第97話

文字数 5,908文字

 翌日のクリスマス。
 理子は蒔田家に居た。
 去年は家族が気を利かせて二人きりにしてくれたのだったが、今年は家族と一緒だ。

 蒔田家の食卓の上に、大きなローストチキンが乗っていた。
 とても美味しそうだ。
 父親の雅人が、それにナイフを入れて切り分ける。

 丸焼きは初めてだったので、理子はワクワクした。そして目を輝かせている理子を見て、蒔田は愛おしげに微笑んでいる。

「この間、マーと新居予定のマンションを見に行ったんですってね。どうだった?」

 (ゆかり)が興味深げな顔をして訊ねてきた。
 理子は幸せそうな顔をして、ローストチキンを頬張っているところだった。
 慌てて飲み込んだ。

「それが、凄く広くて驚きました。とても良い物件だとは思うんですけど、高そうだし、何だか分不相応な気がして」

「その物件なら、見てはいないが雅臣から聞いてるよ。私も調べてみたが、手ごろだと思うよ。値段の事は心配しなくていい。そりゃぁ、若い二人には、もう少し狭くても良いのではないかとは思うけど、他に手ごろな物件が無いのだから仕方ない。先々子供ができても、あの広さなら心配ないじゃないか」

 雅人の言葉に、理子は赤くなった。

「あなた。理子ちゃんは結婚しても、まだ学生さんなんだから、子供の話しはずっと先の事よ。それに、結婚前の高校生の娘さんに、そんな事を言っても本人は困るだけでしょう?」

「えっ?いや.....。すまなかったね。軽率に口に出してしまって.....」

「別に、親父が謝るような事でもないよ。まだまだ先の話しではあるけど、当たり前の話しでもあるんだから。なぁ、理子」

 理子は頷いた。照れる話しではあるが、謝るような事でも無いと、理子も思う。

「青葉台なんですってね。私、行った事がないのよね。通り過ぎても。どんな所なのかしら」

「そうですね。まだ私にも良くは.....。環境はまぁまぁだと思います。色んなお店がありますね。ただ、多摩プラーザのように整然とした感じではないですけど」

「そうだな。あの駅周辺は、結構、交通量が多い感じで、ちょっと雑然とした印象を受けるよな。だけど、あそこだと二人の通勤通学にはちょうど良い距離なんだよ。理子は一時間かからずに行けるし、俺も一時間ちょっとで通勤できる。中間点な感じかな」

「そう。じゃぁ、良かったじゃない。広いに越した事はないわよ、理子。それに、各々が独立した部屋を持てるのも良いことよ。何かあった時、逃げ場所があるって大事よ~」

「ちょっと、姉さん。何言ってるんだよ。何かあった時って、どういう事?」

 蒔田は不機嫌そうに口をとがらせた。

「何かあった時は、あった時よ。具体的な内容は、私が知る由も無いでしょう?」

 と、にやりとして言う。
 二人のやりとりを、理子は微笑ましく見ていた。

「どうしたの?」

 そんな理子に気付いて、紫が訊いてきた。

「いえ。仲が良くていいな~って思って」

「あら。理子にも妹がいるって聞いたわよ。マーが言うには仲が良いらしいって」

「はい。可愛い妹がいます」

「私からしたら、そっちの方が羨ましいわよ。妹が欲しかったんだもの」

「お義姉さんのその気持ちは、私わかります。妹ができるまでは一人っ子だったわけじゃないですか。だから、ずっと妹が欲しいって思ってたんです。母が妊娠したと知った時には、絶対に妹でありますように、って神様にお祈りしてました」

「理子の神様は、願いごとを聞いてくれたのね。私の神様は聞いていなかったみたい」

「なんか、酷いなぁ~」

 蒔田がぼやくと、母の博子が言った。

「あら。神様はお母さんの願いを聞いてくれたのよ。だって、お母さんは、男の子を授かりますようにってお願いしてたんだもの」

「えー?私の為に妹を願ってくれてたんじゃなかったの?」

「妹は、その次。やっぱり、女も男も両方欲しいじゃない。だから、まず二番目は男の子。でもって、三番目に女の子って思ってたんだけど、生憎三番目は授からなくて.....。ごめんなさいね」

 紫は溜息を吐いた。

「まぁ、いいじゃないか。お望み通り、妹ができるんだから」

 蒔田が言った。
 
「そうだったわね。私にもやっと、念願の妹ができるんだわ」

 紫にそう言われて、理子は嬉しく思う。

「そうよー。私にとっても、念願の三番目の子供よ。望んでた女の子。可愛いお嬢さんで嬉しいわ。これからは遠慮なく、うんと甘えてもらって構わないのよ。末の娘は可愛くて我儘ってのが相場なのよ」

「ありがとうございます。なんだかとっても嬉しいです」

 本当に温かい家庭だ。まさに、一家団欒といった感じがする。
 蒔田の家族は、食べ物に関しては殆ど嫌いな料理が無いようで、食卓の上はいつもバラエティに富んでいた。

 家族が同じ料理を楽しんでいる。
 理子の家のように洋食好きと和食好きで偏る事が無い。
 どんな料理でも、喜んで美味しく頂いている。楽しい食事の風景だった。
 自分の家庭も、こうでありたいと理子は強く思うのだった。


