第32話

文字数 3,078文字

 今日の蒔田は白地に細い茶の横縞が入った衿繰りの広いTシャツの上にクリーム色でVネックのトレーナー地のカーディガンを着ていて、下は白のジーンズだった。

 よく似合っている。
 清潔感があり、また眼鏡のせいか、ジーンズを履いていながらインテリ風な感じがする。
 また、そのジーンズが、どこかに男臭さを感じさせるのだった。
 何を着てもよく似合う。

「お前は結構、臆病だよな。活発でしっかり者の一方で、まるで幼子のような弱さも感じる。大胆な発言をする割には、石橋を叩いて渡るような慎重さがあるし。臆病で慎重な部分が、お前を縛って解放させないのかな。でもその原因がどこにあるのかは、俺にはまだわからない」

「先生、よく私の事がわかるんですね」

「当然だろう。ずっとお前を見て来たからな」

 その言葉に再び赤くなる。
 本当に、先生は私の色んな部分を理解してくれているように思える。

「お前の事はある程度はわかっているつもりだ。だが、未知の部分の方が多い。これから色々と知る事ができるのが楽しみだ」

 そう言って、笑った。

「知ったら、がっかりするかも.....」

「お前だって、俺を知ったら失望するかもしれないぞ」

「そんなこと.....」

「俺はそれでもお前を知りたいし、俺の事も知ってもらいたい」

 優しい笑みをむけられた。学校の誰も見た事の無い笑顔だ。

「さて」

 蒔田は立ち上がると机へ向かい、引き出しから一冊のファイルを取りだし、机の前の椅子に座って理子の方を向いた。

「これについて、色々語り合いたかったんだよな。『バビロンの夕陽』のレポート」

 理子はいきなり赤くなった。

「おっ、また赤くなった。お前の感想レポート、なかなか面白かったぞ。自分を見せるのが苦手なわりには、感じた事をストレートに、言葉を尽くして語ってる。不思議な奴だな」

「本は、題材が決まってるからです。それについてだけ語ればいいわけで、自分自身の表出じゃないでしょう?音楽は違います。自分の全てが見られるような、裸の自分を見られるような、そんな気がして恥ずかしいんです」

「裸の自分か」

「そうです。だから、恥ずかしいから、隠そうとしてしまう。そうしたら音楽はただの無機質な音になってしまいます。それはそれで、恥ずかしいじゃないですか。だから、苦手なんです」

「そうか。理子は感受性が強いんだな」

 蒔田は自分が思っていたよりも理子が繊細だと感じているようだ。
 この繊細さがもたらすものは何だろう。この先彼女はどう変化して行くのだろうか。
 そんな事を、ふと思ったのだった。

「理子、お前カラオケはやらないのか?」

「やりますよ」

「一人でか?」

「えっ?いいえ」

「誰と行く?」

「妹とか、友達とか.....」

「それって、人前で歌ってることにならないのか?」

「そうですね。言われてみれば。最初は凄く緊張しました。でもそのうちに馴れました」

「じゃぁ、俺がギターを弾くから、お前カラオケだと思って歌え」

「ええーっ?」

 いきなり、そうくるとは思わなかった。

「あの、『バビロンの夕陽』の話しをするんじゃなかったでしたっけ?」

「それは後で」

 そう言って、ギターをケースから取り出して、既にチューニングを始めている。

 どうしよう?
 これじゃぁ、自分が弾かないだけで、弾き語りとあまり変わらないじゃない。
 それに、歌えって、一体何を?

