第17話
文字数 5,568文字
いきなり声をかけられてドキリとした。
しかも、枝本の方から声をかけてくるなんて予想していなかった。
お互い、無視していたわけでは無かったが、理子の方は敢えて、顔を合わせないように意識していた。矢張り気まずいのである。
「あのさ、.....久しぶりだね」
枝本がしどろもどろな感じで言った。
枝本の方も、何をどう言ったら良いのか分からない感じだ。
「うん。元気だった?」
矢張り気まずさを覚える。
「うん.....。だけど、転校してきて驚いた。君がいたんで」
お互いに何となく視線を交わせずにいた。
「あたしも.....」
物凄い勢いで心臓が動いている。
「あのさ。お互いに昔の事を気にするのは止さないか?」
理子は枝本を見た。
目が合った。懐かしい目だ。
全体的に大人っぽくなっていたが、目だけは変わっていない。
黒目勝ちな、キラキラとした綺麗な目だ。
中1の三学期、毎日この目を見ては、彼の気持ちを推し量り、一喜一憂していたのだった。
その目が、今再び目の前にある。
「同じクラスの中にいて、何となく気まずいのってイヤなんだ。クラスメートとして普通に接したいって思うんだけど、吉住さんはどう思う?」
少し低い落ち着いた声だった。
以前はもう少し声が高かったと思う。
変声期前だったからだ。
「うん.....。私もそれは同じ。普通にできるのなら、そうしたい。だけど、あれからずっと気になってる事があるんだ。それを訊いても、いいかな?」
理子の言葉に、枝本は戸惑いの表情を僅かに見せたが、頷いた。
「いいよ。何?」
「あの、.....私の事、怒ってない?」
恐る恐る尋ねた。
ずっと気になっていた事だ。
手紙の返事が無かったことで、前の彼女の時と同じように怒っていやしないか。それが一番の気がかりだったのだ。
理子の言葉に枝本は不思議そうな表情をした。
「怒ってなんかいないよ。何故怒らなきゃならないの?」
「私の方からサヨナラの手紙を出した事で、枝本君のプライドが傷ついたんじゃないかと思って」
「俺のプライド?」
「うん。誇り高い人だから。女の方から別れを告げられて、黒田さんの時のように怒ったんじゃないかなって、ちょっと思ったの」
黒田とは、前の彼女の事だ。
「黒田さんの時とは別だよ。そんな事を気にしてたんだ。俺が返事を出さなかったからか。あの時は、悪かったのは俺の方だよ。何度も約束を破って、自分から連絡もしなかった。吉住さんが嫌になるのは当たり前だと思う」
「私、嫌になったわけじゃないよ。辛くなっただけ.....」
理子はそう言って俯いた。
言ったそばから恥ずかしくなったからだ。
「じゃぁ、俺の事を嫌いになったわけじゃないの?」
「うん.....」
「そっか。それは良かった。俺の方は、それを気にしてたんだ。嫌われたのかと思ってたから」
意外な言葉だった。
離れてしまえば、すぐに興味を失う程度の存在だったのだろうと、思っていたのに。
「じゃぁ、これからは、友達としてよろしく。吉住さんが、歴史が得意だって知って驚いてたんだ。これからは気軽に話せる」
歴史か。
思い起こせば、新しい中学で歴史クラブを創設し、理子と約束した日に、それを忘れて友人達と発掘へ出かけて行ったのが、最初のすっぽかしだった。
理子は一時間待った。
その後、家へ電話したら、電話に出た枝本の母親から、発掘に出かけて行った事を知らされたのだった。
本人が帰ったら電話させる、と言われたが、夜、いつまで経っても電話は来なかった。
仕方なく自分の方から電話をしたら、「ごめん、忘れてた」と言われたのだった。
以来、何度も同じような事が続き、新年度に入ってからは一度も会えずに日ばかりが経ってゆき、とうとう理子は耐えられなくなった。
(思い出すと辛い。やめよう)
「じゃぁ、これで。後で教室で」
枝本はそう言うと、去って行った。
理子は溜息をついた。少々複雑な思いだ。
これで過去の事を気にすることも無くなったし、顔を合わせないように気を使う必要もなくなった。
だが何故かスッキリしない。
(友達かぁ。.....友達、ねぇ)
この日から、理子の周囲がまた賑やかになった。
理子と耕介がそろって学級委員になった為、休み時間に耕介が自分の席から離れない事が増えたからだ。
