第79話
文字数 6,170文字
「なんでだよ。みんなに言えないような相手なのか?」
蒔田は古川から視線を外した。
「これまでのような女達とは、違うんだ」
蒔田は古川にそう言った。
「意味がわからないな。.....そう言えば、望ちゃんと別れたのって、去年の秋だったな。平安展の前だったか?あの時は知らなかったが、後から聞いて驚いた。お前の方から別れたって聞いたから」
それに対して蒔田は何も答えなかった。
「あの時お前、女子高生を連れて来たな。歴研の生徒だとか言ってたか。熱心な子だった。確か、俺が大丈夫なのか?って聞いたら、大丈夫だが大丈夫じゃない、とか何とかお前言ったろ。随分と意味深な事を言うと不審に思ったんだ。お前はいつもストレートだからな。ってまさか、もしかして.....?」
蒔田は観念した。式の日取りも決まったから、話せれば話そうとは思っていたからだ。
「あの子と、付き合ってるんだ。俺の彼女は女子高生。教え子。そんな事、みんなには言えないだろ」
それを聞いた古川は、驚きのあまり、まさに開いた口が塞がらない状態だった。
暫く呆然とした後、「ぶ、ぶわっか、か、お前」と吐き出すように言った。
「な、何やってんだよ。お前が教師じゃなきゃ別にいいよ。だけど、教師だろ?自分の教え子に手を出して、どうするよ。問題じゃないか」
「お前って、意外と常識的なんだな」
古川の反応は至極当たり前なので、蒔田は驚かない。
「アホな事を言ってるんじゃないよ。あの子からお前にアプローチするとは考えられないから、珍しくお前の方から口説いたと言うことか」
「驚き慌てふためいている割には、鋭いじゃないか」
蒔田は冷静になっていた。
その言葉に、古川も冷静になってきた。
「じゃぁ、お前の方から口説いたと言うことは.....。本気なんだな?」
だらしない老けオヤジ顔の愛嬌のある目が、鋭くなった。
「そういう事だ」
蒔田はニヤリと笑う。
「お前.....、罪な男だな。女子高生が、お前のような男に口説かれたらイチコロだろうよ」
「そうだな。高校教師として赴任したら、初日から大騒ぎ。大学の時よりも凄まじくて、凄いストレスが溜まったよ。はっきり言って、やらせてくれって言ったら、みんなして喜んで捧げますって感じなんだ。最近の女子高生は凄いよ。もうみんな、バリバリのギャルメイク。彼女のようなナチュラルな子は希少価値だよ」
「へぇ~。それで彼女に惹かれたのか」
「それだけじゃ無いんだが、ギャル系だったら最初から却下だったかもな」
「じゃぁ、あの日はもう、付き合っていたのか?」
「いや、それが、あの日、あの展示会を見た後に、告白したんだ」
蒔田は照れくさそうに言った。古川はそんな蒔田を初めて見たような、物珍し気な顔だ。
「じゃぁ、まだ付き合って無いのに誘ったって事か。それで彼女は一緒に来た」
「俺、女は大勢知ってても、そういうのは初めてだから。俺だってさ。相手は教え子なんだから、好きになったから告白します、なんて簡単には考えなかったさ。お前のせいだよ。お前が送って来た券を見て、咄嗟に、ほぼ無意識のうちに、彼女を誘ってた。メールを送信してから、馬鹿な事をしてしまったと、ものすごーく、後悔した.....」
蒔田のその様子に、古川は思わずプッと噴き出した。
「いつも冷静なお前なのに、そんな事もあるんだな。まさに恋は盲目だな」
「そうなんだよ。しかも、笑えるぜ。平安展の前に修学旅行が有ったんだが、その時に彼女には好きな男がいるって聞いてな。しかも相手は、彼女のいる大人の男だって言うんだ。絶望感に
襲われたよ。そして、嫉妬した。そんな男は止めた方がいいなんて、彼女に言ったのさ」
「それで、彼女は?」
