馬と

文字数 2,799文字

 セレスティンはテロンの運転する車に乗せられ、島の南端へ連れられていくところだった。
 このあいだルシアスと歩いたサンディービーチを越えて、さらにその先に小さな乗馬クラブがある。当面、そこで馬に乗ることを教えるとテロンは言った。
 それは突然のことで、でもマリーも同意しているという。
 彼が何かを企んでいるようにも感じたが、馬をそばで見たり触ったりできるという誘惑には勝てなかった。
 馬には憧れていたけれど、これまで乗ったことはない。
 でも人間を乗せる動物なのだから、何とかなると思った。
 車の中でテロンが話しかける。
「馬というのは基本的に怠け者だ。放っておけば自分のやりたいことしかしないし、つねに楽な方を選ぶ。人間の心と同じだな」
「馬は走ることが好きなんじゃないの? 映画の中ではいつも走ってるよ」
「そんなのは作り手の都合に合わせたイメージだ。実際の野生動物としての馬を考えてみろ。走ってばかりいたら体力を消耗するし、腹も減るばかりだ。
 人間に飼われているといっても、もともと集団で生活する草食動物だ。敵に襲われたりパニックになれば、もちろん走って逃げるが、意味もなく走りまわるようなことはしない。
 身に危険が迫ってるんでなければ、食うこととエネルギーをセーブすること、それに子孫を残すことが馬の優先事項だ」
 言われてみれば確かにそうだ。あの大きな体で走るのは、ずいぶんカロリーを消費する。植物性の栄養だけでそれをまかなうのは大変そうだ。
「だから人間なんぞ背中に乗せたくはないし、その上あれこれ命令されて走るなんて、かったるいことはしたくない。
 そういう生き物に言うことを聞かせるには、お前の意志をはっきりとわからせて、手綱で行く先を絞りながら、必要な時には鞭を入れる強さが要る。それも人間の心と同じだ」

