第101話

文字数 3,875文字

 理子は無事にセンター試験を突破した。
 センター試験の二日目が終わった時、蒔田は理子から「自信はある」と言われた。あの苦手な理数で「自信はある」との言葉が返って来た事に感心した。

 その後、答え合わせをしてみると、かなりの高得点で合格ラインを遥かに超えている事がわかった。これなら合格確実だろうと思ってはいたが、はっきり合格と出ると矢張りホッとする。

 蒔田が担当した補習クラスの国立組は全員がセンター試験を突破していたので、蒔田の喜びはひとしおだった。頑張って指導した甲斐が有った。
 生徒達も、よく頑張ってくれたと思う。
 
 理子は東大の前期日程しか志望していないが、他の者達は後期も併願している者が多い。だがこの分なら、みんな国立へ合格できそうだと、手応えを感じるのだった。

 その蒔田の報告に、校長もかなり気を良くしていた。
 朝霧高校の創立以来、こんなに国立大学に合格者が出るのは初めてのことである。しかも上位
ランクだ。
 元々は理子のサポートのつもりで作った補習クラスだったが、蒔田と生徒達の頑張りには目を見張るものがある、と校長は思った。

 その肝心な理子も、センター試験はかなりの好成績だったようなので、これはやれそうだと校長は期待した。

「引き続き、よろしくお願いします」

 校長に頭を下げられて、蒔田は恐縮した。
 そして思う。
 理子との結婚の話しをいつしようかと。

 蒔田の感覚からすると、理子の東大合格は確実と思われた。勿論、受験は水ものでもあるから、最後までわからない部分はある。だが、まず大丈夫だろう。

 合格発表の日に、理子の母に報告する事になっている。
 校長へは、その前に言っておいた方が良いだろうか。
 あのお母さんの事だ。二人の話しを聞いて、学校へ訴える事も考えられる。

 その時になって事の次第を聞かされても、校長は対応に困るだろうし、自分にとっても不利な状況になる可能性の方が高いのではないか。
 事前に、少しでも周囲の理解を得ておいた方が良いのではないかと思うのだった。

 もし話すとしたら、卒業式の後だろう。
 東大の受験日自体、卒業式の直前だから、卒業式より前に話す事は無理だ。
 本来なら親御さんの了承を得てから、二人で揃って学校へ報告したいのだが、現状を考えると厳しいように思える。

 毎日がとにかく忙しい。県立高校の受験日も迫っている。卒業式の準備も有る。そんな中で、蒔田は不安の残る生徒を呼んでは、個人的に指導した。
 自分がこの高校へ来たのは、一人でも多くの生徒を志望校へ進学させてやる事だ。

 蒔田は学生時代に家庭教師のアルバイトを数多くしていたが、志望校合格率100%の実績者である。勉強のコツを教えるのが上手い。
 みんな偏差値上位の大学だったが、生徒は優秀な者だけではない。

 学校の成績が悪くて進学自体を危ぶまれる者もいた。そういう者にも力を付けさせ、合格へと導いた。だから多くの進学塾から随分と声が掛ったものだった。

 蒔田が朝霧に赴任したのも、校長が蒔田を買ったからであり、新任早々担任にしたのも、その期待があったからだ。蒔田はその期待に応えねばならないと思っている。
 校長は人格者だ。期待に応える仕事をやり遂げれば、必ず自分の味方になってくれる筈だと、蒔田は信じる事にした。

 だがその前に、もう一人くらいは味方を作っておきたい。
 考えた末、諸星先生に相談してみようと思った。あの先生も、教え子と恋愛の末に結婚した人だ。本当かどうかはわからないが、在学中から恋愛関係にあったと言う。懐の深い、よく練れた人物だ。

 学年主任でもある。生徒達から人気があり、指導力もあるのに、出世欲は無いようで、校長試験を勧められても断り続けてきた人だ。
 現場で直接生徒達と関わっていたいと本人は言っている。

 卒業式が終わったら、まずは諸星先生に話そうと決め、それ以降の事はその時に考えようと思った。
 やらなければならない事は沢山ある。
 優先順位を決めて、全てに全力投球するしかない。


 東大受験がやっと終わって、理子はホッとしていた。
 当日はさすがに、センター試験の時よりも緊張した。だが、試験時間はセンターの時よりも短いし、試験馴れもしていた。

 東大模試は、東大の二次試験と全く同じ出題形式と時間で行うので、予行演習と言える。
 それをしっかり済ませておいて良かった。
 後期日程を受けるか訊かれたが、理子は受けない事にした。正直な所、自信があった。

 文系は全く問題が無い。
 社会は日本史と世界史を受験したが、自分では完璧だったと思っている。一般的には、この組み合わせで受験する人間は多くは無い。だが理子には、これまで積み上げて来たものがあるので、全く難しいと感じなかった。
 国語も英語も、其々の科を目指していた時期があったこともあり、得意科目で、問題無かった。

