第71話

文字数 5,147文字

 三者面談が始まった。
 蒔田は、理子の母の前で極力緊張しないよう、平静を保つように努めた。
 察するに理子の母親も敏感な人だ。必要以上に緊張して不審に思われたら今後困る。

「いつぞやは、わざわざ自宅までお見舞い頂いて、ありがとうございました」

 理子の母親は会釈をしながら微笑んでいる。

「いえ。二日も続けて休むなんて初めての事だったので、心配になったものですから。大事な受験を前にして、心身ともに健康で頑張って貰わないと、この先大変ですし」

「他の生徒さんにも、矢張りそうやってお見舞いに行かれるんですか?」

 痛い所を突いてきた。猜疑心からなのだろうか。

「これまで二日も続けて休む生徒はいませんでしたから。他にもそういう事があれば、心配して訪問しますよ」

 実際、二日続けて休んだ生徒は、蒔田の受け持ったクラスではいなかった。

「蒔田先生は熱心な方なんですね。高校の先生ともなると、小中に比べてもっと淡泊なのかと思っていました」

「熱心かどうかはわかりませんが、その辺は人によるとは思います。吉住さんが休んだ日が、ちょうど補習クラスの日だったのもありますよ。みっちり課題が出てましたから」

「そうですか。それで、娘の受験の方はどうなんでしょう?」

 話題が変わった事にホッとした。

「大丈夫だと思います。順調に進んでいますから。本人もよく頑張っていますし。このまま乗り切ってくれれば、いけると思います。ですから、これからはご家庭でもバックアップして頂きたいですね」

「バックアップとおっしゃいますと?」

「まず、健康管理ですね。規則正しい生活と運動と食事と睡眠。既に本人の話によると、早寝早起きを実行してるようですし、健康の為に自転車通学をしているので、食事面に気を使ってやってください」

「食事ですか.....」

 母親は気の乗らない顔をした。

「バランスの取れた食事を心がけて下さい。できれば、青魚やタンパク質、ビタミン類はしっかり摂らせて欲しいですね」

「わかりました」

 そう返事はしたものの、矢張り気の乗らない顔をしている。

「それと、スケジュール管理は本人が自分でしっかりやれているので、彼女のペースを乱さない為にも、あまり口を挟まずに、お母さんはゆったり構えてあげてて下さい」

「それは、具体的にどういう事ですか?」

「勉強の合間には休憩を取りますし、その休憩時間の長短や内容に関して、あれこれ意見をなさらないで下さいと言うことです。朝から晩まで勉強ですから、気分転換が必要です。どうしても気乗りしなくて勉強できない時もあるかもしれません。でも、それはそれで構わないんです。本人自身の受験への覚悟は既にしっかり出来てますから、周囲が心配してあれこれ口を出すと、かえってストレスが溜まります」

「それは、要は放っておけという事なんですか?」

 母親の口調が強くなった。

「放っておけと言うのではなくて、暖かく見守ってやって欲しいと言う事です。それから、この間お伺いした時に気付いたんですが、お母さんは彼女の部屋へ入る時にノックをなさりませんでしたね。ああいう行為は、今後はなさらないようにして欲しいですね」

「そんな事まで、指図なさるんですか?」

 表情に僅かながら怒気が含まれたように感じられる。
 そんな母親に、蒔田は冷静に返した。

「指図ではなくて、お願いです。どんな時であっても、ノックも無しにいきなり入って来られたのでは驚きますし、気も散ります。集中できないですよ」

「そんな事で集中できないようじゃ、困るでしょう」

 母は切り返してきた。

「集中だけじゃありません。リラックスもできないですよ。人間、リラックス無しでは集中も出来ませんから。お母さん、娘さんを応援する気持ちがあるのでしたら、ご協力をお願いします」

 蒔田はそう言って、頭を下げた。
 本来なら一番に応援するべき立場の母親に、他人である担任の方から協力を要請して頭まで下げている。
 傍から見れば立場が逆だろう。

「わかりました。先生がそこまでおっしゃるなら」

 母親はそう言うと、頭を下げた。
 
 黙って成り行きを見守っていた理子は、ホッとした。
 蒔田には感謝しかない。
 いつ、どんな時でも、どこまでも理子の味方でいてくれる。理子を思いやってくれている。
 そう確信する。それが心の底から嬉しかった。
 この人で良かったとつくづく思うのだった。


