第41話
文字数 6,260文字
「枝本君に」
蒔田はビクっとした。
「諦めきれないって言われました」
理子の言葉に、蒔田の心がざわめいた。
「彼は私の元彼だし、嫌いになって別れたわけじゃありません。彼の事、とても好きでした。当時の事を思い出すと、なんだかその時の気持ちが蘇ってくるんです。もし強引に押し倒されたら」
「やめてくれっ!」
蒔田はつい声を荒げた。理子はひどく驚いたように目を見開いている。
「やめてくれ。本当に俺が悪かった。だから、やめてくれ」
蒔田は懇願した。
「お前は妬かなくても、俺は妬く。お前が俺を裏切って他の男と浮気するなんて有り得ないと信じてる。信じてるが、仮定であってもそんな話は聞きたくない。もし強引に押し倒して、抵抗するお前を無理やり犯すような男がいたら、俺はそいつを殺す」
蒔田は憤っていた。
「先生.....。仮定話がいかに馬鹿げてるか、わかったでしょ?人の心を仮定で推し量るなんて愚かな事です」
理子の声は優しかった。
「理子.....」
「これで、おあいこです。許してあげます」
蒔田は理子を抱き寄せた。
「お前こそ、ずるいぞ」
「ずるいのは、先生です。私は仕返しをしただけ。いっつもやられてばかりだから」
こういう時、蒔田は、理子は本当は妖艶な悪女なんじゃないかと思う。
理子の方こそ、最後に跪 くのは蒔田の方だと知っているような気がしてならなかった。
「理子。結婚しよう」
蒔田が理子を腕の中に抱きしめて、そう言った。
驚く理子に、蒔田は優しく口づけを落した。
「お前を愛してるんだ。狂おしいほどに。一生、俺のそばにいてくれ」
理子は躊躇う気持ちを押し隠して、微笑んだ。
「何故、そうやって寂しそうに微笑むんだ?」
寂しそうと言われてしまった。普通に微笑んだつもりだったのに。
「ごめんなさい。私、結婚には全く夢を抱いていないから.....」
蒔田の表情が硬くなる。
「それは、俺と結婚しないと言う事なのか」
理子は頭を振った。
「先生は情熱家でストレート過ぎます。どうしてそんなに熱いの?」
「愛しているからだ」
蒔田は真っすぐ理子を見つめた。理子はそんな蒔田を真っすぐ見つめられない。
「先生。腕を解いて、私を解放してもらえませんか」
「なぜだ」
「この状態だと、ちゃんと話ができません。それでも、いいんですか?」
理子に言われて、蒔田は仕方なさそうに理子を離した。
「先生は、私がまだ高校生なんだって、よくわかってないですよね」
「そんな事はない。毎日学校で会ってるじゃないか。俺の教え子だ」
「それなら、どうして結婚なんて言いだすの?私はまだ高校生なのに」
「俺は、お前にずっとそばにいて欲しいと思ってるんだ。一生そばにいると言う事は、結婚を意味するのは自然だろう。何も今すぐ結婚しようと言うわけじゃない。直情径行な俺だって、そこまで馬鹿じゃないさ。結婚するのは卒業してからだ。俺はただ、お前の気持ちを聞きたかっただけだ」
考えてみれば、この人の家庭は愛情に満ちている。
愛し合っている二人が家庭を持ち、子供を持ち、愛を育みあっている家庭だ。
好き=結婚が自然な発想となるのも当然なのだ。
「理子。お前にとっては、結婚よりも目の前の受験の方が、現実感がある事なんだろう。俺だって、高校生の時には東大受験の事しか頭に無かったからな」
「先生.....。私、昔から結婚願望って無いんです。両親の姿を小さい時から見てきました。今の家へ引っ越してくる前、私が五歳くらいまででしたけど、それまでは、とても仲のいい夫婦でした。私も両親に、特に母には凄く守られている安心感がありました。でも、今の家へ引っ越して以来、母は怒ってばかりで、私にとって家庭は暖かい場所じゃなくなりました。両親はあれで恋愛結婚なんですよ。愛し合って一緒になったのに、どうしてなんでしょう。人の気持ちなんて、