 そして、数学。
 蒔田のアドバイス通り、数3を履修しておいて本当に良かったと思った。数多くの問題をこなした事もあるが、考え方が柔軟になったと思う。
 捻りのある問題でもあったので、最初に論理を組み立てる段階で、数3を勉強してなかったら大分時間を要したと思う。

 理子は早くに論理を構築し、早い段階で書き始める事ができたので、時間内に最後まで書けきれたが、時間切れで最後まで書けないで終わった受験生が多かったように感じた。
 多分、数学で大分点を稼げた筈だから、かなり有利だと思う。
 念の為、理子は翌日の土曜日に自分の解答を書いた物をファックスで蒔田の許へ送ったら、“完璧だ”とのメールが来たのだった。

 そして翌日の日曜日、久しぶりに蒔田と二人で逢った。
 この日、リフォームが済んだマンションの引き渡し日でもあり、二人で一緒に行く事になったのだ。

 試験が終わったので、理子にはもうやる事はない。
 平たく言えば、暇だ。
 迎えに来た蒔田の車に乗ると、開口一番、「よく頑張ったな」と言われた。

「はい。自分でもよく頑張れたなって思います。呑気な性格で根性無しだから、自分でも信じられないくらいです」

 長い道のりだった。
 スタートする時には、本当にやり切れるか、全く自信が無かった。とにかく国立は受からないと、と言う気持ちからスタートしたわけだが、蒔田がいなかったら、ここまで来れなかったと思う。
 愛の力は大きいが、それだけでも乗り切れたかどうかは疑問だ。

「数学の答えを見た時には、驚いた。あんなに苦手で苦労していたのに、ああまで完璧に解答できるとはな。数学であれだけ出来ていれば、何の問題も無いだろう。俺も合格を確信してる」

 理子は蒔田の言葉に嬉しくなった。これで結婚できるわけだが、それより何より、先生の期待に応えらた事の方が喜びが大きかった。

「他のみんなは、どうだったのかな」

「それぞれから報告を受けてるが、殆どの者がまずまずの結果だったと言っていた。だが何人かは、後期日程を申し込むと言っているから、まだ大変だな」

「そうですか。本人が大変なのは勿論ですけど、先生も大変ですね。後期の結果がでるのは、三月も終わりの方ですものね」

「そうなんだ。気が休まらないよ」

 蒔田は少し疲れているように見える。
 三年生の担任は、この時期はとても大変なんだろうと、理子にも察する事ができる。その上に、新居の準備も余念なく進めている。

「先生.....。ストレスが溜まってるんじゃないですか?」

 理子は、運転している蒔田の様子をそっと窺った。

「そう見えるか?」

「何となく.....」

「そうか。まぁ、疲れてはいるが、ストレスはそれ程でも無いよ」

 間もなく、目的地のマンションへ到着した。指定の駐車場へ車を停める。

「ここが、私達の駐車場所になるんですか?」

「そう。覚えておいてくれ。君も、免許を取らないとな」

「そうですね。いつ取ったらいいんでしょう。この時期って一番混むみたいだし」

「そうだなぁ。でも、結局のところ春休みは暇だろ?入学式は四月半ばと遅い方だし、この際だから、春休み中に教習所へ行っておいた方が得策だな」

「そうですか。今から申し込んで間に合うのかな」

「大丈夫さ。学科はすぐに受けれるから問題ない。教習の方も、定期枠を取るのは難しいかもしれないが、そうしたらキャンセル待ちで乗ればいい。積極的にキャンセル待ちを狙うんだ。すぐに周辺の教習所を調べて、卒業式の翌日に申し込みに行くといい」

「先生、性急ですね。まずは両親に相談しないと。金銭的な問題があるわけですし」

「そうだな。だけどもし、金銭的理由で今は無理だと言われたら、俺が出すから言ってくれ」

「えっ?そこまでしてもらうのは.....」

 理子は蒔田の言葉に躊躇した。

「遠慮しなくていい。結婚するんだから。でもまだ、その事をお母さんは知らないわけだから、お父さんに言うといい。俺が立て替えておくから、お父さんのヘソクリかなんかで出すって事にして下さいって」

「わかりました。駄目だった時には、そうさせてもらいますね」

 何だか、何から何まで申し訳なく思うのだった。

 蒔田は、理子の手を取った。大きな手に包まれて、ドキリとした。

「理子。気にする事はないから。俺達は結婚するんだ。君は俺の扶養家族になる。だから俺が君の為に必要なお金を出す事は、当たり前の事なんだ。都心に住んでいるなら、急いで免許を取得する必要はないが、郊外に住んでいると車が無いと不便だ。俺だって、君が運転できる方が助かるんだから」

 その言葉に、理子は笑顔で頷いた。
 蒔田の真心には、心が打たれるばかりだ。

 
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