第46話
文字数 6,711文字
初釜が終わると、みんなで百人一首を始めた。
理子は百人一首が得意だ。何故か両親ともに百人一首好きで、理子は小さい時から百人一首に馴染んでいる。当然ながら全部暗記していた。
だが、自信満々で始めたのに、蒔田家の人達は皆揃って強敵だった。
遠くの札を取る時、着物の袖が邪魔だった。理子の目が厳しくなる。かなり熱くなっていた。
バラけている札の、上の句の始めを思い出しながら、頭の中で空間認識する。
集中を全札に散らす。
あの歌はあそこ、この歌はあれ、と何度もインプットして臨む。
読み手は雅人だった。
「む.....」
理子の手が飛んだ。“霧立ちのぼる秋のゆふぐれ”だ。
おおぉ~、とどよめく。
みんなすぐにわかったのだが、理子の勢いの凄さに圧倒されたのだ。
みんなのどよめきに、「あ、すみません.....」と、理子は赤くなった。急に恥ずかしくなった。
「そんな、謝る事ないわよ。勝負事なんだから」
紫はニヤリと笑った。その笑顔は蒔田とよく似ている。
蒔田を見ると同じように笑っている。どうも、この姉弟の闘志を掻き立ててしまったようだ。
その後の百人一首は凄まじかった。
互いの闘志が相乗効果でどんどん掻きたてられて、理子も燃えた。
こんなに燃えるのは初めてかもしれない。
理子は基本的には勝負事は好きじゃない。人と争うのが苦手だ。
たかがゲームで一喜一憂し、心がかき乱されるのが嫌だ。
だが、百人一首だけは、何故か闘志が湧く。
自信のあるゲームだからかもしれない。これがトランプだったら負けても全く平気だ。
優勝したのは紫だった。理子は三位で、蒔田にも負けた。
僅差だったのでほぼ互角の戦いと言えたが、とても悔しかった。
「残念だったな、理子」
喜色満面で笑う蒔田にむかついて、プイとそっぽを向いた。
「あらあら、怒らせちゃったわよ。どうするの?」
紫が弟を小突く。
「さぁ。じゃぁ、二階で二人の時間を楽しんでらっしゃい」
かるたを片づけながら博子が言った。
「えっと、じゃぁ、理子が着て来た服をくれないか?」
蒔田が言った。
「あら、どうして?」
「このままじゃ、窮屈だろ?着替えた方がいいと思って」
「それなら、こっちで着替えていけばいいわよ」
「駄目。俺が着替えさせたいの」
蒔田の言葉に、みんながギョっとしたように目を剥いた。
驚くみんなに、「あれ?俺なんか変な事言った?」と顔色一つ変えずに言う。
「マー、あなた何言ってるの?理子ちゃんは着せ替え人形じゃないのよ」
「当たり前だろ。俺も、人形遊びするような女の子じゃない」
みんなで顔を見合わす。理子は赤面していた。
さすがの肉親達も、この蒔田の言動を奇異に思ったようだ。
どうしてこんなに、あけすけなんだろう。
勿論、家族だからなんだろうが。
「あの、先生って、いつもこんな風なんですか?」
理子が家族に聞いた。
「ここまでではないけどね.....」
紫が呆れ顔で答えた。
「二人とも、何言ってんだよ」
蒔田は憮然としている。
「わかりました。私、先生に着替えを手伝ってもらいます」
「えっ、ちょっと、いいの?」
紫も博子も慌てた。
「はい。先生がそうしたいって言ってるから.....」
そう言って、真っ赤になった。
そうして二人は、二階の蒔田の部屋へと向かった。
「理子姫」
部屋へ入るなり、そう呼ばれた。
「まさに、お姫様みたいだ」
「先生。みんなの前で恥ずかしいじゃないですか」
理子は詰問するような口調で言った。
「そうか?俺は平気だが」
「先生は平気でも、私は恥ずかしいです」
「それなら、ごめん。お前があまりに可愛いから、つい、な」
そう言って、微笑む。その笑顔がとてもチャーミングだ。
そんな顔で言われると、何もかも許したくなってくる。
蒔田は理子の前に立つと、理子の顎を上げて唇を重ねた。
唇から、どんどん熱が全身に広がってゆく感じがする。
蒔田の手が帯留をほどきだした。
「着物って、色っぽいよな。だから、脱がしたくなるんだ.....」
蒔田が切なげに理子の耳元に囁いた。
「先生のエッチ.....」
