第7話

文字数 3,785文字

 自分のお茶を()てる番も終わり、正客役も終え、時間が来たので作法室を出て教室へと向かった。
 既に終えている美輝とゆきが、「頑張ってねー」と送り出してくれた。腕時計を見たら16時半ピッタリだ。

 2年6組の教室に着くと、ちょうど前の番だった男子が教室から出てきたところだった。

「よお!」と手を挙げたので挙げ返す。弓道部に入っている男子だった。
 そのやり取りに気づいたのか蒔田が廊下まで出てきた。

「ちょうど良かったな。始めるから入れ」

 理子に声をかけて中へ入っていった。急に緊張してきた。

 教室へ入ると、蒔田がその長い手足を持て余すように、座っていた。
 前の席へ座るよう顎で促された。

「えーっと、理子だったな」

(それが第一声か)
 何故、苗字を呼ばない。苗字を呼べ、苗字を!と、その一声で理子は少々憮然とした。

 蒔田は手元にある資料を見ている。伏せ目がちな表情がなかなかに綺麗だ。
 なんとなく見つめていると、ふいに、顔を少し伏せた状態で上目づかいに理子を見た。その表情にドキリとする。

「お前、文系は凄くいいのに、理数系は凄く悪いのな」

 痛いところを突かれた。

「そうなんです」

 痛い所ではあるが、事実なのでしょうがない。素直に認めるしかない。

「そうなんです、って、国立志望だろう。そんなんでいいのかよ」
「良くないですね」
「わかってるなら、どうにかしろ」

 態度悪~~、と思う。
 言われなくても本人が一番わかっている事だ。
 
「どうにかできるなら、とっくにしていますよ」

 つい、不貞腐れたような口調になった。

 蒔田は呆れ顔になった。

「開き直ってどうするよ。このままじゃ、私立だな」

 どこか投げやりな言い方だ。
 何だか、みんなの評判と違わなくないか?
 理子はムカついてきた。

「そうですか。わかりました。ではそういう事で」

 理子はそう言うと席を立った。
 この美しい男の、性格がよろしく無さそうな態度を前にしていると、腹立ちが勝ってきて、まともに話ができない気がした。
 なんにせよ、気に入らない。

「おい、ちょっと待て!どこへ行く」

 突然立ち上がって帰ろうとする理子を、蒔田が慌てて制止した。

「話が終わったようなので、帰ろうかと」

 理子は平然と言い放つ。

「お前なー、何言ってんだよ。誰が終わりだって言った?」

 呆れと焦りが入り混じったような声音だ。

「終わりじゃないんですか?」

「まだ終わってない。座ってくれないかな」

 立ち止まって少しだけ振り向くと、蒔田は渋い顔をしていた。

 怒らせてしまったか?
 でも最初から態度悪いし。

 仕方がないと思いなおし、理子は席へ戻った。

「理子って、せっかちなんだな。そんなに早く結論出していい問題じゃないだろう」
「別に結論は出してません。先生の意向として受け止めただけです」
「意味がわからないぞ」
「先生が私立とおっしゃっても、実際に私立へ行くかどうかを決めるのは私ですし」

 理子の言葉に蒔田は大きく溜め息のようなものを吐いた。

「お前ってさぁ、ひねくれてる?それとも俺と話すのが嫌なのか?」

「すみません。多分、ひねくれてるんだと思います」

 蒔田は拍子抜けしたような顔をした。

「なんか、その、何て言っていいかわからなくなった。お前、扱い難いな」

「先生が悪いんですよ」

「俺が悪い?なんで」

 蒔田は不思議そうな顔をした。

「だって、最初から態度悪いし、私の事は『理子』って呼び捨てだし」

「た、態度悪いって、俺は担任だぞ。生徒が担任に態度悪いって、なんだ、そりゃぁ」

 蒔田は面食らった様子だった。

「すいません。思った事を正直に言っただけです。私が、そう思っただけですから」

「だからってなぁ.....」

 蒔田は困ったような顔をして、手にしていたペンを指先でクルクルと回し始めた。
 大学を卒業したばかりで担任を任され、初めての個人面談で女生徒たちの対応に困り果てていた挙句の、思わぬ変わり種の伏兵に遭遇して意気消沈している、そんなところかもしれない。

「俺、別に態度悪いつもりはないんだがな。アプローチには冷たいが、不必要に冷たくしているつもりもないし…」

 妙に弁解じみているように感じた。
 これはタジタジしているのだろうか。
 
「そうですか。じゃあ、私が悪いんです。先生がどんな態度を取ろうとも、先生なんですから敬意を示さないといけないんですよね」

「それは止めてくれ。そういう言い方をされると、気分が良くない。先生だからどうとか、そういうのは嫌いなんだ」

 蒔田は真面目な顔をして言った。

「でも先生、お言葉を返すようですが、さっきは『生徒が担任に態度悪いってなんだ』っておっしゃいましたよね?」

「いちいち、揚げ足取るなよー。本題に入ろう」

 妙に狼狽えている蒔田を見て、理子は内心、ほくそ笑んだ。

(こういうの、悪くない)

