第105話

文字数 5,038文字

 ゆきは、蒔田の方を見た。相変わらず、女生徒達の中にいる。
 いつもの冷たい顔と違って、今日は優しそうな表情をしていた。

 理子はいつも多くを語らなかった。語ってくれなかった。
 それでも両思いになった事と、初体験の事は話してくれた。あれは、一年以上も前の事だ。その後も、二人は滅多に逢っていない事など、自分と小泉とは違って我慢しているのを聞いていた。

「ごめんね。ずっと言わなくて。本当は、ゆきちゃんだけには話しても良かったの。ただ、相手が相手だから。ゆきちゃんは絶対に秘密を守ってくれることは信じていたけれど、そうと知ってたら、表情に出てしまう事もあるかもしれないでしょ?知ってる事で、ゆきちゃんも私の為に色々と思ってくれるだろうし。だからね。ずっと言わずに我慢してたんだ」

「全然、気付かなかった.....。だって理子ちゃん、素振りどころか、顔にすら全然出して無かったよね。どちらかと言えば、無関心って感じだったし」

 ゆきのその言葉に、理子は笑みを浮かべた。

「なら、大成功だね。私、ポーカーフェイスなんだ」

「いつからなの?いつから好きだったの?」

「最初は、眼鏡がカッコイイかもって思ってる程度だったの。でも、どんどん惹かれるようになって。相手は先生でしょ。好きになっちゃマズイって思って、好きにならないように我慢してたんだけど。.....修学旅行の時にさ。ほら、あの、枝本君と茂木君の。あれで、もう駄目だ、私が好きなのは先生だけって」

「そっかぁ.....。じゃぁ、あの夏休みの時は?あの時はまだ?」

「うん。あの時はまだ。惹かれてる途中と言うか、好きになりかけてた時と言うか.....。ゆきちゃんを待ってたら、たまたま図書室に先生が来て。それで事情を知って、職員室に誘われたの。一緒に昼飯食おうってね。凄いドキドキして。先生の行為をどう受け取ったら良いのかわからなくて、戸惑うばかりだったんだ.....」

「先生は、もうその時には理子ちゃんの事が好きだったのかな」

「わからない。本人が言うには、自覚はしてなかったって。ただ、気になる存在ではあったみたいで、後から考えると既に好きになっていたんだろうって.....」

「あの時の先生、とても優しかったよね。それに、理子ちゃんと親しそうにお喋りしてた。あんな先生を見たのは初めてだったから、驚いたんだ。やっぱり先生も理子ちゃんが好きだったんだね」

「でも、先生から告白されるまでは、先生の態度に一喜一憂して、辛かったんだよ」

「きっかけとか、あるの?学校じゃ、接触があったようには思えないんだけど」

「それがさぁ。やっぱり、縁があったからなのかな。私が合唱部員だったのと先生がブラバンの顧問って事で、音楽準備室でたまたま二人で会う事が何回かあって.....。夏休みの件もそうだしね。まさか図書室でゆきちゃん待ってたら先生が、なんて思わないもん」

 理子の話しにゆきは笑った。

「そうだよねー。偶然が度重なって、その度に惹かれていったって感じなのかな」

「うん。その通りな感じ」

「あたし、そういう理子ちゃんの思いを、その時に聞きたかったな」

「ごめんね。私、そういうの、なかなか人に言えないタイプなんだ」

「中学の時の、枝本君のパターンとちょっと似てるのかな。哲郎君の時には教えてくれたのに」

「哲郎の時は、もう終焉に近かったから」

「だけど理子ちゃん、両思いになってからも、結局のところ辛かったんでしょ?だって、滅多に逢わないって言ってたよね。学校じゃぁ、こう言ったら何だけど、誰も気付かないくらいコミュとってないし」

「受験があるから、仕方なかったの」

「先生も東大出身だから、そこはやっぱり理解があるって言うか、大人だからなのかな」

「普通は、そう思うよね。だけど先生って、あれで意外と子供っぽくて」

「えー?あの先生がぁ?」

 ゆきは驚いた。全くそんな風には見えないからだ。

「焼きもちやきなの.....」

「先生が?どんな風に?」

「例えば、歴研の皆が『理子姫』って呼ぶのが気に入らないみたいだし、枝本君や茂木君、耕介にまで嫉妬してるし、石坂先生と話してたら『あの先生はいいよな、理子と気軽に話せて』って怒ってるし」