茂木や小泉が再び耕介の席の方へ来る事が多くなり、そこへ枝本も参加するようになった。
枝本はクラスの人気者なので、その枝本目当てでまた人が集まってくる。
理子にとっては、煩 くてたまらない。
ゆきは、皆の話に目を輝かせて楽しそうに参加している。
仕方がないので、理子は耕介に用事が無い時や、用事が終わった後は、図書室へ移動するのだった。
文化祭前日だった。
理子が席を立った時、誰かが、「耕介、奥さんがどっか行っちゃうよ」と言った。
それを聞いて、二人してギョっとした。
「な、な、何言ってんだよ。奥さんって、何だよそれ」
耕介の顔が真っ赤だ。
「だって、仲いいじゃん。付き合ってんじゃないの?」
「ば、馬鹿言え!そんなわけないだろう。なぁ?」
赤い顔でどもりながら、理子に同意を求めてきた。
理子が周囲を見回すと、何人かが冷やかしの表情を浮かべている。
(馬鹿馬鹿しい!)
理子は黙ってその場を立ち去ろうとした。
耕介が大声で、「おい!なんで否定しないんだよー」と情けなく叫んだが、無視して教室の外へ出る。
付き合っていようが、いまいが、どうでも良い事だろうに。
耕介って純情だな。顔を真っ赤にさせちゃって。
あれじゃぁ、からかい甲斐があるってものだ。
だが。これからどうするか。
否定しなかった事で、みんなに矢張り付き合っていると思われただろうか?
クラス中の噂になるのか?
必死に否定した耕介の言葉は信用されないのだろうか。
こういう時、大抵必ず、「耕介と付き合ってるって本当?」とか、「耕介のどこがいいの?」って不躾に言ってくる女子がいる。
それを聞いて何の意味があるというのだろう。
普段から親しくない人間ほど、そう言ってくるのが多い。それに対して、答える義務なんて無いだろう。
理子は何だか腹立たしくなってきた。
図書室へ入って席へ着いたものの、読書に集中できない。
仕方なく外を見たら、中庭にあるテニスコートで蒔田と古文教師の小松真純がテニスをしていた。
周囲には多くの女子が見物している。
二人とも上手い。
特に蒔田は手足が長いので、殆どポジションが動かない。
古文の小松は蒔田と同じく新卒で、東京女子大出身だ。
テレビドラマで人気の女優に少し似ていて、本人も自分のルックスに自信があるようで、それを鼻にかけている節がある。
美人なので、最初男子生徒に騒がれたが、高慢で刺々しい性格の為に評判は良くない。
小松は蒔田に気があると、もっぱらの噂だ。
アプローチには冷たいと言っていたのに、一緒にテニスなんかしちゃって、と理子はなんだか気に入らない。
だが、こうやって見ていると二人はお似合いだ。美男美女のカップルに見える。
やっぱり先生は大人なんだ。女子高生なんて、先生から見たら子供だよね。
あんなに素敵なんだから、恋愛経験も豊富だろう。相手もより取りみどりに違いない。
なんだか、寂しいな~。教師に憧れているだけなんて.....。
「何見てるの?」
突然声をかけられてビクッとした。
枝本だった。
いつの間に来ていたんだろう。
「蒔田先生かー。一緒にテニスしてるのは、小松だな。凄いなぁ、女子が.....」
理子は黙っていた。
「もしかして、吉住さんも蒔田先生のファンなの?」
「ううん。外が騒がしいから見てただけ。二人とも上手いから驚いてた」
咄嗟 に無表情を装った。
「似合いだよな」
「そうだね」
「ところでさ。何で何も言わずに出てっちゃったの?」
妙に無邪気な目をしている。
好きだった時も、少年のようにキラキラしていると憧れた目だったが、今も変わらないのが不思議だった。
心惹かれる目だ。
「なんか、馬鹿馬鹿しくなっちゃって」
「馬鹿馬鹿しい?」
「だって、結局のところ冷やかしでしょ。いちいち相手するの、面倒くさい」
理子はどこか投げやりな感じに言う。
「面倒臭いって、じゃぁ、誤解されたままでいいの?それとも、噂は本当なのかな」
「なんで、そんな事を聞くの?付き合っていようがいまいが、そんなのどうでもいいことじゃん」
機嫌が悪くなってきたのが、自分でもわかった。
「俺には、.....どうでも良くない.....」
枝本は力なく言った。語尾は声が小さくなった。
(何、今の台詞?)
