第46話

文字数 6,711文字

 初釜が終わると、みんなで百人一首を始めた。
 理子は百人一首が得意だ。何故か両親ともに百人一首好きで、理子は小さい時から百人一首に馴染んでいる。当然ながら全部暗記していた。

 だが、自信満々で始めたのに、蒔田家の人達は皆揃って強敵だった。
 遠くの札を取る時、着物の袖が邪魔だった。理子の目が厳しくなる。かなり熱くなっていた。
 バラけている札の、上の句の始めを思い出しながら、頭の中で空間認識する。

 集中を全札に散らす。
 あの歌はあそこ、この歌はあれ、と何度もインプットして臨む。
 読み手は雅人だった。

「む.....」

 理子の手が飛んだ。“霧立ちのぼる秋のゆふぐれ”だ。
 おおぉ~、とどよめく。
 みんなすぐにわかったのだが、理子の勢いの凄さに圧倒されたのだ。

 みんなのどよめきに、「あ、すみません.....」と、理子は赤くなった。急に恥ずかしくなった。

「そんな、謝る事ないわよ。勝負事なんだから」

 紫はニヤリと笑った。その笑顔は蒔田とよく似ている。
 蒔田を見ると同じように笑っている。どうも、この姉弟の闘志を掻き立ててしまったようだ。

 その後の百人一首は凄まじかった。
 互いの闘志が相乗効果でどんどん掻きたてられて、理子も燃えた。
 こんなに燃えるのは初めてかもしれない。

 理子は基本的には勝負事は好きじゃない。人と争うのが苦手だ。
 たかがゲームで一喜一憂し、心がかき乱されるのが嫌だ。
 だが、百人一首だけは、何故か闘志が湧く。
 自信のあるゲームだからかもしれない。これがトランプだったら負けても全く平気だ。

 優勝したのは紫だった。理子は三位で、蒔田にも負けた。
 僅差だったのでほぼ互角の戦いと言えたが、とても悔しかった。

「残念だったな、理子」
 
 喜色満面で笑う蒔田にむかついて、プイとそっぽを向いた。

「あらあら、怒らせちゃったわよ。どうするの?」

 紫が弟を小突く。
 
「さぁ。じゃぁ、二階で二人の時間を楽しんでらっしゃい」

 かるたを片づけながら博子が言った。
 
「えっと、じゃぁ、理子が着て来た服をくれないか?」

 蒔田が言った。

「あら、どうして?」

「このままじゃ、窮屈だろ?着替えた方がいいと思って」

「それなら、こっちで着替えていけばいいわよ」

「駄目。俺が着替えさせたいの」

 蒔田の言葉に、みんながギョっとしたように目を剥いた。
 驚くみんなに、「あれ?俺なんか変な事言った?」と顔色一つ変えずに言う。

「マー、あなた何言ってるの?理子ちゃんは着せ替え人形じゃないのよ」

「当たり前だろ。俺も、人形遊びするような女の子じゃない」

 みんなで顔を見合わす。理子は赤面していた。
 さすがの肉親達も、この蒔田の言動を奇異に思ったようだ。
 どうしてこんなに、あけすけなんだろう。
 勿論、家族だからなんだろうが。

