第60話
文字数 5,797文字
「ごめん、急に呼び出して」
「ううん」
翌朝のファミレス。
店の前で枝本と一緒になったので、そのまま二人は店内へ入った。時間が時間だけに、店は空いていた。
ボックス席に向き合って座る。
こんな風にして会うのは、初めてな気がした。
映画の時に一緒に食事はしたが、それとはまた違っている。変な感じだ。
ドリンクバーを注文し、枝本が理子の分まで取ってきてくれた。
「今日は午前中ならOKってあったけど、午後からは用事があるの?」
枝本がコーヒーに入れた砂糖を掻きまわしながら言った。
「うん、そうなの。だから昼前には帰りたいんだけど」
「そうか、わかった。じゃぁ、お昼を一緒には食べれないんだね。ファミレスだから良かったら一緒にどうかと思ってたんだけど、無理だね」
「ごめんね」
「もしかして、デート、とか?」
枝本が遠慮勝ちに訊いてきた。
「うん、まぁね.....」
頬が熱くなってきた。
「前に言ってた人?大人の?」
「そうなの。あれからね、両思いになったんだ」
「彼女がいるって言ってなかったっけ?その人と別れたのかな」
「ううん。彼女がいると思ったのは私の勘違いで、彼女じゃなかったの」
「そうなんだ。じゃぁ、良かったじゃん」
枝本はそう言うと笑った。だがその笑顔は、どこか寂しげだった。
「ところで、その.....」
理子は肝心な用件を促した。時間に余裕があるわけでは無い。
「ああ、そうだった。実は小泉の事で最上さんから電話を貰ってさ。その事については、理子も知ってるよね?理子に相談したら、男の気持ちはわからないから、俺に相談してみたらって言ったんだよね?」
「うん。ゆきちゃんには色々と話したけど、彼女なりに感じる所もあるみたいで」
「俺もさ。まぁ、同じ男として共感できる部分もあるにはあるんだけど、やっぱり個人差あるからさ。ちょうど、一昨日、小泉んちへ行ったんで、ちょっと話しを聞いてきたんだ」
「本人から直接訊いてきたの?話してくれた?」
肝心な事は話さないらしいし、普段から無口な方だ。
「話してくれた」
枝本にはよく話すんだな、と理子はちょっと不思議に思った。
中学の時から仲の良い村田達には、あまり話さないようなのに。
「まず結論から言うと、最上さんとは暫く距離を置きたいって」
「距離?それって、どういう意味?」
多分、そんなところだろうと予測はしていたが。
「距離は距離。受験が終わるまでは、これまでのようには会えないって事」
「それは、ゆきちゃん自身も言われた事だよね。ゆきちゃんが一番気にしているのは、小泉君の気持ちでしょ?そこはどうなの?」
理子の言葉を受けて、枝本の顔つきが厳しくなった。その顔を見て、不安が浮かぶ。やっぱり、ゆきが感じた通りだったのか?
「あいつが言うには、最近、最上さんの事を重たく感じるようになったんだって」
「重たい?」
「うん。最上さんって、いかにも弱弱しくて儚げで頼りなさそうじゃないか。実際に付き合ってみても、その通りだったって小泉は言ってる。でもって、そういう所が好きになったわけなんだけど.....」
成る程、そうだろう。ある意味、言葉は悪いが、あれが売りみたいなものだ。
「何ていうか、主体性が無さ過ぎて、付き合っているうちに疲れてきたって言うんだよ」
「主体性が無さ過ぎて疲れたぁ?」
(なんだ、それ)
疲れたとは、なんなんだと思うのだった。
「何でも全てお任せなんだってさ。何処へ行きたいか尋ねても、何を食べたいか尋ねても、全部小泉任せらしい。たまには自分をもう少し主張してくれてもいいのにってアイツが言うんだけど、それは俺にもわかる気がするんだ」
「それは、小泉君が好きだからじゃない。女の子なら、大抵はそうだと思うよ」
「理子もそうなの?」
「あたしは.....、半分そうで半分違うかな.....」
「俺は最初から、最上さんのようなタイプは苦手だから、話を聞いたらちょっと付き合えないなぁって思ったけど、小泉は、そういう女の子が好みなわけじゃんか。それを今さらとは俺も思うんだけど」
「そうでしょう?小泉君の言い分は、虫が良過ぎると思う」
理子は憤った。