理子は枝本を見る。枝本は少し気まずそうな顔をしていた。
視線が斜めに逸 れている。
「ごめん。俺は気になるんだ。だから、教えてくれないかな」
開き直ったような言い方だった。
だが、理子は動揺した。
気になるって、なんで?その方が気になる。
「わかった。耕介とは何でもないから。友達としか思って無いし」
「そうなんだ.....。ついでに訊くけど、三年生の彼氏がいるって言うのは.....」
「もう、別れてる」
「そっか.....」
ホッとしたような顔に、理子は首を傾げる。
なんだか不思議な光景だ。
いつでも強気な男子だったように記憶している。
そんな彼のそんな顔を見るのは初めてだった。
随分と長い事、片思いで見つめ続けていたのに。
枝本を見ていると昔を思い出し、昔の気持ちが蘇り、胸が熱くなってくるのだった。
一年間、ずっと思っていた相手だ。
大好きだった。
切なくて、辛くて、幸せだった。あの日の自分に戻る気がする。
理子は少し息をついた。
どうも自分は刺々しいように感じた。
「なんか、ごめんね。言い方がきつくて。耕介とは凄く気が合うし、友達としては好きだけど、それだけなんだよね」
「それなら尚更、誤解されてちゃまずいんじゃないの?」
「だって、耕介は否定してるんでしょ」
「そうだけど、あいつ、真っ赤になってシドロモドロだから、みんな照れ隠しって思ってるみたいだ」
「そうなんだ。うーん.....、どうしようかな。面倒くさいからノーコメントで通しちゃおうかな」
「えー?いいのかよ、それで」
「それはそれで、なんか面白くない?」
理子は笑った。
「それって、耕介が可哀そうな気がするけど.....」
確かに、あのどうしようもない程の照れ症には酷な話かもしれない。
「まぁ、そのうちみんなも違うって分かるだろうけどね」
ヤレヤレと言いそうな顔をした後で、枝本は話題を変えた。
「ところで話し変わるけどさ。歴史研究会を作らない?」
枝本の提案に、ひどく驚いた。
「この学校って、歴史の部活が無いよね。好きな連中多いのに。鉄研はあるのに歴研が無いなんて」
「うーん。そうだよね。でも、今さらって気もする」
「今さら?」
「だって、もう二年も半ばだよ。あと半年すれば受験モード全開って感じでしょう?おまけに、文化祭は明日だし。作った所で、私達にはもう出番が無いじゃない」
「そういうの、関係ないと思う。出番が無くたって、活動できる期間が短くたって、好きならやりたいって思うもんじゃないの?」
枝本は、好きだから、もっとみんなと語り合いたいんだと続けた。
その気持ちはわかる。今のクラスになって、歴史好きと仲良くなって、どんなに楽しいか。
出来る事なら、もっと色々と歴史談義をしたいとは思う。
「耕介は賛成してる」
「耕介に話したの?」
「うん。まだ耕介だけだけど。十人いれば、同好会として発足できるらしい。十五人以上で、一応部活扱いになる。吉住さんは他に二つも部活に入ってるから、これ以上増えたら大変だとは思う。だから、なんなら名前だけでもいい。とにかく人数を揃えたいんだ。協力してくれると有難いんだけど」
「そっか.....。だけど、顧問がいないとダメなんだよ?」
「知ってる。顧問は蒔田先生に頼もうと思ってる」
理子の胸がいきなりドキンと鳴った。
「でもあの先生は、吹奏楽部の顧問をしてるよ。だから無理なんじゃない?」
「吹奏楽かぁ。吹奏楽って毎日部活やってるのかな」
「.....練習日は月水金」
理子が小さめの声で言った。
「よく知ってるね」
「合唱部の隣でやってるから」