「あの、先生って、いつもこんな風なんですか?」

 理子が家族に聞いた。
 
「ここまでではないけどね.....」

 紫が呆れ顔で答えた。

「二人とも、何言ってんだよ」

 蒔田は憮然としている。

「わかりました。私、先生に着替えを手伝ってもらいます」

「えっ、ちょっと、いいの?」

 紫も博子も慌てた。

「はい。先生がそうしたいって言ってるから.....」

 そう言って、真っ赤になった。
 そうして二人は、二階の蒔田の部屋へと向かった。

「理子姫」

 部屋へ入るなり、そう呼ばれた。

「まさに、お姫様みたいだ」

「先生。みんなの前で恥ずかしいじゃないですか」

 理子は詰問するような口調で言った。

「そうか?俺は平気だが」

「先生は平気でも、私は恥ずかしいです」

「それなら、ごめん。お前があまりに可愛いから、つい、な」
 
 そう言って、微笑む。その笑顔がとてもチャーミングだ。
 そんな顔で言われると、何もかも許したくなってくる。

 蒔田は理子の前に立つと、理子の顎を上げて唇を重ねた。
 唇から、どんどん熱が全身に広がってゆく感じがする。
 蒔田の手が帯留をほどきだした。

「着物って、色っぽいよな。だから、脱がしたくなるんだ.....」

 蒔田が切なげに理子の耳元に囁いた。

「先生のエッチ.....」

「男はみんな、エッチだ」

 そう言っている間に、帯がほどけてきた。

「時代劇で、帯をくるくるってやるだろ。女の子がア~レ~と叫びながら」

「まさか、やりたいとか言うんじゃ?」

「うん」

「やめてください。そんなお下劣なこと」

「お下劣か?」

「お下劣です」

 理子は、ギロリと睨む。

「しょうがない。今日は我慢するかぁ」

 今日は我慢する?じゃあ、いつかはやってやると思っているのか。

「先生がこんなに子供っぽいとは思ってませんでした」

「子供っぽいか?」

 蒔田は意外そうに言う。
 
「子供っぽいです」

「子供が、こんな事をするか?」

 蒔田が襦袢の裾へ手を入れて、理子の太ももを触った。

「きゃっ!」

 理子は思わず身を引く。
 蒔田は妖しい瞳で理子を見ていた。

「先生。あとは自分でやりますから」

「最後までやらせてくれないのか?」

「恥ずかしいから」

「俺とお前の間でか?」

「あなたと私の間だからです」

 理子の毅然さに、蒔田は折れた。

「仕方ない。ただし、服は着るなよ。どうせ脱がされるんだから」

 理子はフッと小さな吐息を漏らした。
 この人には勝てないな、と思う。
 理子は後を向いていて貰って、手早く脱ぎ、綺麗に畳んだ。
 それから、下着姿のまま静かに蒔田のそばへ歩み寄ると、後ろからそっと抱きついた。

「理子.....」

 蒔田は理子の方に体の向きを変えて抱きしめ、ベッドに押し倒した。

「先生、今日は駄目」

「どうして。こんな悩ましい姿で、そんなつれない事を言うのか」

「先生が服を着るなって言うから、着ないだけです。それ以上は困ります」

「お前は、俺に抱かれたくないのか?」

 悩ましげに言う。

「そういう問題じゃないです。みなさん、下にいらっしゃるのに.....」

「大丈夫さ。みんな察してくれてる」

「本当に?先生が勝手にそう思ってるだけじゃないんですか?」

 理子にそう言われて、蒔田は返す言葉が見つからないように口を噤んだ。

「先生は平気かも知れませんが、私は平気じゃありません。この後、みなさんと平気な顔して会えないです。少しはそんな私の気持ちも考えてくれませんか」

「.....わかった。悪かった。服を着てくれ」

 そう言って、蒔田は体を起こした。そんな蒔田の様子を見て、理子は少し不安になった。それでも理子は黙って服を着た。
 蒔田はそっぽを向いている。

 着替え終わって理子が隣に座っても、身動きもしない。
 理子は溜息をついた。どうしたものか。
 このまま、ずっとこうしていても仕方が無い。

 理子は意を決して、「先生。私もう帰りますね」と言って立ち上がった。
 その手を蒔田が掴んだ。

「どうしてそんなに、冷たいんだ」

 蒔田が下から理子を見上げている。
 その目には微かだが怒りを宿していた。
 理子は戸惑った。
 どうしたら良いのかわからない。

「ごめんなさい.....」

「何故、謝る」

「先生、怒らないで。私、どうしたらいいかわかりません」

「だからと言って、何故、さっさと帰ろうとする?」

「だって.....」

 理子は困惑した。蒔田が何故こんなにも機嫌が悪いのか分からない。
 確かに、すぐに帰ろうとした自分は短絡的だったかもしれない。
 だがそもそも最初に不機嫌になったのは蒔田だ。

 断ったくらいで、どうしてこんなに不機嫌になるのか。こんな蒔田は初めてだ。
 だから余計に戸惑うのだった。

「俺を置いて、早く帰りたいのか?」

「先生の意地悪」

「意地悪はお前だ」

 その言葉に、理子は腹が立った。

「じゃぁ、私はどうしたら良かったんですか?先生の言いなりになって、黙って抱かれていれば良かったんですか?」

 つい、口調が強くなってしまった。
 蒔田は変わらず理子を責めるような目をしている。
 どうしてこんな事になってしまったのか。理子には全く理解できない。
 理子は、蒔田に手を掴まれたままで、その隣に座った。

「先生。私なんだか、先生の事がよくわからなくなってきました。本当に私はどうしたら良かったの?先生の望む通りにしていれば良かったの?先生がどうしてこんなに怒るのか、悪いけど私にはわかりません」