「男はみんな、エッチだ」
そう言っている間に、帯がほどけてきた。
「時代劇で、帯をくるくるってやるだろ。女の子がア~レ~と叫びながら」
「まさか、やりたいとか言うんじゃ?」
「うん」
「やめてください。そんなお下劣なこと」
「お下劣か?」
「お下劣です」
理子は、ギロリと睨む。
「しょうがない。今日は我慢するかぁ」
今日は我慢する?じゃあ、いつかはやってやると思っているのか。
「先生がこんなに子供っぽいとは思ってませんでした」
「子供っぽいか?」
蒔田は意外そうに言う。
「子供っぽいです」
「子供が、こんな事をするか?」
蒔田が襦袢の裾へ手を入れて、理子の太ももを触った。
「きゃっ!」
理子は思わず身を引く。
蒔田は妖しい瞳で理子を見ていた。
「先生。あとは自分でやりますから」
「最後までやらせてくれないのか?」
「恥ずかしいから」
「俺とお前の間でか?」
「あなたと私の間だからです」
理子の毅然さに、蒔田は折れた。
「仕方ない。ただし、服は着るなよ。どうせ脱がされるんだから」
理子はフッと小さな吐息を漏らした。
この人には勝てないな、と思う。
理子は後を向いていて貰って、手早く脱ぎ、綺麗に畳んだ。
それから、下着姿のまま静かに蒔田のそばへ歩み寄ると、後ろからそっと抱きついた。
「理子.....」
蒔田は理子の方に体の向きを変えて抱きしめ、ベッドに押し倒した。
「先生、今日は駄目」
「どうして。こんな悩ましい姿で、そんなつれない事を言うのか」
「先生が服を着るなって言うから、着ないだけです。それ以上は困ります」
「お前は、俺に抱かれたくないのか?」
悩ましげに言う。
「そういう問題じゃないです。みなさん、下にいらっしゃるのに.....」
「大丈夫さ。みんな察してくれてる」
「本当に?先生が勝手にそう思ってるだけじゃないんですか?」
理子にそう言われて、蒔田は返す言葉が見つからないように口を噤んだ。
「先生は平気かも知れませんが、私は平気じゃありません。この後、みなさんと平気な顔して会えないです。少しはそんな私の気持ちも考えてくれませんか」
「.....わかった。悪かった。服を着てくれ」
そう言って、蒔田は体を起こした。そんな蒔田の様子を見て、理子は少し不安になった。それでも理子は黙って服を着た。
蒔田はそっぽを向いている。
着替え終わって理子が隣に座っても、身動きもしない。
理子は溜息をついた。どうしたものか。
このまま、ずっとこうしていても仕方が無い。
理子は意を決して、「先生。私もう帰りますね」と言って立ち上がった。
その手を蒔田が掴んだ。
「どうしてそんなに、冷たいんだ」
蒔田が下から理子を見上げている。
その目には微かだが怒りを宿していた。
理子は戸惑った。
どうしたら良いのかわからない。
「ごめんなさい.....」
「何故、謝る」
「先生、怒らないで。私、どうしたらいいかわかりません」
「だからと言って、何故、さっさと帰ろうとする?」
「だって.....」
理子は困惑した。蒔田が何故こんなにも機嫌が悪いのか分からない。
確かに、すぐに帰ろうとした自分は短絡的だったかもしれない。
だがそもそも最初に不機嫌になったのは蒔田だ。
断ったくらいで、どうしてこんなに不機嫌になるのか。こんな蒔田は初めてだ。
だから余計に戸惑うのだった。
「俺を置いて、早く帰りたいのか?」
「先生の意地悪」
「意地悪はお前だ」
その言葉に、理子は腹が立った。
「じゃぁ、私はどうしたら良かったんですか?先生の言いなりになって、黙って抱かれていれば良かったんですか?」
つい、口調が強くなってしまった。
蒔田は変わらず理子を責めるような目をしている。
どうしてこんな事になってしまったのか。理子には全く理解できない。
理子は、蒔田に手を掴まれたままで、その隣に座った。
「先生。私なんだか、先生の事がよくわからなくなってきました。本当に私はどうしたら良かったの?先生の望む通りにしていれば良かったの?先生がどうしてこんなに怒るのか、悪いけど私にはわかりません」
「お前が急に帰るなんて言い出すからだ」
