第107話
文字数 4,283文字
三月十日、合格発表の日。
二人は電車の中にいた。周囲は学生で一杯だ。多くの女性の視線が蒔田に集まっている。
合格すれば、この人と結婚するんだと思うと、胸が熱くなってくる。
理子は三日前の事を思い出した。
前の週に購入したピアノや家具が運びこまれる日だったから、二人は共に出掛けた。
十一畳の寝室は、ベッドで占領された。西側一面がクローゼットになっているので、ベッドは東側の壁面を頭にして置いた。北側の壁面には、理子のドレッサーが置かれた。
グランドピアノはリビングの一番北側で、その隣にダイニングテーブルと椅子が置かれ、少し離れてボード、そして南側にソファセットが置かれた。
東の窓を背に四人掛けの長ソファーが置かれ、その前にガラステーブル、それを挟んで南と北に二人掛けのソファが一つずつ。
西側は寝室と接する壁面で、蒔田はその壁面に薄型大型テレビを掛ける予定でいる。
一通りの家具が入ると、生活感が漂ってくる。ここで暮らすんだと言う実感が少しずつ湧いてくるのだった。
だが、そばにいる男性は、矢張り少し現実感に欠けている。この人とここでずっと一緒に生活を共にするんだと思っても、あまりピンとこないのだった。
二人で逢った時、蒔田は諸星と話した時の事を、理子はゆきや枝本達に話した時の事を話した。
「君は、諸星先生に『大好き』って言ったんだってな。気を良くされてたぞ」
「諸星先生から聞かれたんですか。それで先生、もしかして焼きもちを?」
「妬かない。だけど、もしかして『和泉式部日記』をくれた意味を知らないんじゃないか?」
「えっ?あの本をくれた意味ですか?歴史と文学好きにはピッタリだろうって言われたんですけど」
「やっぱりな。君は、そっちの方面は鈍いもんなぁ」
似たような言葉を、つい最近も聞いたような気がした。
そうだ。確か卒業式の日に枝本が.....。
「あの、それって、どういう意味なんですか?」
「裏表紙のサイン、君の名前の下にハートマークが付いてたんだろ?和泉式部のように恋をたくさんして、いい女になって戻ってこい。俺、お前が好きだぜって本気で告白してんだよ、あの先生は」
「ええー?」
理子は仰天した。
「ご本人が、そうおっしゃったんですか?」
「言わなくてもわかるだろう。俺は察した。だけど君にはそれが通じないんだよなぁ。おまけに、『俺、理子が好きなんだよ』って、はっきり言われただろう。なのに、気付かない」
理子は赤面した。
「だって、あの諸星先生ですよ?どこまで本気にしていいのか、わからないじゃないですか」
「まぁなぁ。まぁ、諸星先生も、理子が本気で受け取らないのは承知の上だけどな。だからこそ、君に『大好き』と言われたんで、大喜びだったってわけだ」
「私、そういうの鈍いって、謝恩会の時に枝本君にも言われました」
理子の話しを聞いて、蒔田は笑った。
「やっぱり、みんなそう思ってるんだな。耕介が君を好きだって、みんな気付いてたさ。俺だってな。それから、岩崎も。告白されてただろう。でもって、帰りに何か、貰ってたな」
「見てたんですか?」
理子は驚いた。凄い数の女子に取り巻かれていたと言うのに。
「見てた。しっかり。なのに君は、俺の事を三回くらいしか見てくれなかったよなぁ」
「いいじゃないですか。一度も見ないよりは」
「開き直りの理子だな。相変わらず、つれない女だ」
理子は、自分が蒔田を見た回数まで把握している事に驚いた。
そこまで見ていたとは思いも寄らなかった。自分は敢えて、見ないようにしていたと言うのに。
「やっぱり、あれか?女子どもに取り巻かれている俺を見るのが偲びなかったとか、そういう事か?」
「また、先生も相変わらずの自惚れ屋さんですよね。あんなの、想定内ですから。先生も、これが最後って事なんでしょうけど、随分と鼻を伸ばしてらっしゃいましたよね。だけど先生、最後の最後に私を呼ばないで下さいよ。みんな、すっごい形相で私の事を見るんで、怖かったです」