「まぁね.....。だけど、女の子の君にこう言うのもなんだけど、男って、そういう身勝手な部分を持ってるから」
「枝本君も?」
「多分ね。ずるい部分はあると思うよ。男って結構、気が弱いんだよ」
そんな事を言われても、理子にはわからない。
「それにさ。これも言いにくいけど、小泉と最上さん、エッチしてるよね?って、その件に関しては最上さんからも聞いてるよね?」
「うん、一応.....」
恥ずかしくなってきて、理子は視線を逸らせた。
「理子も付き合ってる男性がいるから言っとくけど、簡単に許しちゃ駄目だ」
「えっ?」
枝本の言葉に理子は驚いた。憮然とした様子だ。
「男ってさ、エッチするまでは異常なくらい燃えるんだよ。手に入れたい欲求に突き動かされる。勿論、好きだからってのもあるけどね。好きだから知りたい。全部知りたい、そう思って突き進む。でも、全部知ったら鎮火する」
「それって、経験者として言ってるの?」
「えっ?」
理子の問いに、枝本は黙った。目を瞬かせて逡巡している様子だ。
理子は恐る恐る訊いてみた。
「枝本君って、既に知ってるんでしょ、女の子。中1の時に、黒田さんと色々あったよね?」
「何で君がそんな事を知ってるんだ?」
枝本の口調が強くなった。
理子が知っている事に、枝本は驚きと同時に怒っているように見えた。
「ごめんなさい。私が知ってるのは、中1の初夏頃、まだ小松さんと渕田君が付き合ってて、彼らと黒田さんと菊ちゃんが、枝本君の部屋へ遊びに行った時に有った事だけなの」
「菊ちゃんって、菊川さんの事?」
菊川恵理子は、理子が仲良くしていた友達だったが、同時に彼女は黒田とその親友の小松とも、とても仲が良かった。
当時、小松は渕田と付き合っていた。渕田は小松と付き合う前は黒田と付き合っていたのだが、黒田と渕田はすぐに別れて、それぞれ別の相手と付き合うようになっていた。
小松は黒田の親友なので、頻繁にダブルでデートをしていたようだ。
その二組のカップルの中に、何故か菊川がよく混ざっていて、その時の様子を理子に話してくるのだった。
理子が枝本を好きだと言う事を、菊川はその時は知らなかったと言う事もあるが、見て来た事をよく喋るので理子はその度に傷ついていた。
「菊ちゃんから聞いたの。枝本君の部屋で、それぞれカップル同士、際どい所までいってたって。だから、きっと、その先へも進んだんじゃないかって思っていただけなんだけど、当たっちゃったみたいね」
「あの、お喋りめっ」
枝本のその怒った言い方が、一瞬で当時まで時間が戻ったような錯覚を与えた。
あの頃は、こんな風に、怒りっぽい面を持っていた。
なんだか懐かしくて、理子の頬が緩む。
「菊ちゃんのお喋りには、私も随分、振り回された。黒田さんと付き合ってる頃は、私の気持ちを菊ちゃんは知らなかったって事もあるんだけど、自分が目撃した事を逐一話してくるもんだから、その度に傷ついたし、同じ班になってからは、ヴァレンタインの時に本当に参っちゃった」
「ああ、あの、ヴァレンタインね.....」
「そう。あれ。菊ちゃんからそれを聞いたのは、ヴァレンタインから一週間も経ってからだったんだよ。私、そんな事は一言も言ってないのに。開いた口が塞がらなかった。それに、ああまでお喋りなら、その事を翌日に言って欲しかった。そうしたら、すぐに用意して、渡したのに」
「本当に?」
枝本の顔が心なしか明るく見えた。
「うん.....。本当。そうしたら、もっと早くに両思いになれてたよね、きっと」
理子は、ヴァレンタインの日、風邪を引いて休んだのだった。
三学期になってから枝本と急接近し、日々、二人で交わす会話が増えて、親しくなっていく事を嬉しく思いながらも、枝本の気持ちを推測しては不安になる日々だった。
自分に興味を持ってくれているみたいだとは思ったが、それ以上の感情があるとは思えなかった。
自分に自信が無かった事も大きい。
だからヴァレンタインにチョコをあげるか否か、物凄く悩み、結局、渡したら二人の良い関係が壊れてしまうかもしれないとの思いが強くて、チョコを用意していなかった。
風邪を引いて休んだのは、理子にとってみれば好都合でもあった。