結局、当てにならない。信じて心を預ける事が怖くてできない。自分自身も、信じられないんです」
蒔田は大きく息を吐いた。
理子の臆病な部分の主な原因を知った気がした。
「私、まだ高校生なんです。恋愛らしい恋愛もしたことがありません。体は大人なのかもしれないけれど、心はまだ子供なんです。先生と対等な恋愛ができる自信がありません。なのに、結婚なんて.....」
「理子、悪かった。俺が性急過ぎた。確かにお前が言う通り、先の事なんてわからない。だが、俺の気持ちはこの先も変わらないと思う。だから、お前の今の気持ちを聞かせてくれないか。先の事なんて考えずに、今の気持ちだけを聞かせてくれ」
理子は蒔田を見た。真剣な表情をしている。その瞳には愛が溢れていると感じた。
「俺を、愛しているか?」
頷いた。
「はっきり、言葉で聞かせてくれないか」
理子は赤くなりながら言った。
「先生を、愛してます」
「ずっと、俺のそばにいたいか?」
「ずっと、.....そばにいたいです」
「俺がいなくても、生きていけると思うか?」
胸が衝かれる思いがした。思わず目から涙が溢れて来る。
理子はたまらなくなって、蒔田に抱きついた。
「思いません。先生がいなかったら、私、駄目.....」
蒔田は理子を抱きしめた。腕の中で理子がうち震えた。
「理子。俺はこの先、お前をずっと守りたい。守り続けたいんだ。お前が安心できる場所でありたいと思っている。だから、俺を信じて、少しずつでいいから、心を解放してくれ。俺に甘えてくれていいんだ」
理子は力いっぱい、蒔田を抱きしめた。
先生が好き。
気が狂いそうな程.....。
醒めない夢であって欲しい。
理子は切にそう願う。
「初恋の彼とは、どうなったんだ?」
ベッドの上で、理子に腕枕をした状態で蒔田が唐突に訊いてきた。
「どうって.....」
突然言われて、質問の意図が図りかねた。
「両思いになって、それからどうなった?小1だろう?その後の事に興味が湧く」
「えーと.....、実は私の家の方面に新しい小学校が建つ事になったんです。二年の春に開校したので、進級と同時にお別れになりました」
「そうなのか。それは残念だったな」
蒔田の言葉に、何故か理子はニンマリと笑った。
「それがですねぇ.....。その後も会って、一緒に遊んでたんですよね」
「ええ?」
「私の方から、友親君の家まで会いに行ってたんですけどね。彼の家、神社だったんです。お父さんが神主さんで」
「神社!神主!」
蒔田は酷く驚いている。
「なんだか、よくよく考えてみると、枝本君の時と似たようなパターンなんですよね。一年の時に同じクラスで、二年の進級時に離れ離れになるっていうのが。そう言えば、枝本君は確か小学校の四,五年生の時に、その小学校へ転校してきてるので、友親君と一緒だった筈です。中学入学の時に、学区が別れてしまったらしくて。だから友親君も南中なんですよね.....」
なんだか、初めてその事に気づいた気がする。
友親君と同じ高校になる可能性もあったわけだ。
「そっかぁ。なんか、面白いな、人の縁って言うのは。それで、その神主の息子とはその後は?」
「やっぱり、学校が別れると、段々疎遠になりますよね。会いに行くのはいつも私でしたから。遠いんですよ。自転車で行ってたんですけど、片道三十分くらいかかってたから。だから段々、行く頻度が少なくなって、それである日行ったら、神社には誰もいなくなってたんです」
「誰もいない?神社に?」
「はい。だーれもいないんです。閑散としていて、人の気配も無くて、母屋の方の玄関へ行ったけど、鍵は閉まっているし、叩いたり声をかけても、誰も出てこなくて。その日は仕方なく帰りました。それから何度か訪ねたんですけど、矢張り同じでした。それで、ある時に気づいたんです。張り紙に。神社、廃業したみたいでした。それで引っ越したようで」