「ああ、あれかぁ。あれはな。仕方なかったんだ。礼が終わったらすぐに言おうと思ってたのに、みんなが殺到してきちゃったからな。言うタイミングを逸してしまった。でもって君が帰ろうとしたから、慌てたのさ。いや~、ごめんごめん」
「私あの時、凄い恐怖を感じました。先生と私が結婚すると知ったら、何か脅迫状とか送られてくるんじゃないかって、今から心配です」
「その時は、すぐに俺に連絡してくれ。俺が対処するから。いいな。君は心配しなくていいから」
蒔田が、打って変ったように真剣な眼差しでそう言った。
その時の眼差しを思い出しながら、今は蒔田と共に電車に乗っている。
二人で電車に乗るのは初めての事だった。
混んでいるのもあって、体が密着しそうである。ドキドキするのだった。
もうすぐ結果がはっきりする。
矢張り二人ではっきりと確認したかった。
自宅へもレタックスで合格通知が来る事になっているが、見に行った方が早い。
蒔田は、今日は休暇を取った。発表を見たら、学校へ連絡する事になっている。
それからその足で、二人で吉住家へ行く。
今日は水曜日なので、仕事が休みの父も家で待機していた。
蒔田は、二日前の月曜日に校長に事情を話した。諸星も一緒だった。
校長は当然の事ながら驚いていたが、蒔田の誠実な思いを最後にはわかってくれた。
理子の父親は了解していると言う事と、諸星の応援は、とても役立った。
そして何より、この二年間の蒔田の頑張りを、校長は評価してくれていた。
朝霧で東大を受験すると言う事だけでも一大事なのに、恋愛に溺れる事無く、しっかりと合格へと導いた事、他の生徒達にも同じように熱心に指導し、志望校へと導いた事。
そして、東大合格を結婚の条件とした事。
単に教え子と恋愛していると言うのならともかく、結婚すると言うのだから、それだけ真剣なのが受け取れる。
「今回の結婚について、非難する人もいるかもしれません。しかし、私は蒔田先生を守ろうと思います。私の期待に応えて頑張ってくださった先生を評価していますし、信頼もしています。だから、安心して下さい。来年度以降も期待していますから、よろしくお願いしますよ」
校長はそう言うと、優しい笑みを浮かべて蒔田の手を取った。
蒔田は心から嬉しく思い、涙ぐんだ。
人格者の校長の事だから、わかってくれるだろうと思ってはいた。だが、ここまで真心を示してくれるとは思っていなかった。
「良かったな」
諸星は軽く蒔田の背中を叩いた。
「はい。本当にありがとうございます。信頼を裏切らないように、これからも頑張ります」
理子も、その時の話しを聞いて感動した。
これで少しは安心だ。だが、そういう好意を示してくれるからこそ、そういう人達に迷惑をかけたくないと思う。
できれば母に、事を荒立てて学校にまで迷惑をかけるような行為をして欲しく無いと思うのだった。
目的地に到着した。
蒔田は理子の手を取った。人が多いので、はぐれない為でもある。
蒔田はひと際背が高いから、見失う事は無いだろうが、大きな手に包まれて幸せな気持ちになってくる。
何だかとっても新鮮だった。
駅は発表を見に来た生徒達でごった返していた。
だが受験の時ほどではない。地方の学生はレタックスを待っているのだろう。
近郊の生徒でもレタックスの方が早い者もいる。
二人は急ぎ足で掲示板へと向かった。到着すると、ちょうど貼り出される所だった。
理子は急いで受験票を取り出した。
「先生.....」
蒔田を仰ぎ見る。蒔田は黙って頷いた。
二人で番号を目で追う。
桁が大きいので、うっかりしていると途中で番号を見失いそうだ。
先に見つけたのは蒔田だった。
「理子!」
蒔田は理子の名を呼ぶと、理子の肩を掴んだ。
「えっ?」
理子は急いで番号を追った。
そして、見つけた。自分の番号を。
何度も何度も、受験票と見比べた。一つ一つの番号を口ずさむ。
合ってる。
合ってる、合ってる、合ってる!