蒔田は憮然とした態度でそう答えた。
「だってそれは、先生がいつまでも不機嫌そうにして、何も言わずにいるからじゃないですか。私が断った事で不機嫌になったんでしょ?そんな状況で、私は居たたまれません」
「だからって、帰ろうとしなくてもいいじゃないか。俺の機嫌が直るまで、黙ってそばにいてくれてもいいんじゃないのか?大体、幾ら下にみんながいるからって、俺を断れるなんて凄いよな。考えてみればお前は元々淡泊なタイプだったもんな」
理子は傷ついた。こんな風に言われるとは。
淡泊.....。
その言葉が胸に響く。
やっぱり私って淡泊なんだろうか。
確かに冷静な部分を失いきれないと自分で自覚してはいる。
「昨日、歴研の新年会があって、みんなでボウリングとカラオケをしたんです」
蒔田は理子の急な話しに戸惑った。
「それで、ゆきちゃんと、久しぶりに会いました。終業式に会った時より遥かに綺麗になってて、思議に思ったんです。新年会が終わった後に話したい事があるって言われて、二人で場所を
移してお喋りしました。そうしたら、ゆきちゃん、小泉君とクリスマスイブの日に結ばれたんだそうです」
蒔田は理子を見た。
「とても幸せそうで、綺麗でした。女になったんだな、って感じました。でも私は、ちっとも変わってません。あれから毎日鏡を見るけど、全然変わってない」
「理子」
蒔田は掴んでいた理子の手を離すと、肩を抱き寄せた。だが理子はそれを押しやった。
蒔田はそんな理子を驚きの表情で見た。
「相手が先生であるって事は伏せて、私も好きな人と両思いになったって告白しました。だって、このペンダントの事を聞かれたから。ゆきちゃんに、その人と最後までいったのかって聞かれたので、どっちだと思うか逆に聞いたら、いってないと思うって言われました。私、全然変わってないって。どうしてなんでしょう。こんな事を言うのもなんだけど、二人のセックスはあっと言う間に終わったって。初詣の後にも再び行為があったけど、やっぱりあっと言う間だったって。なのに、どうしてゆきちゃんはあんなに変貌してるんだろう。私は先生に、いっぱい、いっぱい愛されたのに、どうして変わらないの?私が淡泊だからですか?先生の事、凄く好きなのに」
蒔田は理子を引き寄せた。理子はそんな蒔田を見つめる。
蒔田の顔からは怒りは消えていて、優しい目をしていた。
いつもの先生だ。
ドキドキする魅力的な顔だ。
「お前は、染まらない女なんだ。だからだ。でも、お前だって、以前よりも少しは変わったぞ」
理子には、蒔田の言葉の意味がわからなかった。
「そうだな。お前の変化に敏感なのは、男どもだろうな。昨日の歴研の新年会。みんないつもと違うと思わなかったか?」
「えっ?なんか妙に興奮してた気がしましたけど、ああいう場だったからじゃないんですか」
「俺は心配だな。女子の少ない歴研の部活に、お前を出させたくないな」
「何言ってるんですか。先生、変ですよ」
「そうだな。まぁ、そう思うなら思ってればいいさ」
そんな風に言われると、益々戸惑う。
「小泉と最上は、この先ちょっと心配かもな」
蒔田の言葉に理子は驚いた。先生も同じように感じているのだろうか。
「どうしてですか?」
「お前の親友は熱くなり過ぎてる」
先生だって、同じじゃないのか。
「熱くなるのはいけない事なんですか?」
「限度というものがある。それに、二人はまだ高校生だし、互いに初めてだろう」
私だって、まだ高校生だし、初めてなのに.....。
「最上は、男の色に染まりやすいタイプだよな。まぁ、女は大抵、付き合う男に染まりやすいものだが、それも過ぎると危険だ」
「危険って、どう危険なんですか?」
「飽きられやすい。捨てられやすい」
「そんな.....」
理子は母の言葉を思い出した。そうして、蒔田を見る。
「おい、そんな目で俺を見るな。俺は違うぞ。疑うのか」
「ごめんなさい」
蒔田は大きく息を吐いた。