そのまま、何気なく過ぎ去ってくれれば助かると思った。
ところが、普段から理子の気持ちを知っている菊川が、てっきり理子はチョコを渡すものと思い込んでいて、休んで渡せなくなったのが可哀そうだと思い、枝本本人に、『理子が、チョコをあげるって言ってたよ』と言ったのだ。
それを聞いた枝本が目を輝かせながら、凄く嬉しそうな顔をして、『いつくれるの?』と言っていたと、ヴァレンタインの一週間後に菊川から聞いた時は、驚いて心臓が止まるかと思った。
その言葉を、翌日に聞いていたら、勇気が出て、渡していたかもしれない。
だが、既に一週間も経っていては、あまりにも遅すぎる。
自分の知らない所で、そんな事を言った彼女を恨めしく思ったものだった。
理子は枝本を見た。
心が僅かだがときめいている。何かの拍子に過去へとトリップしてしまう。
やっぱり理子にとっては、彼は忘れられない特別な人だと思う。
「彼女は、お喋りで軽率なんだよな。人はいいんだけど」
枝本が懐かしそうに言った。理子は話しを戻す。
「それで、さ。枝本君、どうなの?自分も、そういう経験があるからなの?」
理子の言葉に枝本は真顔になった。
「.....そこ、聞くんだ。まぁ、そうだね。俺の場合は、別に欲求が高まってやったわけじゃないよ。アイツの方から誘ってきたからさ。当時はまだ十二だったんだぜ?体も小さかったし。興味はあったけど、抵抗されたら諦めたと思う。だけど、アイツは簡単に許した。自分から誘ってきたんだから、当然だけどな。まぁ、まだ子供だったから、こんなもんなのかって思ったのが正直な感想。話しのついでに言うけど、南中時代も、それから名古屋の高校時代も、一人ずつ経験してる」
その言葉に、ドキリとした。枝本は、既に三人も知ってるのか。
じゃぁ、十分に男なのだろうか。そう考えて理子は顔が赤くなってくるのを感じた。
「理子はやっぱり、純だな。なら尚更、気を付けないと。簡単に許す女は、簡単に飽きられる。そう思っておいた方がいい」
枝本の真剣な眼差しに理子は複雑な思いに駆られた。
私は先生に簡単に許してしまったんだろうか?
簡単と言えば、そうなのかもしれない。抵抗したが、強く拒否することができなかった。
蒔田は会う度に求めてくる。しかも、事に及べば一度では済まない。
そのうちに、飽きられるのだろうか?急に不安になってきた。
「そういうものなの?」
理子は平静を保ちながら、そう質問した。
「まぁ、大体が。特に理子の相手は大人なんだから、余計に用心した方がいいかもな。大体、理子には悪いけど、大の大人が女子高生相手に恋愛ってのも、信じられないって言うか。まさか、騙されてるわけじゃないよな?」
「そんなわけないじゃない」
理子は強く否定した。
「まぁ、そうだよな。当人はそう思うわけ無いもんな」
「もう、私の事なんかより、小泉君とゆきちゃんの事を話してるんじゃない」
「そうそう。それでさ。小泉が言うには、彼女が許してくれたんで、最初は凄く嬉しかったらしいんだけど、何ていうか、段々、楽しくなくなってきたって言うんだよ」
枝本が目を逸らしながら、そう言った。
「楽しくなくなってきた?それって、どういう意味なの?」
「うーん、経験の無い理子には、実感が湧かないと思うけど、小泉の話しを聞いて、俺には何となくわかったって言うか」
経験はしているが、枝本の言う意味はわからなかった。
「それって、経験云々よりも、男女の差じゃないの?」
理子は指摘した。
「そうかもしれない。これはやっぱり、男だからなのかな。されるがままの彼女に飽きたんだ。簡単に言えば。彼女を知って、興味が半減した。全ての事において、依存してきて主体性が無い事で、段々彼女に興味を持てなくなってきたみたいだな」
「ひどい!」
「そんな、俺を睨まないでくれよ。俺じゃないんだから。小泉の事なんだからさ」
枝本はタジタジになった。
何て勝手なんだろう。
あんなに可愛いゆきちゃんを弄ぶなんて。
彼女のどこが重たいって言うんだ。
守ってあげたくなるのが当たり前だろうし、だからこそ、しっかり守ってやるべきなのに。
最初から、そこが好きで付き合いだした筈なのに、どうして?