「理子、やったな!合格だ、合格!」
蒔田はそう言うと、理子を抱きしめた。
理子は受験票を握りしめたまま、蒔田に強く抱きしめられた。
蒔田は理子を抱きしめたまま、体を左右に揺らしていた。その揺れは段々大きくなっていって、とうとう理子の足は地から離れ、蒔田によって振り回されるようになった。
理子は振り落とされないように、蒔田の体にしがみついた。
それが暫く続いた後、ゆっくりと地上に下ろされたが、少し目が回って理子は蒔田の胸に凭 れかかったままでいた。
周囲では合格した受験生たちの歓声があちこちで上がっていた。
「理子、大丈夫か?」
蒔田が首をもたげて訊いてきた。理子は頷く。
「先生、振り回すんだもの。ちょっと目が回っちゃいました」
「ごめん。あまりに嬉しくて。確信はしていたが、やっぱり違うな。実際に見ると」
理子もそう思う。自信はあった。あったが、矢張りはっきりと目にすると喜びはひとしおだ。
理子は蒔田から体を離して見上げた。
蒔田は喜びに目を輝かせていた。その目を見て、理子の瞳から涙が湧いてきて零れ落ちた。
蒔田にそっと、涙を指で拭われる。
「先生.....、良かった.....」
再び蒔田の胸に頭を凭せかける。
そんな理子を、蒔田は優しく抱きしめた。
やっと終わった。
これで全てやり切った。四月から東大生になる。
そして、先生の奥さんに.....。
長い道のりだった。
やっと、ここまで辿り着けた。
二人で暫くの間喜びを噛みしめた後、まずは蒔田が学校へ連絡をした。
蒔田からの報告を受けた学校では、大騒ぎだった。
「これから彼女の家へ行きます」との蒔田の言葉に、校長は「頑張りたまえ」と激励してくれた。
次に蒔田家に連絡した。みんな大喜びで、これから理子の家へ向かう蒔田を元気づけてくれた。
その後で、理子は家へ電話した。ワンコールで母が出た。
「どうだったの?」
母の声は、震えていた。
「合格しました!合格よ!」
「本当に、本当なのね?」
「本当に本当です。じゃぁ、これから蒔田先生と一緒に、家に戻ります」
「えっ?蒔田先生と?どうして先生と?」
「大事な話しがあるの。だから待ってて。じゃぁ、帰るから」
理子はそう言って電話を切った。
蒔田を見上げると、優しい笑みを浮かべていた。
「じゃぁ、行こうか。これからがまた、ひと騒動だな」
蒔田の言葉に理子は頷いた。
これが最後の山だ。最大の山とも言える。
でも、乗り越えなければ。
理子は奥歯を噛みしめた。
二人は電車の中にいた。周囲は学生で一杯だ。多くの女性の視線が蒔田に集まっている。
合格すれば、この人と結婚するんだと思うと、胸が熱くなってくる。
理子は三日前の事を思い出した。
前の週に購入したピアノや家具が運びこまれる日だったから、二人は共に出掛けた。
十一畳の寝室は、ベッドで占領された。西側一面がクローゼットになっているので、ベッドは東側の壁面を頭にして置いた。北側の壁面には、理子のドレッサーが置かれた。
グランドピアノはリビングの一番北側で、その隣にダイニングテーブルと椅子が置かれ、少し離れてボード、そして南側にソファセットが置かれた。
東の窓を背に四人掛けの長ソファーが置かれ、その前にガラステーブル、それを挟んで南と北に二人掛けのソファが一つずつ。
西側は寝室と接する壁面で、蒔田はその壁面に薄型大型テレビを掛ける予定でいる。
一通りの家具が入ると、生活感が漂ってくる。ここで暮らすんだと言う実感が少しずつ湧いてくるのだった。
だが、そばにいる男性は、矢張り少し現実感に欠けている。この人とここでずっと一緒に生活を共にするんだと思っても、あまりピンとこないのだった。
二人で逢った時、蒔田は諸星と話した時の事を、理子はゆきや枝本達に話した時の事を話した。
「君は、諸星先生に『大好き』って言ったんだってな。気を良くされてたぞ」
「諸星先生から聞かれたんですか。それで先生、もしかして焼きもちを?」
「妬かない。だけど、もしかして『和泉式部日記』をくれた意味を知らないんじゃないか?」
「えっ?あの本をくれた意味ですか?歴史と文学好きにはピッタリだろうって言われたんですけど」
「やっぱりな。君は、そっちの方面は鈍いもんなぁ」
似たような言葉を、つい最近も聞いたような気がした。
