第45話

文字数 5,526文字

 午前十一時。
 理子は栗山高校の校門の前で、蒔田の車に乗り込んだ。
 蒔田は相変わらず乗り降りの時に自らドアを開閉してくれる。
 大切にされていると、その度に感じる。貴公子のような素敵な男性なだけに、胸が熱くなるのだった。

「あれから、どうだった?大丈夫だったよな?」

「勿論です。でなきゃ、ここにこうしていられないです」

 理子の言葉を聞いて、蒔田がホッとしたように笑みを浮かべた。

「初詣は行ったのか?」

「はい。元日に家族で。先生は?」

「俺は行ってない。不信心なんだ」

「そうなんですか」

「だって、お前、歴史勉強してて、神社にお参りなんてできるか?」

「ははは。なるほど。そうですね。まぁ人それぞれとは思いますけど、私は同感です」

「休み中はどうしてた?」

「勿論、勉強ですよ。元旦は、家族でゲームとかして遊びましたけど」

「家族でゲーム?なんの?」

「カードゲームです。百人一首とトランプの七並べ。我が家のお正月の恒例です。この日くらいかなぁ、家族らしいって思うのは」

「百人一首はわかるけど、なんで七並べ?」

「母が好きなんです。もう、トランプと言ったら、七並べですね。私達がまだ幼い頃は神経衰弱とかもやったりしましたけど、もう五,六年前から、もっぱら七並べです。あと、飽きてきたら花札かな」

「面白いうちだな。それに、お母さんも不思議な感じがする」

「うちの母、基本的にはギャンブラーなんですよ。勝負事が好きなんです。ただ、賭け事は嫌いなので、お金は勿論、一切何も賭けないですけど」

「へぇ、そうか。熱い人だもんな。勝負事が好きっていうのは、わかる気がする」

 そんなお喋りをしているうちに、蒔田家に到着した。


「あけまして、おめでとうございます」

 理子は丁寧に頭を下げた。
 家族揃って玄関まで出迎えてくれて、恐縮した。

「いらっしゃい。久しぶりだわね。どうしてもっと来てくれないの?マーが寂しそうにしてたわ。勿論私達もね」

 母の博子が優しく微笑みながら言った。
 好きな人のお母さんに、こんな風に優しくされて、嬉しかった。

「そうよー。私達も、もっとあなたと会って、あなたを知りたいのに」

 姉の(ゆかり)が母に同意した。
 二人とも美しい着物を着ていて、とても素敵だった。

「今日はね。あなたが来るから、初釜をやろうと思って」

 初釜とは、新年に、最初に釜に火を入れてお茶を点てる事を言う。

「そうなんですか。わざわざ、ありがとうございます。嬉しいです」

 今日は五日だ。もっと早くに済ませていてもおかしくない。
 わざわざこの日にしてくれたのだ。

「それでね、理子ちゃん。あなたにも着物姿になってもらおうと思って」

「えっ?」

 理子は驚いて蒔田のほうを見ると、既に嬉しそうに笑っていた。

「着物はね。こちらで用意してあるから。紫のお古になっちゃうのが申し訳ないけど」

「あっ、いえ、とんでもないです。でも、その、いいんですか?」

 理子は戸惑う。訪問先で着物に着替えさせられるとは。

「遠慮しないで。さ、行きましょう」

 そう言われて、理子は別室へと連れて行かれた。
 瞬く間に、二人の手で着物姿に変えられた。
 二人はとても手際良くて早かった。だが、しっかりと着付けられている。さすがに、お茶の先生だ。

 着物は薄い黄緑の地に華やかな古典風の花が流れるように描かれていて、とても美しい振袖だった。帯は金地でゴージャスだ。

「凄くよく似合ってるわ。私のお古とは思えない」

 紫が感嘆の声をあげた。

「あなたに似合いそうなのを幾つか出して、みんなで検討したのよ。マーが、あなたは緑が好きだって言うから、これにしたんだけど、本当によく似合ってるわ」

「この着物、あなたにあげようと思ったんだけど、駄目ね。着る機会がもう無いものね」

 紫が残念そうに言う。
 確かに、人から着物を貰っても、母の手前、持ち帰る事はできないし着る機会もないが。

「マーから聞いたわよ。結婚したいって」

 途端に理子は真っ赤になった。

(やだ、先生ったら)