「小泉は、受験勉強に真剣だ。多分、これからはそっちの比重が重くなるだろう。だが、最上は小泉に夢中になり過ぎてる。その最上を小泉は重たく感じるようになるだろう。彼女を抱いた事で、彼女への興味も半減している。互いに高め合える関係になれなければ、続かないだろうな」
そう言うと、蒔田は理子を見た。
「まるで、俺達みたいだな」
呟くようにボソリと言う。
「えっ?」
理子は蒔田の言葉に驚いた。
「小泉がお前で、俺が最上」
「先生、私、男の子じゃありませんよ」
「俺も女の子じゃない」
見つめ合う。
「状況が似ているって事さ。喋ってて自分で気づいた」
「私が先生に飽きるって言うんですか?重たく感じるようになるって?」
「もう既に、重たく感じ始めてるんじゃないか?」
蒔田の目が切げだ。
「先生、お願いだから、そんな事を言わないで」
「いや、俺がお前に夢中になり過ぎて、お前を困らせているのは確かだろう?」
「それは、確かです。でも、重たくなんて感じてません。初めての事だから、自分でもどうしていいのかわからなくて、持て余しているだけです」
「そうか。すまない。悪かった。お前がどうしてそんなに冷静なのか、俺にはわかってるつもりだ。わかっているのに、お前を冷たいと罵る俺がいる」
蒔田は辛そうに言った。
「先生には、わかるんですか?私って、そんなに冷静ですか?」
「自覚がないのか?」
「冷静であろうと努めてはいますけど.....。それを冷たいと言うなら、そうなのかもしれませんね」
「いや。お前はそれでいいんだ。俺が悪い。俺が自分を制御できないでいるだけなんだ」
「先生.....」
理子は蒔田の腕に絡みついた。
「先生、私、怖いんです。先生の事、とっても好き。日々気持ちが深まってくの。だから、溺れそうで怖い。流されそうで.....。でも本当は、このまま流されて溺れてしまえたら、とても楽だろうにって思ってるんです」
蒔田は理子を抱きしめた。
「お前が必死に踏ん張ってるのに、それを俺が無理に押したり引いたりしてるんだな。すまなかったな」
「ねぇ、先生。先生は、受験勉強はメリハリが大事だって言ってたでしょ?それって、恋愛も同じじゃないのかな」
蒔田は理子を見つめた。
「同じだと思う」
「じゃあ、そうしましょうよ。お互いにそれぞれの暮らしを思い切り頑張って、.....」
「会った時には、思いきり愛し合う。いいのか?思いきり愛しても」
蒔田の目が熱い。
「限度ってものがあるんじゃなかったでした?」
理子がにっこり微笑んだ。
「お前には敵わないな」
蒔田の顔が近付いてきて、理子の口を塞いだ。優しかった。
本当なら、このまま先生に抱かれたい。今日抱かれないで別れたら、今度はいつ二人きりで会えるのだろうか?
よくて、ヴァレンタインか。
一か月以上も先だ。
ヴァレンタインの次は?
そう考えるとキリが無いようにも思える。
「お前の、全てが見たい」
唇を離した後に蒔田が言った。
唇が離れただけで顔は接近したままだ。
吐息が直接かかる。胸が熱くなってくる。
「いつか、お前を狂わせたい。全てを解放して、貪欲なまでに快楽を求めるお前の姿を、見たい」
蒔田の熱い吐息と一緒に、熱い心も伝わってきた。
「先生.....」
「なんだ?」
「先生は私を、自分の色に染めたいと思いますか?」
「思わない」
蒔田は理子を抱きしめると、そのままベッドに倒れこんだ。
「どうして?」
「お前はお前だから、かな。俺はお前が好きだ。お前にはお前らしくいて欲しい。他の色に染まったら、お前ではなくなる」
理子は蒔田を見つめて言う。
「私は、先生の色に染まってみたい.....」
蒔田は首を振った。
「理子。お前がそう言ってくれるのは嬉しい。だが俺は、やっぱり染まらない理子が好きだ。ごめんな。色んな事を言って、お前を責めたりして」
「いいの。私はまだ子供だから、戸惑うことばかりだけど、それでも好きな気持ちは変わらないから。結局、私は先生に従ってしまうの。先生には、勝てないみたい」
「そうか。でもそれは、俺も同じだ。俺も理子には勝てないみたいだ」
再び唇を重ねる。
ずっと、こうして二人だけの世界にいられたらいいのに.....。
蒔田の腕の中は暖かかった。