「神社を廃業?引っ越した?」
「そうみたいですね。管轄系統がどうなっていたのか、子供だったからわかりませんけど、とにかく、そこの神社は、それ以降、建物はそのままの状態なのに、営業されないままでした。彼は隣町に引っ越したようでした。神社へ行けば、いつか連絡に来てくれるんじゃないかと、時々行ってたんですけど、結局ずっと会えないままです」
「まさか、今でも時々様子を見に行ったりしてるんじゃないだろうな?」
「ギクッ!」
「おーい、嘘だろう?」
「実は、その神社、駅からだと自転車で十分くらいの場所にあるんですよね」
「それ以上、言うな.....」
理子は可笑しくなってきて、笑った。
「先生」
「なんだ」
「もう、とっくに見に行ってませんから」
蒔田はおもむろに理子の方へ体を起して、理子の上に覆いかぶさってきた。
理子はドキリとする。目の前に蒔田の甘い顔があった。
蒔田はずっと眼鏡を外したままだ。多くの女性を引きつける魅力的な顔がそこにあった。
「今度、二人でその神社に行ってみようか」
思いも寄らない言葉がその口から出て来た。
「どうしてですか?」
理子は蒔田の体の下から訊いた。
「調べてみないか?祭神とか」
理子はにんまりと笑う。
「もう、調査済みです」
「なんだって?」
蒔田は驚く。
「祭神は、豊受大神 ・天御柱命 ・国御柱命 ・道反大神 ・稚日留女命 の五神です」
理子は淀みなく答えた。
「起源は十六世紀に地元の豪農に勧請されたようです。実は、それから暫くして、再営業されたんです。新しい宮司さんが決まったようで」
蒔田は呆れ顔になると、ゴロンと転がった。
「先生?」
理子は蒔田の二の腕の上で彼の顔の方を向いた。
蒔田は目をつむって溜息をついていた。
そして目を開いて、理子の方を向いた。ドキッとした。
「お前って、ほんとーに、わからない」
『とー』がとても長かった。
「俺、なんだかお前に弄ばれたような気がする」
理子はプッと吹きだした。
「笑いごとじゃないぞ」
蒔田はふくれる。なんだかそれが、とても可愛い。
「ごめんなさい。そんなつもりは無かったんですけど。だって、突然いなくなっちゃったんですよ。住所はわからないし。私に知らせる手立てって無かったのかな。結局、諦めるしかなくて、行かなくなりましたけど、今でもちょっとは気になります」
「枝本はその事を知ってるのか?」
「いいえ。話してませんから。正直なところ、忘れてました。聞かれて思い出したんです」
「そうか。どんな男の子だったのかな」
「もう、顔はあまり覚えて無いんです。もし再会しても、わからないと思います。小1だから身体的特徴も特に無かったと思うし。その当時は色白な方だったかな。その程度です。遠足の時のクラス写真があって、どれが彼だかはわかるんですけど、小さいので、顔の特徴が全然わかりません」
「そうか。随分よく覚えてるから、ちょっとだけ気になったと言うか、妬けた」
理子は驚いた。
「先生が?そんな事で妬くんですか?」
「俺はお前と違って、嫉妬深いんだ」
と、憮然とした様子で言うのだった。
「枝本にも、茂木にも、耕介にも妬いた」
「ええ?耕介にまで?」
「ああ。あいつと噂になっただろう」
「先生の耳にまで入ってたんですか?」
「俺は耳ざといんだ。『理子は否定しなかった』とも聞いて、胸がざわついたよ」
理子は驚いて蒔田を見る。
「そうしたら、今度は枝本と噂になり、そこへ茂木が入ってきた。最悪だな。でもって、石坂先生とは親しげだし、他に好きな男がいるとお前の口から聞かされた時には、もう、再起不能だ」
理子は赤くなった。
