第28話

文字数 4,599文字

 翌日から、どんな顔をして蒔田と会えばいいのか、困惑した。

 翌朝のホームルームの時、教室へ入ってきた蒔田の顔をそっと伺うと、様子はいつもと全く変わらない。
 理子は普段からポーカーフェイスが得意だから、自分ではいつも通りに平然を装っているつもりだったが、実際のところ、顔に出ていやしないかと不安だった。
 心は(たぎ)っている。

 そんな中、中間テストの結果が次々に戻ってきた。
 頑張った甲斐があってか、思っていたより結果は良くて安堵した。相変わらず、歴史、現国、英語は満点だった。
 他の科目は一学期の期末並みの結果だった。我ながら良くやったと思う。

 さすがにこの二学期の中間テストは、みんな軒並み良くない結果だったのだ。そんな中、クラスの中では理子だけが、前回の成績を維持したと言える。
 できれば、もう少し上をいきたかった。それに、受験勉強の方は捗っていない。それが自分では残念に思えたのだった。

 この週、理子は歴研の二回目の部活には参加しなかった。蒔田と顔を合わせるのが躊躇(ためら)われたからだ。
 できれば蒔田との接触は避けたかった。身近に接したら顔に出そうで怖かった。

 日本史の授業の時、蒔田の顔を見ながら色々考える。
 今回の事を、どう受け止めたらいいのだろう。
 それに、修学旅行の時の、あのホテルの庭での出来事も。

 どう考えても、教師と生徒の範疇を超えているように思えてならない。思い出すだけで心が震える。
 こうして、まともに蒔田の顔を見ていられるのは授業の時だけだ。
 素敵な人だと思う。皆が好きになるのも当然だ。

 顔立ちが整っている人は他にもそれなりに多いが、その中でもひと際カッコ良く見えるのは何故なのか。
 この人と、今度の日曜日に二人で出掛けるんだ。
 車に乗って.....。
 そう思っただけで、息苦しくなってくるのだった。


 日曜日。
 理子は時間より少し早目に出た。五分しか待たないと言っていたのを覚えていたからだ。
 待ち合わせ場所へ出かけてゆくと、黒のNSXが停まっていた。
 それを見た理子は驚いた。

 車好きの理子は特にスポーツカーには目が無い。
 家の車は平凡なセダンなので、自分が免許を取得したら是非スポーツカーが欲しいと思っていた。だがスポーツカーは価格が高い。

 就職してからでも、すぐには買えないだろう。しかも、NSXなんて永遠に無理だと思える。
 その車に先生が乗っているなんて。

 理子に気づいた蒔田が車から降りて来た。
 黒のサングラスをかけていて、それがとてもよく似合っていた。それこそまるでロッカーみたいだ。

 見惚れている理子の前に、車の助手席のドアが開けられた。

「さぁ、乗って」

 蒔田が微笑んでいる。それを見て、理子は赤面した。

 とにかく、さっさと乗らないとと思って車に乗り込むと、車内の色々なものに目が行った。
 サスペンションにステアリング、計器、全てに胸が轟く。
 全てがカッコイイ。

 蒔田は理子が乗るとドアを閉め、運転席に乗り込んだ。

「先生!先生どうしてNSXに?車好きなんですか?」

 急きこむように早口に捲し立てる理子に蒔田はたじろぎながら、不思議そうに理子を見た。

「まぁ、車好きではあるけど、どうしたんだ?」

「私も好きなんです!」

 理子は力いっぱい答えた。

「えっ、そうなの?へえ~。お前って、やっぱり女子っぽくないな」

「えっ?どうしてですかぁ?」

 そんな事を言われるとは心外だ。

「歴史と言い、車と言い、男が好きなものばかり好きじゃないか」

 それは確かにそうだ。
 好きなんだから、しょうがない。

 そう思いながら、理子は改めて自分の置かれている状況を認識したのだった。
 凄い車を見て、更にそれに乗ったせいで、すっかり忘れていた。
 先生と二人きりで展示会を見に行くって事を。

 今日という日は一体どういう日なんだろう。
 何故先生は自分を誘ったのか?
 担任と受け持ちの生徒という立場で、こうして二人きりで出かけて良いものなのだろうか?