この人に愛されている。
それを実感するのだった。
理子は百人一首が得意だ。何故か両親ともに百人一首好きで、理子は小さい時から百人一首に馴染んでいる。当然ながら全部暗記していた。
だが、自信満々で始めたのに、蒔田家の人達は皆揃って強敵だった。
遠くの札を取る時、着物の袖が邪魔だった。理子の目が厳しくなる。かなり熱くなっていた。
バラけている札の、上の句の始めを思い出しながら、頭の中で空間認識する。
集中を全札に散らす。
あの歌はあそこ、この歌はあれ、と何度もインプットして臨む。
読み手は雅人だった。
「む.....」
理子の手が飛んだ。“霧立ちのぼる秋のゆふぐれ”だ。
おおぉ~、とどよめく。
みんなすぐにわかったのだが、理子の勢いの凄さに圧倒されたのだ。
みんなのどよめきに、「あ、すみません.....」と、理子は赤くなった。急に恥ずかしくなった。
「そんな、謝る事ないわよ。勝負事なんだから」
紫はニヤリと笑った。その笑顔は蒔田とよく似ている。
蒔田を見ると同じように笑っている。どうも、この姉弟の闘志を掻き立ててしまったようだ。
その後の百人一首は凄まじかった。
互いの闘志が相乗効果でどんどん掻きたてられて、理子も燃えた。
こんなに燃えるのは初めてかもしれない。
理子は基本的には勝負事は好きじゃない。人と争うのが苦手だ。
たかがゲームで一喜一憂し、心がかき乱されるのが嫌だ。
だが、百人一首だけは、何故か闘志が湧く。
自信のあるゲームだからかもしれない。これがトランプだったら負けても全く平気だ。
優勝したのは紫だった。理子は三位で、蒔田にも負けた。
僅差だったのでほぼ互角の戦いと言えたが、とても悔しかった。
「残念だったな、理子」
喜色満面で笑う蒔田にむかついて、プイとそっぽを向いた。
「あらあら、怒らせちゃったわよ。どうするの?」
紫が弟を小突く。
「さぁ。じゃぁ、二階で二人の時間を楽しんでらっしゃい」
かるたを片づけながら博子が言った。
「えっと、じゃぁ、理子が着て来た服をくれないか?」
蒔田が言った。
「あら、どうして?」
「このままじゃ、窮屈だろ?着替えた方がいいと思って」
「それなら、こっちで着替えていけばいいわよ」
「駄目。俺が着替えさせたいの」
蒔田の言葉に、みんながギョっとしたように目を剥いた。
驚くみんなに、「あれ?俺なんか変な事言った?」と顔色一つ変えずに言う。
「マー、あなた何言ってるの?理子ちゃんは着せ替え人形じゃないのよ」
「当たり前だろ。俺も、人形遊びするような女の子じゃない」
みんなで顔を見合わす。理子は赤面していた。
さすがの肉親達も、この蒔田の言動を奇異に思ったようだ。
どうしてこんなに、あけすけなんだろう。
勿論、家族だからなんだろうが。
「あの、先生って、いつもこんな風なんですか?」
理子が家族に聞いた。
「ここまでではないけどね.....」
紫が呆れ顔で答えた。
「二人とも、何言ってんだよ」
蒔田は憮然としている。
「わかりました。私、先生に着替えを手伝ってもらいます」
「えっ、ちょっと、いいの?」
紫も博子も慌てた。
「はい。先生がそうしたいって言ってるから.....」
そう言って、真っ赤になった。
そうして二人は、二階の蒔田の部屋へと向かった。
「理子姫」
部屋へ入るなり、そう呼ばれた。
「まさに、お姫様みたいだ」
「先生。みんなの前で恥ずかしいじゃないですか」
理子は詰問するような口調で言った。
「そうか?俺は平気だが」
「先生は平気でも、私は恥ずかしいです」
「それなら、ごめん。お前があまりに可愛いから、つい、な」
そう言って、微笑む。その笑顔がとてもチャーミングだ。
そんな顔で言われると、何もかも許したくなってくる。
蒔田は理子の前に立つと、理子の顎を上げて唇を重ねた。
唇から、どんどん熱が全身に広がってゆく感じがする。
蒔田の手が帯留をほどきだした。
「着物って、色っぽいよな。だから、脱がしたくなるんだ.....」
蒔田が切なげに理子の耳元に囁いた。
「先生のエッチ.....」
「男はみんな、エッチだ」
