第69話
文字数 3,383文字
月曜日に理子が登校すると、渕田はこの日休みだった。
ホッとしたものの、どうしたのだろうかと少し気になった。
「二日も休んで、どうしたの?大丈夫?」
心配そうに岩崎が問いかけて来た。
「うん。なんか疲れが出ちゃったのかな。風邪引いちゃったみたいで。でも、もう大丈夫」
理子は笑顔で返した。本当に心配してくれていたのが伝わってきて、優しい人だと思った。
「後の席が渕田じゃなくて、驚いたでしょ」
「うん。そうだね」
「何で、一番後ろの席になったのかなぁ」
岩崎は不思議そうにしていた。それもそうだろう。いきなり、渕田だけが移動したのだから。
「本人は、なんか言ってた?」
岩崎に尋ねてみた。
「いや、別に。でも、顔に痣を作ってたから喧嘩でもしたのかな。それが原因かもね」
「そんな、痣とか作ってて、みんな騒がなかったの?」
「どうしたんだよー、ってみんなに聞かれてたけど、ちょっとな、としか言ってなかった」
それを聞いて理子は少しだけホッとした。
確かに人には話せない内容だが、自分を正当化してとんでもない事を言わないとは限らない。
驚いたのは翌日だった。
登校してきた渕田は左腕を三角巾でぶら下げていた。
これには、教室中がざわめいた。みんなが問いかける。
「階段から落ちて骨折した」
本人はそう言うだけで、それ以上聞かれると煩そうな態度を示した。あまり詮索されたくないように見受けられる。
どうも昨日欠席したのは、この怪我の為だったようだ。
理子が訝 しげにその様子を見ていたら、その視線に気づいたのか、渕田が理子の方を見た。
目が合い、理子はビクッとしたが、渕田の方がすぐに視線を逸らせた。これにも理子は驚いた。
休み時間に、茂木がやってきた。
「理子、体調の方は大丈夫か?」
その瞳には労わりの表情が見えた。
「うん。大丈夫」
理子の返事を聞くと、理子の手元に手紙を置いて自分の席へと戻っていった。
不思議に思い、その手紙を開けた。
読んで驚く。
茂木は枝本からこの間の事件を聞いたと言うのだ。
勿論、他には誰にも話していないし、話すつもりもない、と。
茂木は以前から渕田を警戒していたのに、同じクラスでありながらこんな事になって申し訳ない、と詫びていた。そして渕田に憤っていた。
これからは自分がもっとアイツに注意しててやるから、安心して欲しいと書いてあった。
昼休みに、枝本がやってきた。茂木と一緒に、外に誘われた。
「ごめん、理子。茂木に話した」
枝本が理子に頭を下げた。
「うん。さっき、茂木君から手紙を貰って知った」
「君にとってはショッキングな出来事だから、誰にも知られたくないって気持ちは十分わかってるんだ。だけど、俺はクラスが違うから、ずっとアイツを見張っていられない。茂木なら信用できる。そもそも最初に気付いたのはこいつなんだし」
「俺達で、理子を守るよ。でないと、不安で学校へ来れないだろう?」
茂木がそう言った。
「ありがとう.....」
理子は二人の気持ちが嬉しかった。
「最初から、一人で取りに行かせずに一緒に付いていってやれば良かったんだよな。そしたら、酷い目に遭わずに済んだのに。ごめんな」
茂木の目には後悔の念が浮かんでいた。
「茂木君、ありがとう。でも誰もまさか、こんな事、想像してなかったんだから、しょうがないよ」
理子は軽く笑ってそう言った。
「だけどアイツ、怪我してたな。いい気味だ。罰が当たったんだ」
掃いて捨てるように茂木が言った。
「席替え、してくれてあったな。やっぱり蒔田先生に言って良かった」
「当然だよ。先生だって歴研の仲間みたいなもんなんだから、姫の窮地を助ける義務がある」
茂木の言葉に思わず理子は噴き出した。
先生を仲間呼ばわりするとは。
これでは本当に家臣みたいだ。
その時、スマホの着信音が鳴った。メールだ。理子は驚く。
蒔田からのような予感がした。
「ちょっと、ごめんね」
そう言って、理子は二人から少し離れた所でメールを開いた。
矢張り思った通り、蒔田からだった。
“渕田を見て、驚いたか?あれは、俺がやった。
あいつに制裁を加えてやった。だからもう
何の心配もいらない”
理子は驚いた。あの怪我は、蒔田の仕業だったのか。
だが、どうやって?
