二十二枚

文字数 2,986文字

 マリーのリビングでソファにもたれ、エステラにもらったカードをとり出して眺める。今日はエステラは他の二人と出かけている。
 マリーが甘いピーチの香りのお茶を入れてくれる。
「これってジプシーが占いに使うもの?」
「映画や小説ではそういうイメージだし、一般には占いに使われることが多いわね」
 お皿の上のフルーツのマフィン、赤いのはクランベリーで、青いのはブルーベリーかな。バターと蜂蜜のいい匂い。
 カードを大切にテーブルの離れたところに置いて、マフィンに手を伸ばす。
「本当は違う使い方があるの?」
「カール・ユングは中国の易経と西洋のタロット(タロー)について考察しているけれど、タローの(メジャー)アルカナは、人生の状況を象徴的に絵に表したものだと言っているわ」
 そう言って本棚から1冊の本をとりだす。『ユング講義録 1930-34』というの本のページを開いて渡してくれる。
「……21枚のカードには象徴が描かれている。これらは象徴的な状況を絵にしたものだ。例えば太陽。あるいは男が逆さに吊るされたり、塔に稲妻が落ちるところや、運命の(わだち)などだ。
 これらは異る性質の元型(アーキタイプ)を表し、それらは一般の構成要素と混じって無意識の流れの中に存在している。だからこそ、人生の流れを理解するという目的で、直感的な方法に適用することができるのだ……
 ……人間はずっと、現実の状況の意味にアクセスするには、無意識を通す必要を感じてきた。それは一般的な状況と集合無意識の中の状況の間には、一種の対応ないしは類似があるからだ」
 セレスティンはマフィンを頬ばり、ベリーの甘酸っぱさを味わいながら、しばらくその言葉の意味を考えた。
 自分が置かれている状況の意味を知るには、無意識にアクセスする。そのためには直感的な方法を使う、ということかな。思考に頼るんじゃなくて。
 ユングの名前は大学の心理学の教科書に出てきたけれど、マリーもエステラも、その名前を口にする。
「ユングがフロイトの元弟子で、ユング心理学を創設した人っていうのは覚えてるんだけど、本当はどういう人なの?」
「人生における変容(トランスフォーメーション)という考え方を、近代の学術的な枠組みの中で語った人。
 鉛を金に変える変容プロセスというのは伝統的なアルケミーの考え方だけれど、それが実際の金属のことではなくて、人生の道のりと人間の心理的なプロセスを象徴的に表現したものだということを、学術的な言葉にした人ね。
 そしてその同じ変容のプロセスが、タローの大アルカナの絵柄に象徴的に描かれていることにも気づいていた。
 気づいていたというより、教わっていたと言った方がいいかもしれないけれど」
「誰から?」
「直接の影響は、歴史学者で思想家のG・R・S・ミードね。ミードはヘルメス主義哲学やグノーシス派の研究者として有名な人で、イェイツやヘッセにも影響を与えているわ。ヘルメス主義哲学というのはアルケミーの伝統のこと」
「――普通の人に知られていないところで、いろんなものや人がつながってる……」
「そう 歴史の中には、社会の多数派がどれだけ排除しようとしても、途切れることのない流れがある。そしてそれを見つけて、受け継いで、手渡していく人たちがいる。一般の人々の目に入らないところで。
 タローも、そういう隠さなければいけない知識を運ぶための道具だったという考えもあるの。
 中世ヨーロッパでは、キリスト教が異端と見なす考え方を表に出してしまうと迫害の対象になった。それなら思想を象徴的な絵に描いて、遊技用のカードと偽って広めればいい。
 一般の人たちはそれを遊びの道具として扱い、それが広がり保存されるのを知らないうちに手助けする。
 象徴に込められた本当の意味や用途は、流れに直接つながる者しか知らない。
 でも18世紀頃から再び、一部の人々の間で、タローの図柄の象徴性や意味の解釈が始められた。ユングはそれを学んで、深層心理学という枠組みの中で言葉にした」
「それが占いに使われるようになったのは、どうして?」
「タローの絵は、誰もが人生の中で出会う普遍的な経験を、象徴的なイメージで表している。つまり、すべての人間の人生に当てはまる状況と意味が含まれているの。
 だからどんな形ででも、それを並べることで、何らかの意味を引き出すことができるのよ。とくに自分が直面する状況や経験の意味を探している人にとっては。