 三者面談が終わって、ひとまず落ち着いた理子は、父が休みの日に話しがあると外へ誘った。
家の中ではとてもできない話だ。

 二人は車に乗って、駅の近くにある穴場の喫茶店へ行った。
 母は朝寝坊で朝食を作らない為、父はよくこの喫茶店でモーニングを食べてから出勤する。
 
 蒔田に食事に気を配るよう言われてからも、相変わらず朝食は作らない。
 仕方がないので、早起きするようになってからは、理子が朝食の支度をしていた。

 母が朝寝坊なのは、父の帰りが遅いからだ。
 心配性なので絶対に先に就寝しない。
 父の帰宅後、全ての戸締りや火の元を自分の目で確認し、更に子供達もちゃんと電気を消して就寝したのを確認してからでないと寝れないのである。

 結局、一番遅く寝ることになる為、元々早起きが苦手な事もあって起床時間も遅くなる。
 父は六時半過ぎに家を出るが母が起きるのは七時半だ。
 理子と妹の優子が家を出る時にも、まだ置きたてで朝食の支度なんて間に合わない。

「わざわざ外まで連れ出して、話しって何だ?」
 
 注文したコーヒーを一口飲んでから、父が言った。

 理子は緊張する。

「あの、さ…。実は今、付き合ってる人がいるんだけど.....」

 理子は恐る恐る切り出した。

「ほぉ~、彼氏ができたのか。受験生なのに大丈夫なのか?」

 父は理子の意に反して、呑気そうに『大丈夫なのか?』と言いながら、何故か嬉しいような楽しいような、そんな表情をした。
 そんな父を見て、理子は不思議な人だと思いながら、話を続けた。

「その人がね。お父さんに会いたいって言ってるの」

「ほぉ~。何で?」

 そう言われるとは思っていなかった。思ってはいなかったが言われてみれば当然の質問だ。

「何でって言われても.....」

 返事に窮した。

「お前に彼氏がいる事を、お母さんは知ってるのか?」

「知らない。話してないから」

「何故、話さないんだ?確か、前にも彼氏がいたよな?そいつとは違うのか。また新しくできたのか」

「その人じゃなくて、新しい人.....」

「お母さんは、あれで別に男女交際には否定的じゃないだろう。なんで話さないんだ?」

「お父さん。お父さんだから話すの。今の時点では、お母さんには話せないの」

 理子の真剣な眼差しに、父は驚きの様子を示した。

「それは、お母さんには言えないような相手と言うことなのか」

 父の問いに理子は口ごもる。

「お前は、お母さんに言えないような相手と付き合ってるのか」

 父は責めるような口調でそう言った。
 その言葉に、理子は俯いた。
 こんな風に父から強い口調で言われたのは初めてだった。

「お母さんには言えない。言ったら大変な事になると思う。でもお父さんなら、分かってくれるんじゃないかと思って.....」

 理子の言葉を聞いて、父は腕を組んだ。

「一体、どんな男と付き合ってるんだ。それを聞かなきゃ、会えないな」

 矢張りそうなるのか。
 父の言葉に、理子は意を決した。
 ドキドキしながら、やっとの思いで口にする。

「実は、私が今付き合ってる人って言うのは、学校の担任の先生なの」

「はぁ?なんだってぇ?」

 父は頓狂な声を出した。

「な、何を言ってるんだ、お前は。正気なのかっ」

 理子が思っていたよりも、父は驚いていた。
 誰だって、こんな事を娘の口から言われたら驚くのが当たり前だろうが、理子は普段からわりと(さば)けている父だから、これ程驚くとは思っていなかった。

「お父さんが驚くのはわかるけど、本当の事だから。私は十分、正気だよ」

 父は厳しい顔つきになった。父のこういう表情を見るのは初めてだ。

「自分の受け持ちの女生徒と付き合うなんて、非常識にも程がある」

「お父さんの言う事は、尤もだと思うんだけど、先生が、お父さんと会って話したいって言ってるの。だから、会って下さい」

「会う必要なんか無い」

 父は無下にそう言った。

「会って欲しいの。先生と会ってから、判断して」

 理子は必死に言った。

「学校じゃあ、三者面談があるな。お母さんは、お前の担任とは会ってるわけだよな。なのに、何故、俺と会う必要があるんだ。付き合ってると言ったって、教師と生徒じゃ、堂々とは付き合えないんだろう?人に隠した交際をしている人間なのに、何故、父親と会う必要がある?それも今」

