第31話

文字数 3,793文字

 二人が初めてのデートをした翌週の日曜日。
 理子は蒔田の家にいた。
 家族に紹介したいと言われ、招待されたのだった。

 あの日の翌日。
 学校では、蒔田はいつもと変わらぬ態度だった。
 勿論理子もポーカーフェイスだ。誰にも気付かれてはならない。

 互いにそうしようと言い合ったわけでは無いのに、自然とそういう態度になった。
 互いの立場を考えれば、誰に言われなくても当たり前だろう。
 しかも、女生徒に人気の蒔田だけに、少しでも親しげな態度を示したら大変だ。

 とは言え、まるで変わらぬ態度を見ていると、日曜日の事は夢だったんじゃないか、と言う気がして来る。

 告白され、抱きしめられ、キスをした。
 蒔田を見る度に、その時の事を思い出してドキドキする。
 そして水曜日の夜、日曜日に家へ来ないかとの誘いのメールが来たのだった。

 理子の心臓は、激しく鼓動した。
 先生の家族に紹介される。
 こんなに早くに?
 一体、どんなご両親なんだろう。
 息子の彼女が高校生と知って驚いているのではないか。

 家族に紹介されるのは、とても嬉しい。
 未成年の、しかも教え子だ。家族だって、良くは思わないだろう。

 それなのに紹介してくれる。
 それだけ、蒔田が理子を大切に想ってくれているからなんだ、と思うと感激する。
 だが一方で、非常に不安だ。

 上野での出来事は夢じゃ無かった。
 現実だった。だから家族に紹介される。
 嬉しいけれど怖い。

 蒔田は親元で暮らしていた。両親と姉の四人家族だ。
 父親の雅人は有名製薬会社の重役で、母親の博子はお茶とフラワーアレンジメントを教えている。蒔田のお茶の嗜みは母親から教え込まれたものだった。

 蒔田と二つ違いの姉は(ゆかり)と言い、蒔田によく似た綺麗な女性で、背も高くスタイルも良く、税理士を職業としていた。

「よく来てくれたわね。マーから話は聞いてるわ」

 母と姉から「マー」と呼ばれているらしい。
 父親は重役とは思えない、とても気さくな明るい人物で、母親も明るく優しい人だった。
 理知的な姉も優しくて気が効く人だ。

 とても温かい家庭だった。
 みんな、息子の若い彼女に、驚くほど親切だった。

「あの、ちょっと伺ってもいいでしょうか.....」

 理子が遠慮がちに言った。

「あら、どうぞ、遠慮なく何でも聞いてくださいな」

 母の博子が優しく笑った。

「あの、私は先生の受け持ちの生徒なのに、こういう事になって、その.....」

 理子は赤くなって俯いた。どう言ったらいいのか上手い言葉が出て来ない。
 理子の様子に四人が顔を見合わせて、笑った。

「気にしなくて、いいのよ。マーから最初にあなたの事を聞いた時は、さすがに驚いたけど、マーが本気なのがわかったから。私達、親バカなのかもしれないけど、自分達の子育てに自信があるの。だから、子供の事を全面的に信じてるのよ。あなたの事を話す時のマーの幸せそうな表情を見て、安心したわ。今までそんな表情を見た事が無かったから。あなたは、息子が選んだ相手なんだから、私達は反対する理由はないの。教え子であってもね」

 博子は優しい顔で理子を見つめていた。

「そうよ。あなたは、ここでは何も気にする事はないわ。私達は二人の味方よ。これからは、遠慮なくちょくちょく遊びにいらっしゃい。立場上、外で会うのは厳しいでしょ?」

 姉の紫がそう言って笑った。

 その後も、蒔田の家族は理子の緊張を解きほぐすように、気さくに接してくれた。なんて暖かい、素敵な家族なんだろう。理子の家とは大違いだ。

 理子の母親は情の濃い人だが、だからこそ、その分、猜疑心も強く、自分の子供でありながら全面的に信用しない。そして、自分と同じだけの情を相手に求める。

 機嫌の良い時は明るく暖かいのだが、ひとたび機嫌が悪くなると、まるで手がつけられない程だった。
 自分の感情中心の言動なので、一緒に暮らしていると疲れるのだった。
 それに何かと干渉してくる。

「理子ちゃん、茶道部なんですってね。それも表千家とか。良かったら、私のお茶を飲んでくれない?」

「はい。是非.....」

 全員でお茶室へ赴いた。
 蒔田家には茶室があった。広い家である。製薬会社の重役というだけあって、資産家のようだ。

 お茶室へ入ると、床の間に山茶花の花が一輪活けてあった。
 理子が正客だ。とても緊張する。
 理子の隣に蒔田が座った。その隣に父の雅人が座り、末席に紫が座った。

 博子のお手前は、理子の学校に教えに来ている先生とは、また雰囲気が違った。
 同じ表千家なので作法は同じなのだが、この違いは何なのだろう。

 蒔田がお手前には人柄が出ると言っていたのを思い出した。
 茶道部のお茶の先生のお手前は、厳かな雰囲気があった。
 一つ一つの動作をとても大事にしているように感じられる。だが博子は違った。