そう思わずにはいられなかった。しかも、飽きただなんて。
「好きだから、依存するんでしょ。儚げな彼女を守ってあげたくて好きになったんじゃないの?」
「俺にそう言われてもなぁ。理子の言う事はわかるよ。だけど、人の気持ちはどうにもならないだろう?小泉に幾ら諭したところで、気持ちは変わるのかな」
「枝本君は、そうやってただ、小泉君の言い分を聞いてあげただけなの?責めなかったの?」
理子が鋭い視線を枝本に浴びせた。
「責めたさ。俺だって、理子と同じ事を言った。そういう彼女が好みだったんだし。ただ、受験に追われ始めたせいで、ゆっくりじっくり考える余裕が無いんだ。彼女の事はまだ好きだけど、
とにかく今は、あまり深く考えたくないって言うんだ。それについては、俺も理解できる。ただ、最上さんに、どう話したらいいのかわからなくて。それで君にこうして話してるわけなんだ」
こんなことを正直には話せない。
話したら、どんなにショックを受けるか。
彼女だって受験生だ。それこそ、彼女の受験に響くだろう。
きっと相当落ち込んで、浮上するのにどれだけの時間を要すか見当がつかない程だ。
「小泉君は、受験が終わったら、ゆきちゃんの事をちゃんと考えるのかしら?」
枝本は、理子のその言葉に即答はせず、暫く考えたのちに「わからない」と答えた。
きっと、同じ事を思っているのだろう。
距離を置いたら、きっとこのまま、その状況に慣れてゆき、結局は一緒にいない事が平気になり、そのまま関係は解消されてゆくのだろう。
その時、思いもかけない人物が二人の間に入って来た。
「ううん」
翌朝のファミレス。
店の前で枝本と一緒になったので、そのまま二人は店内へ入った。時間が時間だけに、店は空いていた。
ボックス席に向き合って座る。
こんな風にして会うのは、初めてな気がした。
映画の時に一緒に食事はしたが、それとはまた違っている。変な感じだ。
ドリンクバーを注文し、枝本が理子の分まで取ってきてくれた。
「今日は午前中ならOKってあったけど、午後からは用事があるの?」
枝本がコーヒーに入れた砂糖を掻きまわしながら言った。
「うん、そうなの。だから昼前には帰りたいんだけど」
「そうか、わかった。じゃぁ、お昼を一緒には食べれないんだね。ファミレスだから良かったら一緒にどうかと思ってたんだけど、無理だね」
「ごめんね」
「もしかして、デート、とか?」
枝本が遠慮勝ちに訊いてきた。
「うん、まぁね.....」
頬が熱くなってきた。
「前に言ってた人?大人の?」
「そうなの。あれからね、両思いになったんだ」
「彼女がいるって言ってなかったっけ?その人と別れたのかな」
「ううん。彼女がいると思ったのは私の勘違いで、彼女じゃなかったの」
「そうなんだ。じゃぁ、良かったじゃん」
枝本はそう言うと笑った。だがその笑顔は、どこか寂しげだった。
「ところで、その.....」
理子は肝心な用件を促した。時間に余裕があるわけでは無い。
「ああ、そうだった。実は小泉の事で最上さんから電話を貰ってさ。その事については、理子も知ってるよね?理子に相談したら、男の気持ちはわからないから、俺に相談してみたらって言ったんだよね?」
「うん。ゆきちゃんには色々と話したけど、彼女なりに感じる所もあるみたいで」
「俺もさ。まぁ、同じ男として共感できる部分もあるにはあるんだけど、やっぱり個人差あるからさ。ちょうど、一昨日、小泉んちへ行ったんで、ちょっと話しを聞いてきたんだ」
「本人から直接訊いてきたの?話してくれた?」
肝心な事は話さないらしいし、普段から無口な方だ。
「話してくれた」
枝本にはよく話すんだな、と理子はちょっと不思議に思った。
中学の時から仲の良い村田達には、あまり話さないようなのに。
「まず結論から言うと、最上さんとは暫く距離を置きたいって」
「距離?それって、どういう意味?」
多分、そんなところだろうと予測はしていたが。
「距離は距離。受験が終わるまでは、これまでのようには会えないって事」
「それは、ゆきちゃん自身も言われた事だよね。ゆきちゃんが一番気にしているのは、小泉君の気持ちでしょ?そこはどうなの?」
理子の言葉を受けて、枝本の顔つきが厳しくなった。その顔を見て、不安が浮かぶ。やっぱり、ゆきが感じた通りだったのか?