 食事の後、二人で蒔田の部屋へと移動した。
 部屋へ入ると、二人はガラスの丸テーブルを挟んで、椅子に座った。

「今日は、どうする?勉強、してくか?」

「私は、どちらでもいいです。先生の判断にお任せします」

 蒔田は優しい瞳で理子を見つめていた。
 勉強をしている時は、教師の目だった。相手が理子だけに、学校の時程、冷めた目ではない。
 冷静であろうと努めながらも、優しさが滲み出ている、そんな目だった。
 今はそれとは違う目だ。その目を見て、理子はホッとした。

「じゃぁ今日は、久しぶりにお喋りに興じようか」

 笑いながら、そう言った。

「お喋りですか?」

「うん。まぁ、退院してから、言えなかった恨みつらみだな」

「恨みつらみ?」

 蒔田の言葉に理子は驚いた。恨みつらみって何だ。そんなものを買うような事をした覚えは無かった。 

「そう。恨みつらみ」

 にやりと笑う。

「私、そんなものを買う覚え、ないですけど」

「そういうものはな。知らず知らずのうちに買っているものなんだ」

「言いたい事がよくわかりません。一体、何なんですか?」

「言ってもいいのか?」

「そうおっしゃるなら、言わないでおいて下さい。恨みつらみなんて、聞きたくないです」

 理子の言葉に、蒔田は肩透かしを喰らったような顔になった。
 そして真面目な顔で話しだした。

「俺は、久しぶりに学校へ行って驚いたんだ。いつの間にか、と言うか、俺がいない間に、と言うか、君の周囲に男が大勢集まってたもんだから」

 蒔田の言葉に理子は目を見張った。

「そんな事を言われても、私は困ります。別に私が呼んでるわけじゃないですし」

 文化祭が終わってから、理子の周囲に人が集まるようになった。
 ビデオの編集が縁で、一緒にやったメンバーが最初は集まりだし、そのうちに何故か増えていった。
 みんな面白いメンバーだが、そんな理子を女子達は遠巻きで眺めていた。理子にとっては、そちらの方が気になった。

 だからと言って意地悪されるわけでも無いし、女子だけの授業の時も、今までと変わらない。だが大勢の男子の中に女子が一人だけと言うのも、多分、面白くないのではないか。

 男子達の態度は、女の子をちやほやしているといった感じではなく、普通に友達として接している感じなので、それが理子にとっては救いだった。

 男の中で女子は自分だけだが、女の子扱いされている気が全くしない。
 理子がいるのに、平気で下ネタや可愛い子の話しなどをするのだ。中学の時も同じような感じだったので、理子の方は何とも思わない。

 ただ女子は、その辺の事がわからないだろうし、理解もできないのではないか。それが唯一の不安だった。
 こいつら、一体、私の所へ来て、なんでそんな話をしてくんだ、と思うばかりである。

「君は自覚してないだけだ」

「私が無意識のうちに、呼んでいるとでも?.....先生。それが恨みつらみだっておっしゃるんですか?だとしたら、私、怒りますよ」

 理子は思いきり怖い顔をして、蒔田を睨んだ。自分の責任でも無いことで、あれこれ言われたり責められたりしても、困るだけだ。

 どうしようも無いではないか。
 いや、もしかしたらこの人は、私が彼らを追い払わないで一緒に談笑している事が気に入らないのかもしれない。

「いや。ごめん。恨みつらみって言うのは、ちょっとした冗談だ。わざと冗談めかして言ってみただけだ。君も、そう受け取ってくれると思ってたのにな」

「でも、その後の話しは、本気なんでしょ?」

 理子の言葉使いが変わって来た。蒔田は、これはヤバイと思い始めた。

「本気とか、そういうんじゃなくて、正直な感想だよ。別に、だからと言って、俺が不機嫌になってるわけじゃないんだ。君に対して文句を言ってるわけでもない。ただ素直に、いつの間にか
男どもがぁ.....って思ったって、だけの話だ」

 蒔田は、妙に焦っている自分を情けなく思った。

「要するに、嫉妬したってわけですね?」

「そういう事だ。あいつら、俺がいない間に、俺の理子に群がりやがってぇ.....って、思っただけだよ。君に何の罪も無い事くらいは、十分、承知してるから」

 すっかり弁解モードである。
 その様子に、理子は笑う。

「別に先生がいとしても、状況は同じだったと思いますよ。先生がいないのを見計らったわけじゃないでしょうから」

「何だ。やっぱり自覚してるんじゃないか」

「自覚なんて、していません。何故、彼らが集まってくるのか、私には皆目、見当が付きませんから。それに女の子扱いなんて、全然されてないんですよ。ただの気安い女友達って感じなのでは?下ネタ、猥談、可愛い女の子の話しと、男同士の話題で盛り上がってますから。それなら、私の所でやらないでよ、って私は迷惑しているくらいです」