 静謐な時間・空間を楽しんでいるような明るさがあった。
 一連の動作はたゆまなく進行し、女の子がおままごと遊びを楽しんでいるような雰囲気を感じる。だが、一分の隙もない。全てが当たり前のように進んでゆく。

 これが、この人なのか。
 大らかで明るく優しい。そして、力強い。
 蒔田は、こういう女性に育てられたのだ。なんだか、羨ましく思えた。

 お茶はとても美味しかった。点てる人のぬくもりが感じられた。
 この人の暖かい懐の中で慈しまれたい、そんな思いが湧いてくるのだった。


 お茶を飲んだ後、理子は蒔田に(いざな)われて、彼の部屋へ入った。

「マー、悪さしちゃダメよ」

 姉の紫が冷やかすように言う。

「わかってるよ」

 と、ふくれっ面で言う蒔田の表情が、新鮮だった。
 学校では絶対に見られない顔だ。ちょっと子供っぽい印象だ。

 蒔田の部屋は広かった。東南の角に位置していて、明るい部屋だ。
 西側の壁一面は備え付けの本棚になっていて、ギッシリ本が詰め込まれていた。
 大きな机に革張りの椅子、ダブルベッド。体が大きい分、みんな大きなサイズなのか。
 
 大きなスピーカーが部屋の四隅の天井の下にあった。
 部屋の隅には譜面台が置いてある。譜面台の上には楽譜が置いたままだ。
 その近くに、フルートとギターがケースに収まって置いてある。

「あっ、フルート」

「ケースに入ってるのに、よくフルートだってわかるな」

「だって、他に無いじゃないですか。フルートやってるって以前、おっしゃってたでしょ」

「よく、覚えてるな」

 当たり前だ。そういうのはしっかりと覚えている。

「聴かせてもらえませんか?」

「聴きたい?」

「勿論です」

「わかった」

 蒔田はフルートをケースから出すと、組み立て始めた。
 理子はそばにある椅子を勧められたのでそこに腰かける。

「何を吹こうかな。リクエストあるか?」

「いえ。フルートの曲はよく知らないので」

「じゃぁ、分かりやすい曲にするかな」

 そう言って吹きだしたのは、ラヴェルの『亡き王女のためのパヴァーヌ』だった。
 とても深みのある音色で胸に沁みる。

 綺麗な指がフルートによく似合っている。
 唇は、まるで吹いていないように静かな動作だ。
 フルートって不思議だ。直接楽器に口を付けないのに、あんなに音が出るなんて。

 演奏を聴きながら、誰も知らない先生の世界を見聞きしているような気がして、感動してきた。
 ゆったりとしたリズムと美しい旋律が、まるで別世界にいるような気にさせる。

「先生、素敵」

 曲が終わると、思わず手を叩く。

「そうか。そのうち、理子にピアノ伴奏してもらいたいな」

「ええーっ?無理ですよー」

「どうして」

「だって、伴奏って難しそう。テレビとかでリサイタルとかたまに見ますけど、ソロとは違う意味で難しそうって思いますよ、いつも」

「まぁ、合わせなきゃならないし、出しゃばってもいけないし、ソロみたいに自由には弾けないからな」

「そうですよー」

「でもあれも、一種の馴れだ。やっているうちにコツとか感覚を覚えるようになる」

「そうなんですか?」

「そうだ思うけどな。でも何より、俺はお前と一緒に演奏したいんだよ。一緒に音を奏でたい。お前はそういう思いは湧かないのか?」

 理子は赤くなった。

「なんで赤くなってんだよ」

「いえ、何となく.....。私、先生が思うより恥ずかしがり屋で秘密主義なんです。だからその.....」

「恥ずかしがり屋で秘密主義。.....って事は、俺はお前の事を知ることができないって事か?」

 そう言いながら、蒔田はフルートを片づけ始めた。

「あの、だから、その.....、歌を歌ったりとか楽器を演奏したりとか、そういうのって自分の世界の表出の一種じゃないですか。だから、それで自分を見せるのが恥ずかしいから、美味く音楽表現ができないと言うか、自分を出せないと言うか.....」

 理子は赤くなりながら説明する。

「なんでそんなに、自分を知られるのを怖がるのかな」

 蒔田は不思議そうな顔をして理子を見た。

「わかりません。でも多分、自分に自信が無いのかも.....」

「自分に自信がない」

 蒔田は理子の言葉を繰り返した。
 暫く黙って何かを考えているようだった。

 理子自身にも、よくわからない事だ。
 自分に自信が無いのは確かだった。だが、それだけなんだろうか。何故こんなにも、人前で自分を見せるのが恥ずかしいのだろう。

「わからないな」

 理子の前にあるガラスの丸テーブルの向こう側の椅子に腰かけて、蒔田腕を組んだ。
 
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