理子はドギマギした。
「それなら火木を活動日にすればOKじゃん」
嬉しそうな枝本に理子は言った。
「火曜は、私の茶道部の活動日なんだ。」
二人は目を合わせた。
「まっ、木曜があるけどね。一応、名前だけは登録するよ。取りあえず発足させたいんでしょ?」
「サンキュ。そうしてくれると助かるよ」
枝本は微笑んだ。その顔を見て少し胸がキュンとする。
思い返してみると、昔、彼に笑顔を向けられた覚えがあまり無いような気がした。
いつも目は輝いているが、案外笑顔だった事はあまり無かったんだなと今更ながらに気付いた気がする。
「じゃぁ、そろそろ戻ろうか」
理子は本を閉じた。結局、全く読めなかった。
それとなく窓の外の様子を窺うと、既に人影は無かった。とっくに引きあげたようだ。
「一緒に戻っても平気?」
枝本が訊いてきた。
「私は平気だけど、枝本君は?」
「俺も平気」
二人は並んで歩いた。
随分、背が伸びたな~と思った。
別れた頃は、同じくらいだった。
枝本は中学に入学した時は小柄で、いつも列は前の方だった。
逆に理子は成長が早かった為、小学生の時から後ろの方だった。
それが、二人が同じ班になった三学期には、枝本の方が追い付いてきたのだった。
今では完全に枝本の方が高い。百七十センチは越えているだろう。
「明日の茶道部でのお茶会なんだけど、吉住さんは何時から点てるの?」
「来てくれるの?」
「勿論。前売り券、ちゃんと買ってあるんだぜ」
そう言って枝本は笑った。
しかも、枝本の方から声をかけてくるなんて予想していなかった。
お互い、無視していたわけでは無かったが、理子の方は敢えて、顔を合わせないように意識していた。矢張り気まずいのである。
「あのさ、.....久しぶりだね」
枝本がしどろもどろな感じで言った。
枝本の方も、何をどう言ったら良いのか分からない感じだ。
「うん。元気だった?」
矢張り気まずさを覚える。
「うん.....。だけど、転校してきて驚いた。君がいたんで」
お互いに何となく視線を交わせずにいた。
「あたしも.....」
物凄い勢いで心臓が動いている。
「あのさ。お互いに昔の事を気にするのは止さないか?」
理子は枝本を見た。
目が合った。懐かしい目だ。
全体的に大人っぽくなっていたが、目だけは変わっていない。
黒目勝ちな、キラキラとした綺麗な目だ。
中1の三学期、毎日この目を見ては、彼の気持ちを推し量り、一喜一憂していたのだった。
その目が、今再び目の前にある。
「同じクラスの中にいて、何となく気まずいのってイヤなんだ。クラスメートとして普通に接したいって思うんだけど、吉住さんはどう思う?」
少し低い落ち着いた声だった。
以前はもう少し声が高かったと思う。
変声期前だったからだ。
「うん.....。私もそれは同じ。普通にできるのなら、そうしたい。だけど、あれからずっと気になってる事があるんだ。それを訊いても、いいかな?」
理子の言葉に、枝本は戸惑いの表情を僅かに見せたが、頷いた。
「いいよ。何?」
「あの、.....私の事、怒ってない?」
恐る恐る尋ねた。
ずっと気になっていた事だ。
手紙の返事が無かったことで、前の彼女の時と同じように怒っていやしないか。それが一番の気がかりだったのだ。
理子の言葉に枝本は不思議そうな表情をした。
「怒ってなんかいないよ。何故怒らなきゃならないの?」
「私の方からサヨナラの手紙を出した事で、枝本君のプライドが傷ついたんじゃないかと思って」
「俺のプライド?」
