蜘蛛の糸

文字数 2,050文字

 セレスティンはこちら側の世界に意識を引き戻し、目を開けた。
 急な移動の仕方をしたせいか、少しふらふらする。
 いつもならそのまましばらく転がって、経験してきたことを感じ直したり、メモをとる。でも今朝はそんなことはしていられない。
 体を起こし、意識をはっきりさせる。
 時計を見て、テロンに電話をした。彼の声が聞こえて、ほっとする。言われたように、着替えや必要なものを詰めて待つ。
 早く来ないかな……。
 心配することなんて何もないはずなのに、彼の顔を見るまで不安だった。
 ドアがノックされ、テロンが顔を見せた時、セレスティンは思わず駆け寄って抱きついた。
「……どうした?」
「……わからないけど、何だかすごく心配だった。もう会えないかもっていう気がして……でもそれ、変だよね?」
「……」
 テロンは何も言わなかった。
 マリーの家に向う車の中で、セレスティンは話しかけた。
「どうしてマリーのところに泊まった方がいいの? あのガブリエルという人に会ったのは、何かよくないこと?」
「あいつには関わらないほうがいいというのは確かだが、やつは今ニューヨークにいるし、お前がハワイにいることも知らないだろう。名前も知らず、お前の居場所を探すようなことはできないから、そういう意味での心配じゃない」
「じゃあ どういう心配?」
「目が覚めている間は問題じゃないんだ。学校も外出も好きにすればいい。
 ただ、眠っている間だ。夢と二つ目の世界はつながっている。夢の中でお前がうっかり、あの場所に戻って――あるいは引き寄せられて、またやつと出くわさないとは限らん」
「でもあの人、私のそばにはテロンがいるから、変なまねはしないって言ってたよね」
 テロンが苦笑する。
「そういうところだぞ。お前は人の言うことを正面から信じて、二枚舌を使う輩の区別がまだつかない」
「そんなことないと思うけどな。名前だって、それ以外に訊かれたことだって教えてないし。サラマンダーたちに対する態度は信用できないって思ったし」
「何にせよ、お前にもう少し力がつくまでは用心したい。実際に何かの危険があるというより、俺を安心させるためだと思ってくれ」
「うん……でも……じゃあ当面、向こうに行くのは中断?」
 テロンが考え込むように黙る。


 テロンから電話があり、マリーはセレスティン用にしてある二階の部屋を整え、昼が近かったので食事を準備をした。
 三人でとる昼食の間、あまり会話はなかった。
 食事の後に眠そうにしているセレスティンに、マリーは少し休むようにすすめた。セレスティンは二階の部屋には行かず、リビングのソファにブランケットをかぶって丸くなった。
 コーヒーを入れ、テロンから一通りの話を聞く。
「……その青年は、あなたとルシアスが去ってきた教団の関係者なのね。それが向こう側でセレスティンと出会い、彼女に関わろうとしてきたと」 
「そうだ。あのガキはいつもガレンのために――ガレンというのは今、教団のトップに収まっている男だ――情報を集めている」
「それで、その青年がまだセレスティンに関わってくることを心配しているの? もしかしたら、夢を通して訪ねてくるかもしれないと?」
「そんなところだ。俺の考え過ぎであればいいと思うが。
 まとわりついてくるやつは突き飛ばしてドアを閉めればいい話だが、セレスティンはまだ、ああいう手合に耐性がない」
「その青年は、魔術師としては力がある?」
「教団の中では平均的で、とくに能力の高い方だとは思われていなかった。だがいざアストラルで出会ってみると、どうも気になる。一筋縄じゃない」
 テロンとルシアスにとっては、とうに手を切ったはずの過去から、こんな形で再び手が伸びてくる。二人とその白魔術教団の縁は、まだ切れていないということか。
 それもセレスティンが巻き込まれていなければ、無視することは容易だっただろうが。
 一見、偶然と見えながら、しかし偶然ではなく、人や物事が結びつけられ、動かされていくことがある。
 この世界の背後には、無数の蜘蛛の糸が、たくさんのレベルで張り巡らされている。それを編むのが、宇宙(そら)の意志と呼ばれるものであれ、社会や特定の集団の深層にある集合意識であれ、あるいは人間の手になる「陰謀」であれ。
 魔術やシャーマニズムといった形で、通常のレベルを超えて力[フォース]を動かす者には、よりいっそう大きな布置[コンステレーション]の圧力がかかる。
 ルシアスとテロンをとり巻いている力がそうだ。
 初めて二人と話をした晩。あの時、自分はそれに巻き込まれるのを望まなかった。この二人に関わりだせば、自分の人生の道筋は変化を余儀なくされる、そう感じた。
(でも、互いの間に関係が築かれた今では、私はすでにその布置の一部。
そしてセレスティンの成長を、その脱皮を見守り、支えてやるという私の望みと意志は変わらない)
「セレスティンはここに預けて。できることをするわ」
 テロンはその言葉を聞くとうなずき、携帯を取りだしてルシアスを呼びだした。
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登場人物紹介

セレスティン

ホノルルで大学に通う。

動物、植物、あらゆる生き物と星が好き。ダイビングが趣味。

ルシアスとの出会いをきっかけに、世間で「魔術」と呼ばれているものを学ぶ道に導かれていく。

ルシアス

もと海軍の情報士官で、ニューヨークの白魔術教団のメンバー。

訳があって軍を退役し、教団を去ってホノルルに移り住んできた。

彼のまわりでは風が生き物のように不思議な振舞いをする。

テロン

海軍の特殊部隊出身で、もと白魔術教団のオフィサー。

ルシアスの友人で、アメリカ本土から彼を追いかけてきた。

マリー

山の上に隠棲し、植物を育てながら薬草やアルケミーの研究をしている女性。

以前はニューヨークでユング派の心理療法家をしていた。

鳥の羽に導かれてセレスティンと知りあう。


エステラ

ニューヨークに住む、白魔術教団のオフィサーで占星学者。

ルシアスとテロンと親しいが、強面のテロンに「俺もルシアスも頭が上がらない」と言わせる女性。

ガブリエル・ジレ

ニューヨークにある白魔術教団のメンバー。

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