まさか直接手を加えたわけではあるまい。
理子が返信すると、今どこにいるか尋ねてきたので校庭にいると返事をしたら、電話がかかってきたので更に驚いた。
「驚いた?」
電話番号は春休みに教え合っていたが、蒔田からは極力かけないと言う約束だった。なのに、学校内でありながらかけてくるとは。
「だって、学校ですよ?少し離れてますけど、枝本君と茂木君も一緒なんですけど」
理子は小声になる。
「そうか。すまないな。さっきのメールの件だけどな。あれは、俺がやった」
「直接、ですか?」
「そうだ」
「だって、そんな事.....」
「大丈夫だ。俺とはわからないようにやったから」
蒔田は土曜日に理子を帰した後、夜遅くに渕田を外へ呼びだした。
全身黒に身を包み、顔も覆面をして、暗闇の中で思いきり痛めつけた。
顔は殴らずに、ボディーブローを何度も浴びせた。
蒔田は大学生になってから、体力強化と健康の為にボクシングジムへ通っていた。
普段から鍛えているので、細身ながら筋肉質だ。優男風でありながら喧嘩も強い。
愛する女性をあんな目に遭わされて、黙ってなんかいられない。
そのままにはしておけない。痛めつけずには気が済まなかった。
相手が例え教え子であっても。
散々痛めつけて立てなくなった渕田の左手を持つと、思いきり踏みつけて骨を折った。激痛に渕田は転げ回った。
「よくも、俺の女に手を出したな。お前、テニス選手なんだってな。これから少しでも彼女に付きまとうようなら、今度は右手を潰してやるからな。覚悟しとけよ。勿論、この事を喋ったら、ぶっ殺すからな」
声は変声機を使って変えた。
この時の蒔田は怒り心頭だったので、体から狂気を発していた。本当に殺しかねない勢いだった。
渕田も殺気めいた空気を感じたのか、酷く怯えてひたすら謝った。
ごめんなさい、ごめんなさい、もうしません、許して下さいと、地面を這いつくばりながら泣いていた。
蒔田はその体に思いきり蹴りを入れてから立ち去った。
その事を蒔田から聞いて、理子は驚愕した。
自分の為にそこまでしてくれた事には感動したが、一方では矢張り心配だ。
「本当に大丈夫だから。俺の心配はしなくていい。それより、どうして枝本達と校庭にいるんだ?」
蒔田の質問に理子は事情を説明した。
「そうか。あいつら、まるでお前のナイトだな。可愛い奴らだ。校内では、あいつらを頼るか。まぁ、もう心配はいらないけどな。彼氏がアイツに制裁を加えたと言ってやっていいぞ。あいつらも胸がスッとするんじゃないか?」
理子は電話を切った。蒔田の声が明るかったのが救いだ。
あの人のする事だから、きっと抜かりは無いんだろうけれど、本当に驚くような事をする人だ。
「どうしたの?何かあった?」
枝本と茂木が不思議そうに問いかけて来た。
「うん、実は.....」
蒔田から聞いた事を、理子は二人に話した。
「それは、凄い.....」
二人は驚愕の表情で、顔を見合わせている。
「あいつのあの怪我、理子の彼氏がやったのか。強いんだな」
茂木が感心している。
「彼氏なら、そうするのも当たり前だよ。俺だって、どんなに腸 が煮えくりかえったか。もっと殴ってやれば良かったと思っているくらいだ。」
枝本は拳を握りしめた。
「まだ付きまとうなら、今度は右手を潰すって脅しておいたから大丈夫だろうって」
「そうか。そう言えばアイツ、怯えた感じだったな。皆に根掘り葉掘りしつこく訊かれても答えなかったし。まぁ、言えないだろうけど。だけど凄いな、理子の彼氏は。やっぱり、大人だけに頼もしいな」
茂木のその言葉に、枝本が少しだけ嫌な顔をした。
「二人には、彼も感謝してたから」
先生を『彼』と呼ぶのが、なんだか照れくさい。
「そんな、彼氏に感謝されてもな.....」
呟くように言う枝本は、きっと複雑な思いなのだろう。
「私はもっと感謝してるから」
理子は枝本を、感謝の気持ちを込めて見つめた。
枝本はその視線を受けて、照れくさそうに「うん」と笑顔で頷いた。
