がもっとも高く昇り、地面に落ちる影がもっとも小さくなる時間。天窓からの光が床に落ちる。
 エステラは椅子に腰かけて待っていた。
 扉の外で書記の声がし、ガレンが通される。
 彼が目立った感情を出しているところを見たことはなかったが、今、その表情はあきらかに抑制されていた。
 そしてこの空間に足を踏み入れた時、明らかになる違和感。巧みに作り上げられた偽りの顔の向こうに透けて見えるもの……。
 精神的な道を求める一種の求道者であるのは間違いない。だが彼はここに属さない。
「お座りなさい」
 ガレンがエステラの前の椅子につく。意図的にゆったりとした、リラックスしているように見える仕草。
 完璧に作られた自己。完璧な自己制御。目的のために、大義のために、自分が属さない場所に自己を帰属し続ける意志の力。その意志の先にあるのは……。
 ガブリエルが問いを発した時に見えたイメージは正しかった。
「まず聞かせて欲しいわ。イエズス会が白魔術教団を乗っとって何をしようと考えているのか」
 それまで完璧に制御されていたガレンの顔色が変わった。

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登場人物紹介

セレスティン

ホノルルで大学に通う。

動物、植物、あらゆる生き物と星が好き。ダイビングが趣味。

ルシアスとの出会いをきっかけに、世間で「魔術」と呼ばれているものを学ぶ道に導かれていく。

ルシアス

もと海軍の情報士官で、ニューヨークの白魔術教団のメンバー。

訳があって軍を退役し、教団を去ってホノルルに移り住んできた。

彼のまわりでは風が生き物のように不思議な振舞いをする。

テロン

海軍の特殊部隊出身で、もと白魔術教団のオフィサー。

ルシアスの友人で、アメリカ本土から彼を追いかけてきた。

マリー

山の上に隠棲し、植物を育てながら薬草やアルケミーの研究をしている女性。

以前はニューヨークでユング派の心理療法家をしていた。

鳥の羽に導かれてセレスティンと知りあう。


エステラ

ニューヨークに住む、白魔術教団のオフィサーで占星学者。

ルシアスとテロンと親しいが、強面のテロンに「俺もルシアスも頭が上がらない」と言わせる女性。

ガブリエル・ジレ

ニューヨークにある白魔術教団のメンバー。

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