そう言っている間に、帯がほどけてきた。
「時代劇で、帯をくるくるってやるだろ。女の子がア~レ~と叫びながら」
「まさか、やりたいとか言うんじゃ?」
「うん」
「やめてください。そんなお下劣なこと」
「お下劣か?」
「お下劣です」
理子は、ギロリと睨む。
「しょうがない。今日は我慢するかぁ」
今日は我慢する?じゃあ、いつかはやってやると思っているのか。
「先生がこんなに子供っぽいとは思ってませんでした」
「子供っぽいか?」
蒔田は意外そうに言う。
「子供っぽいです」
「子供が、こんな事をするか?」
蒔田が襦袢の裾へ手を入れて、理子の太ももを触った。
「きゃっ!」
理子は思わず身を引く。
蒔田は妖しい瞳で理子を見ていた。
「先生。あとは自分でやりますから」
「最後までやらせてくれないのか?」
「恥ずかしいから」
「俺とお前の間でか?」
「あなたと私の間だからです」
理子の毅然さに、蒔田は折れた。
「仕方ない。ただし、服は着るなよ。どうせ脱がされるんだから」
理子はフッと小さな吐息を漏らした。
この人には勝てないな、と思う。
理子は後を向いていて貰って、手早く脱ぎ、綺麗に畳んだ。
それから、下着姿のまま静かに蒔田のそばへ歩み寄ると、後ろからそっと抱きついた。
「理子.....」
蒔田は理子の方に体の向きを変えて抱きしめ、ベッドに押し倒した。
「先生、今日は駄目」
「どうして。こんな悩ましい姿で、そんなつれない事を言うのか」
「先生が服を着るなって言うから、着ないだけです。それ以上は困ります」
「お前は、俺に抱かれたくないのか?」
悩ましげに言う。
「そういう問題じゃないです。みなさん、下にいらっしゃるのに.....」
「大丈夫さ。みんな察してくれてる」
「本当に?先生が勝手にそう思ってるだけじゃないんですか?」
理子にそう言われて、蒔田は返す言葉が見つからないように口を噤んだ。
「先生は平気かも知れませんが、私は平気じゃありません。この後、みなさんと平気な顔して会えないです。少しはそんな私の気持ちも考えてくれませんか」
「.....わかった。悪かった。服を着てくれ」
そう言って、蒔田は体を起こした。そんな蒔田の様子を見て、理子は少し不安になった。それでも理子は黙って服を着た。
蒔田はそっぽを向いている。
着替え終わって理子が隣に座っても、身動きもしない。
理子は溜息をついた。どうしたものか。
このまま、ずっとこうしていても仕方が無い。
理子は意を決して、「先生。私もう帰りますね」と言って立ち上がった。
その手を蒔田が掴んだ。
「どうしてそんなに、冷たいんだ」
蒔田が下から理子を見上げている。
その目には微かだが怒りを宿していた。
理子は戸惑った。
どうしたら良いのかわからない。
「ごめんなさい.....」
「何故、謝る」
「先生、怒らないで。私、どうしたらいいかわかりません」
「だからと言って、何故、さっさと帰ろうとする?」
「だって.....」
理子は困惑した。蒔田が何故こんなにも機嫌が悪いのか分からない。
確かに、すぐに帰ろうとした自分は短絡的だったかもしれない。
だがそもそも最初に不機嫌になったのは蒔田だ。
断ったくらいで、どうしてこんなに不機嫌になるのか。こんな蒔田は初めてだ。
だから余計に戸惑うのだった。
「俺を置いて、早く帰りたいのか?」
「先生の意地悪」
「意地悪はお前だ」
その言葉に、理子は腹が立った。
「じゃぁ、私はどうしたら良かったんですか?先生の言いなりになって、黙って抱かれていれば良かったんですか?」
つい、口調が強くなってしまった。
蒔田は変わらず理子を責めるような目をしている。
どうしてこんな事になってしまったのか。理子には全く理解できない。
理子は、蒔田に手を掴まれたままで、その隣に座った。
「先生。私なんだか、先生の事がよくわからなくなってきました。本当に私はどうしたら良かったの?先生の望む通りにしていれば良かったの?先生がどうしてこんなに怒るのか、悪いけど私にはわかりません」
「お前が急に帰るなんて言い出すからだ」
蒔田は憮然とした態度でそう答えた。