ホッとしたものの、どうしたのだろうかと少し気になった。
「二日も休んで、どうしたの?大丈夫?」
心配そうに岩崎が問いかけて来た。
「うん。なんか疲れが出ちゃったのかな。風邪引いちゃったみたいで。でも、もう大丈夫」
理子は笑顔で返した。本当に心配してくれていたのが伝わってきて、優しい人だと思った。
「後の席が渕田じゃなくて、驚いたでしょ」
「うん。そうだね」
「何で、一番後ろの席になったのかなぁ」
岩崎は不思議そうにしていた。それもそうだろう。いきなり、渕田だけが移動したのだから。
「本人は、なんか言ってた?」
岩崎に尋ねてみた。
「いや、別に。でも、顔に痣を作ってたから喧嘩でもしたのかな。それが原因かもね」
「そんな、痣とか作ってて、みんな騒がなかったの?」
「どうしたんだよー、ってみんなに聞かれてたけど、ちょっとな、としか言ってなかった」
それを聞いて理子は少しだけホッとした。
確かに人には話せない内容だが、自分を正当化してとんでもない事を言わないとは限らない。
驚いたのは翌日だった。
登校してきた渕田は左腕を三角巾でぶら下げていた。
これには、教室中がざわめいた。みんなが問いかける。
「階段から落ちて骨折した」
本人はそう言うだけで、それ以上聞かれると煩そうな態度を示した。あまり詮索されたくないように見受けられる。
どうも昨日欠席したのは、この怪我の為だったようだ。
理子が
目が合い、理子はビクッとしたが、渕田の方がすぐに視線を逸らせた。これにも理子は驚いた。
休み時間に、茂木がやってきた。
「理子、体調の方は大丈夫か?」
その瞳には労わりの表情が見えた。
「うん。大丈夫」
理子の返事を聞くと、理子の手元に手紙を置いて自分の席へと戻っていった。
不思議に思い、その手紙を開けた。
読んで驚く。
茂木は枝本からこの間の事件を聞いたと言うのだ。
勿論、他には誰にも話していないし、話すつもりもない、と。
茂木は以前から渕田を警戒していたのに、同じクラスでありながらこんな事になって申し訳ない、と詫びていた。そして渕田に憤っていた。
これからは自分がもっとアイツに注意しててやるから、安心して欲しいと書いてあった。
昼休みに、枝本がやってきた。茂木と一緒に、外に誘われた。
「ごめん、理子。茂木に話した」
枝本が理子に頭を下げた。
「うん。さっき、茂木君から手紙を貰って知った」
「君にとってはショッキングな出来事だから、誰にも知られたくないって気持ちは十分わかってるんだ。だけど、俺はクラスが違うから、ずっとアイツを見張っていられない。茂木なら信用できる。そもそも最初に気付いたのはこいつなんだし」
「俺達で、理子を守るよ。でないと、不安で学校へ来れないだろう?」
茂木がそう言った。
「ありがとう.....」
理子は二人の気持ちが嬉しかった。
「最初から、一人で取りに行かせずに一緒に付いていってやれば良かったんだよな。そしたら、酷い目に遭わずに済んだのに。ごめんな」
茂木の目には後悔の念が浮かんでいた。
「茂木君、ありがとう。でも誰もまさか、こんな事、想像してなかったんだから、しょうがないよ」
理子は軽く笑ってそう言った。
「だけどアイツ、怪我してたな。いい気味だ。罰が当たったんだ」
掃いて捨てるように茂木が言った。
「席替え、してくれてあったな。やっぱり蒔田先生に言って良かった」
「当然だよ。先生だって歴研の仲間みたいなもんなんだから、姫の窮地を助ける義務がある」
茂木の言葉に思わず理子は噴き出した。
先生を仲間呼ばわりするとは。
これでは本当に家臣みたいだ。
その時、スマホの着信音が鳴った。メールだ。理子は驚く。
蒔田からのような予感がした。
「ちょっと、ごめんね」
そう言って、理子は二人から少し離れた所でメールを開いた。
矢張り思った通り、蒔田からだった。
“渕田を見て、驚いたか?あれは、俺がやった。
あいつに制裁を加えてやった。だからもう
何の心配もいらない”
理子は驚いた。あの怪我は、蒔田の仕業だったのか。
だが、どうやって?