「怒った。当然だよな。だから俺は、完全な片思いだったわけだ。それにも関わらず、誘ってたんだ」
「でも、彼女、一緒に来たじゃないか」
「俺、そういうのは鈍感だから。彼女、物凄く歴史の造詣が深いんだ。俺から誘いのメールを貰った時、ネットで平安展の事を調べたらしい。とても興味深い内容だから是非行きたいって返事が来た。俺は、それを言葉通りに受け取った。彼女が一緒に来たのは、純粋に平安展を見たかったからだってな」
「お前って、馬鹿だな」
古川の言葉に蒔田は頷いた。
「そうなんだ。本当に笑っちゃうぜ。彼女が好きだって言う、彼女のいる大人の男ってのは、俺の事だったんだからな」
「それはそうだろう。じゃなきゃ、一緒に来ないだろうに」
「そうなんだよな。だけど、俺は、彼女がいる大人の男が俺の事だとは、微塵も思って無かったんだ。望と寝た後、あいつに誘われるままウインドーショッピングしている所を、彼女に見られたんだよ。それであの子は、俺に彼女がいると思ったんだ」
それを聞いて、古川は手を打って爆笑した。
「そりゃぁ、彼女には違いないじゃないか」
「彼女じゃないよ。セフレだよ、セフレ。恋人でも何でも無いんだから」
蒔田は憮然と答えた。
古川の笑いは止まらない。何故なら、こんなに愉快な事は無いからだ。
女に冷たい男。いつだってクールで、自分からは何もしない男。
自分からアプローチした事が無いからなんだろうが、なんと無様なんだろう。
こんなにイイ男でも、恋の前ではこんなにも愚かしい姿を晒すのか。面白過ぎる。笑い過ぎて、腹が痛くなってきた。
蒔田は、そんな古川を憮然とした表情で見つめていた。
まぁ、笑われても仕方が無い。自分でも馬鹿だったと思っている。
相手は高校生の上に、ポーカーフェイスが得意ときた。理子の心は全く読めなかった。
わかりやすい、これまでの女達とは全く違った。
「だけど、セフレとのデートを本命に見られるなんて、ヘマもいいところだな、蒔田よ」
「全くだ。その日が望とも最後だったんだけどな。彼女の事が頭から離れなくなって、もう他の女を抱く気が全く失せてしまった。だから、自分から別れたんだ」
「そうか。そんなに好きになったのか。お前が」
古川は感慨深そうな目をした。
「そうなんだ。それで、来年の五月に結婚することになった」
「なんだってぇ?」
驚いて声がひっくり返っている。
「ら、ら、来年の五月って、.....じゃぁ、卒業後すぐって事か」
「そうなんだが、これがちょっと曰 く付きでな」
蒔田は、理子が東大を受験する事、そしてその東大に合格したら結婚する事や、理子の家の事情などを古川に話した。
「じゃぁ、もし落ちたらどうするんだ?」
「延期する事になる。教師と教え子が恋愛に現 を抜かしていたから落ちたんだ、って言われたくないからな。俺は何を言われても構わないが、彼女が可哀そうだから」
「そうか。じゃぁ、全ては彼女の受験にかかっているって事か」
「簡単に言えば、そうなる。だから俺は全力でサポートしてる。何としても合格させてやりたい」
「それは、やっぱり、結婚したいからなんだろう?」
「勿論だ。だが、彼女が東大受験を決めたのは俺と付き合い出す前だ。彼女自身が、東大へ行きたいと願って勉強に本腰を入れ出した。恋人では無くても、担任として全力で応援する義務はある。それに、彼女は本当によく頑張ってる。俺は彼女と付き合うようになって、日々気持ちが高まっていくのを感じてるんだ。初めての事だから、ついつい彼女を求め過ぎてしまって、何度も彼女の足を引っ張って困らせて来た。それなのに彼女は自分を見失う事無く、必死に勉強してきたんだ。そんな彼女を俺は尊敬してる。だからこそ、何としても合格させてやりたいと思うんだ」