「お前が急に帰るなんて言い出すからだ」

 蒔田は憮然とした態度でそう答えた。

「だってそれは、先生がいつまでも不機嫌そうにして、何も言わずにいるからじゃないですか。私が断った事で不機嫌になったんでしょ?そんな状況で、私は居たたまれません」

「だからって、帰ろうとしなくてもいいじゃないか。俺の機嫌が直るまで、黙ってそばにいてくれてもいいんじゃないのか?大体、幾ら下にみんながいるからって、俺を断れるなんて凄いよな。考えてみればお前は元々淡泊なタイプだったもんな」

 理子は傷ついた。こんな風に言われるとは。

 淡泊.....。
 その言葉が胸に響く。

 やっぱり私って淡泊なんだろうか。
 確かに冷静な部分を失いきれないと自分で自覚してはいる。

「昨日、歴研の新年会があって、みんなでボウリングとカラオケをしたんです」

 蒔田は理子の急な話しに戸惑った。

「それで、ゆきちゃんと、久しぶりに会いました。終業式に会った時より遥かに綺麗になってて、思議に思ったんです。新年会が終わった後に話したい事があるって言われて、二人で場所を
移してお喋りしました。そうしたら、ゆきちゃん、小泉君とクリスマスイブの日に結ばれたんだそうです」

 蒔田は理子を見た。

「とても幸せそうで、綺麗でした。女になったんだな、って感じました。でも私は、ちっとも変わってません。あれから毎日鏡を見るけど、全然変わってない」

「理子」

 蒔田は掴んでいた理子の手を離すと、肩を抱き寄せた。だが理子はそれを押しやった。
 蒔田はそんな理子を驚きの表情で見た。

「相手が先生であるって事は伏せて、私も好きな人と両思いになったって告白しました。だって、このペンダントの事を聞かれたから。ゆきちゃんに、その人と最後までいったのかって聞かれたので、どっちだと思うか逆に聞いたら、いってないと思うって言われました。私、全然変わってないって。どうしてなんでしょう。こんな事を言うのもなんだけど、二人のセックスはあっと言う間に終わったって。初詣の後にも再び行為があったけど、やっぱりあっと言う間だったって。なのに、どうしてゆきちゃんはあんなに変貌してるんだろう。私は先生に、いっぱい、いっぱい愛されたのに、どうして変わらないの?私が淡泊だからですか?先生の事、凄く好きなのに」

 蒔田は理子を引き寄せた。理子はそんな蒔田を見つめる。
 蒔田の顔からは怒りは消えていて、優しい目をしていた。
 いつもの先生だ。
 ドキドキする魅力的な顔だ。

「お前は、染まらない女なんだ。だからだ。でも、お前だって、以前よりも少しは変わったぞ」

 理子には、蒔田の言葉の意味がわからなかった。

「そうだな。お前の変化に敏感なのは、男どもだろうな。昨日の歴研の新年会。みんないつもと違うと思わなかったか?」

「えっ?なんか妙に興奮してた気がしましたけど、ああいう場だったからじゃないんですか」

「俺は心配だな。女子の少ない歴研の部活に、お前を出させたくないな」

「何言ってるんですか。先生、変ですよ」

「そうだな。まぁ、そう思うなら思ってればいいさ」

 そんな風に言われると、益々戸惑う。

「小泉と最上は、この先ちょっと心配かもな」

 蒔田の言葉に理子は驚いた。先生も同じように感じているのだろうか。

「どうしてですか?」

「お前の親友は熱くなり過ぎてる」

 先生だって、同じじゃないのか。

「熱くなるのはいけない事なんですか?」

「限度というものがある。それに、二人はまだ高校生だし、互いに初めてだろう」

 私だって、まだ高校生だし、初めてなのに.....。

「最上は、男の色に染まりやすいタイプだよな。まぁ、女は大抵、付き合う男に染まりやすいものだが、それも過ぎると危険だ」

「危険って、どう危険なんですか?」

「飽きられやすい。捨てられやすい」

「そんな.....」

 理子は母の言葉を思い出した。そうして、蒔田を見る。

「おい、そんな目で俺を見るな。俺は違うぞ。疑うのか」

「ごめんなさい」

 蒔田は大きく息を吐いた。

「小泉は、受験勉強に真剣だ。多分、これからはそっちの比重が重くなるだろう。だが、最上は小泉に夢中になり過ぎてる。その最上を小泉は重たく感じるようになるだろう。彼女を抱いた事で、彼女への興味も半減している。互いに高め合える関係になれなければ、続かないだろうな」