 クラブに着くと、テロンは顔見知りらしいスタッフを見つけて声をかけた。何もかも自分の思い通りにできるよう、すでに話をつけてあるようだった。
「では、奥の馬場をお使いください。先日選ばれたクォーターホースでよろしいですか」
「ああ 三番目の馬房だったな」
 勝手知ったようにセレスティンを連れて、馬のいる建物に行く。
 馬たちはそれぞれの馬房(ストール)から首を伸ばして、こちらの様子をうかがっている。いろんな毛色の馬の姿、そして干し草の匂いに、ちょっと気分が高揚する。
 テロンは馬房(ストール)から栗毛の馬を引き出して、少し離れた場所で柵につないだ。引き綱をつけられた馬は優しそうな感じ。
「そういえば馬の乗り方を教えるのって、資格とかいるんじゃないの」
「俺はお前が生まれる前から馬とつきあってる。まず手入れから覚えるぞ」
 馬用のブラシを渡され、大きな体のそばに立つ。
 長いまつげのかかる黒い瞳は、うっとりするくらい美しい。体にそっと手を当てると、温かくて、滑らかな毛の下によく発達した筋肉が触れる。
 自分の目の高さにある背中からブラッシングを始めると、ブラシの動きに合わせてたくましい筋肉が波うつ。少し目を細めて、気持ちよさそうだ。
 (ひづめ)の掃除や鞍のつけ方といった、乗るための準備や装備の仕方を教わる。どれも一度覚えれば簡単なことのように思えた。
 テロンがやってみせたのをまねて、頭絡(ブライドル)を手に持ち、ハミを口にくわえてもらおうとする。ところがそれまで大人しくしていた馬が、頭を横に振ったり上に動かしたりして、言うことを聞いてくれない。
 とりあえずハミをくわえるのが嫌なのだというのはわかった。嫌がることをさせるのは気が引ける。
 見ていたテロンが代わり、片腕で馬の頭を抱えながらもう一方の手で金属のハミを差し出すと、馬は素直にそれをくわえた。
 あれ……。
「馬にとって口の中に入れるハミは邪魔なものだ。それにハミをかまされたら、馬場に出て仕事をしなけりゃならないと知ってる。
 だからそれを受け入れさせるためには、お前の意志がぶれずに明確で、馬がそれに従わざるを得ないと感じる必要がある」
「無理やりってことじゃないよね? 今、テロンは力も入れてなかったし、何も押しつけたりしてなかった」
「意志をはっきりさせるというのは、力づくということとは違う。
 覚えておけ。馬はお前の感情をすべて感じる。それが馬という動物の最大の特徴だ。
 馬は全身が感情でできてる生き物で、お前の心をすべて感じる。お前が焦ったり不安に思えばそれも伝わるし、そしてお前の押しの弱さや迷いも感じとる」
 装備をし終わって手綱を渡され、馬場に引いて行けと言われる。
「おいで」
 手綱を引いたが、馬は逆にセレスティンを引っぱって道の縁に移動し、立ち止まって草を食べ始める。
「お腹空いてるの?」
「おい ハミをかませた後は草を食わすな」
 馬はセレスティンを完全に無視している。力を少し入れて手綱を引っ張っても動じない。考えてみれば、こんなに大きくて力も強い生き物に、引っぱり合いでかなうわけがない。
 テロンが代わって馬の手綱をとると、馬は草を口にふくんだまま頭を上げて歩き出した。
 馬は自分の言うことはきかない。でもテロンには従順に従う。
「言っただろう。馬はお前の心を感じとると。お前があいまいな心の状態で接するなら、馬は自分のやりたいことしかしない。
 自分の意志を明確にしろ。やろうとすることを決めて、きっぱりとした態度を馬に感じさせろ」
 そう言われて手綱を戻される。
 意志を明らかにする。人間相手だったら、言葉で「こうするつもり」って伝えればいい。でも馬相手には?
 セレスティンは頭の中で「いっしょに馬場に行くんだ」と考えた。考えながら手綱を引っぱったり、声をかけて頼んだりしたが、馬は動かない。
 どうしたらいいのかわからず、立ちつくす。
「その馬はお前をなめ切ってるぞ」
「でも力じゃかなわないもん。時間をかけて友だちになれば、言うことをきいてくれるものなの?」
「馬は集団で生活する生き物だ。野生だろうが、こんな所で飼われていようが、つねに集団の中での力関係と自分の立場を知っている。
 そして自分より強い意志と、明確な視野を持ったものの後をついていく。馬にとって、誰かを信頼するというのはそういうことだ。
 その馬はお前のことを、力も意志も弱い、群れの中で言えば下っぱだと決めた。だから言うことなどきく必要はないと思ってる。甘やかすことでは馬の信頼は得られないぞ」
 テロンは再びセレスティンから手綱を受けとった。そして彼が歩くと、馬はその後に従う。ゆったりと握られた手綱には何の力も入っていない。
 力づくではない。ただ見えないテロンの意志を馬は見て、その後をついていくべき相手だと感じている。
 何となくテロンが教えようとしていることがわかってきた。そしてそれは多分、セレスティンにとって苦手なことだ。
 でも、これを乗り越えないと先に進ませてはもらえない。
 そしてあきらめるのは嫌だ。


 
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登場人物紹介

セレスティン

ホノルルで大学に通う。

動物、植物、あらゆる生き物と星が好き。ダイビングが趣味。

ルシアスとの出会いをきっかけに、世間で「魔術」と呼ばれているものを学ぶ道に導かれていく。

ルシアス

もと海軍の情報士官で、ニューヨークの白魔術教団のメンバー。

訳があって軍を退役し、教団を去ってホノルルに移り住んできた。

彼のまわりでは風が生き物のように不思議な振舞いをする。

テロン

海軍の特殊部隊出身で、もと白魔術教団のオフィサー。

ルシアスの友人で、アメリカ本土から彼を追いかけてきた。

マリー

山の上に隠棲し、植物を育てながら薬草やアルケミーの研究をしている女性。

以前はニューヨークでユング派の心理療法家をしていた。

鳥の羽に導かれてセレスティンと知りあう。


エステラ

ニューヨークに住む、白魔術教団のオフィサーで占星学者。

ルシアスとテロンと親しいが、強面のテロンに「俺もルシアスも頭が上がらない」と言わせる女性。

ガブリエル・ジレ

ニューヨークにある白魔術教団のメンバー。

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