「なんだか、凄い話しだな。お前も凄いが、彼女はもっと凄いよな。プレッシャーになってるんじゃないのか?」
「どうなんだろうな。俺が見た所では、そうは見えないが。彼女にとっては、俺と結婚ができるか否かよりも、東大へ入れるか否かの方が大きいような気がする。結婚は延期になったからって、しないわけじゃないからな。だが東大へ入れなかったら、彼女はもしかしたら大学進学が危うくなるかもしれない。彼女のお母さんが、落ちたら就職だって言ってたし」
「それは、酷いな。彼女のお母さんって言うのは、何だか話しに聞くと強烈なキャラだな」
「まぁな。愛情深い人なんだが、極端だ。俺としては、万一落ちたら他の大学へ行かせてやりたいと思うんだけどな。学費は俺が出す。そして、成人したら一緒になる。彼女には、とにかく
もっと日本史の勉強をさせてやりたいんだ」
蒔田は古川にそう話しながら、本当にもし落ちたとしたら、自分が学費を出して他の大学へ行かそうと思った。
それすらも反対されるだろう。しかしその事がきっかけになって、もしかしたら母親も考えを変えて理子を他の大学へ行かすかもしれない。
「お前、本当に本気なんだな」
「ああ。それでな。予定通りにいけば、五月三日に挙式と披露宴をする。場所はもう押さえてあるんだ。万一落ちたらキャンセルするから、大っぴらにはできない。だが、合格発表を見てから皆に話すんじゃ、ゴールデンウィークだけに皆に来てもらえるかどうかわからないだろう?だから、詳しい事情は伏せたままで、取りあえずその日は開けておいて欲しいと、皆に話そうと思ってたんだ」
「そうか。なるほど」
古川はそう言って腕を組んだ。
「じゃぁ、こうしよう。今日、会場で、お前に彼女ができて、来年結婚するって公表しよう」
「なんだってぇ?」
蒔田は古川の言葉に驚いた。
「それは困るって、さっき言ったじゃないか」
「いやいや。別に彼女の事を話さなければいいだけだろう」
「だが.....」
「聞かれたって、答えなければいい。それは結婚してから公表するって言えばいいじゃないか」
同じ事をさっき彰子に言ったのを思い出した。
「お前がプライベートの事をあまり話したがらないのは、周知の事実。平気だろう」
確かにそうなのだが、あまり騒がれるのも好きじゃない。
「男どもは、みんな喜ぶぞ。光源氏もいよいよ年貢の納め時ってな。ああぁ、彼女はまさに紫の上じゃないか。幼い若紫を手元に置いて、自分好みの女にって設定がお前達に合ってるぞ」
「やめてくれ。何度も言うが、俺は光源氏じゃないって。それに彼女は自分好みの女に染まらない女だから」
蒔田の言葉に古川はニヤけた。
「そんな事は無いだろう。素直で純粋そうじゃないか。幾らでもお前の色に染めれそうだがなぁ」
蒔田は首を振る。
「彼女は染まらない女だし、俺はそこが好きなんだ。色で例えれば玉虫色だ。時によって色んな色に輝く。そこが彼女の最大の魅力なんだ」
「玉虫色の女か。若いのに不思議な子のようだ。いや、若いから不思議なのか.....」
古川のその言葉に、蒔田は笑った。
「お前、いい笑顔を見せるようになったな。いい恋をしている証拠だぞ。安心した。俺達はなぁ。いつもお前の事を心配してたんだ。女とやるには困らないが、心はいつだって乾いてるお前に同情してた。男と女しかいない世界で、女を愛せないなんて不幸極まりないからな」
古川はそう言うと、蒔田の肩を軽く叩いた。
「じゃぁ、みんなに発表しに行くか」と意気揚々と歩きだす。
蒔田は急に不安になった。
「お、おい、本当に大丈夫かな」
先を歩く古川を捉まえて、訊ねた。
「大丈夫だって。俺もフォローするから。結婚するんだ。もう、ウザイ女どもの相手をしなくて済むぞ」
