遠い夢

文字数 3,276文字

 セレスティンはルシアスと時間を過ごし、夜遅くなってからマリーの家に送ってもらった。
 あのガブリエルという青年と会ったことは、ルシアスには話さなかった。
 ふり返った時には彼はもういなかった。多分、自分のつれない態度に気を悪くしたのだろう。
 ただ実際に会ってみて、何かを無理強いされることもなかったし、とても危険な人間には見えなかった。
 親しくなりたいとは思わないけれど、少なくともテロンが心配するような必要のある相手とは思えなかった。
 もっとも、あまり話も聞かずに席を立ってしまった。
 自分を特別扱いしようとする彼の態度は心地が悪かったし、生き物に対する彼の見方は、やっぱり好きになれなかった。
 ホノルルに来たのは多分、もともとハワイで休暇をとる予定があったのだろう。そして偶然、道で自分を見かけた。そして彼の観察力は確かに鋭くて、自分に気がついた。
 それだけのこと。
 そして気を悪くして行ってしまったんだから、もう声をかけてくることもないだろうし、いずれじきに本土に帰るはず。
 そんな大したこともない出来事で、三人に自分のことを心配し続けて欲しくなかった。

 その夜、眠りに落ちる瞬間、またあの遠い昔の夢を見そうだと思った。不思議で幸せな夢の続きを……。

 でも夢の世界に入った時、雰囲気は違っていた。


 愛する(ひと)の横顔。
 今でも自分と目を合わせた時には、愛情に満ちた笑顔を返してくれる。
 しかし訪れてくる人々と話をしている時、その表情は真面目で、時に固く、時には厳しく見えた。
 少し前に彼の父親が亡くなり、彼は若い当主として家を継いでいた。二人の婚礼の日どりは先に延ばされた。
 子供の頃から父親に仕事を教えられ、異国への交易の旅にも伴われて多くの経験を積んでいた。身についた見識の広さも、大胆だが的を外さない判断力も父親譲り。人をまとめる手腕も確かで、若いながら他の交易商や使用人たちからも信頼されていた。
 ただその彼にも、都市の治政を司る長老たちとのやりとりは難しかった。
 北方に送っていた者が帰ってきていた。彼はその報告を聞き、今は相談役になっていた剣の師とともに長い間話し込んでいた。
 その後、彼は自分にかいつまんで状況を説明した。
 北西から異国の兵士たちが移動してきている。彼らは途中で見つけた村や町を襲い、略奪を行っている。
 それは帝国軍の脱走兵の集まりか、帝国軍に敗れて追われる異国の敗残兵の集まりらしい。そして蹄のある獣に乗って素早く移動する。
 彼はその知らせを持って、長老たちにかけ合いに行った。略奪兵の数は千人に満たない。今ならまだ近隣の都市から傭兵をかき集めるなどして、手のうちようがあると。
 しかし長老たちは譲らなかった。
 「この都市が積み上げてきた交渉の手腕と、豊かな資源をもってすれば、どんな相手とも話し合い、合意をとり結ぶことができる。それを信じぬお前はしょせん、この都市の伝統を理解しない」。
 長老たちの頑迷さよりさらに彼を悩ませたのは、自分の父だった。まっすぐな理想主義者である父は、人と都市のありようについての理想論を盾に、娘の婿になる若者を論難した。
 長老たちは伝統を守り現状を維持することを譲らず、自分の父は都市の理想と誇りを守ることを譲らなかった。
 西と東の二つの帝国が争い、衰亡し、その力が衰えていく中で、この都市は外的な勢力に(くみ)せず、独立と平和を保ってきた。いさかいはつねに、豊かな資源と賢明で粘り強い交渉を通して、双方に満足のいく形で解決された。
 これまでその理想は守られ続け、そしてその理想が都市を守ってきた。
 だからまわりの状況が変化したといっても、それに合わせて、考え方を変えることは難しかった。
 そして西の帝国の衰退が崩壊へとになだれ込むにつれて、この都市を囲む状況は確実に変化していた。
 見聞が広く、実利にかなう考え方をする交易者の間には、傭兵をやとう考えに賛同する者もあった。だがそれは都市の治政を動かす力は持たなかった。