「うん。誇り高い人だから。女の方から別れを告げられて、黒田さんの時のように怒ったんじゃないかなって、ちょっと思ったの」
黒田とは、前の彼女の事だ。
「黒田さんの時とは別だよ。そんな事を気にしてたんだ。俺が返事を出さなかったからか。あの時は、悪かったのは俺の方だよ。何度も約束を破って、自分から連絡もしなかった。吉住さんが嫌になるのは当たり前だと思う」
「私、嫌になったわけじゃないよ。辛くなっただけ.....」
理子はそう言って俯いた。
言ったそばから恥ずかしくなったからだ。
「じゃぁ、俺の事を嫌いになったわけじゃないの?」
「うん.....」
「そっか。それは良かった。俺の方は、それを気にしてたんだ。嫌われたのかと思ってたから」
意外な言葉だった。
離れてしまえば、すぐに興味を失う程度の存在だったのだろうと、思っていたのに。
「じゃぁ、これからは、友達としてよろしく。吉住さんが、歴史が得意だって知って驚いてたんだ。これからは気軽に話せる」
歴史か。
思い起こせば、新しい中学で歴史クラブを創設し、理子と約束した日に、それを忘れて友人達と発掘へ出かけて行ったのが、最初のすっぽかしだった。
理子は一時間待った。
その後、家へ電話したら、電話に出た枝本の母親から、発掘に出かけて行った事を知らされたのだった。
本人が帰ったら電話させる、と言われたが、夜、いつまで経っても電話は来なかった。
仕方なく自分の方から電話をしたら、「ごめん、忘れてた」と言われたのだった。
以来、何度も同じような事が続き、新年度に入ってからは一度も会えずに日ばかりが経ってゆき、とうとう理子は耐えられなくなった。
(思い出すと辛い。やめよう)
「じゃぁ、これで。後で教室で」
枝本はそう言うと、去って行った。
理子は溜息をついた。少々複雑な思いだ。
これで過去の事を気にすることも無くなったし、顔を合わせないように気を使う必要もなくなった。
だが何故かスッキリしない。
(友達かぁ。.....友達、ねぇ)
この日から、理子の周囲がまた賑やかになった。
理子と耕介がそろって学級委員になった為、休み時間に耕介が自分の席から離れない事が増えたからだ。
茂木や小泉が再び耕介の席の方へ来る事が多くなり、そこへ枝本も参加するようになった。
枝本はクラスの人気者なので、その枝本目当てでまた人が集まってくる。
理子にとっては、
ゆきは、皆の話に目を輝かせて楽しそうに参加している。
仕方がないので、理子は耕介に用事が無い時や、用事が終わった後は、図書室へ移動するのだった。
文化祭前日だった。
理子が席を立った時、誰かが、「耕介、奥さんがどっか行っちゃうよ」と言った。
それを聞いて、二人してギョっとした。
「な、な、何言ってんだよ。奥さんって、何だよそれ」
耕介の顔が真っ赤だ。
「だって、仲いいじゃん。付き合ってんじゃないの?」
「ば、馬鹿言え!そんなわけないだろう。なぁ?」
赤い顔でどもりながら、理子に同意を求めてきた。
理子が周囲を見回すと、何人かが冷やかしの表情を浮かべている。
(馬鹿馬鹿しい!)
理子は黙ってその場を立ち去ろうとした。
耕介が大声で、「おい!なんで否定しないんだよー」と情けなく叫んだが、無視して教室の外へ出る。
付き合っていようが、いまいが、どうでも良い事だろうに。
耕介って純情だな。顔を真っ赤にさせちゃって。
あれじゃぁ、からかい甲斐があるってものだ。
だが。これからどうするか。
否定しなかった事で、みんなに矢張り付き合っていると思われただろうか?
クラス中の噂になるのか?