 ゆきは、プッと噴き出した。

「先生、なんか可愛いね.....」

「こうやって聞けば、可愛いものだって思うかもしれないけど、それで怒りだされてもね。私のせいじゃないもん。困っちゃうじゃない。それで喧嘩になったこともあるし」

「へぇ~、あの先生が.....。それだけ愛されてるって事じゃない。羨ましいよ」

「それでね。実はね。実は私達、結婚するの」

 理子は顔を赤くして、そう言った。

「えー?結婚?本当に?」

 理子は頷いた。

「びっくり!結婚っていつ?」

「今月の二十八日に入籍しようって言われてる」

「えー?そんなに急に?」

 理子は、蒔田との結婚の経緯について、ゆきに詳しく話した。

「そうだったんだ.....。大変だったんだね。でもって、これから、もっと大変な事が待ってるんだ」

「うん。でも最後まで許してくれなくても、結婚することは決めてるから。それで、結婚式は五月三日にする事に決めてあるの。ゆきちゃんには是非出席してもらいたいんだけど、どうかな。
もう用事とか入っちゃってる?」

「ううん。用事なんて入って無いし、もしあっても理子ちゃんの方を優先する。あたし、嬉しい。ずっと頑張ってきたんだもんね。絶対に出席するから」

「ありがとう。美輝ちゃんにも出席して貰いたいんだけど.....」

「美輝ちゃんには、あたしから話しとくよ。もう少しして三人で会った時に、詳しい事を言えばいいと思うよ」

「ありがとう。あとさ。枝本君たちにも来て貰えたらって思ってるの。いずれ皆の知る所になると思うし、これからも友達でいて欲しいから。でも、酷かな」

「うーん.....」

 ゆきは首を傾げた。

「微妙だね。でも、理子ちゃんに彼がいる事は既に知ってるんだし.....。何なら、明日話してみたら?出席するかしないかを決めるのは本人だし」

「そっか。そうだよね。出欠は自由だもんね。じゃぁ、明日話そうかな」

 なんだか、今からドキドキしてきた。

 謝恩会終了後、教室へ戻ってから解散となった。
 最後の礼が終わると、女子は蒔田の周りに殺到した。この機会にと、何人もが蒔田の腕に絡みついたり抱きついたりして大騒ぎになった。
 蒔田はされるままになっている。

「すっげー」

 男子は一様に驚いていた。
 理子は岩崎に呼びかけられた。

「これ、貰ってくれないかな」

 岩崎が少し大きめの書類用の袋を差し出した。

「えっ?何かな。中を見てもいい?」

 岩崎が頷いたので理子は封を開けた。中には写真のような物が入っている。出してみると、鉄道の写真だった。
 文化祭の時に鉄研で展示されていたものである。

「それ、理子が褒めてくれたやつ。凄い嬉しかった。好きだって言ってくれたから、卒業の記念にあげようと、あの時から決めてたんだ。貰ってくれるかな」

 頬を赤らめて言う岩崎に、理子は笑顔で頷いた。

「勿論。ありがとう。凄く嬉しい。ずっと、大切にするから」

「じゃぁ、僕行くね。また明日」

 岩崎はそう言って手を挙げると、去って行った。それと行き違うように、茂木がやってきた。

「理子、一緒に行こうぜ。今日はバスだろ?」

 歴研の打ち上げである。
 茂木に言われて一緒に行こうとしたら、背後から「吉住っ」と呼びとめられた。驚いて振り返ると、蒔田で、周囲の女子達は理子の方を怖い顔をして見ていた。

「石坂先生が来て欲しいって言ってたから、職員室へ行ってくれ」

 石坂先生が?
「わかりました」と言って、軽く会釈をして理子は教室を出た。
 いきなり声を掛けるから、本当に驚いた。

 周囲の女子の目は、本当に怖かった。この先、二人の結婚を知ったら、みんなどうするんだろう?
 何か、脅迫状とか、怖いものを送りつけて来られないだろうか。少し心配になった。