「先生。私だって、先生が小松先生とテニスをしているのを見て、アプローチには冷たいって言ってたのに、嘘つき、って思ったんですよ」
「見てたのか」
「はい。図書室から」
「図書室.....。そうか。それで妬いてくれたんだな。ちょっと嬉しいかな。妬かない女が妬いたんだ」
と、にんまり笑う。
「妬いたんじゃありません。嘘つきって思ったんです」
理子はついむきになった。
「むきにならなくていい。俺は本当に嬉しいんだから」
その顔は満面の笑みだった。エクボができている。可愛い。
「先生って、エクボがあるんですね.....」
「あっ、今さら気づいたの?君、俺のどこを見てたの?」
駄目だ。キャラが変わっている。
今度は私が弄ばれる番なのか、と理子は少し身構えた。
「もう、いいです」
そう言って、そっぽを向く。
蒔田はそんな理子を自分の胸へ抱き寄せた。
理子の体が蒔田の右胸に密着し、頭は肩の上に乗っかった。
「怒りんぼだなぁ。あの時は、ストレスが溜まっていて、無性に体を動かしたかったんだ。テニスをしたくらいで、疑われたらたまらないな。俺がしたかったのはテニスであって、相手は誰でも良かったのさ」
「だから本当に妬いてませんって。先生が小松先生に気が有るとは思えませんでしたから」
だが正直な所、お似合いだと思って胸を痛めたのは確かだった。
でもそれは言えない。
「ふーん。がっかりだなぁ」
「先生は、私に妬いて欲しいんですか?」
「過ぎるのは困るけど、ちょっとくらいはね。無関心でいられるよりいい」
「適度に妬いて欲しいなんて、調子良すぎます」
「男って、みんなそんなもんよ」
「ずるいんですねぇ」
「女の子はどうなの」
「さぁ。他の女の子はどうなのか知りませんけど、私は妬いて欲しいなんて思いませんけど」
「君って、不思議」
「先生、どうしていきなり、『君』なんです?」
「さぁ?どうしてかなぁ。気分かな。『お前』の方が好きか?確か、初めて二人で話した時、『お前』って言われて怒って無かったか?」
「そうですけど、相変わらず『お前』なんで、もう馴れました」
「そうか。まぁ、色々な呼び方でチャンポンになるかもな、これからは」
そう言って笑うと、蒔田は理子の額にキスをした。
「さて。起きるぞ」
蒔田は理子を抱きかかえるようにして上体を起こした。
「どうだ。まだ、痛くて歩け無さそうか?」
理子は赤くなる。まだヒリヒリしていたし、相変わらず違和感だったが、そっとベッドから降りて立ってみた。
「大丈夫そうです。なんとか普通に歩けそう」
「そうか。できることなら、明日まで帰したくないんだけどな。仕方がない」
そう言って蒔田はベッドから降りた。理子を抱き寄せて口づける。
その手がブラウスの上から胸を揉んできた。理子が喘ぎ声をあげる。
「理子。ちょっと頼みがあるんだ」
理子の胸を揉んだまま、悩ましげに蒔田が言う。
「またやりたい、なんて、駄目ですよ」
「そうじゃないんだ。ブラウスのボタンを外して、確かめたい事がある」
「えっ?」
「お前も知っておいた方がいい。でないと、帰宅後にヤバイ事になるかもしれない」
蒔田はそう言うと、理子の口を塞いだ。
濃厚なキスをしながら、理子のブラウスのボタンを外し、肩から下げた。
唇を外して、理子から二,三歩離れて、理子の体を見た。
「ああ、やっぱり.....」
と言って、微笑んだ。
理子は恥ずかしくて、手で胸を塞いだ。
「先生?」
理子は首を傾げる。そんな理子を見て蒔田は笑うと、クローゼットを開けた。
「こっちにきてごらん」
呼ばれてそばへ行くと、クローゼットのドアに鏡が付いていて、そこに映った自分の姿を見て理子は驚いた。
理子の体中が赤やピンクの痣だらけだった。
理子は恥ずかしくなって、全身を赤く染めた。
「可愛いやつだな。これは、俺の刻印だ。この印をお前の体に付ける事ができるのは、後にも先にも俺だけだ。お前は、一生俺の女だ」