必死に否定した耕介の言葉は信用されないのだろうか。
こういう時、大抵必ず、「耕介と付き合ってるって本当?」とか、「耕介のどこがいいの?」って不躾に言ってくる女子がいる。
それを聞いて何の意味があるというのだろう。
普段から親しくない人間ほど、そう言ってくるのが多い。それに対して、答える義務なんて無いだろう。
理子は何だか腹立たしくなってきた。
図書室へ入って席へ着いたものの、読書に集中できない。
仕方なく外を見たら、中庭にあるテニスコートで蒔田と古文教師の小松真純がテニスをしていた。
周囲には多くの女子が見物している。
二人とも上手い。
特に蒔田は手足が長いので、殆どポジションが動かない。
古文の小松は蒔田と同じく新卒で、東京女子大出身だ。
テレビドラマで人気の女優に少し似ていて、本人も自分のルックスに自信があるようで、それを鼻にかけている節がある。
美人なので、最初男子生徒に騒がれたが、高慢で刺々しい性格の為に評判は良くない。
小松は蒔田に気があると、もっぱらの噂だ。
アプローチには冷たいと言っていたのに、一緒にテニスなんかしちゃって、と理子はなんだか気に入らない。
だが、こうやって見ていると二人はお似合いだ。美男美女のカップルに見える。
やっぱり先生は大人なんだ。女子高生なんて、先生から見たら子供だよね。
あんなに素敵なんだから、恋愛経験も豊富だろう。相手もより取りみどりに違いない。
なんだか、寂しいな~。教師に憧れているだけなんて.....。
「何見てるの?」
突然声をかけられてビクッとした。
枝本だった。
いつの間に来ていたんだろう。
「蒔田先生かー。一緒にテニスしてるのは、小松だな。凄いなぁ、女子が.....」
理子は黙っていた。
「もしかして、吉住さんも蒔田先生のファンなの?」
「ううん。外が騒がしいから見てただけ。二人とも上手いから驚いてた」
「似合いだよな」
「そうだね」
「ところでさ。何で何も言わずに出てっちゃったの?」
妙に無邪気な目をしている。
好きだった時も、少年のようにキラキラしていると憧れた目だったが、今も変わらないのが不思議だった。
心惹かれる目だ。
「なんか、馬鹿馬鹿しくなっちゃって」
「馬鹿馬鹿しい?」
「だって、結局のところ冷やかしでしょ。いちいち相手するの、面倒くさい」
理子はどこか投げやりな感じに言う。
「面倒臭いって、じゃぁ、誤解されたままでいいの?それとも、噂は本当なのかな」
「なんで、そんな事を聞くの?付き合っていようがいまいが、そんなのどうでもいいことじゃん」
機嫌が悪くなってきたのが、自分でもわかった。
「俺には、.....どうでも良くない.....」
枝本は力なく言った。語尾は声が小さくなった。
(何、今の台詞?)
理子は枝本を見る。枝本は少し気まずそうな顔をしていた。
視線が斜めに
「ごめん。俺は気になるんだ。だから、教えてくれないかな」
開き直ったような言い方だった。
だが、理子は動揺した。
気になるって、なんで?その方が気になる。
「わかった。耕介とは何でもないから。友達としか思って無いし」
「そうなんだ.....。ついでに訊くけど、三年生の彼氏がいるって言うのは.....」
「もう、別れてる」
「そっか.....」
ホッとしたような顔に、理子は首を傾げる。
なんだか不思議な光景だ。
いつでも強気な男子だったように記憶している。
そんな彼のそんな顔を見るのは初めてだった。
随分と長い事、片思いで見つめ続けていたのに。
枝本を見ていると昔を思い出し、昔の気持ちが蘇り、胸が熱くなってくるのだった。
一年間、ずっと思っていた相手だ。
大好きだった。
切なくて、辛くて、幸せだった。あの日の自分に戻る気がする。
理子は少し息をついた。
どうも自分は刺々しいように感じた。
「なんか、ごめんね。言い方がきつくて。耕介とは凄く気が合うし、友達としては好きだけど、それだけなんだよね」