 そう言うと、蒔田は理子を見た。

「まるで、俺達みたいだな」

 呟くようにボソリと言う。

「えっ?」

 理子は蒔田の言葉に驚いた。

「小泉がお前で、俺が最上」

「先生、私、男の子じゃありませんよ」

「俺も女の子じゃない」

 見つめ合う。

「状況が似ているって事さ。喋ってて自分で気づいた」

「私が先生に飽きるって言うんですか?重たく感じるようになるって?」

「もう既に、重たく感じ始めてるんじゃないか?」

 蒔田の目が切げだ。

「先生、お願いだから、そんな事を言わないで」

「いや、俺がお前に夢中になり過ぎて、お前を困らせているのは確かだろう?」

「それは、確かです。でも、重たくなんて感じてません。初めての事だから、自分でもどうしていいのかわからなくて、持て余しているだけです」

「そうか。すまない。悪かった。お前がどうしてそんなに冷静なのか、俺にはわかってるつもりだ。わかっているのに、お前を冷たいと罵る俺がいる」

 蒔田は辛そうに言った。

「先生には、わかるんですか?私って、そんなに冷静ですか?」

「自覚がないのか?」

「冷静であろうと努めてはいますけど.....。それを冷たいと言うなら、そうなのかもしれませんね」

「いや。お前はそれでいいんだ。俺が悪い。俺が自分を制御できないでいるだけなんだ」

「先生.....」

 理子は蒔田の腕に絡みついた。

「先生、私、怖いんです。先生の事、とっても好き。日々気持ちが深まってくの。だから、溺れそうで怖い。流されそうで.....。でも本当は、このまま流されて溺れてしまえたら、とても楽だろうにって思ってるんです」

 蒔田は理子を抱きしめた。

「お前が必死に踏ん張ってるのに、それを俺が無理に押したり引いたりしてるんだな。すまなかったな」

「ねぇ、先生。先生は、受験勉強はメリハリが大事だって言ってたでしょ?それって、恋愛も同じじゃないのかな」

 蒔田は理子を見つめた。

「同じだと思う」

「じゃあ、そうしましょうよ。お互いにそれぞれの暮らしを思い切り頑張って、.....」

「会った時には、思いきり愛し合う。いいのか?思いきり愛しても」

 蒔田の目が熱い。

「限度ってものがあるんじゃなかったでした?」

 理子がにっこり微笑んだ。

「お前には敵わないな」
 
 蒔田の顔が近付いてきて、理子の口を塞いだ。優しかった。
 本当なら、このまま先生に抱かれたい。今日抱かれないで別れたら、今度はいつ二人きりで会えるのだろうか?

 よくて、ヴァレンタインか。
 一か月以上も先だ。
 ヴァレンタインの次は?
 そう考えるとキリが無いようにも思える。

「お前の、全てが見たい」

 唇を離した後に蒔田が言った。
 唇が離れただけで顔は接近したままだ。
 吐息が直接かかる。胸が熱くなってくる。

「いつか、お前を狂わせたい。全てを解放して、貪欲なまでに快楽を求めるお前の姿を、見たい」

 蒔田の熱い吐息と一緒に、熱い心も伝わってきた。

「先生.....」

「なんだ?」

「先生は私を、自分の色に染めたいと思いますか?」

「思わない」

 蒔田は理子を抱きしめると、そのままベッドに倒れこんだ。

「どうして?」

「お前はお前だから、かな。俺はお前が好きだ。お前にはお前らしくいて欲しい。他の色に染まったら、お前ではなくなる」

 理子は蒔田を見つめて言う。

「私は、先生の色に染まってみたい.....」

 蒔田は首を振った。

「理子。お前がそう言ってくれるのは嬉しい。だが俺は、やっぱり染まらない理子が好きだ。ごめんな。色んな事を言って、お前を責めたりして」

「いいの。私はまだ子供だから、戸惑うことばかりだけど、それでも好きな気持ちは変わらないから。結局、私は先生に従ってしまうの。先生には、勝てないみたい」

「そうか。でもそれは、俺も同じだ。俺も理子には勝てないみたいだ」

 再び唇を重ねる。
 ずっと、こうして二人だけの世界にいられたらいいのに.....。

 蒔田の腕の中は暖かかった。
 この人に愛されている。
 それを実感するのだった。
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