 先生はどうして他の人と一緒に行かないの?
 なんで私なの?
 色んな疑問が次々と湧いてくる。

 理子は、二人きりであることに複雑な思いに襲われた。
 先生に誘われた。それはとても嬉しい事だった。
 天にも舞い上がる気持ちだ。

 だが、相手が相手だけに単純には喜べない。
 単純に喜んで、単純に舞い上がって、後で手痛いしっぺ返しが待っているのではないのか。

 沙耶華に言った、「生徒と恋愛する気はない」という言葉。
 そして、腕を絡めていた綺麗な女性。

 好きになってはいけないと、理子はずっと自分の湧き上がりそうになる気持ちを抑えてきた。
 それなのに、先生は近付いてくる。理子の心を支配しつつある。
 急に黙った理子に、蒔田が話しかけてきた。

「理子はどうして車が好きなんだ?」

「えっ?.....えーっと、どうしてって言われても、好きなものは好きなんです。子供の時から乗り物関係は好きでした。バスや電車も一番前で運転してる様子を見るのが好きでしたし、飛行機のコックピットなんかを見ると、なんか胸がときめきます」

「へぇ~。ほんとに、男の子みたいだな」

 感心したように言う。

「親は男の子が欲しかったそうですから、男っぽい女の子が生まれたと言っています」

「そうかぁ。親が言うくらいじゃ、相当だな」

 蒔田はそう言って楽しそうに笑った。

「メカニックなものが好きなんです。車の計器も好きだし、オーディオのイコライザーとか、見てるとすっごくワクワクするんですよ」

「へぇ~」

「アナログのラジオくらいなら作れますよ。あっ、そうだ。夏休みにパソコン部でパソコンを作りました」

「パソコン?なんでお前がパソコン部?」

「小泉君がパソコン部なんですよ。それで、ゆきちゃんと二人で遊びに来ないかって誘われて」

「それで、行ったのか、パソコン部へ」

「はい。親友の為です。行ったはいいけど、小泉君はギターの弾き語りを始めるし、ゆきちゃんはそのそばで嬉しそうに体揺らしてるし、もうすっかり二人の世界に入っちゃって、私馬鹿みたいでしたよ」

「そう言えばあの二人は、修学旅行中も熱かったな」

 蒔田の言葉にドキッとした。

「そうですね。それで、手持無沙汰にしていたら、パソコン部の他の男子がパソコンを見せてくれて」

 その時の経過を話した。

「へぇ~。つくづく驚くよな。それで理系が苦手で文系だなんて、信じられないな」

「そうですよね。自分でもわかりません。ただ自分で思うに、あるレベルまではいけるんですけど、そこから先へはどうしても進めない壁にぶち当たるんです」

「壁か」

「はい。限界とも言うのかな。自分で限界を作ってるのかもしれないですけど、その先へどうしても進もうとするほどの情熱は無いんです」

「なるほど」

 車はスムーズに走っていた。車高の低い車の特徴として、路面をしっかり走っている安定感がある。
 理子はワンボックスは苦手だった。なんだかお尻が宙に浮いているような感じがして据わりが悪く落ち着かない感じがする。
 深いシートに身を沈めている方が快い。

「ところで、文化祭の時のお前の歌、凄く良かった」

「えっ、何を今さら.....」

 理子は赤くなった。恥ずかしい。

「本当はもっと早く、直接言いたかったんだが、機会が無かったからな」

「先生の姿を見つけた時、凄く恥ずかしかったです」

「なんで恥ずかしがる?弾き語りもだが、凄く上手いのに。もっと自信を持て」

(そういう問題じゃないのに.....)