「へぇ~。理子の前で猥談とかしてるの、あいつらは。とんでもない奴らだな。俺のウブな理子の前で」

「先生。そう言う訳だから、嫉妬する必要なんて全然無いんですよ?」

「わかってるさ。頭ではね。でも、君のそばに男がいるのを見ると、瞬間的に心が痛むんだ」

「そうですか。なら、ごめんなさい。男友達ばかりで」

「君は全く、悪くないのにな。俺は心の狭い男だよ。懐も深く無い。考える事もやる事も極端だ」

「それでも私は、先生が好きです」

 理子は赤くなりながら、そう言った。
 そして席を立つと、持参した鞄の中から小包を出して、蒔田の前に置いた。

「メリークリスマス。今年のプレゼントです」

 蒔田はとても嬉しそうな顔をした。

「ありがとう。.....開けてみても、いいかな」

 声が震えている。

「勿論。開けて下さい」

 蒔田はそっと紙包みを開けて中身を手に取り、驚きと喜びに満ちた顔をした。

「これって.....」

「見ての通り、帽子です。去年のマフラーとお揃い」

「去年貰ったマフラー、寒くなってきてから、ずっと巻いてる。君は登校時間が早いから知らないだろうが、毎日学校へして行ってるんだよ」

「えっ、本当に?」

 凄く、嬉しかった。毎日、してくれてるんだ.....。

「君の愛情とぬくもりを感じるんだ。.....どうかな。似合うかい?」

 蒔田は理子から貰った帽子を早速被った。

「とても、お似合いです。良かった.....」

 理子は、自分の編んだ帽子を被る蒔田に見惚れた。本当によく似合っている。

「俺からも、プレゼントはあるよ。いつ渡そうかと思ってたんだ」

 蒔田はそう言うと、机の引き出しを開けて中からリボンのかかった箱を取り出した。

「これなんだ。.....開けてみてくれないか」

 それは、厚みの薄い、少し横長の箱だった。言われて理子は開けてみる。
 出て来た箱を見て、ジュエリーだとすぐにわかった。

 中にはブレスレットが入っていた。ホワイトゴールドの細いチェーンに、Mの文字が中に入ったオープンハートが一つ付いていた。
 オープンハートの中に、Mが入っていると言うべきか。
 Mの左下には小さなダイヤが付いていた。
「可愛い。それに素敵.....」

「これは、理子は俺のものなんだー!って、俺が心のうちでいつも叫んでる証し。俺の手錠だと思ってくれ。.....さぁ、手を出して。俺が君に繋ぐから」

 理子は真っ赤になって、蒔田に左手を差し出した。
 蒔田は理子の手を取ると、軽く口づけてから、ブレスレットを手首に付けた。

 嬉しさで胸が熱くなった。自分にはMをイニシャルに持つ彼氏がいるのだと、これで公言している事になる。

「俺って、つくづく独占欲の強い男だよな。最初に首輪をし、次には手錠をした」

 蒔田はそう言って、理子の胸元のペンダントに指を当てた。

「こんなふうに君に触れてると、たまらなくなる。病院では、体が不自由だったから我慢するしかなかったけど、今は自由だ」

 蒔田はそう言うと、顔を近づけて来た。
 唇が重なった。
 薄いが弾力のある唇が、閉じていた理子の唇を開き、中から舌が入って来た。
 理子の舌を捉える蒔田の動きは優しかった。高まってこないように抑えているように感じた。

 やがて唇が離れた。いつもに比べると短い。
 互いを見つめ合う。
 
「明日から、また逢えない日々が続くな」

 理子は赤い顔で頷いた。ここでこうしていると、震えるほど体が熱くなってくる。
 正月はここへ来ないことになっている。
 明日から完全に受験モードにシフトする。

 二月後半の前期の二次試験が終わるまで、ここでは逢わない。
 既に受験直前なので、学校で指導する事にしたのだ。

「学校が始まるまでは、もう君の顔を見れない。だが俺はいつでも君のそばにいるから。逢わない事にはなってるけど、どうしても耐えられないと思えば、いつでも言ってくれ。俺と逢う事で君の精神状態が乱れるなら逢わないし、逢わない事で乱れるなら逢うよ。君次第だ。俺は君の望む通りにする」

 そう言って微笑んだ。
 理子の胸は締め付けられる。この人とこうして再び触れ合えるのは、卒業後なんだ。
 二カ月ちょっと先の事だ。

 最初のうちは、そばにいなければ冷静でいられた。肉体的な結びつきを持っても、踏ん張って来れた。だがそれも、蒔田を知れば知る程、足元が脆くなってゆくように感じられた。
 あと残り僅かだが、持ち堪えられるのだろうか。

「理子。大丈夫だよ。これからの二カ月は、怒涛のように過ぎて行く。余計な事なんて考えている暇も無い程にね」

 理子は蒔田を見た。理子の思った事をすぐに敏感に感じ取ってくれる。
 相手がこの人だから、ここまで来れた。頑張れたのだ。あともう少し。
 ここまで来たら最後までやり切らねば。
 そして、必ず結果を出す。
 二人の愛のために。
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