古川は愉快そう笑う。
古川は会場へ入ると、そのまま真っすぐ司会席に向かった。蒔田は益々不安になる。
そんな蒔田を尻目に司会席へ到着した古川は、司会からマイクを取ると第一声を発した。
「えぇー、皆さん。ご静粛に。.....重大発表があります」
蒔田は古川の隣で落ち着かない。心臓が破裂しそうな程、高鳴っている。こんな経験は初めてだ。
古川の言葉に、全員の視線が二人に集中した。
「ここにいる、蒔田君の事です。実はとうとう蒔田君に、本当の、ほんとーの、愛する恋人ができました!!」
ええーーっ!と、物凄い驚きの声が一斉に上がった。その声は場内に轟き、空気を震わせた。
女性陣の間では、「嘘でしょう?」とか、「信じられない」との声がたくさん上がった。
「まま、皆さん、ご静粛に。.....これは嘘ではありません。同窓会の余興でも何でもなく、真実なのであります。皆さんもご承知の通り、だーれも愛せなかった彼が、とうとう女性を愛するようになりました。そして晴れて、来年、結婚することになりましたぁー」
古川は楽しそうに、晴れ晴れとした様子で朗らかに発表した。
だが場内は騒然とした。男性陣からは、おおっ!とどよめきが上がり、女性陣は発狂に近い叫び声を上げていた。
そんな中、いつもの仲間達が人込みを押しのけて司会席までやってきて蒔田を囲んだ。
「おい、お前、本当なのかっ?」
慌てた様子だ。
蒔田は黙って頷いた。なんだか凄く恥ずかしい。
中の一人が抱きついて来て、「良かったなぁ.....、本当に良かった」と感激している。
「おい、来年結婚って、いつなんだ?」
「五月三日なんだが、ちょっと込み入った事情があって、確定してないんだ。でも一応、皆にはその日を開けておいて貰いたいんだが」
「おう、当たり前だよ。なぁ、みんな」
仲間達は嬉しそうに頷きあっている。
その様子を見るにつけ、蒔田も胸が熱くなってきた。
「蒔田君、本当なのぉ?」
女性陣の一部が蒔田に声をかけてきた。
蒔田は頷くと、古川からマイクを取った。
「みなさん。今、古川君から発表がありました通り、僕は来年、結婚します。学生時代は色々ありましたが、僕もこれでやっと落ち着く事ができます。みんな、どうもありがとう」
何故、礼を言わねばならないのか自分でもわからなかったが、自然と口に出ていた。
男性陣からは、「おめでとう!」と沢山の声が上がった。女性陣はショックがひとしおと言った感じだ。
「彼女って、どんな女性?」
一部から声が上がった。
古川が蒔田からマイクを取った。
「蒔田君は、みんなが知っている通り秘密主義者なので、彼女の事は来年の結婚式までは秘密ですが、僕は一度だけ会った事があるので、ちょっとだけ教えちゃいます。ロングヘアーの、可愛いお姫様のような年下の女の子です。それ以上は、結婚までのお楽しみと言うことで」
古川の言葉に、再び場内はどよめく。女子達の甲高い叫び声が上がった。
「まぁ、このくらいなら、いいだろう?完全にシャットアウトじゃ風当たりも厳しいからな」
蒔田は笑って頷いた。
“可愛いお姫様”か。やっぱり姫って印象なのか。
「おい、それ以上は教えてくれないのかよ。俺達には、もう少しいいんじゃないのか?」
仲間の一人に言われた。
「まぁ、色々と訳ありなんだ。来年、本人に会えるんだから、いいだろう?」
蒔田の言葉に不満の色を示す。
「古川は会ってるのか。狡いなぁ~、お前だけ」
「まぁまぁ。たまたまなんだよ、たまたま」
古川に、皆に発表すると言われた時には本当にどうなる事かと気を揉んだが、済んでしまえばサッパリした気分だった。
余計な気患いが一つ減って肩の荷が下りたようだ。
式の準備も姉が全部請け負ってくれているし、あとは理子を合格させる事だけに集中できる。