「あいつが言うには、最近、最上さんの事を重たく感じるようになったんだって」
「重たい?」
「うん。最上さんって、いかにも弱弱しくて儚げで頼りなさそうじゃないか。実際に付き合ってみても、その通りだったって小泉は言ってる。でもって、そういう所が好きになったわけなんだけど.....」
成る程、そうだろう。ある意味、言葉は悪いが、あれが売りみたいなものだ。
「何ていうか、主体性が無さ過ぎて、付き合っているうちに疲れてきたって言うんだよ」
「主体性が無さ過ぎて疲れたぁ?」
(なんだ、それ)
疲れたとは、なんなんだと思うのだった。
「何でも全てお任せなんだってさ。何処へ行きたいか尋ねても、何を食べたいか尋ねても、全部小泉任せらしい。たまには自分をもう少し主張してくれてもいいのにってアイツが言うんだけど、それは俺にもわかる気がするんだ」
「それは、小泉君が好きだからじゃない。女の子なら、大抵はそうだと思うよ」
「理子もそうなの?」
「あたしは.....、半分そうで半分違うかな.....」
「俺は最初から、最上さんのようなタイプは苦手だから、話を聞いたらちょっと付き合えないなぁって思ったけど、小泉は、そういう女の子が好みなわけじゃんか。それを今さらとは俺も思うんだけど」
「そうでしょう?小泉君の言い分は、虫が良過ぎると思う」
理子は憤った。
「まぁね.....。だけど、女の子の君にこう言うのもなんだけど、男って、そういう身勝手な部分を持ってるから」
「枝本君も?」
「多分ね。ずるい部分はあると思うよ。男って結構、気が弱いんだよ」
そんな事を言われても、理子にはわからない。
「それにさ。これも言いにくいけど、小泉と最上さん、エッチしてるよね?って、その件に関しては最上さんからも聞いてるよね?」
「うん、一応.....」
恥ずかしくなってきて、理子は視線を逸らせた。
「理子も付き合ってる男性がいるから言っとくけど、簡単に許しちゃ駄目だ」
「えっ?」
枝本の言葉に理子は驚いた。憮然とした様子だ。
「男ってさ、エッチするまでは異常なくらい燃えるんだよ。手に入れたい欲求に突き動かされる。勿論、好きだからってのもあるけどね。好きだから知りたい。全部知りたい、そう思って突き進む。でも、全部知ったら鎮火する」
「それって、経験者として言ってるの?」
「えっ?」
理子の問いに、枝本は黙った。目を瞬かせて逡巡している様子だ。
理子は恐る恐る訊いてみた。
「枝本君って、既に知ってるんでしょ、女の子。中1の時に、黒田さんと色々あったよね?」
「何で君がそんな事を知ってるんだ?」
枝本の口調が強くなった。
理子が知っている事に、枝本は驚きと同時に怒っているように見えた。
「ごめんなさい。私が知ってるのは、中1の初夏頃、まだ小松さんと渕田君が付き合ってて、彼らと黒田さんと菊ちゃんが、枝本君の部屋へ遊びに行った時に有った事だけなの」
「菊ちゃんって、菊川さんの事?」
菊川恵理子は、理子が仲良くしていた友達だったが、同時に彼女は黒田とその親友の小松とも、とても仲が良かった。
当時、小松は渕田と付き合っていた。渕田は小松と付き合う前は黒田と付き合っていたのだが、黒田と渕田はすぐに別れて、それぞれ別の相手と付き合うようになっていた。
小松は黒田の親友なので、頻繁にダブルでデートをしていたようだ。
その二組のカップルの中に、何故か菊川がよく混ざっていて、その時の様子を理子に話してくるのだった。
理子が枝本を好きだと言う事を、菊川はその時は知らなかったと言う事もあるが、見て来た事をよく喋るので理子はその度に傷ついていた。
「菊ちゃんから聞いたの。枝本君の部屋で、それぞれカップル同士、際どい所までいってたって。だから、きっと、その先へも進んだんじゃないかって思っていただけなんだけど、当たっちゃったみたいね」
