第77話

文字数 4,674文字

 八月も、もう終わろうとしている或る日の午後、蒔田は都内のホテルにいた。

 大学の同窓会だった。毎年この時期に実施する事に幹事が決めていて、今年で二回目だが、去年は欠席した。
 精神的にとても出るような気分では無かったからだ。

 人数が多いので、ホテルの宴会場を借り切っている。蒔田が登場すると、場内がざわめいた。
 自然と蒔田の周囲に女性陣が集まってくる。蒔田はそれを掻き分けるようにして、旧友達の元へと向かう。

「よぉ!久しぶりだな」

 古川の笑顔が迎えてくれた。
 古川明夫は大学院で平安時代をしきりにほじくりかえしている。

「おおっ!皆さんもよくお越しで…」

 古川はそう言って、揉み手擦り手で蒔田の周囲に群がる女性陣を出迎えた。
 そんな古川の様に、女性陣は一斉に引いた。
 蒔田はそれを見て、クククッと笑う。

「お前がいつもそうやって女どもを追い払ってくれるから、助かるよ」

「おいおい、俺は追い払ってるつもりは毛頭無いんだけどな。本当に心から大歓迎してるのに、なんでみんな逃げてくんだ?」

 真面目な顔で言うのが可笑しくてたまらない。
 モテない男なのだった。
 老け顔なのも理由の一つかもしれないが、アプローチの仕方にも大きな問題があるだろう。

 博愛主義者の女性好きだ。
 モテない反動なのだろうか。女性なら誰でもいいのではないかと思わせる所がある。
 気さくでお喋りだが、肝心な事は喋らない、頭のいい男でもある。
 勿論、人もいい。だが、女性達には敬遠されるのだった。

「ところで、あれ以来だな、会うのは。お前、いつからそんなに人づきあいの悪い奴になったんだ?」

 “あれ以来”と言うのは、去年の秋の平安展の事だ。
 蒔田は普段、友人との付き合いは大切にしている方だった。

 女にモテるのに、女どもを足蹴にして男友達との付き合いの方を大事にする蒔田は、仲間達から人気があった。
 学生時代は、よくみんなで旅行へ行ったり飲みに行ったりしたものだ。

 古川が女性陣を追い払ったら、旧友達が彼らの元に集まって来た。
 みんな蒔田と久しぶりに会うのを喜んでいた。

「お前、去年は来なかったよな。連絡も無いし、どうしてるか心配してたんだぞ」

 中の一人が言った。

「悪い、馴れない教師生活でストレス溜まっちゃっててな」

「そういう時こそ、みんなと飲んでパーッとしなきゃ駄目だぞ」

「そうだよな。スパイラル状態にハマっちゃって、ドツボだったんだ」

「そう言えば、去年は望と付き合ってたんだろう?秋頃に別れたって噂が耳に入って来たが、その後はどうしてるんだ?」

 望、と言うのは真下望と言う、英文科の女で、去年蒔田が付き合っていた女だ。
 卒業論文も通って、就職先も決まって、ホッとしていた時に頼まれて付き合いだした女だった。
 細身でボブカットの、顔にあるソバカスが愛嬌を感じさせる女だ。

「お前ら、地獄耳だな」

 蒔田は感心する。
 
「俺達これで、お前の事は随分と気にしてるんだよ。お前の女遍歴には興味津々だしな。まるで現代の光源氏のようだ」

 そう言って、みんな笑った。

「俺、自分から口説いた事は一度も無いけどな」

「ああ、羨ましい奴だ。口説かなくても、向こうからやってくる」

 と、大爆笑する。
 蒔田は、学生時代は大抵いつも付き合っている女がいた。
 蒔田のルックスに惹かれて女の方から寄ってくる。

 蒔田は、その時に付き合っている女がいなくて、生理的に受け付けないタイプで無い限り受け入れていた。いちいち面倒くさかったからだ。

 だが付き合うと言っても、自分からデートに誘う事は全くない。
 女の方から誘われて、友達との約束や用事が無ければ、それに付き合う、そういう交際だった。
 セックスも同じだ。蒔田の方から誘う事はまずない。蒔田の方から誘うのは、精神的に落ち込んだりストレスが溜まり過ぎて、どうにもやりたくなった時だけで、そういう事は稀だった。