「だってそれは、先生がいつまでも不機嫌そうにして、何も言わずにいるからじゃないですか。私が断った事で不機嫌になったんでしょ?そんな状況で、私は居たたまれません」
「だからって、帰ろうとしなくてもいいじゃないか。俺の機嫌が直るまで、黙ってそばにいてくれてもいいんじゃないのか?大体、幾ら下にみんながいるからって、俺を断れるなんて凄いよな。考えてみればお前は元々淡泊なタイプだったもんな」
理子は傷ついた。こんな風に言われるとは。
淡泊.....。
その言葉が胸に響く。
やっぱり私って淡泊なんだろうか。
確かに冷静な部分を失いきれないと自分で自覚してはいる。
「昨日、歴研の新年会があって、みんなでボウリングとカラオケをしたんです」
蒔田は理子の急な話しに戸惑った。
「それで、ゆきちゃんと、久しぶりに会いました。終業式に会った時より遥かに綺麗になってて、思議に思ったんです。新年会が終わった後に話したい事があるって言われて、二人で場所を
移してお喋りしました。そうしたら、ゆきちゃん、小泉君とクリスマスイブの日に結ばれたんだそうです」
蒔田は理子を見た。
「とても幸せそうで、綺麗でした。女になったんだな、って感じました。でも私は、ちっとも変わってません。あれから毎日鏡を見るけど、全然変わってない」
「理子」
蒔田は掴んでいた理子の手を離すと、肩を抱き寄せた。だが理子はそれを押しやった。
蒔田はそんな理子を驚きの表情で見た。
「相手が先生であるって事は伏せて、私も好きな人と両思いになったって告白しました。だって、このペンダントの事を聞かれたから。ゆきちゃんに、その人と最後までいったのかって聞かれたので、どっちだと思うか逆に聞いたら、いってないと思うって言われました。私、全然変わってないって。どうしてなんでしょう。こんな事を言うのもなんだけど、二人のセックスはあっと言う間に終わったって。初詣の後にも再び行為があったけど、やっぱりあっと言う間だったって。なのに、どうしてゆきちゃんはあんなに変貌してるんだろう。私は先生に、いっぱい、いっぱい愛されたのに、どうして変わらないの?私が淡泊だからですか?先生の事、凄く好きなのに」
蒔田は理子を引き寄せた。理子はそんな蒔田を見つめる。
蒔田の顔からは怒りは消えていて、優しい目をしていた。
いつもの先生だ。
ドキドキする魅力的な顔だ。
「お前は、染まらない女なんだ。だからだ。でも、お前だって、以前よりも少しは変わったぞ」
理子には、蒔田の言葉の意味がわからなかった。
「そうだな。お前の変化に敏感なのは、男どもだろうな。昨日の歴研の新年会。みんないつもと違うと思わなかったか?」
「えっ?なんか妙に興奮してた気がしましたけど、ああいう場だったからじゃないんですか」
「俺は心配だな。女子の少ない歴研の部活に、お前を出させたくないな」
「何言ってるんですか。先生、変ですよ」
「そうだな。まぁ、そう思うなら思ってればいいさ」
そんな風に言われると、益々戸惑う。
「小泉と最上は、この先ちょっと心配かもな」
蒔田の言葉に理子は驚いた。先生も同じように感じているのだろうか。
「どうしてですか?」
「お前の親友は熱くなり過ぎてる」
先生だって、同じじゃないのか。
「熱くなるのはいけない事なんですか?」
「限度というものがある。それに、二人はまだ高校生だし、互いに初めてだろう」
私だって、まだ高校生だし、初めてなのに.....。
「最上は、男の色に染まりやすいタイプだよな。まぁ、女は大抵、付き合う男に染まりやすいものだが、それも過ぎると危険だ」
「危険って、どう危険なんですか?」
「飽きられやすい。捨てられやすい」
「そんな.....」
理子は母の言葉を思い出した。そうして、蒔田を見る。
「おい、そんな目で俺を見るな。俺は違うぞ。疑うのか」
「ごめんなさい」
蒔田は大きく息を吐いた。
「小泉は、受験勉強に真剣だ。多分、これからはそっちの比重が重くなるだろう。だが、最上は小泉に夢中になり過ぎてる。その最上を小泉は重たく感じるようになるだろう。彼女を抱いた事で、彼女への興味も半減している。互いに高め合える関係になれなければ、続かないだろうな」