「えーっと、理子は、大学はどの学部へ進むつもりなんだ?」
「文学部になると思います」
「専攻は?」
「まだ決まってません」

 理子のその言葉に、蒔田は顔を上げた。その目が、とても綺麗だったので理子は胸が急に高鳴った。さっきまでの会話を交わしていた人物と同じ人物とは思えないような、澄んだ不思議な目をしていた。

「なんで?」
「迷ってて.....」
「何を迷ってる?」

 声が、とても優しかった。
 少し鼻にかかった低めの美声。
 授業で聞いている時も、耳に心地良い。

「国文にしようか、日本史にしようか、って」

 戸惑いがちに答えた。

「お前は、どっちが好きなんだ?」

 再び優しく訊かれた。
 そんな風に優しく言われると、何だか甘えたい気持ちになってくる。

「どちらも好きですけど、どちらかと言えば日本史、かな」

 理子の答えに蒔田は頷いた。

「なら、好きな方を選べ」

 当たり前のように言う。
 しかも口調が力強い。

「でも先生。日本史を選んだとして、卒業後の就職とかどうなんでしょう?」

 蒔田が初めて笑った。
 とても爽やかな笑顔で、魅力的だ。

「お前は、そんな事まで考えて迷ってたのか」
「だって、重要なことですよ?」
「それは確かにそうだが、それなら国文科へ行ったって、そう変わらないし、それは他の学部だって同じだ。それよりも、好きな科目があるのなら、それが一番だと思うけどな」

 蒔田の態度は優しかった。最初は確かに態度が悪かったのに。

「お前の過去のデータを色々見せてもらった。中学の時は理数系も良かったのに、高校へ入ってからガクっと落ちてるな」

「はい。なんか急に難しく感じるようになって」

 理子は神妙に答えた。

「俺が思うに、まだ努力が足りない気がする」
「努力してますけど」
「してるつもりでいるだけだ。結局、好きな科目ではないから興味が湧かない。だから適当な所で妥協してる。そうじゃないか?」

 なかなか鋭い指摘だ。

「俺は、理子の歴史の知識の豊富さや、歴史観、考え方は凄いと思ってる。好きだと言う気持ちも伝わってくる。だから、できれば歴史方面へ進んでもっと深く勉強して欲しいと思う。で、どうせなら東大を目指せ、と言いたいんだがな」

「ええっー?」

 思わず大きな声が出た。
 国立も危ういような状況で東大を目指せと言うなんて。

「先生。冗談は止めて下さいよ。さっき、このままじゃ国立は無理だって言ってたじゃないですか」

 思わず理子の口調が強くなる。

「このままじゃ、だ。だが頑張れば見込がないわけではない」

「『ないわけではない』なんて、無責任な」

「無責任じゃないぞ。担任なんだからな。お前の弱点は理数系だ。それを克服すれば問題ないわけだ」

 蒔田の目は真剣だった。
 どうやら冗談ではないらしい。

「どうやって克服するんですか?」
「簡単だ。わからなかったら、わかるまで、とことん先生に聞く。それしかない」

 理子は目を丸くした。
 何と答えたらいいかわからない。

「とことんって.....」

「とことんは、とことんだ。絶対に諦めるな。生徒がわからなくて聞きに来てるのに、邪険にする教師はまずいない。生徒にわからせるのが教師の役目だからな」

「でも.....」

 理子は何となく釈然としない思いだった。
 小学生の時、理子は算数が苦手だった。担任が熱心だったので、出来ない子供を放課後残して教えてくれたが、それでもわからなかったのだ。

 そんな理子の心を見透かしたように、蒔田は言った。

「わかるように教えられないのは、教師の方に問題がある。お前がいくら教えてもらってもわからないようだったら、俺の所へ来い。俺が教えてやる」

 蒔田は力強く言った。

「でも先生は日本史なのに」

「俺を誰だと思ってる。東大の日本史の先輩になるんだぞ。俺が通ってきた道だから、よくわかってる。俺の言う通りにやれば間違いない。要は、それをやり通せるかどうかだ」

 なんだか不思議な気がしてきた。
 先生にそう言われると、出来るような気がしてくる。
 
「東大を受験するかどうかは、これから決めてもいい。どこを受けるにしても、やっておいて損はないんだから、頑張ってみるべきだと思う」

「そうですね」

 確かに蒔田の言う通りだ。
 東大受験はともかくも、国立を目指すなら理数系は克服しておかなければならない。
 それが出来るか出来ないかで、結果も大きく変わってくるだろう。
 やるしかない。

「ところで、理子はどうして歴史が好きなんだ?」

 蒔田が受験の話から、いきなり唐突な質問を投げかけてきた。
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