その言葉に、理子はさらに熱くなるのだった。
蒔田はビクっとした。
「諦めきれないって言われました」
理子の言葉に、蒔田の心がざわめいた。
「彼は私の元彼だし、嫌いになって別れたわけじゃありません。彼の事、とても好きでした。当時の事を思い出すと、なんだかその時の気持ちが蘇ってくるんです。もし強引に押し倒されたら」
「やめてくれっ!」
蒔田はつい声を荒げた。理子はひどく驚いたように目を見開いている。
「やめてくれ。本当に俺が悪かった。だから、やめてくれ」
蒔田は懇願した。
「お前は妬かなくても、俺は妬く。お前が俺を裏切って他の男と浮気するなんて有り得ないと信じてる。信じてるが、仮定であってもそんな話は聞きたくない。もし強引に押し倒して、抵抗するお前を無理やり犯すような男がいたら、俺はそいつを殺す」
蒔田は憤っていた。
「先生.....。仮定話がいかに馬鹿げてるか、わかったでしょ?人の心を仮定で推し量るなんて愚かな事です」
理子の声は優しかった。
「理子.....」
「これで、おあいこです。許してあげます」
蒔田は理子を抱き寄せた。
「お前こそ、ずるいぞ」
「ずるいのは、先生です。私は仕返しをしただけ。いっつもやられてばかりだから」
こういう時、蒔田は、理子は本当は妖艶な悪女なんじゃないかと思う。
理子の方こそ、最後に
「理子。結婚しよう」
蒔田が理子を腕の中に抱きしめて、そう言った。
驚く理子に、蒔田は優しく口づけを落した。
「お前を愛してるんだ。狂おしいほどに。一生、俺のそばにいてくれ」
理子は躊躇う気持ちを押し隠して、微笑んだ。
「何故、そうやって寂しそうに微笑むんだ?」
寂しそうと言われてしまった。普通に微笑んだつもりだったのに。
「ごめんなさい。私、結婚には全く夢を抱いていないから.....」
蒔田の表情が硬くなる。
「それは、俺と結婚しないと言う事なのか」
理子は頭を振った。
「先生は情熱家でストレート過ぎます。どうしてそんなに熱いの?」
「愛しているからだ」
蒔田は真っすぐ理子を見つめた。理子はそんな蒔田を真っすぐ見つめられない。
「先生。腕を解いて、私を解放してもらえませんか」
「なぜだ」
「この状態だと、ちゃんと話ができません。それでも、いいんですか?」
理子に言われて、蒔田は仕方なさそうに理子を離した。
「先生は、私がまだ高校生なんだって、よくわかってないですよね」
「そんな事はない。毎日学校で会ってるじゃないか。俺の教え子だ」
「それなら、どうして結婚なんて言いだすの?私はまだ高校生なのに」
「俺は、お前にずっとそばにいて欲しいと思ってるんだ。一生そばにいると言う事は、結婚を意味するのは自然だろう。何も今すぐ結婚しようと言うわけじゃない。直情径行な俺だって、そこまで馬鹿じゃないさ。結婚するのは卒業してからだ。俺はただ、お前の気持ちを聞きたかっただけだ」
考えてみれば、この人の家庭は愛情に満ちている。
愛し合っている二人が家庭を持ち、子供を持ち、愛を育みあっている家庭だ。
好き=結婚が自然な発想となるのも当然なのだ。
「理子。お前にとっては、結婚よりも目の前の受験の方が、現実感がある事なんだろう。俺だって、高校生の時には東大受験の事しか頭に無かったからな」
「先生.....。私、昔から結婚願望って無いんです。両親の姿を小さい時から見てきました。今の家へ引っ越してくる前、私が五歳くらいまででしたけど、それまでは、とても仲のいい夫婦でした。私も両親に、特に母には凄く守られている安心感がありました。でも、今の家へ引っ越して以来、母は怒ってばかりで、私にとって家庭は暖かい場所じゃなくなりました。両親はあれで恋愛結婚なんですよ。愛し合って一緒になったのに、どうしてなんでしょう。人の気持ちなんて、