そうだ。確か卒業式の日に枝本が.....。
「あの、それって、どういう意味なんですか?」
「裏表紙のサイン、君の名前の下にハートマークが付いてたんだろ?和泉式部のように恋をたくさんして、いい女になって戻ってこい。俺、お前が好きだぜって本気で告白してんだよ、あの先生は」
「ええー?」
理子は仰天した。
「ご本人が、そうおっしゃったんですか?」
「言わなくてもわかるだろう。俺は察した。だけど君にはそれが通じないんだよなぁ。おまけに、『俺、理子が好きなんだよ』って、はっきり言われただろう。なのに、気付かない」
理子は赤面した。
「だって、あの諸星先生ですよ?どこまで本気にしていいのか、わからないじゃないですか」
「まぁなぁ。まぁ、諸星先生も、理子が本気で受け取らないのは承知の上だけどな。だからこそ、君に『大好き』と言われたんで、大喜びだったってわけだ」
「私、そういうの鈍いって、謝恩会の時に枝本君にも言われました」
理子の話しを聞いて、蒔田は笑った。
「やっぱり、みんなそう思ってるんだな。耕介が君を好きだって、みんな気付いてたさ。俺だってな。それから、岩崎も。告白されてただろう。でもって、帰りに何か、貰ってたな」
「見てたんですか?」
理子は驚いた。凄い数の女子に取り巻かれていたと言うのに。
「見てた。しっかり。なのに君は、俺の事を三回くらいしか見てくれなかったよなぁ」
「いいじゃないですか。一度も見ないよりは」
「開き直りの理子だな。相変わらず、つれない女だ」
理子は、自分が蒔田を見た回数まで把握している事に驚いた。
そこまで見ていたとは思いも寄らなかった。自分は敢えて、見ないようにしていたと言うのに。
「やっぱり、あれか?女子どもに取り巻かれている俺を見るのが偲びなかったとか、そういう事か?」
「また、先生も相変わらずの自惚れ屋さんですよね。あんなの、想定内ですから。先生も、これが最後って事なんでしょうけど、随分と鼻を伸ばしてらっしゃいましたよね。だけど先生、最後の最後に私を呼ばないで下さいよ。みんな、すっごい形相で私の事を見るんで、怖かったです」
「ああ、あれかぁ。あれはな。仕方なかったんだ。礼が終わったらすぐに言おうと思ってたのに、みんなが殺到してきちゃったからな。言うタイミングを逸してしまった。でもって君が帰ろうとしたから、慌てたのさ。いや~、ごめんごめん」
「私あの時、凄い恐怖を感じました。先生と私が結婚すると知ったら、何か脅迫状とか送られてくるんじゃないかって、今から心配です」
「その時は、すぐに俺に連絡してくれ。俺が対処するから。いいな。君は心配しなくていいから」
蒔田が、打って変ったように真剣な眼差しでそう言った。
その時の眼差しを思い出しながら、今は蒔田と共に電車に乗っている。
二人で電車に乗るのは初めての事だった。
混んでいるのもあって、体が密着しそうである。ドキドキするのだった。
もうすぐ結果がはっきりする。
矢張り二人ではっきりと確認したかった。
自宅へもレタックスで合格通知が来る事になっているが、見に行った方が早い。
蒔田は、今日は休暇を取った。発表を見たら、学校へ連絡する事になっている。
それからその足で、二人で吉住家へ行く。
今日は水曜日なので、仕事が休みの父も家で待機していた。
蒔田は、二日前の月曜日に校長に事情を話した。諸星も一緒だった。
校長は当然の事ながら驚いていたが、蒔田の誠実な思いを最後にはわかってくれた。
理子の父親は了解していると言う事と、諸星の応援は、とても役立った。
そして何より、この二年間の蒔田の頑張りを、校長は評価してくれていた。
朝霧で東大を受験すると言う事だけでも一大事なのに、恋愛に溺れる事無く、しっかりと合格へと導いた事、他の生徒達にも同じように熱心に指導し、志望校へと導いた事。
そして、東大合格を結婚の条件とした事。
単に教え子と恋愛していると言うのならともかく、結婚すると言うのだから、それだけ真剣なのが受け取れる。
「今回の結婚について、非難する人もいるかもしれません。しかし、私は蒔田先生を守ろうと思います。私の期待に応えて頑張ってくださった先生を評価していますし、信頼もしています。だから、安心して下さい。来年度以降も期待していますから、よろしくお願いしますよ」