 自然、女も積極的になる。交際を申し込んでOKしてくれた事を喜び、デートに誘われるのを待っていても、いつまで経っても誘われない。
 電話もメールもLINEも無い。消極的な女では、蒔田の彼女は務まらない。

「去年の同窓会でな。お前が頻繁に誘ってくるって望が自慢げにみんなに話してたんだよな。お前の方から誘う事なんて、滅多に無いからな。みんな驚いてたんだぜ」

 蒔田との長い付き合いで、友人達は皆、蒔田が誰も好きになれないのを知っていた。
 次から次へと女が変わるが、その無関心な態度から、みんな女の方から愛想を尽かして去って行く。

 要は、イイ男なのに、蒔田の方が振られている事になるのだ。
 色んな女とやれるのが羨ましい反面、恋愛の醍醐味を経験できない蒔田に同情の念を抱いていた。だから、愛を求めて彷徨(さまよ)う光源氏になぞったのだった。

「だから、さっき言ったろ?スパイラルでドツボだったって」

 蒔田の方から誘う時は、ストレスが溜まっている時だ。その事は仲間も承知している。

「じゃぁ、望と別れたのは、それを脱したからなのか?」

「そういう事」

「それも珍しいよな。お前の方からふったって聞いたぞ」

 そんな事まで、みんな知っているのかと、蒔田は驚いた。

「望がな。友達に喋って、それが皆に広まったと言う訳だ。それを聞いて、女性陣は鵜の目鷹の目だ。でも学生の時のように、毎日学内で会うわけじゃないからな。お前をゲットする機会が早々無い。今日あたり、来るんじゃないかぁ?」

 それを聞いて、蒔田は溜息が出た。
 面倒くさい。その一言に尽きる。

 取りあえず誰かと付き合っていれば、その間は争奪戦に巻き込まれる事が無い。簡単に受け入れて来たのも、そのせいだ。

「お前もホント、苦労するよな。モテ過ぎるのも考えものだな」

 その言葉を受けて、「俺なら喜んで、皆に十分サービスするんだけどなぁ」と、古川が言った。笑いの渦が巻き起こる。

「蒔田君」

 後ろから女に呼ばれた。振りかえると、村上彰子(むらかみしょうこ)だった。

「凄い久しぶりだよね。元気だった?」

「ああ。お前は?」

「元気は元気なんだけど、ね.....」

 少し意気消沈した様子を見せた。
 その様子に、周囲の仲間達は少し距離を置いた。気を利かせたようだ。

「お前、今は何をしてるんだっけ?」

「出版社に勤めてるの。古文の辞書や事典を作る部署にいる」

「儲からない部署だな」

「うん」

 そう言って、力無く笑った。
 村上彰子は国文科で、蒔田の初めての相手だった。

 大学に入って暫くした頃、たまたま大学の図書館で知り合った。
 平安文学好きの彼女とは、学問上共通点も多いせいか話しが合い、なんとなくそのまま自然に付き合うようになったのだった。

 大学に入学しても周囲の女子の反応は相変わらずで、蒔田には鬱陶しい限りだった。
 そんな中で、たまたま知り合った彰子の目は、他の女が自分を見る目とは違っていた。
 (こび)が無かった。
 そういう点では、理子と共通していたかもしれない。媚びない目で自分を見る女に興味が湧いた。

 彰子は静岡から上京していて、マンションに一人で暮らしていた。
 実家は地元の資産家で、セキュリティのしっかりしたマンションを娘の為に用意したようだった。
 蒔田はその部屋に、付き合い始めて一カ月経った頃に招待された。
 広めのワンルームだった。

「この部屋へ入る男性は、蒔田君が初めてよ」

 白と黒で統一された、女性らしくない部屋だった。
 だが彰子は十分過ぎる程、女だった。
 同級生だと言うのに、彰子は馴れた手で蒔田を(いざな)った。

 いつもストンとした感じの、体の線が目立たない服を着ているのに、裸になった彰子の体はくっきりとした曲線を描く、見事なボディだった。
 その体に、初めてだった蒔田はそそられた。