なんとしても、合格させてやらなければ。蒔田は強くそう思うのだった。
蒔田は古川から視線を外した。
「これまでのような女達とは、違うんだ」
蒔田は古川にそう言った。
「意味がわからないな。.....そう言えば、望ちゃんと別れたのって、去年の秋だったな。平安展の前だったか?あの時は知らなかったが、後から聞いて驚いた。お前の方から別れたって聞いたから」
それに対して蒔田は何も答えなかった。
「あの時お前、女子高生を連れて来たな。歴研の生徒だとか言ってたか。熱心な子だった。確か、俺が大丈夫なのか?って聞いたら、大丈夫だが大丈夫じゃない、とか何とかお前言ったろ。随分と意味深な事を言うと不審に思ったんだ。お前はいつもストレートだからな。ってまさか、もしかして.....?」
蒔田は観念した。式の日取りも決まったから、話せれば話そうとは思っていたからだ。
「あの子と、付き合ってるんだ。俺の彼女は女子高生。教え子。そんな事、みんなには言えないだろ」
それを聞いた古川は、驚きのあまり、まさに開いた口が塞がらない状態だった。
暫く呆然とした後、「ぶ、ぶわっか、か、お前」と吐き出すように言った。
「な、何やってんだよ。お前が教師じゃなきゃ別にいいよ。だけど、教師だろ?自分の教え子に手を出して、どうするよ。問題じゃないか」
「お前って、意外と常識的なんだな」
古川の反応は至極当たり前なので、蒔田は驚かない。
「アホな事を言ってるんじゃないよ。あの子からお前にアプローチするとは考えられないから、珍しくお前の方から口説いたと言うことか」
「驚き慌てふためいている割には、鋭いじゃないか」
蒔田は冷静になっていた。
その言葉に、古川も冷静になってきた。
「じゃぁ、お前の方から口説いたと言うことは.....。本気なんだな?」
だらしない老けオヤジ顔の愛嬌のある目が、鋭くなった。
「そういう事だ」
蒔田はニヤリと笑う。
「お前.....、罪な男だな。女子高生が、お前のような男に口説かれたらイチコロだろうよ」
「そうだな。高校教師として赴任したら、初日から大騒ぎ。大学の時よりも凄まじくて、凄いストレスが溜まったよ。はっきり言って、やらせてくれって言ったら、みんなして喜んで捧げますって感じなんだ。最近の女子高生は凄いよ。もうみんな、バリバリのギャルメイク。彼女のようなナチュラルな子は希少価値だよ」
「へぇ~。それで彼女に惹かれたのか」
「それだけじゃ無いんだが、ギャル系だったら最初から却下だったかもな」
「じゃぁ、あの日はもう、付き合っていたのか?」
「いや、それが、あの日、あの展示会を見た後に、告白したんだ」
蒔田は照れくさそうに言った。古川はそんな蒔田を初めて見たような、物珍し気な顔だ。
「じゃぁ、まだ付き合って無いのに誘ったって事か。それで彼女は一緒に来た」
「俺、女は大勢知ってても、そういうのは初めてだから。俺だってさ。相手は教え子なんだから、好きになったから告白します、なんて簡単には考えなかったさ。お前のせいだよ。お前が送って来た券を見て、咄嗟に、ほぼ無意識のうちに、彼女を誘ってた。メールを送信してから、馬鹿な事をしてしまったと、ものすごーく、後悔した.....」
蒔田のその様子に、古川は思わずプッと噴き出した。
「いつも冷静なお前なのに、そんな事もあるんだな。まさに恋は盲目だな」
「そうなんだよ。しかも、笑えるぜ。平安展の前に修学旅行が有ったんだが、その時に彼女には好きな男がいるって聞いてな。しかも相手は、彼女のいる大人の男だって言うんだ。絶望感に
襲われたよ。そして、嫉妬した。そんな男は止めた方がいいなんて、彼女に言ったのさ」
「それで、彼女は?」