「お前の声は普段の声も高くて綺麗だし、歌う時も綺麗で魅力的だ。歌の道へ進んでもいいのにな」

「音楽は、結局のところ趣味です。それで身をたてられる程の才能は無いですし。先生もそれは同じなんじゃないですか?」

「そうだな。極めたいと言う点では、歴史が一番だよな」

「ところで先生。お茶券、柳沢先生から買われたんですか?」

 気になることを聞いてみた。

「ああ、そうだ。あの先生、職員室で売りまくっていた」

 と、可笑しそうに笑った。

「それで先生は、どうしてあの回に?」

「お前の番だったからだ」

 平然としていた。石坂は照れながら言ったのに。
 矢張り、知ってて来たんだ。驚かないのは当然だった。

 だが理子は、蒔田の言葉に胸が熱くなって、どう返事をしたらいいのかわからなかった。
 黙っていたら、蒔田が話を続けた。

「お前の点てたお茶は美味かった。所作も流れがスムーズで美しかったし」

「先生は、もしかして、お茶の嗜みがあるんですか?」

「ああ、一応な。お前と同じ表千家だ」

「やっぱりそうだったんですか。何の迷いもなく、淡々としてらしたので、もしかしてと思ったんです」

「見て無いようで、見てたんだな」

 蒔田が口の端を少し上げて笑った。

「そんな事ないですよ。そんなに見てませんって」

 理子は慌てて弁解する。

「お茶を点てている姿を見ると、その人間の人柄が何となくわかる」
 
「そうなんですか?」
 
「ああ。所作のひとつひとつに現れるんだよな、不思議と」

 そういうものなんだろうか?

「お前は凄く、緊張していたな」

「そりゃぁ、先生が二人もいらしてたんですから、緊張します」

 理子は赤面すると俯いた。

「先生が二人?.....ああ、そう言えば石坂先生も来てたな」

「気付かなかったんですか?」

「いや、忘れてた。石坂先生と言えば、確か修学旅行の時の初日だったかな。お前とロビーで楽しそうに話していたな」

「見てたんですか?」

 理子は全く気付かなかった。

「たまたまな。談笑している二人を見て、何を楽しげに話しているんだろうと思った」

(そうなんだ.....)

「石坂先生はいいよな。そうやって気軽にお前と話せる」

「はぁ?」

 何を言っているんだろう。

「お前とは色々と話したい事がたくさんあった。だけど、石坂先生みたいに、気軽にお前に話しかけたら、他の女子共が凄いだろう?俺は別に構わないが、お前が酷い目に遭わされるのは可哀そうだしな」

 なるほど。そういう意味か。
 先生も大変だ。私に限らず、誰かと話したいと思っても、それが女子なら気軽にはできないと言う事か。

「それで、どんな話をしてたんだ?」

 蒔田の質問に理子は躊躇した。
 教師と生徒の恋愛についてだなんて言えない。

「たいした話じゃないですよ。文化祭の歌とお茶の事を褒めてくれてたんです」

「そうか。あの先生も、両方来てたのか」

「柳沢先生が、お手前の順番を見せてたそうですね」

「ああ。俺はそれを見て理子の出番を知ったんだが、それじゃぁ、石坂先生も?」

「はい。私を見に来たっておっしゃってました」

「本人が、お前にそう言ったのか?」

「はい。『君の番だったから』って」

「うーん.....」

「どうしたんですか?」

「いや、何でも無い」

 蒔田の表情が僅かに厳しくなったような気がした。

「先生?」

「ああ、ごめん。お前のお茶、美味かった。お前のお手前には、気配りが感じられたよ」

「気配り?」

「ああ。お茶の量、お湯の量、ちょうど良かった。温度もちょうど良かったしな。それに、丁寧に点ててたな。美味しいお茶を出そうという気遣いが伝わってくるお手前だった」

 しっかり、伝わっている。
 蒔田に嗜みがあるからなんだろうか。

「道具の扱いも丁寧だった。お前って天の邪鬼でひねくれてるが、案外優しいんだな」

 そう言って笑った蒔田の顔がとても柔らかくて、理子の胸がドキリを大きく鳴ったのだった。
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