そう言うと、蒔田は理子を見た。
「まるで、俺達みたいだな」
呟くようにボソリと言う。
「えっ?」
理子は蒔田の言葉に驚いた。
「小泉がお前で、俺が最上」
「先生、私、男の子じゃありませんよ」
「俺も女の子じゃない」
見つめ合う。
「状況が似ているって事さ。喋ってて自分で気づいた」
「私が先生に飽きるって言うんですか?重たく感じるようになるって?」
「もう既に、重たく感じ始めてるんじゃないか?」
蒔田の目が切げだ。
「先生、お願いだから、そんな事を言わないで」
「いや、俺がお前に夢中になり過ぎて、お前を困らせているのは確かだろう?」
「それは、確かです。でも、重たくなんて感じてません。初めての事だから、自分でもどうしていいのかわからなくて、持て余しているだけです」
「そうか。すまない。悪かった。お前がどうしてそんなに冷静なのか、俺にはわかってるつもりだ。わかっているのに、お前を冷たいと罵る俺がいる」
蒔田は辛そうに言った。
「先生には、わかるんですか?私って、そんなに冷静ですか?」
「自覚がないのか?」
「冷静であろうと努めてはいますけど.....。それを冷たいと言うなら、そうなのかもしれませんね」
「いや。お前はそれでいいんだ。俺が悪い。俺が自分を制御できないでいるだけなんだ」
「先生.....」
理子は蒔田の腕に絡みついた。
「先生、私、怖いんです。先生の事、とっても好き。日々気持ちが深まってくの。だから、溺れそうで怖い。流されそうで.....。でも本当は、このまま流されて溺れてしまえたら、とても楽だろうにって思ってるんです」
蒔田は理子を抱きしめた。
「お前が必死に踏ん張ってるのに、それを俺が無理に押したり引いたりしてるんだな。すまなかったな」
「ねぇ、先生。先生は、受験勉強はメリハリが大事だって言ってたでしょ?それって、恋愛も同じじゃないのかな」
蒔田は理子を見つめた。
「同じだと思う」
「じゃあ、そうしましょうよ。お互いにそれぞれの暮らしを思い切り頑張って、.....」
「会った時には、思いきり愛し合う。いいのか?思いきり愛しても」
蒔田の目が熱い。
「限度ってものがあるんじゃなかったでした?」
理子がにっこり微笑んだ。
「お前には敵わないな」
蒔田の顔が近付いてきて、理子の口を塞いだ。優しかった。
本当なら、このまま先生に抱かれたい。今日抱かれないで別れたら、今度はいつ二人きりで会えるのだろうか?
よくて、ヴァレンタインか。
一か月以上も先だ。
ヴァレンタインの次は?
そう考えるとキリが無いようにも思える。
「お前の、全てが見たい」
唇を離した後に蒔田が言った。
唇が離れただけで顔は接近したままだ。
吐息が直接かかる。胸が熱くなってくる。
「いつか、お前を狂わせたい。全てを解放して、貪欲なまでに快楽を求めるお前の姿を、見たい」
蒔田の熱い吐息と一緒に、熱い心も伝わってきた。
「先生.....」
「なんだ?」
「先生は私を、自分の色に染めたいと思いますか?」
「思わない」
蒔田は理子を抱きしめると、そのままベッドに倒れこんだ。
「どうして?」
「お前はお前だから、かな。俺はお前が好きだ。お前にはお前らしくいて欲しい。他の色に染まったら、お前ではなくなる」
理子は蒔田を見つめて言う。
「私は、先生の色に染まってみたい.....」
蒔田は首を振った。
「理子。お前がそう言ってくれるのは嬉しい。だが俺は、やっぱり染まらない理子が好きだ。ごめんな。色んな事を言って、お前を責めたりして」
「いいの。私はまだ子供だから、戸惑うことばかりだけど、それでも好きな気持ちは変わらないから。結局、私は先生に従ってしまうの。先生には、勝てないみたい」
「そうか。でもそれは、俺も同じだ。俺も理子には勝てないみたいだ」
再び唇を重ねる。
ずっと、こうして二人だけの世界にいられたらいいのに.....。
蒔田の腕の中は暖かかった。
この人に愛されている。
それを実感するのだった。