「あの、お喋りめっ」
枝本のその怒った言い方が、一瞬で当時まで時間が戻ったような錯覚を与えた。
あの頃は、こんな風に、怒りっぽい面を持っていた。
なんだか懐かしくて、理子の頬が緩む。
「菊ちゃんのお喋りには、私も随分、振り回された。黒田さんと付き合ってる頃は、私の気持ちを菊ちゃんは知らなかったって事もあるんだけど、自分が目撃した事を逐一話してくるもんだから、その度に傷ついたし、同じ班になってからは、ヴァレンタインの時に本当に参っちゃった」
「ああ、あの、ヴァレンタインね.....」
「そう。あれ。菊ちゃんからそれを聞いたのは、ヴァレンタインから一週間も経ってからだったんだよ。私、そんな事は一言も言ってないのに。開いた口が塞がらなかった。それに、ああまでお喋りなら、その事を翌日に言って欲しかった。そうしたら、すぐに用意して、渡したのに」
「本当に?」
枝本の顔が心なしか明るく見えた。
「うん.....。本当。そうしたら、もっと早くに両思いになれてたよね、きっと」
理子は、ヴァレンタインの日、風邪を引いて休んだのだった。
三学期になってから枝本と急接近し、日々、二人で交わす会話が増えて、親しくなっていく事を嬉しく思いながらも、枝本の気持ちを推測しては不安になる日々だった。
自分に興味を持ってくれているみたいだとは思ったが、それ以上の感情があるとは思えなかった。
自分に自信が無かった事も大きい。
だからヴァレンタインにチョコをあげるか否か、物凄く悩み、結局、渡したら二人の良い関係が壊れてしまうかもしれないとの思いが強くて、チョコを用意していなかった。
風邪を引いて休んだのは、理子にとってみれば好都合でもあった。
そのまま、何気なく過ぎ去ってくれれば助かると思った。
ところが、普段から理子の気持ちを知っている菊川が、てっきり理子はチョコを渡すものと思い込んでいて、休んで渡せなくなったのが可哀そうだと思い、枝本本人に、『理子が、チョコをあげるって言ってたよ』と言ったのだ。
それを聞いた枝本が目を輝かせながら、凄く嬉しそうな顔をして、『いつくれるの?』と言っていたと、ヴァレンタインの一週間後に菊川から聞いた時は、驚いて心臓が止まるかと思った。
その言葉を、翌日に聞いていたら、勇気が出て、渡していたかもしれない。
だが、既に一週間も経っていては、あまりにも遅すぎる。
自分の知らない所で、そんな事を言った彼女を恨めしく思ったものだった。
理子は枝本を見た。
心が僅かだがときめいている。何かの拍子に過去へとトリップしてしまう。
やっぱり理子にとっては、彼は忘れられない特別な人だと思う。
「彼女は、お喋りで軽率なんだよな。人はいいんだけど」
枝本が懐かしそうに言った。理子は話しを戻す。
「それで、さ。枝本君、どうなの?自分も、そういう経験があるからなの?」
理子の言葉に枝本は真顔になった。
「.....そこ、聞くんだ。まぁ、そうだね。俺の場合は、別に欲求が高まってやったわけじゃないよ。アイツの方から誘ってきたからさ。当時はまだ十二だったんだぜ?体も小さかったし。興味はあったけど、抵抗されたら諦めたと思う。だけど、アイツは簡単に許した。自分から誘ってきたんだから、当然だけどな。まぁ、まだ子供だったから、こんなもんなのかって思ったのが正直な感想。話しのついでに言うけど、南中時代も、それから名古屋の高校時代も、一人ずつ経験してる」
その言葉に、ドキリとした。枝本は、既に三人も知ってるのか。
じゃぁ、十分に男なのだろうか。そう考えて理子は顔が赤くなってくるのを感じた。
「理子はやっぱり、純だな。なら尚更、気を付けないと。簡単に許す女は、簡単に飽きられる。そう思っておいた方がいい」
枝本の真剣な眼差しに理子は複雑な思いに駆られた。
私は先生に簡単に許してしまったんだろうか?
