編まれる

文字数 2,612文字

 エステラは20代の後半ぐらいに見えるけれど、多分マリーと同じで、見かけよりはずっと人生経験がある。でも二人はほとんど正反対なぐらいに違っている。
 穏やかで、包みこむような落ち着きがあり、つねに相手の気持ちを配慮するマリー。
 思ったことを口にし、自分の考えを押し通すこともためらわないエステラ。でも理詰めなだけではなく直感も鋭くて、予想もしなかった反応が返ってくることもよくあり、流れる水のようにとらえどころがない。
 共通しているのは二人とも、自分自身であることにためらいがない。
 その二人が話をする様子をセレスティンは見ていた。本を持ち出したり、「西洋の伝統では……」「部族の教えでは……」と、紙に図を描いて真剣に話していたかと思うと、突然、お茶や食べ物の話になる。
 テロンに対してもルシアスに対しても、山のように安定してぶれないマリーが、エステラと向かい合っている時には、雨にうたれた後の土みたいに柔らかく呼吸する。
 これもエステラが言っていた「それぞれの人間に固有の性質も、関係性を通して表現が変わる」ということなのかもしれない。

 エステラに課題を出されてから、セレスティンは大学やいろいろな場所でまわりの人たちの観察を続けた。
 エステラの言葉を考える。「自然現象から始めて、自然の中の火と水と風と大地の表現を思い出して、それが人間の行動や心理に表現されると、どうなるかを想像してみるの」
 キャンパスの芝生の上に座って、通りがかる人たちを見ながら考えを巡らせるうちに、人のまわりの目に見えない(フィールド)のことを思い出した。
 初めてルシアスに会った時、それまで経験したことのなかった「雰囲気」に惹かれた。それには不思議な密度があって、彼のそばにいてそれに触れていると、まわりの世界がそれまでと違って感じらた。
 そしてある時、思いついて実験してみて、その密度のある雰囲気は、彼の体から一定の距離まで広がっていることを確かめた。だからそれは、彼をとりまく一種の「(フィールド)」なのだと。
 そのフィールドには、ルシアスの「(らしさ)」が映されている。その中に入り込むと視野が明るくなり、高い山に登った時のように意識が冴える。
 同じことをテロンでも試した。二人のフィールドは、質や広がりの範囲は違うけれど、強くて、明晰で、わかりやすい。
 それに比べると普通に見かけるほとんどの人で、それはわかりにくい。密度が薄いような、明度が低いような。時にはあいまいで、もやっとした感じ。
 ごくたまに例外もあった。大学のレポートのためにビショップ・ミュージアムを訪れていて、通路で一人の女性とすれ違った。
 突然、波の中に包まれる感じ。
 ふり向くと、強くしっかりとした体つきで、ゆったりと足もとを踏みしめながら歩いていく女性。すれ違った一瞬に感じた、たゆたう波の流れ……木を叩くようなリズム……オヒアレフアの真っ赤な花……。
 立ち止まって見つめていると、女性がふり返った。薄い褐色のつややかな肌、意志の強そうな顔立ち。
 後になってその女性が、時おりミュージアムに来る伝統フラ(フラ カヒコ)の教師だと知った。
 19世紀にハワイがアメリカにとり込まれてキリスト教化され、もともと土地の神々に捧げる神聖なものだったフラも「異教的」と非難されるようになり、その形を変えさせられた。
 その女性は、西洋化以前の古い伝統を受け継ぎ、つなぐことに尽力している人だった。彼女から発せられていた強くまっすぐな意志と、自然とのつながりの感覚。
 そんなふうに観察を続けながら、このフィールドは、その人の内的な世界の反映だと思った。そしてそれが十分強い時、他人がその中に入ると影響を受け、一時的にでも、自分や世界についての感じ方が変化する。
 マリーのフィールドは、テロンやルシアスのとは少し違っていた。その影響は庭に足を踏み入れた時から伝わり、家のどこにいても感じられる。まるで家と庭の空間全体がマリーのフィールドの延長みたいで、そしてそれはルシアスやテロンにも影響を与えるほど強い。
 マリーのところにいる間は、テロンの肩から力が抜けて強面っぽさが緩み、ルシアスも、彼を捕えがちな俗世界への物憂さを忘れて、穏やかな笑顔を見せる。
 セレスティン自身、その空間の中で広げられ、育てられてきたように思う。
 誰のフィールドに接しているかで、世界の見え方や感じ方、自分の表現さえもが変わる。そしてそのフィールドは、元素の「質」も反映しているのではないかと思いついた。

 エステラのフィールドは大きく広がっていて、その輪郭はどこにあるのかわからない。いつの間にかその中に入っていて、そして彼女の影響が自分の中に染み込んでくる。
 普段のエステラはとても理知的で、話す時には流れるように言葉を紡ぐ。それは時に優しい小川のささやきようで、時には氾濫した川の流れみたいに容赦がない。
 でも彼女と時間を過ごすうちに、それは彼女が外の世界と関わる時の表現で、その内面はとても静かなものだという気がした。
 月の出た夜の海岸を彼女と二人で歩く時などには、自分の中が深い静けさで満たされるのを感じる。

 雨の日のマリーの家。エステラが庭に面したガラス戸を開けて外を見ていた。
 いつの間にか、その気配が消える。彼女の体はそこにある。でも彼女の存在はそこにない。
 そんな時にはいつも、近いところにテロンがいた。それとなく椅子を動かし、彼女に背を向けて座っていたり、そばの壁にもたれている。
 やがてエステラの気配が戻ってくると、テロンも何気なくそのそばを離れる。まるで少しの間、体を留守にする彼女のために、見張り、守っているようだと思った。
 そんな時にはいつも、少ししてマリーが声をかけ、西洋ノコギリソウ(ヤロウ)の強い香りのハーブティーを入れ、薔薇の花びらを落としてふるまった。

 たくさんのことが、目に見えないところで起きる。
 言葉にされない言葉が投げかけられ、受けとられる。
 透明な蜘蛛の糸で編まれるように、一見つながっているとは気づかない無数のことが、つながり、互いに影響し合う。
 普通の人たちは、それらが起きる領域に気がつかず、注意もむけない。肉体の目に見えるものだけを見て、耳に聞こえる声だけに耳を傾けて過ごしている。
「でも、それは必然じゃない。どちらか一方を捨てるんじゃなく、その両方を自分の世界にすると選ぶこともできる」
 そうエステラは言った。


ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

セレスティン

ホノルルで大学に通う。

動物、植物、あらゆる生き物と星が好き。ダイビングが趣味。

ルシアスとの出会いをきっかけに、世間で「魔術」と呼ばれているものを学ぶ道に導かれていく。

ルシアス

もと海軍の情報士官で、ニューヨークの白魔術教団のメンバー。

訳があって軍を退役し、教団を去ってホノルルに移り住んできた。

彼のまわりでは風が生き物のように不思議な振舞いをする。

テロン

海軍の特殊部隊出身で、もと白魔術教団のオフィサー。

ルシアスの友人で、アメリカ本土から彼を追いかけてきた。

マリー

山の上に隠棲し、植物を育てながら薬草やアルケミーの研究をしている女性。

以前はニューヨークでユング派の心理療法家をしていた。

鳥の羽に導かれてセレスティンと知りあう。


エステラ

ニューヨークに住む、白魔術教団のオフィサーで占星学者。

ルシアスとテロンと親しいが、強面のテロンに「俺もルシアスも頭が上がらない」と言わせる女性。

ガブリエル・ジレ

ニューヨークにある白魔術教団のメンバー。

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み