「凄いな、女子達。あれじゃ、先生も大変と言うか、可哀そうって言うか。同情する」

 茂木がそう言った。確かに、モテ過ぎるのも考えものだろう。
 ああいう事が小さい時から日常茶飯事だったのなら、うんざりするのも当然かもしれない。

 職員室に到着すると、茂木は「待ってるから」と言った。
 理子を一人にはさせられないと、茂木は思っている。

 理子は職員室へ入った。先生との別れを惜しみに来ている生徒が何人もいた。
 理子は真っすぐ石坂の席へと向かう。石坂はすぐに理子の存在に気が付いた。

「やぁ。卒業おめでとう」

「ありがとうございます。先生には色々お世話になりました」

「いや。君は本当に良くやったね。今朝、君の受験の時の数学の解答を、蒔田先生から渡されてね。見て驚いたよ。いい出来だ。ここまでやってくれるとはね。正直僕も驚いてるんだ。そして、感動している。苦手だったなんて、誰も思わないよ」

「先生のお陰です。ちっとも理解しない私に、根気良く教えてくださいました。感謝してます」

「いやいや。教師として当たり前の事をしただけだよ。普通は、途中で諦めてしまうものだ。わからない、できないと言う事は、辛いものだよ。それを諦めずに頑張ったのは、君自身だ。そこまでやれる人間は、そうそういない。だから僕は感動しているんだよ」

「ありがとうございます。先生にそこまでおっしゃって貰えるなんて、本当に嬉しいです」

「本当に頑張った。大学へ入ってからも頑張って下さい。大学の数学で、わからない所が出てきたら、僕の所に訊きに来て構わないから。来年度も朝霧にいるからね」

「はい。そうさせて貰います」

「それで、君にプレゼントがあるんだ。卒業祝いだよ」

 石坂はそう言うと、一冊の立派な装丁の本を理子の前に差し出した。
 表題は「数学のいろいろ」と書いてある。

「その本はね。面白いよ。生活の中にある、色んな数学の話しや、面白エピソードが満載なんだ。それを読むと、数学って実はこんなに身近で面白いものなんだ、と思える内容だ。益々好きになる事、請けあいだ。是非、貰ってくれないかな」

「ありがとうございます」

 理子は、中を開いてざっと見た。目次の内容を見て興味を引かれた。
 最後の裏表紙を見たら、そこには今日の日付と石坂のサンインがあった。
「君の前途を祝して」と書かれてある。

「ちょっと、キザだったかな.....」

 石坂は照れたように笑った。

「おお、理子!俺からも記念品があるぞ」

 と、いきなり諸星が入って来た。石坂は邪魔されて不満そうな表情を浮かべている。
 差し出された物は矢張り本で、表紙を見たら「和泉式部日記」だった。

「日本史と文学好きの理子に、ぴったりだろう?」

 この本は学校の図書室で借りて読んだので、自分では所有していなかった。

「ありがとうございます。嬉しいです」

「裏表紙、見ろよ。俺もサインしておいたんだ」

 諸星にそう言われて、理子は裏表紙を開けると、今日の日付とサインがしてあったが、「理子へ」の後に、ハートマークが書かれていた。
 思わず驚いて諸星を見ると、ニンマリと笑っている。
 その顔を見て理子は苦笑した。石坂が理子の手元を覗きこんで、驚いた。

「諸星先生、なんです、このハートマークは」

「いいだろうが。俺、理子が好きなんだよ。石坂先生みたいに、回りくどいのは嫌いなんだ。俺の性分じゃない。俺はどこまでもストレート。直球だ」

 そう言って、ガッハッハッと豪快に笑った。それにつられて理子も噴き出してしまった。

「先生、私も先生が好きです。大好き」

 理子は笑いながら諸星に言った。


「なんだってぇ?」

 蒔田の告白に、諸星は酷く驚いていた。
 卒業式の夜の事である。

 蒔田は生徒達が全員帰った後、諸星に大事な相談があるから学校帰りに聞いて貰えないかと話し、それなら早い方が良いだろうと、諸星はその日の夜を指定した。
 蒔田は諸星の行きつけの店に連れて行かれ、大事な話しと言うことで、座敷の方へ通されたのだった。

「まさに、寝耳に水じゃないか。信じられないよ」

 諸星は大きな目を更に開いていた。蒔田は料理をつまみながら、諸星が落ち着くのを待っていた。驚かれるのは無理も無い。自分達は誰にも気付かれずに付きあってきた。学校では互いに知らんぷりだ。

 そんな二人が実は愛し合っていて、今月入籍するなんて聞いたら、信じられないのも当然だ。二人の接点と言えば、担任であると言う事と、東大しかない。
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