結局、当てにならない。信じて心を預ける事が怖くてできない。自分自身も、信じられないんです」
蒔田は大きく息を吐いた。
理子の臆病な部分の主な原因を知った気がした。
「私、まだ高校生なんです。恋愛らしい恋愛もしたことがありません。体は大人なのかもしれないけれど、心はまだ子供なんです。先生と対等な恋愛ができる自信がありません。なのに、結婚なんて.....」
「理子、悪かった。俺が性急過ぎた。確かにお前が言う通り、先の事なんてわからない。だが、俺の気持ちはこの先も変わらないと思う。だから、お前の今の気持ちを聞かせてくれないか。先の事なんて考えずに、今の気持ちだけを聞かせてくれ」
理子は蒔田を見た。真剣な表情をしている。その瞳には愛が溢れていると感じた。
「俺を、愛しているか?」
頷いた。
「はっきり、言葉で聞かせてくれないか」
理子は赤くなりながら言った。
「先生を、愛してます」
「ずっと、俺のそばにいたいか?」
「ずっと、.....そばにいたいです」
「俺がいなくても、生きていけると思うか?」
胸が衝かれる思いがした。思わず目から涙が溢れて来る。
理子はたまらなくなって、蒔田に抱きついた。
「思いません。先生がいなかったら、私、駄目.....」
蒔田は理子を抱きしめた。腕の中で理子がうち震えた。
「理子。俺はこの先、お前をずっと守りたい。守り続けたいんだ。お前が安心できる場所でありたいと思っている。だから、俺を信じて、少しずつでいいから、心を解放してくれ。俺に甘えてくれていいんだ」
理子は力いっぱい、蒔田を抱きしめた。
先生が好き。
気が狂いそうな程.....。
醒めない夢であって欲しい。
理子は切にそう願う。
「初恋の彼とは、どうなったんだ?」
ベッドの上で、理子に腕枕をした状態で蒔田が唐突に訊いてきた。
「どうって.....」
突然言われて、質問の意図が図りかねた。
「両思いになって、それからどうなった?小1だろう?その後の事に興味が湧く」
「えーと.....、実は私の家の方面に新しい小学校が建つ事になったんです。二年の春に開校したので、進級と同時にお別れになりました」
「そうなのか。それは残念だったな」
蒔田の言葉に、何故か理子はニンマリと笑った。
「それがですねぇ.....。その後も会って、一緒に遊んでたんですよね」
「ええ?」
「私の方から、友親君の家まで会いに行ってたんですけどね。彼の家、神社だったんです。お父さんが神主さんで」
「神社!神主!」
蒔田は酷く驚いている。
「なんだか、よくよく考えてみると、枝本君の時と似たようなパターンなんですよね。一年の時に同じクラスで、二年の進級時に離れ離れになるっていうのが。そう言えば、枝本君は確か小学校の四,五年生の時に、その小学校へ転校してきてるので、友親君と一緒だった筈です。中学入学の時に、学区が別れてしまったらしくて。だから友親君も南中なんですよね.....」
なんだか、初めてその事に気づいた気がする。
友親君と同じ高校になる可能性もあったわけだ。
「そっかぁ。なんか、面白いな、人の縁って言うのは。それで、その神主の息子とはその後は?」
「やっぱり、学校が別れると、段々疎遠になりますよね。会いに行くのはいつも私でしたから。遠いんですよ。自転車で行ってたんですけど、片道三十分くらいかかってたから。だから段々、行く頻度が少なくなって、それである日行ったら、神社には誰もいなくなってたんです」
「誰もいない?神社に?」
「はい。だーれもいないんです。閑散としていて、人の気配も無くて、母屋の方の玄関へ行ったけど、鍵は閉まっているし、叩いたり声をかけても、誰も出てこなくて。その日は仕方なく帰りました。それから何度か訪ねたんですけど、矢張り同じでした。それで、ある時に気づいたんです。張り紙に。神社、廃業したみたいでした。それで引っ越したようで」
