追跡

文字数 3,034文字

 携帯電話が鳴る。
 エステラには、出る前からそれが誰かわかっていた。
 自分のプライベートの番号を知っている人間は数えるほどしかいないし、その中でもこんな時間にお構いなしにかけてくるのは二人だけ。そしてそのうちの一人は失踪中。
「俺だ」
 よく響く快活な声が、当たり前のように言う。
「何の用?」
「頼みがある。お前を借りられるか?」
 思わず笑う。前触れもなく、前置きもなく、説明もなくというのが、何かを追いかけている時のこの男。
「いいわ。いつ?」
「今から行く」
「オフィスの方よ」
「わかった」
 電話が切れる。
 この男がわざわざ「借りたい」というのは、単に会う時間が欲しいというのではない。エステラの「託宣者(オラクル)」としての能力を借りたいというのだ。
 普通なら個人的な依頼など受けない。並の人間にとって託宣は両刃の剣だ
 託宣が一般的な予知や透視と異なるのは、必ず質問者を必要とするということ。そして質問者の意識の明晰さが答えの精度に影響する。
 託宣は単にお告げを与えるといった一方的な機能ではなく、質問をする者と答えを取り次ぐ者の共同作業だ。
 優れた質問者なら、通常の透視者や予知能力者に得られないレベルの情報を引き出せる。だが質問者の意識に濁りがあれば、答えも不純物だらけで使い物にならない。
 それだけならまだいいが、託宣を盲信して身を滅ぼした人間の数は歴史に多すぎる。
 それを嫌というほど知っていたから、軽々しく自分の能力を使うのに同意することはなかったし、教団(オルド)の先代の賢者(マグス)が亡くなってから、依頼に応じたことは一度もない。
 賢者の死後、教団が混乱のただ中にあった時に、西のオフィサーを務め、託宣者でもある彼女の仲介を求める声もあった。だが「政治的駆け引きの錯綜する状況では、純粋な託宣は得られない」と断り通した。
 出された答えがどちらに転ぶものであれ、それに納得しない人間が両側にいる以上、託宣者の介入は問題の解決になどならない。それを忘れて権力闘争に巻き込まれる愚を冒すつもりはなかった。 

 30分後、黒いスーツの大柄な男の姿がセキュリティ・カメラに映る。
 部屋に招き入れられ、勝手知ったようにエステラの前のイスに音も立てずに腰を下ろす。使い込まれた肉体が重さをまったく感じさせず、足音すら立てずに動く様は野生の大型の猫科の動物だ。
「あなたが辞めたと聞いて、そろそろ動き出すんじゃないかと思ってたわ」
「半年だ。あいつも頭を冷やすには十分な時間だろう」
「静かに置いておいてあげようとは思わないの?」
「そいつは面白くもない冗談だな」
 テロンが笑う。
 そうだ――この男に追われて、逃げ切れる人間がいるわけがないのに。
「ルールのおさらいよ。私が完全なトランスに入るのを確認してから、質問をして。
 質問は手短に、明確に。質問の明確さと質問者の意識の明晰さが、返ってくる答えの精度に比例するわ。
 一度答えが与えられたら、質問を繰り返すことは許されない。そして出た答えはあなたのもので、それをどう扱うかもあなたの責任。私は一切感知しない」
「上等だ」
  通常、質問者の目の前で直接託宣を受けるようなことはしない。質問はあらかじめ文章にして受けとられる。
 それは託宣のためには深い変性意識(トランス)状態に入ることが必要だからだ。トランス中の託宣者や霊媒は、心身ともに極端に無防備な状態にある。意識が丸裸で、エネルギーの肌がむき出しの状態と言ってもいい。
 一切の心理的、身体的防御が外された状態で、制御されない感情や思考を向けられたりするのは、危険きわまりない。気に入らない託宣に対して、質問者の内に怒りや敵意が生まれれば、それもすべて生身の肌にぶつけられてくる。
 霊媒のトランス・セッションには必ず信頼される見守り役が置かれるのもそのためだ。それでもトランス霊媒はおおかた早死にする。
 だがテロンは、エステラの全面的な信頼を受ける数少ない人間だった。
 灯りを落としてろうそくに火をつけ、深く椅子にかけて、トランスに入る準備をする。
 エステラの様子を見ながら、テロンが自分自身の思考や感情を抑制するのがわかる。同時に彼の強靭な生命エネルギーが広がり、二人のまわりの空間に張り巡らされ、目に見えない防護壁を形成する。
 無防備な状態に足を踏み入れる者を守ることを、この男は規律としても本能的にも知っている。
 絶対的な信頼に価する力によって自分が守られていると感じる時、深い場所に降りていくのがはるかに容易になる。
 目を閉じて意識を広げ、同時に集中させていく。強い意志の力で、外部からのあらゆる刺激のインプットを意識から遮断していく。自分自身の内部の感情の波や思考の泡を排除していく。
 深く――深く――意識は絞るように内側に向かって集中し、同時に自分の中が澄んだひんやりとした水で満たされていく。
 エステラとしての自分が背景に遠のき、やがて小さな点になって、かろうじて「自分」をつなぎとめておくものになる。
 すべてのものが透明になり、自己の内側が空になる感覚。
 目を閉じたまま顔を上げる。閉じられた目を通して目の前に座っている存在の姿がはっきりと見え、思わず微笑む。
 しばらくの間を置いて、声が静かに問う。
「ルシアスの居る場所を」
 落とされた質問に、透明な意識の水の中に流れが起きる。問う者の意志の明確さと精神の質に呼応して、素早くイメージが形になる。
 数字。
「……21……18……157……49――21.300070419716818 -157.86173343658447――」
 そしてエネルギーの動きが止り、後は静けさが広がる。
 これですべてだ。
 問い手の方でも託宣の終りを感じたのがわかる。
 意識の制御を少しずつ緩める。小さな点だった「エステラとしての自分」が、再び人の意識の形をとり始める。
 広げられていた意識が肉体に収まり、自分という存在がゆっくりと神経に統合され直していく。自己の焦点が再び自我の中に納まる。大きく息を吐いて、自分の肉体を取り戻すようにゆっくりと体を動かす。
 