「お父さんは、私が付き合ってる人に会いたくないの?」

 理子の言葉に、父は娘を睨んだ。

「会いたくないね。相手が教師なら尚更だ。何も今会わなくたっていいだろう。今後も付き合いが続くようなら、卒業してからでも出直してこいって感じだ」

 父は憮然とした態度で、掃いて捨てるように言った。

「わかった。じゃあ、今会いたいって理由を言います。私達、卒業したら結婚する約束をしてるの。だから先生が、お父さんにだけでも先に会って了解を得たいって言ってるの」

 娘の言葉に、父は目を剥いて仰天した。

「バカッ!お前は何を言ってるんだ。東大を受験するって言うのに、何をのぼせてるんだ」

 父の怒りに、理子は返す言葉が見つからない。
 矢張り、父でもわかってはもらえないか。
 これでは、母は尚更だろう。暗澹(あんたん)たる思いに駆られた。

「お前はまだ子供だぞ。好きになったから即結婚なんて、短絡的過ぎる。大学はどうするんだ」

「この結婚は、私が東大に合格したらって二人で決めたの。だから、不合格だったら結婚は延期します。合格したら、三月の末に入籍して、先生の名字になって大学へ通います。式はゴールデンウィークにする予定です.....」

 父はそれを聞いて唖然とした。

「ば、馬鹿げている。相手の男もおかしいぞ。結婚するにしたってだ。何故、大学卒業まで待てないんだ。理子はまだ子供じゃないか」

「お父さん。そう思うなら、お父さんから先生に直接そう言って。とにかく、会うだけでも会って。文句が言いたいなら、会って本人に言って」

 理子は必死の思いでそう訴えた。

「いいのか?結婚の許しを得たくて会うんじゃないのか?」

「勿論、結婚の許しを得たくて会うんだけど、会って判断するのはお父さんだから。だから、まずは会って欲しいの」

 父は呆れ顔で溜息を吐いた。

「本気なのか」

「本気よ。二人で東大の合格発表を見に行って、合格してたら、その足でお父さんとお母さんに結婚の意思を伝えようって話してたの。でも、合格発表は三月の半ばだから、それから報告して月末にもう入籍じゃぁ、あまりにも親に申し訳ないと思って。でも、お母さんには言えないでしょ。言えば騒動になる。そしたら私の受験に響くから。そうなるとお父さんしかいないじゃない。私も色々悩んだのよ。だって私、親の姿を見て来て、結婚に夢なんて全く抱けなかったから。それでも、先生と結婚しようって決めたの。この決意は、もう揺るがないから。反対されても押し通します。ただ未成年だから、どちらかの親の承認が必要なの。だから、お父さんにはわかってもらいたくて」

 理子の言葉を聞いて、父は目を瞑った。
 長い沈黙が続いた。

 理子の家は特殊だ。世間一般的に見たら、娘の結婚に大反対するのは父親で、母親は娘の味方である事の方が多いのだろう。
 だが理子の家は逆だった。

 子煩悩でありながら淡泊な父親と、子供の全てを抱え込み、支配しようとする母親。
 吉住家の子供が女子ではなくて男子だったら、理子はお嫁さんに同情するに違いない。

 やがて父は目を開けて大きく一つ息をすると、言った。

「わかった。じゃぁ、会うだけ会ってやる。話しはそれからだ」

 父の言葉に娘は目を輝かせた。

「おとうさん。ありがとう」

「誤解するんじゃない。賛成したわけじゃないんだから。直接本人に文句を言えとお前が言うから、そうしてやろうと思うだけだ」

「それでもいいの。会ってくれるってだけでも嬉しいの」

 そんな理子を見て、父は言った。

「そんなに、好きなのか」

「当たり前じゃない。そうでなかったら、結婚なんてしない。まだ若いんだし」

「お母さんの話しじゃ、確かお前の担任は東大出だって聞いたが」

「そうよ」

「東大出かぁ~。どんなヤツなんだろうな」

 厳しかった父の表情が、少し緩んだ。

「とても、東大出には見えないから、心配しないで」

「それは、どういう意味だ」

「百聞は一見に如かずよ。会えばわかるから」

 まずは二人が会う事になって、理子はホッとしたのだった。
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