「神社を廃業?引っ越した?」
「そうみたいですね。管轄系統がどうなっていたのか、子供だったからわかりませんけど、とにかく、そこの神社は、それ以降、建物はそのままの状態なのに、営業されないままでした。彼は隣町に引っ越したようでした。神社へ行けば、いつか連絡に来てくれるんじゃないかと、時々行ってたんですけど、結局ずっと会えないままです」
「まさか、今でも時々様子を見に行ったりしてるんじゃないだろうな?」
「ギクッ!」
「おーい、嘘だろう?」
「実は、その神社、駅からだと自転車で十分くらいの場所にあるんですよね」
「それ以上、言うな.....」
理子は可笑しくなってきて、笑った。
「先生」
「なんだ」
「もう、とっくに見に行ってませんから」
蒔田はおもむろに理子の方へ体を起して、理子の上に覆いかぶさってきた。
理子はドキリとする。目の前に蒔田の甘い顔があった。
蒔田はずっと眼鏡を外したままだ。多くの女性を引きつける魅力的な顔がそこにあった。
「今度、二人でその神社に行ってみようか」
思いも寄らない言葉がその口から出て来た。
「どうしてですか?」
理子は蒔田の体の下から訊いた。
「調べてみないか?祭神とか」
理子はにんまりと笑う。
「もう、調査済みです」
「なんだって?」
蒔田は驚く。
「祭神は、
理子は淀みなく答えた。
「起源は十六世紀に地元の豪農に勧請されたようです。実は、それから暫くして、再営業されたんです。新しい宮司さんが決まったようで」
蒔田は呆れ顔になると、ゴロンと転がった。
「先生?」
理子は蒔田の二の腕の上で彼の顔の方を向いた。
蒔田は目をつむって溜息をついていた。
そして目を開いて、理子の方を向いた。ドキッとした。
「お前って、ほんとーに、わからない」
『とー』がとても長かった。
「俺、なんだかお前に弄ばれたような気がする」
理子はプッと吹きだした。
「笑いごとじゃないぞ」
蒔田はふくれる。なんだかそれが、とても可愛い。
「ごめんなさい。そんなつもりは無かったんですけど。だって、突然いなくなっちゃったんですよ。住所はわからないし。私に知らせる手立てって無かったのかな。結局、諦めるしかなくて、行かなくなりましたけど、今でもちょっとは気になります」
「枝本はその事を知ってるのか?」
「いいえ。話してませんから。正直なところ、忘れてました。聞かれて思い出したんです」
「そうか。どんな男の子だったのかな」
「もう、顔はあまり覚えて無いんです。もし再会しても、わからないと思います。小1だから身体的特徴も特に無かったと思うし。その当時は色白な方だったかな。その程度です。遠足の時のクラス写真があって、どれが彼だかはわかるんですけど、小さいので、顔の特徴が全然わかりません」
「そうか。随分よく覚えてるから、ちょっとだけ気になったと言うか、妬けた」
理子は驚いた。
「先生が?そんな事で妬くんですか?」
「俺はお前と違って、嫉妬深いんだ」
と、憮然とした様子で言うのだった。
「枝本にも、茂木にも、耕介にも妬いた」
「ええ?耕介にまで?」
「ああ。あいつと噂になっただろう」
「先生の耳にまで入ってたんですか?」
「俺は耳ざといんだ。『理子は否定しなかった』とも聞いて、胸がざわついたよ」
理子は驚いて蒔田を見る。
「そうしたら、今度は枝本と噂になり、そこへ茂木が入ってきた。最悪だな。でもって、石坂先生とは親しげだし、他に好きな男がいるとお前の口から聞かされた時には、もう、再起不能だ」
理子は赤くなった。
「先生。私だって、先生が小松先生とテニスをしているのを見て、アプローチには冷たいって言ってたのに、嘘つき、って思ったんですよ」
「見てたのか」