 理子は鏡台の前に座らされて、博子に髪を結い上げられた。

「あ、あの、先生は何て.....」

「理子が高校を卒業したら結婚しようと思ってるから、そのつもりでいてくれって」

 理子は戸惑う。まだOKをしたわけではないのに、なんて気が早いのだろう。

「どうしたの?やっぱりマーの独りよがりなのかしら?」

 博子が鏡の中から問いかけて来た。

「いえ、あの、まだ先の事なのでピンと来なくて.....。それに、もうご家族に話されているとは思ってなかったので」

「あの子は隠しごとができないのよ。特に家族にはね。昔の女の事とかも、平気であなたに話してるんじゃない?」

 紫が笑って言う。この人も、結構、フランクと言うか正直な人だ。

「そうですけど、私は平気です。何でも話してくれる方が嬉しいです。それだけ信用できますし」

「そう。良かったわ。話し過ぎて嫌われるんじゃないかと、私達、心配してたのよ」

 博子が安心したように笑った。

「そんな.....。嫌うなんて.....」

 理子は俯いた。

「理子ちゃんは、若いのにしっかりしてるわね。マーは、あれで結構、子供っぽい所があってね。人一倍寂しがり屋なの。見た目は全然そう見えないけど。今はあなたの方が子供なのかもしれないけど、いずれ、立場が逆転するかもしれないわよ」

 博子がそう言った。理子にはまだよくわからない。

「お父さんお母さんと同じね」
 
 蒔田の両親も、母の博子は父の雅人よりも五つ年下だった。
 最初のうちは夫の雅人を大人と思っていたが、結婚して人生を共にするようになり、年数が経つほどに博子の方が舵取りをするようになったそうだ。

「男の人って、女が思うより子供っぽいのよね。お父さんはすっかり、お母さんの手の上でいいように転がされてるわよ。マーもいずれ、そうなるわね」

 母と娘は顔を見合わせて笑った。
 理子にはやっぱりわからない。
 想像できなかった。

「あの.....」

「どうしたの?」

「結婚の話しを先生から聞いて、反対されないんですか?」

「どうして?」

 博子は不思議そうな顔をして娘と顔を見合わせた。
 理子には、二人の反応の方が余程不思議に思える。

「付き合いだして、まだ間が無いですし、若すぎるとか、早いとか思われないんですか?」

 鏡の中の博子は笑った。素敵な笑顔だ。

「全く思わなかったと言ったら嘘ね。なんて性急な子なのかしら、って最初に思ったわよ」

 矢張りそうなんだ。当然だろう。

「でもね。だからと言って、反対する気持ちも無かったの。当人同士が望むなら、それはそれでいいのかなってね」

 博子の言い方がとても優しいのが理子には不思議だった。

「おかあさんの大事な息子さんが、こんなに早く手元を離れるのに抵抗を感じないんですか?しかも相手はこんな子供なのに」

 親には親の、子供への夢や期待があるのではないだろうか?
 蒔田はまだ若い。こんなに早く結婚を決めてしまった事を残念に感じないのだろうか?
 親として、こういう女性と結婚して欲しいと言うような願望もあったのではないだろうか。

 それに蒔田家は資産家のようだ。
 それなりの家柄の娘と、との気持ちがあってもおかしくない筈だと理子は思うのだった。

「理子ちゃん。子供はいつか親元を離れるものよ。そりゃぁ、親としては、一生懸命可愛がって育てたんだから、子供への愛着だか執着だかは有るわよ。でも何より、その幸せを一番願っているの。確かに若いし、早いと言えばそうでしょうけど、でももう大人よ。あなたはまだ未成年だから、あなたに対しては申し訳ない気持ちは持ってるの。だって、あなたの人生をこんなに早くに縛ってしまう事になるんだから」

 理子は鏡越しに博子を見つめた。

「マーは、あなたが卒業したら結婚するって言ってるけど、あなたは焦らなくていいのよ。一生の問題なんだから。あ、これは反対してるとかじゃありませんからね。私達は、あなたがお嫁に
来てくれる事には大賛成なのよ。だって、あの子にはこの先もきっとあなたしかいないと思うから」

 博子は理子に、子供の時からの蒔田の事を語ってくれた。

 いつの間にか周囲との距離を持つようになり、家族以外には心を開かなくなった事。
 笑顔が減った事。感情を露わにしなくなった事。
 それが、理子と出会って以来、変わって来たと言う。

 以前よりも日に日に感情を露わにするようになり、明るい笑顔が増え、理子の話しをする時には幸せそうな顔をするのだと、母は考え深げに言った。

「大学時代は、随分と女性関係が盛んだったようだけど、満ち足りた顔をしていた時は一度も無かったわ。もしかしたら、同性愛者なんじゃないかと思ったくらいよ。まぁ、そうならそうで、
別に構わないんだけどね」

 と笑った博子に、理子は驚いた。

「同性愛者でも、平気なんですか?」

「だって、自分の息子よ。そりゃぁ、できれば女性の方がいいけれど、それより何より本人が幸せなのが一番なのよ。相手が同性であっても、愛する事で幸せなら、認めるしかないでしょ?」