「怒った。当然だよな。だから俺は、完全な片思いだったわけだ。それにも関わらず、誘ってたんだ」
「でも、彼女、一緒に来たじゃないか」
「俺、そういうのは鈍感だから。彼女、物凄く歴史の造詣が深いんだ。俺から誘いのメールを貰った時、ネットで平安展の事を調べたらしい。とても興味深い内容だから是非行きたいって返事が来た。俺は、それを言葉通りに受け取った。彼女が一緒に来たのは、純粋に平安展を見たかったからだってな」
「お前って、馬鹿だな」
古川の言葉に蒔田は頷いた。
「そうなんだ。本当に笑っちゃうぜ。彼女が好きだって言う、彼女のいる大人の男ってのは、俺の事だったんだからな」
「それはそうだろう。じゃなきゃ、一緒に来ないだろうに」
「そうなんだよな。だけど、俺は、彼女がいる大人の男が俺の事だとは、微塵も思って無かったんだ。望と寝た後、あいつに誘われるままウインドーショッピングしている所を、彼女に見られたんだよ。それであの子は、俺に彼女がいると思ったんだ」
それを聞いて、古川は手を打って爆笑した。
「そりゃぁ、彼女には違いないじゃないか」
「彼女じゃないよ。セフレだよ、セフレ。恋人でも何でも無いんだから」
蒔田は憮然と答えた。
古川の笑いは止まらない。何故なら、こんなに愉快な事は無いからだ。
女に冷たい男。いつだってクールで、自分からは何もしない男。
自分からアプローチした事が無いからなんだろうが、なんと無様なんだろう。
こんなにイイ男でも、恋の前ではこんなにも愚かしい姿を晒すのか。面白過ぎる。笑い過ぎて、腹が痛くなってきた。
蒔田は、そんな古川を憮然とした表情で見つめていた。
まぁ、笑われても仕方が無い。自分でも馬鹿だったと思っている。
相手は高校生の上に、ポーカーフェイスが得意ときた。理子の心は全く読めなかった。
わかりやすい、これまでの女達とは全く違った。
「だけど、セフレとのデートを本命に見られるなんて、ヘマもいいところだな、蒔田よ」
「全くだ。その日が望とも最後だったんだけどな。彼女の事が頭から離れなくなって、もう他の女を抱く気が全く失せてしまった。だから、自分から別れたんだ」
「そうか。そんなに好きになったのか。お前が」
古川は感慨深そうな目をした。
「そうなんだ。それで、来年の五月に結婚することになった」
「なんだってぇ?」
驚いて声がひっくり返っている。
「ら、ら、来年の五月って、.....じゃぁ、卒業後すぐって事か」
「そうなんだが、これがちょっと
蒔田は、理子が東大を受験する事、そしてその東大に合格したら結婚する事や、理子の家の事情などを古川に話した。
「じゃぁ、もし落ちたらどうするんだ?」
「延期する事になる。教師と教え子が恋愛に
「そうか。じゃぁ、全ては彼女の受験にかかっているって事か」
「簡単に言えば、そうなる。だから俺は全力でサポートしてる。何としても合格させてやりたい」
「それは、やっぱり、結婚したいからなんだろう?」
「勿論だ。だが、彼女が東大受験を決めたのは俺と付き合い出す前だ。彼女自身が、東大へ行きたいと願って勉強に本腰を入れ出した。恋人では無くても、担任として全力で応援する義務はある。それに、彼女は本当によく頑張ってる。俺は彼女と付き合うようになって、日々気持ちが高まっていくのを感じてるんだ。初めての事だから、ついつい彼女を求め過ぎてしまって、何度も彼女の足を引っ張って困らせて来た。それなのに彼女は自分を見失う事無く、必死に勉強してきたんだ。そんな彼女を俺は尊敬してる。だからこそ、何としても合格させてやりたいと思うんだ」
「なんだか、凄い話しだな。お前も凄いが、彼女はもっと凄いよな。プレッシャーになってるんじゃないのか?」
