ふり向く

文字数 1,279文字

 朝食の時、あまりしゃべらず何かを考え込んでいるふうのセレスティンに、マリーは気がついただろうが何も訊ねなかった。
 セレスティンの方から話し出せば耳を傾けてくれる。そうでなければ詮索はしない。
 自分で考えるための時間とスペースを与えてもらえるのが、今はありがたかった。
 セレスティンは庭の裏側から続いている木立に腰を下ろし、大きなノーフォークパインの幹にもたれた。
 いつもは気配を察して近寄ってくる妖精たちも、今朝は静かだ。彼らは人間の内的な状態にとても敏感だから。
「ごめんね 今日はここにただ座らせて。また次に読む本を持ってくるから」
 そう声をかけ、自分の思いに入り込む。
 夢の中の物語は、実際のできごとだったんだろうか。
 今はもう、そうとしか感じられなかった。
 夢につながり、そこから広がる「記憶」が、自分の中にあふれていた。
 愛する人と別れ別れになった後、流れ着いた川岸の村に身を寄せ、そこで彼を待った。
 母は薬草の知識を使って村の人々の医者代わりになり、日々の糧を得た。
 自分はただ、待ち続けた。
 時間が経っても彼が訪れる気配はなく、消息をたどることもできなかった。
 ただ村人が聞いてきた噂で、あれほど栄えた故郷の都市は、略奪者の手に落ちてから人々が大挙して逃げだし、今は無人の都市になっていると聞いた。
 笑顔を失い、食も細っていく自分に、母は離れた場所に移り住むことを提案したが、自分は首を横に振った。
 この川のそばを離れたら、彼が自分を見つけることができなくなる。そう恐れていた。
 心はただ悲しみでいっぱいで、自分を大切にしてくれた母の気持ちも汲むこともできなかった。
 時が過ぎ、待つ気持ちは諦めと絶望に変わっていった。 
 彼が生きていたなら、どんな手段を使ってでも絶対に自分を見つけてくれた。来ないのは、生き延びなかったということ。
 自分を守るために、彼自身の命を投げ出した。
 彼が剣の師の言葉を容れて一緒に逃げてくれていたら……それはありえないことだった。自分のために他人を犠牲にすることを嫌う(ひと)だった。そしてそういう性格を自分も深く愛していた。
 その愛する人と、ずっといっしょに人生を過ごすつもりだったのに……。
 あのひとを待ち、一緒に過ごした時間を思い出しながら感じた感情が、今のこの胸の痛みとして感じられる。
 また涙がこみ上げてきた。
 あの「自分」は自分だ。それはもう疑えなかった。
 あの昔の「自分」は、今この自分の中にいて、その記憶を、感情を経験し直している。
 涙をふき、草の上に転がった。
 青い空が目に入る。
 ふと思う。
 あのひとは……どこにいるんだろう。
 あれは、ものすごく古い時代だというのは感じていた。
 都市の建物や、絵や装飾の様式は、歴史の教科書で見たどの古代の文明とも違っている。でも人々の考え方も生活も、とても洗練されていた。
 歴史に残っていない都市……どれぐらい昔のことだろう。
 人は死んでも魂は生き続けるなら、あれから彼も何度も生まれ変わっているかもしれない。そして自分も。
  違う場所に、違う時代に……きっと……。
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登場人物紹介

セレスティン

ホノルルで大学に通う。

動物、植物、あらゆる生き物と星が好き。ダイビングが趣味。

ルシアスとの出会いをきっかけに、世間で「魔術」と呼ばれているものを学ぶ道に導かれていく。

ルシアス

もと海軍の情報士官で、ニューヨークの白魔術教団のメンバー。

訳があって軍を退役し、教団を去ってホノルルに移り住んできた。

彼のまわりでは風が生き物のように不思議な振舞いをする。

テロン

海軍の特殊部隊出身で、もと白魔術教団のオフィサー。

ルシアスの友人で、アメリカ本土から彼を追いかけてきた。

マリー

山の上に隠棲し、植物を育てながら薬草やアルケミーの研究をしている女性。

以前はニューヨークでユング派の心理療法家をしていた。

鳥の羽に導かれてセレスティンと知りあう。


エステラ

ニューヨークに住む、白魔術教団のオフィサーで占星学者。

ルシアスとテロンと親しいが、強面のテロンに「俺もルシアスも頭が上がらない」と言わせる女性。

ガブリエル・ジレ

ニューヨークにある白魔術教団のメンバー。

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