 エステラが確実に戻ってきたのを確認して、テロンがエネルギーの守護を解くのを感じる。エステラはゆっくり目を開けた。
「大丈夫か」
「ええ」
 その言葉を聞いてから、テロンは紙切れとペンをとり出し、頭に収めていた託宣の数字を書きつけた。
「21 18 157 49……」
 何かを思い出す表情で考えている。
「――緯度と経度か 北緯または南緯21度 東経か西経157度――
何をどうしても海のまっただ中だな。何を考えてるんだ、あいつは」
 切ってあった携帯の電源を入れ直し、地図を呼び出したテロンの表情が満足げに変わる。
「北緯21度46分、西経157度49分――完璧だ――ホノルルか! 残りの数字は座標だな。ありがたい。トランス・セッションなんかで、ここまで具体的な情報が得られるとは思ってなかったぞ」
「言ったでしょ 得られる情報の質は質問者の頭の程度に依存するって」
「そいつは褒め言葉にとっていいのか」
「さあね――行くの?」
 テロンがにやりと笑う。
 もちろんだ。
 この男の中では意志と行動の間に乖離はない。教団の歴史の中でも、ここまでパワフルな火の主が南のオフィサーの座を占めたことはなかったろうに。
(それに対してルシアス あなたはいったいどうやって応えるつもりかしら――)
 軽く腕を組み、あの厭世主義者のわずかに憂いを含んだ横顔を思い出す。
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登場人物紹介

セレスティン

ホノルルで大学に通う。

動物、植物、あらゆる生き物と星が好き。ダイビングが趣味。

ルシアスとの出会いをきっかけに、世間で「魔術」と呼ばれているものを学ぶ道に導かれていく。

ルシアス

もと海軍の情報士官で、ニューヨークの白魔術教団のメンバー。

訳があって軍を退役し、教団を去ってホノルルに移り住んできた。

彼のまわりでは風が生き物のように不思議な振舞いをする。

テロン

海軍の特殊部隊出身で、もと白魔術教団のオフィサー。

ルシアスの友人で、アメリカ本土から彼を追いかけてきた。

マリー

山の上に隠棲し、植物を育てながら薬草やアルケミーの研究をしている女性。

以前はニューヨークでユング派の心理療法家をしていた。

鳥の羽に導かれてセレスティンと知りあう。


エステラ

ニューヨークに住む、白魔術教団のオフィサーで占星学者。

ルシアスとテロンと親しいが、強面のテロンに「俺もルシアスも頭が上がらない」と言わせる女性。

ガブリエル・ジレ

ニューヨークにある白魔術教団のメンバー。

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