 蒔田のぎこちない手付きに、「もしかして、蒔田君、初めてなの?」と、彰子が訊いてきた。
 蒔田は何となく恥ずかしくなって、憮然とした表情で黙っていた。

「凄くモテるのに、まだ知らないなんて.....。じゃぁ、私が教えてあげる」

 彰子は優しく微笑んでそう言うと、蒔田に口づけた。
 それからの蒔田は無我夢中だった。
 彰子は煙草を吸っていたので、煙草の匂いがした。その煙草の匂いの中に、微かに女特有と思われる匂いがして、欲情した。

 初めての時は、あっと言う間に過ぎて行った。
 やっている時には夢中だったが、終わってしまうと、あっけないものだと思った。

「ごめん、俺、早かった?」

 本当にあっと言う間だった。

「そうね。でも最初はみんな、そんなものよ」

 彰子は優しく笑った。
 それからは会うたびに交わっていた。彰子は貪欲で、蒔田は彼女から色んな事を教わった。

「蒔田君のって、長いから大変だわ…」
 初めて口に咥えられた時、彼女はそう言った。
 蒔田は初めて覚える感覚に、いつになく興奮した。その一方で、度重なる交わりに蒔田は頭の
奥が醒めて行くのを感じていた。

 彰子の見た目は派手ではない。とても、こんなにセックスに長けた女には見えない。
 どちらかと言えば清楚で、落ち着いた知的な印象の女だった。
 華美で無い所は、蒔田の気に入っている所だ。

 勉強熱心で話しも合う。
 こうして何度も体の関係を重ねていれば、普通なら自然と愛着が生まれたり、愛情が育まれていくのだろうに、そういった感情が一切湧いてこないのだった。

 自分のモノを口に咥えている彰子を、蒔田は醒めた目で見ていた。
 そこだけが敏感に反応している。強い刺激が脳に伝わってくる。
 見ていると醒めてくるから、蒔田は目を瞑った。
 心はいっこうに熱くなってこない。彼女に対して、愛おしさを感じない。

 最初は彰子の誘導でやっていたセックスも、いつしか蒔田の方が優位な関係になっていた。
 蒔田の望む事すべてを、彰子はやらせてくれた。
 二人は数えきれない程、一緒に深い淵へと落ちた。

 それなのに相変わらず愛情が湧いてこない。
 彰子の事は好きだった。話していて楽しいし、これだけ深い関係になっていながら、ベタベタしてこない。
 事が終わるとさっさと身支度を整える蒔田に平然としている。
 そういう彰子との付き合いは楽だった。

 彰子と付き合っているお陰で、近寄ってくる他の女達を冷たくあしらっても、文句を言われないで済んでいる。

 夏が終わる頃、突然、彰子に告げられた。

「私達、別れましょう」

 蒔田はその言葉に愕然とした。
 喧嘩をしたわけでもないし、何か行き違いがあったわけでもない。
 これまでと何一つ変わった事など無いのだから、その言葉は蒔田にとっては唐突だった。

「なぜ.....?」

 蒔田のその言葉に、彰子は初めて深い悲しみの色を瞳に浮かべた。

「貴方は一向に私を愛さないのに、私はどんどん貴方を愛していくから」

 蒔田は衝撃を受けた。自分が彼女を一向に愛せずにいる事は十分過ぎる程わかっていた。
 だが、彼女が自分を愛している事には全く気付かなかった。

「気付かなかったでしょ、私の気持ちに。それは、貴方が私に無関心だった証拠よ」

「ごめん.....」

 蒔田はそれしか言葉が見つからない。
 
「しょうがないわ。人の心はどうにもできない。ただ私は、段々とこの関係が辛くなってきたの。どんどん好きになるのに、愛されないし、この先もきっとそれは変わらないとわかってるから」

「お前は、セックスには貪欲なのに、人の心には貪欲じゃないんだな」

「貪欲になっても、蒔田君が困るだけでしょ?これは私の習性ね。高校生の時に、大人の男性と不倫の関係になってね。我慢する事に馴れちゃったみたい」

 彰子はそう言って、寂しそうに笑った。
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