第76話

文字数 4,311文字

 お盆休み、蒔田紫(まきたゆかり)は結婚式場を幾つも訪れていた。
 弟に頼まれたからだ。

「俺は正直言って、どこでもいいんだよな~。でも、まぁ、愛する理子の為にさ。ちゃんとやってやりたいじゃん?でも俺、男だから。女の子が喜びそうな所ってわからないしさ。だから、
姉貴、お願い」

 自分の事だと言うのに、そう言って姉の紫に押しつけて来た。
 なんてヤツなんだ。
 あれで理子の前では、「俺に全部任せろ」とか何とか言ってカッコつけているに違いない。

 だが紫は、何故か弟には弱かった。
 小さい時は本当に可愛い男の子だった。
 エクボが愛苦しくて、みんなに可愛がられた。

 顔つきが可愛らしいので、紫にとっても自慢の弟で、いつも連れて歩いていた。
 幼稚園へ入った頃から、どういうわけか満面の笑みを浮かべる事が減って来た。
 長じるにつれ、それが顕著になっていった。

 それでも家では、まだ明るい。
 とても仲の良い両親で、家庭の中は愛に満ち溢れていた。
 その場所では親鳥の懐に包まれた雛鳥のように、とても深い安心感が得られる。

 だが、外は違う。
 紫もやがて、外では自分を見せられないようになってゆき、弟の心境がわかるようになった。

 家の外は虚飾に満ちていた。
 誰も彼もが下心を持って近寄ってくるのを感じる。特に異性に対してそれを強く感じた。
 弟は自分よりも繊細で敏感だ。だから早くからそれを感じて警戒するようになったのだと紫は悟った。

 弟も紫も、自分をあまり飾らない。ありのままが好きだった。
 だが二人を取り巻く環境は、誰もがその気持ちを勝ち取りたくて、自分を飾り立てて周囲と競う。その様を醜いと思った。

 初めて理子と会った時、弟が好きになったのがわかった気がした。
 理子は飾らない女の子だった。
 ありのまま。自然体。

 気負いや(てら)いが無く、ピュアだった。それにもかかわらず、とても複雑で捉えどころがない。
 醒めた目と熱い心を秘めていた。それがとても魅力的だ。
 聡明なので、話しをしていても面白い。

 珍しいタイプの女の子だ。だから弟の心の中に入ってきて、そのままオンリーワンになってしまったのだろう。
 紫も彼女を気に入っている。
 だから忙しい二人の為に、こうして一肌脱ぐことにしたのである。

 弟の希望は横浜の中心地だった。
 両親に相談したら、妥当だろうと言われた。
 希望日は五月三日。祭日の方が、みんな確実に休めるだろうからと言われたが、ゴールデンウィークだ。
 早くから予定を入れている人間もいるだろう。

 弟は自分で来ない癖に、あれこれと注文が多い。
 普段から妙な所にこだわるタイプだからなのかもしれない。
 式は教会式がいいと言っている。

 理子の家は仏教だと言っていたので、大丈夫なのだろうか?
 理子本人は、何でもいいと言っていると言う。
 どうやら理子は、その辺にはこだわらないようだ。

 女の子なら結婚式に関しては色々と夢がありそうに思えるが、理子は特に無いらしい。
 自分も無いから、特に気にならない。
 もしかしたら、結婚式に一番こだわっているのは弟かもしれない。

 女嫌いと思われる程クールだった弟が、いざ自分の結婚となると、かなりの思い入れを示しているのが不思議だ。
 それ程、入れ込んでいる証拠とも言えるが。

 何でも、新居はマンションを購入するつもりでいるらしい。
 その事で理子の父親は仰天したとか。
 結婚式も新居購入も、全て理子の為だ。

 極端な男だと思わずにはいられない。
 逆に、理子の方が醒めている気がする。あの子の方が現実的だ。
 あの子が伴侶なら安心だろう。

 式は教会式で、披露宴は簡素に。招待客は両方合わせて50人程度で良いだろうと言われた。
 親族中心だ。
 なんせ、決行できるかどうかは、理子の東大合格次第ときている。

 三月半ばまでわからないので、それまで正式に招待状を送れない。
 キャンセルと言う事も考えられるからだ。
 五十人と計画した所で、実際にどれだけの人数が出席できるのか不安である。

 取りあえず、蒔田の方の親戚や知人には根回し的に了解をとっておく必要があるだろう。
 問題は吉住家の方の親戚関係だ。頭が痛い。

 そういう事情を踏まえた上での場所探しである。
 日が日だけに、難しい。
 混む日だから、あまり融通が利かないのである。

 そんな中で、幾つか良さそうな候補は見つかったものの、矢張り不安要素が多過ぎて決定できない。
 紫は仕方なく、父に相談した。

「一番悩むのは、どういう点なんだ?」

 余計な前置きや説明なども無いまま、初手から核心をついてきた。
 さすがに出来る男は違うと、紫は内心で感心し、また頼もしくも思う。

「混む日だけに、融通が利かない点です。どこも、きっちりやりたがるんです。私はもっと、ゆったりと大らかにやってあげたいと思ってるのに」

 すっかり、プロデューサーである。

「わかった。お父さんもそれには同感だ。それなら私の方から手配するから、気に入った場所を教えなさい」

 雅人は紫に言われた場所へ電話をした。混む日と言っても、まだ予約が一杯になっているわけではない。
 そういう点で、早くに動いていて正解だったと言える。

 雅人の力で、二組分の枠を確保した。
 全てにおいて、こちらの希望通りに運べるようにも手配した。
 だがその分、必要経費は高くなった。高くなった分は雅人が負担すると言った。