まさか直接手を加えたわけではあるまい。
理子が返信すると、今どこにいるか尋ねてきたので校庭にいると返事をしたら、電話がかかってきたので更に驚いた。
「驚いた?」
電話番号は春休みに教え合っていたが、蒔田からは極力かけないと言う約束だった。なのに、学校内でありながらかけてくるとは。
「だって、学校ですよ?少し離れてますけど、枝本君と茂木君も一緒なんですけど」
理子は小声になる。
「そうか。すまないな。さっきのメールの件だけどな。あれは、俺がやった」
「直接、ですか?」
「そうだ」
「だって、そんな事.....」
「大丈夫だ。俺とはわからないようにやったから」
蒔田は土曜日に理子を帰した後、夜遅くに渕田を外へ呼びだした。
全身黒に身を包み、顔も覆面をして、暗闇の中で思いきり痛めつけた。
顔は殴らずに、ボディーブローを何度も浴びせた。
蒔田は大学生になってから、体力強化と健康の為にボクシングジムへ通っていた。
普段から鍛えているので、細身ながら筋肉質だ。優男風でありながら喧嘩も強い。
愛する女性をあんな目に遭わされて、黙ってなんかいられない。
そのままにはしておけない。痛めつけずには気が済まなかった。
相手が例え教え子であっても。
散々痛めつけて立てなくなった渕田の左手を持つと、思いきり踏みつけて骨を折った。激痛に渕田は転げ回った。
「よくも、俺の女に手を出したな。お前、テニス選手なんだってな。これから少しでも彼女に付きまとうようなら、今度は右手を潰してやるからな。覚悟しとけよ。勿論、この事を喋ったら、ぶっ殺すからな」
声は変声機を使って変えた。
この時の蒔田は怒り心頭だったので、体から狂気を発していた。本当に殺しかねない勢いだった。
渕田も殺気めいた空気を感じたのか、酷く怯えてひたすら謝った。
ごめんなさい、ごめんなさい、もうしません、許して下さいと、地面を這いつくばりながら泣いていた。
蒔田はその体に思いきり蹴りを入れてから立ち去った。
その事を蒔田から聞いて、理子は驚愕した。
自分の為にそこまでしてくれた事には感動したが、一方では矢張り心配だ。
「本当に大丈夫だから。俺の心配はしなくていい。それより、どうして枝本達と校庭にいるんだ?」
蒔田の質問に理子は事情を説明した。
「そうか。あいつら、まるでお前のナイトだな。可愛い奴らだ。校内では、あいつらを頼るか。まぁ、もう心配はいらないけどな。彼氏がアイツに制裁を加えたと言ってやっていいぞ。あいつらも胸がスッとするんじゃないか?」
理子は電話を切った。蒔田の声が明るかったのが救いだ。
あの人のする事だから、きっと抜かりは無いんだろうけれど、本当に驚くような事をする人だ。
「どうしたの?何かあった?」
枝本と茂木が不思議そうに問いかけて来た。
「うん、実は.....」
蒔田から聞いた事を、理子は二人に話した。
「それは、凄い.....」
二人は驚愕の表情で、顔を見合わせている。
「あいつのあの怪我、理子の彼氏がやったのか。強いんだな」
茂木が感心している。
「彼氏なら、そうするのも当たり前だよ。俺だって、どんなに
枝本は拳を握りしめた。
「まだ付きまとうなら、今度は右手を潰すって脅しておいたから大丈夫だろうって」
「そうか。そう言えばアイツ、怯えた感じだったな。皆に根掘り葉掘りしつこく訊かれても答えなかったし。まぁ、言えないだろうけど。だけど凄いな、理子の彼氏は。やっぱり、大人だけに頼もしいな」
茂木のその言葉に、枝本が少しだけ嫌な顔をした。
「二人には、彼も感謝してたから」
先生を『彼』と呼ぶのが、なんだか照れくさい。
「そんな、彼氏に感謝されてもな.....」
呟くように言う枝本は、きっと複雑な思いなのだろう。
「私はもっと感謝してるから」
理子は枝本を、感謝の気持ちを込めて見つめた。
枝本はその視線を受けて、照れくさそうに「うん」と笑顔で頷いた。