 ユングはそれを集合意識の働きと、共時性という概念と合わせて、それが占断の道具として働く仕組みについても考えているけれど」
 それからマリーは本棚の一角に収められていた箱を引き出し、中からいろいろなカードをとり出して見せてくれた。
「こんなに種類があるんだ。絵柄も全然違う」
「これなんかは、ユング心理学の考え方に忠実に象徴性を選んで絵柄を構成したもの。
 こちらはゴールデン・ドーンという近代魔術の一派の哲学に基づいている。
 こっちのは象徴性のとり方をアルケミーの伝統に忠実に基づいているわ」
 そう言いながら、それぞれのセットから「THE WORLD(世界)」と書かれたカードをとり出して並べる。
 その中の1枚がセレスティンの注意を引いた。赤いハートを背景に女性が立ち、片手には赤い薔薇、片手にはヘルメスの杖を持っている。そして背景には空、海、大地、そして炎……これは四大元素だ。
 別の1枚では、2本の杖を持って空に浮かぶ女性。そして四隅には……鷲とライオンと牛、それに人間?
「この四つの生き物は、もしかして四大元素のこと?」
「そうよ。意匠や画家のスタイルで表現は違っても、もとのイメージが人間の集合意識の中にあるアーキタイプだから、同じ大きな意味を表している」
 それからまた別のカードをとり出す。セレスティンがもらったカードと同じ画家の絵みたいだ。
「あなたが持っているのは古典的で、とてもよく練られたデザインのものね。A・E・ウェイトという思想家がデザインして、パメラ・コールマン・スミスという女流画家が描いたもの。
 こういうふうに考え抜かれたデザインには、たくさんの象徴性が込められているの。
 これは『THE MAGICIAN(魔術師)』のカードだけど、机の上に置かれている剣、木の杖、杯、ペンタクルは四大元素の象徴ね。そして赤い薔薇の花、魔術師の服の色にも意味があるのよ」
 それから同じセットの中から別の2枚を指さす。
「これは女性の力、ユングの言葉で言えばアニマを表す2枚のカードだけど、両方にザクロが描かれているでしょ」
「ザクロなの、これ」
 よく見ると確かにザクロの実。でも言われなければ、ただの模様だと思っていた。
「ザクロは古代から女性の持つ、生み出す力の象徴。シュメールの頃からずっと壁画や絵に描かれているわ」
 ……そんな意味と歴史を一つの象徴に込めているんだ。
「絵の持つ力は素晴らしいわね。言葉にはできない大きな意味の全体も、象徴的に絵に込めれば、直感的に伝えることができる。
 それは時には見ている本人も気づかないうちに、無意識のレベルで受けとられて、そしてその意味は無意識の中でほどけていく。
 今はこれ以上は説明はしないわ。エステラはあなたに自分で経験させたいんだと思うから」
 セレスティンは改めてカードを見つめた。
 1枚の小さな絵。
 でもその中には、ほとんど一つの世界が込められているように感じた。






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登場人物紹介

セレスティン

ホノルルで大学に通う。

動物、植物、あらゆる生き物と星が好き。ダイビングが趣味。

ルシアスとの出会いをきっかけに、世間で「魔術」と呼ばれているものを学ぶ道に導かれていく。

ルシアス

もと海軍の情報士官で、ニューヨークの白魔術教団のメンバー。

訳があって軍を退役し、教団を去ってホノルルに移り住んできた。

彼のまわりでは風が生き物のように不思議な振舞いをする。

テロン

海軍の特殊部隊出身で、もと白魔術教団のオフィサー。

ルシアスの友人で、アメリカ本土から彼を追いかけてきた。

マリー

山の上に隠棲し、植物を育てながら薬草やアルケミーの研究をしている女性。

以前はニューヨークでユング派の心理療法家をしていた。

鳥の羽に導かれてセレスティンと知りあう。


エステラ

ニューヨークに住む、白魔術教団のオフィサーで占星学者。

ルシアスとテロンと親しいが、強面のテロンに「俺もルシアスも頭が上がらない」と言わせる女性。

ガブリエル・ジレ

ニューヨークにある白魔術教団のメンバー。

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