第11話

文字数 2,628文字

 理子は蒔田に言われた通り、苦手な理数系において、とことん担当教師に食らいつくようにした。そんな理子にどの教諭も思っていた以上に熱心に対応してくれたのだった。

 特に数学の石坂周司教諭は、とても親切だった。
 背の高い、細身でスラッとした優しい面だちの中年だが、静かな人気がある。少し品のある感じもして、理子も憧れの気持ちを抱いている。
 奥さんは元教え子だったと噂されている。

 この教諭は普段の授業も熱心な上に親切で、わかりやすかった。
 去年の数1の教師とは大違いである。
 数1の時に躓いたのも、その分かりにく授業のせいもあるように思う。

 数2の方が分かりやすいので、去年の数学の点数よりはマシだが、それでも、どうしても引っかかる所が有って理解できない。そこを何度も何度も訊いた。
 その甲斐あってか、一学期の期末テストでは、理数系が驚くほど解答できた。中学以来の手ごたえだった。

 理数系程、問題が解ける時の手ごたえを感じるものはない。この醍醐味が、さらに勉強に拍車をかけるのだ。
 こうなると、解答用紙が次々と戻ってくるのが楽しみになった。

 一生懸命やった事が、結果として明確に現われているのが嬉しくてたまらない。
 文系はこれまで通りの好結果だったし、理数系もそれに追い付いてきた。成績も一挙に上がった。

 蒔田とは、あれから二人きりになる事は無かった。
 合唱部の部活の後、理子はなるべく弾き語りはせずに、すぐに帰るようにしていたからだ。

 彼氏の須田からは、数回メールが来ただけで、相変わらず会っていない。
 メールには会えない詫びがいつも書かれていた。

 生徒会長と言う事もあって、校内で同じ生徒会の女子と一緒にいる姿を見かけても、ああ元気そうだな、と思うだけだった。
 茶道部の先輩から、「須田くん、最近他の女子との噂が立ってるけど、知ってる?」と言われて、びっくりしたものの、嫉妬めいた感情も湧いてこない。

 もう、潮時なのかな、と思う。

 結局、付き合っている時だって、ときめきらしいものを感じた事が無かった。あるのはいつも安心感だけだ。

 一度だけ、映画の帰りに送ってくれた時、別れ際にキスをされた。
 それが理子にとってはファーストキスだったのだが、唇が1秒ほど軽く重なっただけで、あっと言う間だった。

 須田は一瞬唇を合わせた後、すぐに「じゃぁ」と言って去って行った。
 理子はあまりにも突然で一瞬の出来事に、最初は何が起きたのかを理解できなかった。
 須田の姿が消えて暫くしてから、やっと理解したのだった。

 その時も、これと言った感情は湧いてはこなかった。
 その事で前よりも意識するような事も無かった。

 その後、そういった事は全く無く、甘い雰囲気になった事も一度もないし、手すら繋いだ事もない。考えてみれば淡泊な付き合いだった。

 生徒会の任期もこの7月で切れる。
 3年生にとっては、この夏休みは大事な時期だ。この先、もっと会うのは厳しくなるだろう。だらだらしていても、しょうがないな、と思う。

 他の女子との噂が立つと言う事は、もしかしたら須田の気持ちも離れていると言う事なのかもしれない。
 理子は、当たり障りのないように気を付けながら、別れを匂わすLINEを送った。
 須田の方は、既読がついたものの、返事は来ない。

 終業式の日、帰りのホームルームが終わって教室を出たら下駄箱の前で須田が待っていた。

「久し振り」

 ドキリとした。須田に会って心臓が鳴るなんて初めてだ。
 須田は手を挙げて笑った。

「一緒に帰らないか?」

 理子は頷いた。
 須田は自転車通学をしている為、一緒に帰る時は理子はいつも須田の自転車の荷台に乗るのだった。
 理子は駅から自宅まで自転車なので、一緒なのは駅までだ。時間があれば、その後、駅の近くにあるファミレスに入ったりしていた。

 この日、久し振りに須田の荷台に乗った。
 自転車に乗っている間は話はあまりできない。駅に着くと、ファミレスに誘われた。多分、この間の件だろう。

「先輩、時間の方は大丈夫なんですか?」
「大丈夫だよ」

 二人はファミレスに入って向き合った。久し振りに見る須田は、少し疲れているように見えた。目の下にクマができているのではないか.....。

「ごめんな。ずっと会えなくて。連絡も殆どしてなかったし.....」

 ドリンクを取ってきた後、済まなそうな顔で須田が言う。

「しょうがないです。何より受験が大事だし」

 理子は微笑みながら答えたが、どこか淡々とした気持ちは拭えないと感じていた。

「本当に、そう思ってる?」

「はい」

「そう何の躊躇(ためら)いもなく言われると、それはそれで寂しい気がするな」

 そう言われても、どう答えていいのかわからない。

「LINE見たよ。確かに理子が言う通り、このままダラダラしててもしょうがないよな。俺はこれから益々時間的に厳しくなるし」

 矢張り何よりそれだろう、と理子は頷く。
 それでも付き合いを続けたいとの想いも互いに湧いてこないんだろうから、ここらでお別れするのが妥当な線だと確信した。

 だが、その後に続いた須田の言葉に、理子は俯くしか無かった。

「たださ。春休みからこっち、理子の方から会いたいってLIENをくれたら、俺はまだ幾らかは時間が取れたんだ。一緒に帰ってちょっとお茶するくらいなら」

 急に居たたまれない気持ちが湧いてきた。
 須田の口調にせつなさが感じられた。彼の言いたいことが何となくだが分かってきた気がした。

 結局、理子自身が須田をそれ程好きだったわけではないのだ。
 須田もそれを感じていたに違いない。
 だから、それを否定したくて、あえて自分から積極的にアクセスしてこなかったのかもしれない。

「理子が俺に気を遣ってくれてたのはわかってるんだ。でも、もっと甘えて欲しかったかな。ごめんな。今更こんな事を言って。そう思っていたら、もっと自分からそう言えば良かったんだと思う。俺って勝手だよな」

 理子は頭を振った。須田の言う事は尤もだと思うからだ。

 スタートの時点で、温度差があった。そこは仕方なかっただろう。
 その後の付き合いで、結局その温度差は縮まる事が無かった。
 見た目はタイプだし、優しい先輩で好意も抱いていたから、付き合ううちに好きになっていくだろうと思っていたのに。

 二人はその後、期末の結果の話などをして別れた。
 交際にも終止符を打った。
 自分から望んだことではあったが、なんだか寂しいと思う理子だった。
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