「どうなんだろうな。俺が見た所では、そうは見えないが。彼女にとっては、俺と結婚ができるか否かよりも、東大へ入れるか否かの方が大きいような気がする。結婚は延期になったからって、しないわけじゃないからな。だが東大へ入れなかったら、彼女はもしかしたら大学進学が危うくなるかもしれない。彼女のお母さんが、落ちたら就職だって言ってたし」
「それは、酷いな。彼女のお母さんって言うのは、何だか話しに聞くと強烈なキャラだな」
「まぁな。愛情深い人なんだが、極端だ。俺としては、万一落ちたら他の大学へ行かせてやりたいと思うんだけどな。学費は俺が出す。そして、成人したら一緒になる。彼女には、とにかく
もっと日本史の勉強をさせてやりたいんだ」
蒔田は古川にそう話しながら、本当にもし落ちたとしたら、自分が学費を出して他の大学へ行かそうと思った。
それすらも反対されるだろう。しかしその事がきっかけになって、もしかしたら母親も考えを変えて理子を他の大学へ行かすかもしれない。
「お前、本当に本気なんだな」
「ああ。それでな。予定通りにいけば、五月三日に挙式と披露宴をする。場所はもう押さえてあるんだ。万一落ちたらキャンセルするから、大っぴらにはできない。だが、合格発表を見てから皆に話すんじゃ、ゴールデンウィークだけに皆に来てもらえるかどうかわからないだろう?だから、詳しい事情は伏せたままで、取りあえずその日は開けておいて欲しいと、皆に話そうと思ってたんだ」
「そうか。なるほど」
古川はそう言って腕を組んだ。
「じゃぁ、こうしよう。今日、会場で、お前に彼女ができて、来年結婚するって公表しよう」
「なんだってぇ?」
蒔田は古川の言葉に驚いた。
「それは困るって、さっき言ったじゃないか」
「いやいや。別に彼女の事を話さなければいいだけだろう」
「だが.....」
「聞かれたって、答えなければいい。それは結婚してから公表するって言えばいいじゃないか」
同じ事をさっき彰子に言ったのを思い出した。
「お前がプライベートの事をあまり話したがらないのは、周知の事実。平気だろう」
確かにそうなのだが、あまり騒がれるのも好きじゃない。
「男どもは、みんな喜ぶぞ。光源氏もいよいよ年貢の納め時ってな。ああぁ、彼女はまさに紫の上じゃないか。幼い若紫を手元に置いて、自分好みの女にって設定がお前達に合ってるぞ」
「やめてくれ。何度も言うが、俺は光源氏じゃないって。それに彼女は自分好みの女に染まらない女だから」
蒔田の言葉に古川はニヤけた。
「そんな事は無いだろう。素直で純粋そうじゃないか。幾らでもお前の色に染めれそうだがなぁ」
蒔田は首を振る。
「彼女は染まらない女だし、俺はそこが好きなんだ。色で例えれば玉虫色だ。時によって色んな色に輝く。そこが彼女の最大の魅力なんだ」
「玉虫色の女か。若いのに不思議な子のようだ。いや、若いから不思議なのか.....」
古川のその言葉に、蒔田は笑った。
「お前、いい笑顔を見せるようになったな。いい恋をしている証拠だぞ。安心した。俺達はなぁ。いつもお前の事を心配してたんだ。女とやるには困らないが、心はいつだって乾いてるお前に同情してた。男と女しかいない世界で、女を愛せないなんて不幸極まりないからな」
古川はそう言うと、蒔田の肩を軽く叩いた。
「じゃぁ、みんなに発表しに行くか」と意気揚々と歩きだす。
蒔田は急に不安になった。
「お、おい、本当に大丈夫かな」
先を歩く古川を捉まえて、訊ねた。
「大丈夫だって。俺もフォローするから。結婚するんだ。もう、ウザイ女どもの相手をしなくて済むぞ」
古川は愉快そう笑う。
古川は会場へ入ると、そのまま真っすぐ司会席に向かった。蒔田は益々不安になる。