 この人は本当に、我が子を丸ごと愛しているんだ。
 どんな子であっても、絶対的に受け入れられる、そういう人なんだ。

「さあ。髪も綺麗にできたわよ。とっても素敵。マーが喜ぶわね」

 博子に言われて鏡を見て、理子も驚いた。
 なんだか自分じゃないみたいだ。

「今日は、あなたにお手前をお願いできないかしら?」

「えっ?」

 いきなりで動揺した。
 袱紗等の一式は一応持参してきているが、自分がお手前をするなんて、全く予想していなかった。

「私、あなたの点てたお茶を是非、頂きたいのよ」

 そう言う博子の目は真剣だった。
 もしかしたら、将来息子の嫁になるかもしれない彼女を試しているのだろうか。

「着物姿でお手前した経験はある?」

「いえ、浴衣ならあるんですが・・・」

「振袖だから、袖が邪魔だろうけど、どうかしら。お願いできる?」

 断れそうもない。
 浴衣より着物の方が動きに制限が大きいので、上手くできる自信がない。

「理子ちゃん、そんなに緊張しなくていいのよ。別にテストするわけじゃないんだし。お茶は本来、和装の中で発展してきたものだから、着物での経験もしておいた方がいいわよ。学校では経験できない事だし。それに、もっと気楽に考えて欲しいの。だから、緊張しないで、いつもの通りに点てて頂戴。私が知りたいのは、あなたのお手前の腕じゃなくて、あなた自身なんだから」

 私自身.....。
 そうか。
 増山が以前言っていた。人柄が出ると。

 それを見たいのか。
 それはそれで、怖い気もした。
 先生のお母さんが、私をどう見るのか.....。

「わかりました。着物でのお手前、初めてなので緊張しますけど、変な所があったら、教えて下さい」

「ええ。勿論よ。安心して」

 そう言ってにこやかに笑う博子は素敵だった。
 二人に連れられて、蒔田達が待つ部屋へ移動した。

「おおぉ~」

 父と息子は声をあげて立ちあがった。

「理子、凄く綺麗で、可愛い.....」

 うっとりとした目をして蒔田にそう言われ、理子は恥ずかしくて俯いた。

「そうだ、写真、写真.....」と慌てる蒔田に、「間抜けだなぁ~」と、父の雅人がカメラを差し出した。

「おっ、親父、気が利く」

 蒔田はバシャバシャと写真を撮りだした。その傍で、雅人がレフバンを当てている。何て気の利くお父さんなんだろうと、理子は驚き感心していた。

「二人で並びなさい。撮ってあげるから」

 雅人がそう言って、蒔田の手からカメラを取った。
 初めてのツーショット。恥ずかしいが嬉しかった。
 本当なら、自分の携帯でも撮ってもらいたい。そして、時々こっそり見れたら嬉しいのに。

 ツーショット写真も、なんだか知らないが何枚も撮られた。
 何故か蒔田と雅人の二人が妙なノリで撮っていて、後から撮った写真を見せて貰ったら、蒔田が変な顔をしてふざけている写真が多かった。

 それを見ながら母娘がしりきに笑っていた理由が、これでわかった。だが、どれも初めてみる蒔田の表情で、新鮮だった。
 こんな一面も持ち合わせているんだ、と心が温まる。

「さぁ、そろそろ、いいでしょう?お茶室へ行きましょう」

 促されて茶室へ入った。準備は既にできていた。
 正客は母の博子だった。理子は袱紗を帯の横に挟み、扇子を胸元に挿した。
 やっぱり、緊張する。

 扇子を出してお辞儀をした後、手順通りに道具を運んだ。
 着物を着ていると座ったり立ったりが以外と難しかった。馴れていないからだ。
 足の運びもいつもと違う。歩幅が狭くなる。まさに、静々と歩く感じだ。

 最後の道具を置いた後、居住まいを正した。
 深呼吸をして、袱紗を取り、(さば)く。
 みんなの視線が自分に集中しているので緊張するが、理子はなるべく目の前のお手前に集中するようにした。

 お茶碗も棗も茶杓も柄杓も、そして茶筅も、とても良い物に感じられた。丹精込めて作られたぬくもりが感じられる。
 学校で使う味気ないお道具とは全く違う。

 学校で普段使っているのは練習用なので、どれも安いものばかりだ。
 文化祭の時だけ、先生が良い品を自宅から用意してくれた。
 理子が見たところ、それよりも上をいっているように感じられる。

 理子は茶道が好きだった。この一連の動作をしている時、何故か恍惚としてくる。
 その世界に浸ってしまう。
 何か、別の者になったような妙な錯覚を覚えるのだった。
 その、いつもの自分とは違う自分が好きだった。

 理子のお手前が終わった時、博子が言った。

「あなたはとても優しくて繊細な人なのね。そして、とても強い人だわ」

 そう言ってくれる博子を、益々好きになる理子だった。

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