 天気のよい日、野原に母と薬草をとりに出ていた。
 そこへ家の使用人が血相を変えて走ってきた。
「急いでお帰りください」
 汗をぬぐい、息を切らしながら言う。
「異国の兵が都市の外に迫っております。ご主人様は長老方とともに、兵の統率者に会い交渉をするために出かけられました」
 家に戻ったところへ、愛する(ひと)からも使いが来ていた。
 「交渉がうまくいったと知らせがあるまで外に出るな。必要な時には迎えに行くから、居場所がわかるようにしておけと、そう強くおっしゃられました」
 使い人の言葉も表情も張りつめていた。
 了承を伝えて使いを送り返し、母は召使いにお茶を入させた。二人でそれを飲み、よい知らせを待つ。
 父はこれまでにもたくさんの交渉を経験してきた。今度もきっと大丈夫……。
 突然、外の様子が慌ただしくなった。人々の叫ぶ声が聞こえる。使用人が駆け込んできて、母の耳に何ごとかをささやく。
 「当主様が……」という言葉がもれて聞こえた。
 母の顔から血の気が引く。片方の手をもう一方の手で固く握りしめながら、「かまわぬから、ここで話すように」と命じる。
 使用人が顔を伏せながら、震える言葉を絞りだした。
 交渉に出向いた父が、同行した長老たちとともに切り捨てられたと。そして軍の統率者である男は、交渉を率いた父を都市の統治者と決めて、「その妻子をつれてこい」と命じたと。
 知らせを信じられないままに母と呆然としているところへ、愛する(ひと)が駆け込んできた。
「——この都市には君主や統治者はおらぬということを、野蛮人どもは理解せぬ。『王の妻子をつれてこい』と言いはっている」
「あの人は……本当に……その者たちの手にかけられたのですか」
 母の問いに、愛する人がつらそうな表情で頷く。
「それで……これからどう……」
「川へ。いざという時のことを考えて、人に見つからぬ所に舟を隠してある。それでやつらの手を逃れ身を隠す。一刻の余裕もない 早く」
 促されて外に出ると、初老の西方人の戦士——剣の師が剣に手をかけ、厳しい表情であたりを見回していた。
 通りには右往左往する者もあり、ただ呆然と立ち尽くしたり、座り込んでいる者もいた。
「他の者たちは……」
「逃げたい者は逃げろと言ってある。お前は自分のことを考えろ。俺の妻になる娘を野蛮人の捕らわれものになどさせるか」
 速足で都市の目立たぬ通りを抜け、川までの道をたどる。彼と剣の師が、自分と母を守るように後ろを固める。
 川の近くまで来た時、遠くの方で何かが小刻みに地面を蹴る音がした。
 師が声をかける。
「追っ手だ。私はここに残って足止めをする。お前たちは行け」
 銀髪の戦士はそう言うと足を止め、追っ手の来る方をふり返った。
 川べりまで走る。愛する(ひと)は、自分と母の手をとって舟に乗り移らせた。それから腰の剣を抜いてもやいを切り離すと、船の腹を押して岸から離した。
「待って お前は……」
 彼の表情に苦しさと笑顔が入り交じる。
「師に守りを任せて俺が逃げるわけにはいかぬ。先に行ってくれ。後から追う。義母様(ははうえ)はこの川の先の地形についてご存知だ。よろしく頼む」
 彼は腰の剣を抜くと、師の向った方へ走った。
 川の流れは速い。舟は流れに運ばれ始める。
「嫌だっ お前を置いてなど――」
 そう叫んで舟から身を乗り出した。
 水に飛び込もうとする自分の体を、母の腕が押さえつけた。普段の優しい母からは思いもつかぬ強い力でつかまえる。
「お前がいてはかえって足手まといです! 彼のためにも、まず無事であることを考えなさい」
 夢中で愛する(ひと)の名を呼ぶ。
 舟は流され、二人の姿はもう見えない。
 喉が裂けんばかりに彼の名を叫び続ける――。
 そして愛する(ひと)は、自分のもとに帰って来はしなかった。どれほど待っても――
 離れ離れになるくらいなら、一緒に死ぬことができたら、どれほどよかっただろう……


 顔が涙で濡れて、目が覚めた。
 目を開けて天井を見つめる。
 これは夢……ただの夢……そう自分に言い聞かせる。

ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

セレスティン

ホノルルで大学に通う。

動物、植物、あらゆる生き物と星が好き。ダイビングが趣味。

ルシアスとの出会いをきっかけに、世間で「魔術」と呼ばれているものを学ぶ道に導かれていく。

ルシアス

もと海軍の情報士官で、ニューヨークの白魔術教団のメンバー。

訳があって軍を退役し、教団を去ってホノルルに移り住んできた。

彼のまわりでは風が生き物のように不思議な振舞いをする。

テロン

海軍の特殊部隊出身で、もと白魔術教団のオフィサー。

ルシアスの友人で、アメリカ本土から彼を追いかけてきた。

マリー

山の上に隠棲し、植物を育てながら薬草やアルケミーの研究をしている女性。

以前はニューヨークでユング派の心理療法家をしていた。

鳥の羽に導かれてセレスティンと知りあう。


エステラ

ニューヨークに住む、白魔術教団のオフィサーで占星学者。

ルシアスとテロンと親しいが、強面のテロンに「俺もルシアスも頭が上がらない」と言わせる女性。

ガブリエル・ジレ

ニューヨークにある白魔術教団のメンバー。

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み