校長はそう言うと、優しい笑みを浮かべて蒔田の手を取った。
蒔田は心から嬉しく思い、涙ぐんだ。
人格者の校長の事だから、わかってくれるだろうと思ってはいた。だが、ここまで真心を示してくれるとは思っていなかった。
「良かったな」
諸星は軽く蒔田の背中を叩いた。
「はい。本当にありがとうございます。信頼を裏切らないように、これからも頑張ります」
理子も、その時の話しを聞いて感動した。
これで少しは安心だ。だが、そういう好意を示してくれるからこそ、そういう人達に迷惑をかけたくないと思う。
できれば母に、事を荒立てて学校にまで迷惑をかけるような行為をして欲しく無いと思うのだった。
目的地に到着した。
蒔田は理子の手を取った。人が多いので、はぐれない為でもある。
蒔田はひと際背が高いから、見失う事は無いだろうが、大きな手に包まれて幸せな気持ちになってくる。
何だかとっても新鮮だった。
駅は発表を見に来た生徒達でごった返していた。
だが受験の時ほどではない。地方の学生はレタックスを待っているのだろう。
近郊の生徒でもレタックスの方が早い者もいる。
二人は急ぎ足で掲示板へと向かった。到着すると、ちょうど貼り出される所だった。
理子は急いで受験票を取り出した。
「先生.....」
蒔田を仰ぎ見る。蒔田は黙って頷いた。
二人で番号を目で追う。
桁が大きいので、うっかりしていると途中で番号を見失いそうだ。
先に見つけたのは蒔田だった。
「理子!」
蒔田は理子の名を呼ぶと、理子の肩を掴んだ。
「えっ?」
理子は急いで番号を追った。
そして、見つけた。自分の番号を。
何度も何度も、受験票と見比べた。一つ一つの番号を口ずさむ。
合ってる。
合ってる、合ってる、合ってる!
「理子、やったな!合格だ、合格!」
蒔田はそう言うと、理子を抱きしめた。
理子は受験票を握りしめたまま、蒔田に強く抱きしめられた。
蒔田は理子を抱きしめたまま、体を左右に揺らしていた。その揺れは段々大きくなっていって、とうとう理子の足は地から離れ、蒔田によって振り回されるようになった。
理子は振り落とされないように、蒔田の体にしがみついた。
それが暫く続いた後、ゆっくりと地上に下ろされたが、少し目が回って理子は蒔田の胸に
周囲では合格した受験生たちの歓声があちこちで上がっていた。
「理子、大丈夫か?」
蒔田が首をもたげて訊いてきた。理子は頷く。
「先生、振り回すんだもの。ちょっと目が回っちゃいました」
「ごめん。あまりに嬉しくて。確信はしていたが、やっぱり違うな。実際に見ると」
理子もそう思う。自信はあった。あったが、矢張りはっきりと目にすると喜びはひとしおだ。
理子は蒔田から体を離して見上げた。
蒔田は喜びに目を輝かせていた。その目を見て、理子の瞳から涙が湧いてきて零れ落ちた。
蒔田にそっと、涙を指で拭われる。
「先生.....、良かった.....」
再び蒔田の胸に頭を凭せかける。
そんな理子を、蒔田は優しく抱きしめた。
やっと終わった。
これで全てやり切った。四月から東大生になる。
そして、先生の奥さんに.....。
長い道のりだった。
やっと、ここまで辿り着けた。
二人で暫くの間喜びを噛みしめた後、まずは蒔田が学校へ連絡をした。
蒔田からの報告を受けた学校では、大騒ぎだった。
「これから彼女の家へ行きます」との蒔田の言葉に、校長は「頑張りたまえ」と激励してくれた。
次に蒔田家に連絡した。みんな大喜びで、これから理子の家へ向かう蒔田を元気づけてくれた。
その後で、理子は家へ電話した。ワンコールで母が出た。
「どうだったの?」
母の声は、震えていた。
「合格しました!合格よ!」
「本当に、本当なのね?」
「本当に本当です。じゃぁ、これから蒔田先生と一緒に、家に戻ります」
「えっ?蒔田先生と?どうして先生と?」
「大事な話しがあるの。だから待ってて。じゃぁ、帰るから」
理子はそう言って電話を切った。
蒔田を見上げると、優しい笑みを浮かべていた。
「じゃぁ、行こうか。これからがまた、ひと騒動だな」
蒔田の言葉に理子は頷いた。
これが最後の山だ。最大の山とも言える。
でも、乗り越えなければ。
理子は奥歯を噛みしめた。