「はい。図書室から」
「図書室.....。そうか。それで妬いてくれたんだな。ちょっと嬉しいかな。妬かない女が妬いたんだ」
と、にんまり笑う。
「妬いたんじゃありません。嘘つきって思ったんです」
理子はついむきになった。
「むきにならなくていい。俺は本当に嬉しいんだから」
その顔は満面の笑みだった。エクボができている。可愛い。
「先生って、エクボがあるんですね.....」
「あっ、今さら気づいたの?君、俺のどこを見てたの?」
駄目だ。キャラが変わっている。
今度は私が弄ばれる番なのか、と理子は少し身構えた。
「もう、いいです」
そう言って、そっぽを向く。
蒔田はそんな理子を自分の胸へ抱き寄せた。
理子の体が蒔田の右胸に密着し、頭は肩の上に乗っかった。
「怒りんぼだなぁ。あの時は、ストレスが溜まっていて、無性に体を動かしたかったんだ。テニスをしたくらいで、疑われたらたまらないな。俺がしたかったのはテニスであって、相手は誰でも良かったのさ」
「だから本当に妬いてませんって。先生が小松先生に気が有るとは思えませんでしたから」
だが正直な所、お似合いだと思って胸を痛めたのは確かだった。
でもそれは言えない。
「ふーん。がっかりだなぁ」
「先生は、私に妬いて欲しいんですか?」
「過ぎるのは困るけど、ちょっとくらいはね。無関心でいられるよりいい」
「適度に妬いて欲しいなんて、調子良すぎます」
「男って、みんなそんなもんよ」
「ずるいんですねぇ」
「女の子はどうなの」
「さぁ。他の女の子はどうなのか知りませんけど、私は妬いて欲しいなんて思いませんけど」
「君って、不思議」
「先生、どうしていきなり、『君』なんです?」
「さぁ?どうしてかなぁ。気分かな。『お前』の方が好きか?確か、初めて二人で話した時、『お前』って言われて怒って無かったか?」
「そうですけど、相変わらず『お前』なんで、もう馴れました」
「そうか。まぁ、色々な呼び方でチャンポンになるかもな、これからは」
そう言って笑うと、蒔田は理子の額にキスをした。
「さて。起きるぞ」
蒔田は理子を抱きかかえるようにして上体を起こした。
「どうだ。まだ、痛くて歩け無さそうか?」
理子は赤くなる。まだヒリヒリしていたし、相変わらず違和感だったが、そっとベッドから降りて立ってみた。
「大丈夫そうです。なんとか普通に歩けそう」
「そうか。できることなら、明日まで帰したくないんだけどな。仕方がない」
そう言って蒔田はベッドから降りた。理子を抱き寄せて口づける。
その手がブラウスの上から胸を揉んできた。理子が喘ぎ声をあげる。
「理子。ちょっと頼みがあるんだ」
理子の胸を揉んだまま、悩ましげに蒔田が言う。
「またやりたい、なんて、駄目ですよ」
「そうじゃないんだ。ブラウスのボタンを外して、確かめたい事がある」
「えっ?」
「お前も知っておいた方がいい。でないと、帰宅後にヤバイ事になるかもしれない」
蒔田はそう言うと、理子の口を塞いだ。
濃厚なキスをしながら、理子のブラウスのボタンを外し、肩から下げた。
唇を外して、理子から二,三歩離れて、理子の体を見た。
「ああ、やっぱり.....」
と言って、微笑んだ。
理子は恥ずかしくて、手で胸を塞いだ。
「先生?」
理子は首を傾げる。そんな理子を見て蒔田は笑うと、クローゼットを開けた。
「こっちにきてごらん」
呼ばれてそばへ行くと、クローゼットのドアに鏡が付いていて、そこに映った自分の姿を見て理子は驚いた。
理子の体中が赤やピンクの痣だらけだった。
理子は恥ずかしくなって、全身を赤く染めた。
「可愛いやつだな。これは、俺の刻印だ。この印をお前の体に付ける事ができるのは、後にも先にも俺だけだ。お前は、一生俺の女だ」
その言葉に、理子はさらに熱くなるのだった。