そんな蒔田を尻目に司会席へ到着した古川は、司会からマイクを取ると第一声を発した。
「えぇー、皆さん。ご静粛に。.....重大発表があります」
蒔田は古川の隣で落ち着かない。心臓が破裂しそうな程、高鳴っている。こんな経験は初めてだ。
古川の言葉に、全員の視線が二人に集中した。
「ここにいる、蒔田君の事です。実はとうとう蒔田君に、本当の、ほんとーの、愛する恋人ができました!!」
ええーーっ!と、物凄い驚きの声が一斉に上がった。その声は場内に轟き、空気を震わせた。
女性陣の間では、「嘘でしょう?」とか、「信じられない」との声がたくさん上がった。
「まま、皆さん、ご静粛に。.....これは嘘ではありません。同窓会の余興でも何でもなく、真実なのであります。皆さんもご承知の通り、だーれも愛せなかった彼が、とうとう女性を愛するようになりました。そして晴れて、来年、結婚することになりましたぁー」
古川は楽しそうに、晴れ晴れとした様子で朗らかに発表した。
だが場内は騒然とした。男性陣からは、おおっ!とどよめきが上がり、女性陣は発狂に近い叫び声を上げていた。
そんな中、いつもの仲間達が人込みを押しのけて司会席までやってきて蒔田を囲んだ。
「おい、お前、本当なのかっ?」
慌てた様子だ。
蒔田は黙って頷いた。なんだか凄く恥ずかしい。
中の一人が抱きついて来て、「良かったなぁ.....、本当に良かった」と感激している。
「おい、来年結婚って、いつなんだ?」
「五月三日なんだが、ちょっと込み入った事情があって、確定してないんだ。でも一応、皆にはその日を開けておいて貰いたいんだが」
「おう、当たり前だよ。なぁ、みんな」
仲間達は嬉しそうに頷きあっている。
その様子を見るにつけ、蒔田も胸が熱くなってきた。
「蒔田君、本当なのぉ?」
女性陣の一部が蒔田に声をかけてきた。
蒔田は頷くと、古川からマイクを取った。
「みなさん。今、古川君から発表がありました通り、僕は来年、結婚します。学生時代は色々ありましたが、僕もこれでやっと落ち着く事ができます。みんな、どうもありがとう」
何故、礼を言わねばならないのか自分でもわからなかったが、自然と口に出ていた。
男性陣からは、「おめでとう!」と沢山の声が上がった。女性陣はショックがひとしおと言った感じだ。
「彼女って、どんな女性?」
一部から声が上がった。
古川が蒔田からマイクを取った。
「蒔田君は、みんなが知っている通り秘密主義者なので、彼女の事は来年の結婚式までは秘密ですが、僕は一度だけ会った事があるので、ちょっとだけ教えちゃいます。ロングヘアーの、可愛いお姫様のような年下の女の子です。それ以上は、結婚までのお楽しみと言うことで」
古川の言葉に、再び場内はどよめく。女子達の甲高い叫び声が上がった。
「まぁ、このくらいなら、いいだろう?完全にシャットアウトじゃ風当たりも厳しいからな」
蒔田は笑って頷いた。
“可愛いお姫様”か。やっぱり姫って印象なのか。
「おい、それ以上は教えてくれないのかよ。俺達には、もう少しいいんじゃないのか?」
仲間の一人に言われた。
「まぁ、色々と訳ありなんだ。来年、本人に会えるんだから、いいだろう?」
蒔田の言葉に不満の色を示す。
「古川は会ってるのか。狡いなぁ~、お前だけ」
「まぁまぁ。たまたまなんだよ、たまたま」
古川に、皆に発表すると言われた時には本当にどうなる事かと気を揉んだが、済んでしまえばサッパリした気分だった。
余計な気患いが一つ減って肩の荷が下りたようだ。
式の準備も姉が全部請け負ってくれているし、あとは理子を合格させる事だけに集中できる。
なんとしても、合格させてやらなければ。蒔田は強くそう思うのだった。