気配

文字数 1,239文字

 海の見えるテラス席のテーブルに夕陽がさす。
 沈む太陽が、低くかかる雲をオレンジ色に染める。陽が落ちていくのと同時に気温が下がり始め、強い夕風が吹いてくる。
 来る前は「暑いだけの観光地」と思っていたが、オアフの自然にはそれなりに面白い表情があった。
 いや、そう感じるのはこの光景が、過去の記憶のどれかを刺激するからではないか……。
 ルシアスがグラスの液体を夕陽に透かす。小さな風が液体の上で遊び、絞ったライムと微かな樹脂の香りを散らす。
「またジュースみたいなものを飲みやがって」
 テロンのからかいを無視して、ルシアスはギムレットのグラスに口をつけ、言った。
「お前にしては、ずいぶん悠長に構えているもんだな」
 テロンはウォッカのショットを干し、向こうにいるウェイターに指を立てて合図した。
「大物を釣り上げるには腰を据えてかからんとな。いずれ、のんびりできるのも今のうちだ。小娘にはおあつらえの家庭教師もついたし、時間があるうちに、あいつが足手まといにならん程度に育ってくれるならありがたい」
「――面倒ごとを予測してるのか」
「そんなところだ」
 ちぎれた雲のように交錯する記憶の断片――それを横切る時間の閃光。
「俺がお前と出くわす人生は平穏だった試しがない」
 ルシアスが面白がるように言う。
「俺と出くわしてなければ、お前の人生は平穏なのか」
「……あいにく俺の記憶では、お前に出くわさなかった人生というのが思い出せん」

 泊まっているホテルの車寄せにマスタングを停め、走り寄って来る制服の駐車係にキーを渡す。若い駐車係は喜々としてスポーツカーの運転席に座った。
 レンタカーにもホテル暮らしにもそろそろ飽きた。いずれこの調子なら長期戦だ。住む場所を借りて、本土から車を運ばせるか。
 部屋に戻って思いつき、携帯をとりあげる。
「俺だ」
 電話の向こうの艶めいた笑い声。
「こんなに長く音沙汰もなくて、戻って来もしないところを見ると、ルシアスを見つけたのね」
「居場所を座標まで添えて出されて、見つけられないわけがあるか」
「ならいいわ」
「そっちはどうだ」
「あまり変化はないわね」
「その辛気臭い場所から出る気はないのか」
「ないわ やらなきゃいけないことは、まだたくさんあるもの」
 何かを探るような間。
「――あなたのそばに若い女の子がいる?」
「若い女?」
「そう 二十歳前かしら――」
「それはお前のヴィジョンか?」
「いるのね」
「――俺のそばというより、ルシアスのだろ」
「ルシアス――」
 エステラの勘が働いている。テロンは意識を引き締めた。
「その()から目を離さないで」
「なん――」
「……これ以上質問しないで。あなたが質問すれば、もっと情報が流れ込んで来る。でも知ってしまうと、私の行動に変化が起きる。それは望ましくないの。今、言えるのはこれだけ」
 テロンは固く口を結んだ。
 のんびりできるうちにしておけとルシアスに言ったが、その言葉がそのまま自分のつらに返ってくるとはな。

 せいぜいこの時間を楽しんでおくか……
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登場人物紹介

セレスティン

ホノルルで大学に通う。

動物、植物、あらゆる生き物と星が好き。ダイビングが趣味。

ルシアスとの出会いをきっかけに、世間で「魔術」と呼ばれているものを学ぶ道に導かれていく。

ルシアス

もと海軍の情報士官で、ニューヨークの白魔術教団のメンバー。

訳があって軍を退役し、教団を去ってホノルルに移り住んできた。

彼のまわりでは風が生き物のように不思議な振舞いをする。

テロン

海軍の特殊部隊出身で、もと白魔術教団のオフィサー。

ルシアスの友人で、アメリカ本土から彼を追いかけてきた。

マリー

山の上に隠棲し、植物を育てながら薬草やアルケミーの研究をしている女性。

以前はニューヨークでユング派の心理療法家をしていた。

鳥の羽に導かれてセレスティンと知りあう。


エステラ

ニューヨークに住む、白魔術教団のオフィサーで占星学者。

ルシアスとテロンと親しいが、強面のテロンに「俺もルシアスも頭が上がらない」と言わせる女性。

ガブリエル・ジレ

ニューヨークにある白魔術教団のメンバー。

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