「それなら尚更、誤解されてちゃまずいんじゃないの?」
「だって、耕介は否定してるんでしょ」
「そうだけど、あいつ、真っ赤になってシドロモドロだから、みんな照れ隠しって思ってるみたいだ」
「そうなんだ。うーん.....、どうしようかな。面倒くさいからノーコメントで通しちゃおうかな」
「えー?いいのかよ、それで」
「それはそれで、なんか面白くない?」
理子は笑った。
「それって、耕介が可哀そうな気がするけど.....」
確かに、あのどうしようもない程の照れ症には酷な話かもしれない。
「まぁ、そのうちみんなも違うって分かるだろうけどね」
ヤレヤレと言いそうな顔をした後で、枝本は話題を変えた。
「ところで話し変わるけどさ。歴史研究会を作らない?」
枝本の提案に、ひどく驚いた。
「この学校って、歴史の部活が無いよね。好きな連中多いのに。鉄研はあるのに歴研が無いなんて」
「うーん。そうだよね。でも、今さらって気もする」
「今さら?」
「だって、もう二年も半ばだよ。あと半年すれば受験モード全開って感じでしょう?おまけに、文化祭は明日だし。作った所で、私達にはもう出番が無いじゃない」
「そういうの、関係ないと思う。出番が無くたって、活動できる期間が短くたって、好きならやりたいって思うもんじゃないの?」
枝本は、好きだから、もっとみんなと語り合いたいんだと続けた。
その気持ちはわかる。今のクラスになって、歴史好きと仲良くなって、どんなに楽しいか。
出来る事なら、もっと色々と歴史談義をしたいとは思う。
「耕介は賛成してる」
「耕介に話したの?」
「うん。まだ耕介だけだけど。十人いれば、同好会として発足できるらしい。十五人以上で、一応部活扱いになる。吉住さんは他に二つも部活に入ってるから、これ以上増えたら大変だとは思う。だから、なんなら名前だけでもいい。とにかく人数を揃えたいんだ。協力してくれると有難いんだけど」
「そっか.....。だけど、顧問がいないとダメなんだよ?」
「知ってる。顧問は蒔田先生に頼もうと思ってる」
理子の胸がいきなりドキンと鳴った。
「でもあの先生は、吹奏楽部の顧問をしてるよ。だから無理なんじゃない?」
「吹奏楽かぁ。吹奏楽って毎日部活やってるのかな」
「.....練習日は月水金」
理子が小さめの声で言った。
「よく知ってるね」
「合唱部の隣でやってるから」
理子はドギマギした。
「それなら火木を活動日にすればOKじゃん」
嬉しそうな枝本に理子は言った。
「火曜は、私の茶道部の活動日なんだ。」
二人は目を合わせた。
「まっ、木曜があるけどね。一応、名前だけは登録するよ。取りあえず発足させたいんでしょ?」
「サンキュ。そうしてくれると助かるよ」
枝本は微笑んだ。その顔を見て少し胸がキュンとする。
思い返してみると、昔、彼に笑顔を向けられた覚えがあまり無いような気がした。
いつも目は輝いているが、案外笑顔だった事はあまり無かったんだなと今更ながらに気付いた気がする。
「じゃぁ、そろそろ戻ろうか」
理子は本を閉じた。結局、全く読めなかった。
それとなく窓の外の様子を窺うと、既に人影は無かった。とっくに引きあげたようだ。
「一緒に戻っても平気?」
枝本が訊いてきた。
「私は平気だけど、枝本君は?」
「俺も平気」
二人は並んで歩いた。
随分、背が伸びたな~と思った。
別れた頃は、同じくらいだった。
枝本は中学に入学した時は小柄で、いつも列は前の方だった。
逆に理子は成長が早かった為、小学生の時から後ろの方だった。
それが、二人が同じ班になった三学期には、枝本の方が追い付いてきたのだった。
今では完全に枝本の方が高い。百七十センチは越えているだろう。
「明日の茶道部でのお茶会なんだけど、吉住さんは何時から点てるの?」
「来てくれるの?」
「勿論。前売り券、ちゃんと買ってあるんだぜ」
そう言って枝本は笑った。