簡単と言えば、そうなのかもしれない。抵抗したが、強く拒否することができなかった。
蒔田は会う度に求めてくる。しかも、事に及べば一度では済まない。
そのうちに、飽きられるのだろうか?急に不安になってきた。
「そういうものなの?」
理子は平静を保ちながら、そう質問した。
「まぁ、大体が。特に理子の相手は大人なんだから、余計に用心した方がいいかもな。大体、理子には悪いけど、大の大人が女子高生相手に恋愛ってのも、信じられないって言うか。まさか、騙されてるわけじゃないよな?」
「そんなわけないじゃない」
理子は強く否定した。
「まぁ、そうだよな。当人はそう思うわけ無いもんな」
「もう、私の事なんかより、小泉君とゆきちゃんの事を話してるんじゃない」
「そうそう。それでさ。小泉が言うには、彼女が許してくれたんで、最初は凄く嬉しかったらしいんだけど、何ていうか、段々、楽しくなくなってきたって言うんだよ」
枝本が目を逸らしながら、そう言った。
「楽しくなくなってきた?それって、どういう意味なの?」
「うーん、経験の無い理子には、実感が湧かないと思うけど、小泉の話しを聞いて、俺には何となくわかったって言うか」
経験はしているが、枝本の言う意味はわからなかった。
「それって、経験云々よりも、男女の差じゃないの?」
理子は指摘した。
「そうかもしれない。これはやっぱり、男だからなのかな。されるがままの彼女に飽きたんだ。簡単に言えば。彼女を知って、興味が半減した。全ての事において、依存してきて主体性が無い事で、段々彼女に興味を持てなくなってきたみたいだな」
「ひどい!」
「そんな、俺を睨まないでくれよ。俺じゃないんだから。小泉の事なんだからさ」
枝本はタジタジになった。
何て勝手なんだろう。
あんなに可愛いゆきちゃんを弄ぶなんて。
彼女のどこが重たいって言うんだ。
守ってあげたくなるのが当たり前だろうし、だからこそ、しっかり守ってやるべきなのに。
最初から、そこが好きで付き合いだした筈なのに、どうして?
そう思わずにはいられなかった。しかも、飽きただなんて。
「好きだから、依存するんでしょ。儚げな彼女を守ってあげたくて好きになったんじゃないの?」
「俺にそう言われてもなぁ。理子の言う事はわかるよ。だけど、人の気持ちはどうにもならないだろう?小泉に幾ら諭したところで、気持ちは変わるのかな」
「枝本君は、そうやってただ、小泉君の言い分を聞いてあげただけなの?責めなかったの?」
理子が鋭い視線を枝本に浴びせた。
「責めたさ。俺だって、理子と同じ事を言った。そういう彼女が好みだったんだし。ただ、受験に追われ始めたせいで、ゆっくりじっくり考える余裕が無いんだ。彼女の事はまだ好きだけど、
とにかく今は、あまり深く考えたくないって言うんだ。それについては、俺も理解できる。ただ、最上さんに、どう話したらいいのかわからなくて。それで君にこうして話してるわけなんだ」
こんなことを正直には話せない。
話したら、どんなにショックを受けるか。
彼女だって受験生だ。それこそ、彼女の受験に響くだろう。
きっと相当落ち込んで、浮上するのにどれだけの時間を要すか見当がつかない程だ。
「小泉君は、受験が終わったら、ゆきちゃんの事をちゃんと考えるのかしら?」
枝本は、理子のその言葉に即答はせず、暫く考えたのちに「わからない」と答えた。
きっと、同じ事を思っているのだろう。
距離を置いたら、きっとこのまま、その状況に慣れてゆき、結局は一緒にいない事が平気になり、そのまま関係は解消されてゆくのだろう。
その時、思いもかけない人物が二人の間に入って来た。