「何を歌う?」

「何を歌うって.....」

 うろたえる。

「カラオケでは、いつも誰の歌を歌ってるんだ?」

「え、えーと、最近だと、あいみょん、とかaiko、とか.....」

「ふーん、弾き語りじゃ男ばっかなのに、カラオケだと女ばっかりなんだな。まぁいっか。じゃぁ、『マリーゴールド』にするか」

 もう殆ど決定といった感じで、拒否権が無いみたいだ。
 仕方が無い。歌うしかないか。
 だが、蒔田の前だからこそ、余計に恥ずかしいのにと思う。

 蒔田がカウントを取り、前奏の後に入った。なるべく蒔田を見ないようする。見たら緊張しすぎて声が出なくなりそうだ。
 既に鼓動が激しくて息が苦しい。

 一番が終わったところで、手を掲げて終わりのサインをする。
 さすがにフルコーラスは無理。緊張のせいか、声の伸びが悪いと自分で感じた。

「えー?終わるのかぁ?」

 不満そうだが、目は輝いているように見えた。

「すっごく緊張して、よく歌えませんでした。もう無理です」

 恥ずかしくて蒔田の顔をまともに見れない。

「いや、良かったぞ。やっぱり、上手いな」

「そんな事ないです」

「謙遜、謙遜」

 からかわれているような気がしてならない。

「まぁ、こういう歌、合ってるよな。お前って癒し系って感じがするし」

 そんな事を言われた事はないが、敢えてカテゴライズするなら、そうなんだろう。
 自分は地味なタイプだと自覚している。
 こんな私に先生のような人が興味を持ったのも、歴史好きだったからで、それ以外の理由なんてあり得ないだろう。

「お前は目立つ美人タイプじゃないが、顔立ちは整ってるし、お前なりの魅力があるし、可愛いと思うぞ。それに、男にとっては癒し系の方が人気があるんだ。歴研の連中がお前を『理子姫』と呼ぶのも、それなりの理由があるからだろ。俺にとっては、嬉しくないけどな」

 そんな風に言われると嬉しいけど恥ずかしい。

「なぁ。ところで、あの歌をもう一度聴かせてくれないか」

「あの歌?」

「文化祭の時に歌った、二曲目の方。『ます』じゃ無い方」

「『うつろな心』ですね」

「そうだ。それそれ。恋煩いの歌だよな。あの時既に、二人とも恋煩いだったよな」

「どうしてあの曲を?」

「あの曲は、お前の声に合ってる。凄く綺麗だった。もう一度聴きたい。今度は俺だけの為に歌ってくれないか」

 熱い目で見つめられた。胸が切なくなる。
 この人を目の前にして、あの歌を歌うのか。

「わかりました」

「じゃぁ、俺が簡単な伴奏を付けてやる。あれは何調だったかな」

「ヘ長調で八分の六拍子です。最後の拍から入ります。ズンチャッチャ、ズンチャッチャ、ズンチャッチャ、ズンチャ、で入る感じです。テンポはアンダンテで」

「わかった。ヘ長調八分の六拍子アンダンテな」

 蒔田のギターの伴奏は歌いやすかった。単純なコード進行ではあるが、一度しか聴いていないのに、よくできる。音楽的センスに長けている。
 次の和音を予測するのが得意みたいだ。

 理子は、場所が普通の部屋である事も考慮して、声を抑え気味にして響きを大事にして歌うようにした。
 自然に口ずさんでしまうような、そういう雰囲気で歌った。恋をしている時って、こんな感じだろう。
 思わず、口ずさんでしまう恋の歌.....。

 伴奏がギターだと、また違った趣が感じられる。
 イタリア歌曲には合っているように思えた。

 短い曲なので、すぐに歌い終わった。
 蒔田は目を輝かせて、文化祭の時とは違う良さがあると褒めた。
 矢張り、こんなにも近いのは恥ずかし過ぎて、顔が火照って来くるのだった。

「お前の歌は色んな魅力があるな。カラオケでは女性ボーカルの曲も声楽曲も、それぞれに違う魅力を感じる。なんだか、お前そのものって感じだな」

「そう言ってもらえると嬉しいんですが、なんか恥ずかしくなってきます」

「恥ずかしがり屋だもんな」

 こうして蒔田と一緒に過ごす時間は、楽しかった。
 蒔田は色んな理子を発見しては喜んでくれる。褒めてくれる。
 ときめきと安心感の両方を与えてくれる人だ。

 楽しい時間はあっと言う間に過ぎる。
 理子が書いた感想レポートの話しや、歴史の話しでは盛り上がった。したくてもずっとできなかった話しだ。
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