「お父さん、俺の事なんだから全部俺が出すから」

 弟は強く主張したが、父は譲らなかった。

「この事は、理子ちゃんには言うなよ。きっと気を使うだろうからな。彼女には、お金の心配は一切させるんじゃない。わかってるな」

「勿論さ。ありがとう、親父」

 結局、蒔田家の人間は、二人に弱いのだった。

 日取りも場所も決定した。
 場所は海が見えるホテルにある式場で執り行う事になった。
 紫はひとまずホッとした。あとは当日までに色々と細かい事を詰めて行くだけだ。

 秋以降、追い込みに入る理子の事を(おもんぱか)って、月末にドレスを決める為に理子を連れてホテルへと向かった。

「お義姉さん、すみません。みんなやってもらっちゃって」

「あら、いいのよ。結婚式なんて、結局は女の為にあるようなものだから、マーが言うように男じゃわからないしね。でも理子は、大事な勝負事に打ち込まなきゃならないでしょ?だから、そんな気を使わなくていいのよ?最初は何て弟だろうって思ったけど、やってるうちに楽しくなってきちゃった。総合プロデューサーとして頑張らせてもらうわよ」

 紫は笑った。腹を据えたら、サプライズなアイデア等が浮かんできて、本当に楽しくなってきてしまったのだった。

 ホテルに到着した時、「素敵な場所ですね~」と理子が感嘆の声を上げたので、紫は満足した。
 紫は理子の感性と自分の感性は似ているような気が前々からしていた。それは、弟とも通じる。きっと理子は自然が好きに違いない。

「理子って、海とか山とか、好きでしょ」

 紫は訊ねてみた。

「はい。大好きです。ただ、泳げないし、山登りも苦手なんですけどね。その場の空気に触れながら、眺めているのが一番好きなんです」

「もしかして、写真撮ったりするの、好きなんじゃない?」

「はい。とても。自分が綺麗と感じた世界を切り取るのって楽しいですよね。でも、私のスマホ、安いものだから画素数は低いし、時々、父のカメラを借りて撮るくらいで」

 そう言って、はにかむように笑うのが可愛かった。

「じゃぁ、結婚祝いに、一眼レフのカメラをあげようか?」

 若い女の子への結婚祝いとは思えない品だとは思うが、そういう枠に捉われないのが紫だった。

「えっ?いいんですか?」

 理子は戸惑と喜びの両方を同時に示した。

「遠慮しなくていいのよ。あなたは私の妹になるんだし。私の方が遥かに年上なんだもの。これからは、お姉さんにうんと甘えて頂戴。遠慮されるより、その方が嬉しいんだから」

 本心だった。可愛い妹が欲しかったのだ。
 妹がいる友達を、ずっと羨ましく思っていた。弟も可愛いけれど、やっぱり姉妹はいいものだと思う。

 理子は紫の言葉を受けて、最初は躊躇いの表情を見せていた。
 だがやがて、その澄んだ瞳は明るくなり、喜びだけを現した。

「お義姉さん、ありがとう。じゃぁ、お言葉に甘えて、カメラ、頂いちゃいますね。だけどカメラって、本体よりもレンズがすっごい高いんですよ。私、好きだから色々勉強したんですけど、レンズの高さには本当に驚いちゃいました。これじゃぁ、いいレンズなんて、ずっと買えそうにないって諦めてたんです」

「それってもしかして、高値のレンズも一緒にって意味かしら?」

「勿論です。レンズが無ければ撮れませんから」

 理子は喜色満面でそう言った。そんな理子に、紫は大笑いした。
 この子には敵わないな。弟もきっとこうして、彼女に転がされていくんだろう。

 ウエディングドレスは驚く程たくさんあって、選ぶのに苦労した。
 紫は理子に似合いそうなデザインを頭でイメージしてから、カタログからピックアップし、実物を見た。

 まだ未成年でもあるので、肩や背中が剥き出しのタイプは避けた。だからと言って、きっちりとしたタイプも堅苦しくて面白くない。
 シンプル且つ清楚で、更に女の子らしいロマンティックさを感じさせるデザインは無いものか。

 そんな中で、ある一つのドレスに目が止まった。
 これは素敵だ。
 早速、理子に試着させた。

 試着室から出て来た理子を見て、これだ、と思った。
 理子のピュアな雰囲気にとてもマッチしている。
 恥ずかしそうに頬を染めている理子がとても可愛らしかった。

 この場に弟がいたら、絶対に抱き寄せてキスしているだろう。
 紫は満足した。
 お色直しのイブニングドレスも決めて、二人はホテルを後にした。

「お義姉さん、本当にありがとうございます。お義姉さんの時には、私に手伝わせて下さいね」

「あら。ありがとう。でも私は、どうなのかな~。結婚願望はまるで無いし」

「それなら、私も同じです。全く結婚願望無かったですから。先生でなかったら、一生独身でしたね」

 理子の事は、弟から色々と聞いていた。だから生い立ちも大体知っている。
 ご両親の夫婦仲の事も。
 理子の両親の夫婦仲と、自分達の両親の夫婦仲は、まるで対極にあるような感じがする。
 それにもかかわらず、その子供達は同じように異性に対して不信感を持っているのだから不思議なものだ。

「私と先生が出会えたように、お義姉さんにもいつかそういう人が必ず現れるって、私信じてます」

「ありがとう。じゃぁ、その時はよろしくね」

 紫はそう言ったものの、そんな日は来ないだろうと思うのだった。
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