第14話

文字数 5,283文字

 その日、理子は朝から図書室でゆきを待っていた。
 八月に入った、朝からカンカン照りの熱い日で、いつもの通り、図書室で一緒に勉強をする約束の日だった。

 だが、約束の時間になってもゆきが来ない。かれこれ一時間になる。
 一体どうしたんだろう?
 理子はゆきのスマホへ電話をかけたが出なかった。

 何度かけても出ない。
 家の電話へもかけてみたが、やはり出ない。

(まさか、忘れてる?)

 でも前回一緒に勉強して別れる時に、ちゃんと今日の日付を確認した。
 ほんの三日前だ。

 もしかしたら寝坊して、今頃はこっちへ向かっているのかもしれない。
 そう思って、理子は一人で勉強しながらゆきを待った。

 だが、それから再び一時間が経った。
 来ない。
 何度も電話をするが、やはり出ない。

 理子はなんだか悲しくなってきた。

 図書室は静かだった。
 何故かこの日は図書委員もいなくて、司書の先生が一人、整理室で仕事をしていた。

 どうしようか。帰ろうか。
 でも、忘れていたとしても、気づいたら来るに違いない。
 そう思うものの、少し涙が出てきた。

 なんで、こんな事で泣けてくるのかな。
 彼氏にすっぽかされたのとは違うのに。

 その時、ガラッと図書室のドアが開いた。
 理子はゆきだと思って、嬉しげに立ち上がってドアの方を見たら、蒔田が入ってきたのだった。
 思いもかけない人物の登場に呆然とした。

 蒔田の方も、立ちあがって自分を見ている理子に気づいて驚愕していた。

「り.....」

 と言って蒔田は口を噤んだ。
 司書の松嶋の存在に気づいたからのようだ。
 隣の部屋にいるとは言っても、気をつけるべきと判断したのだろう。

 蒔田は黙って理子の方へと歩を進めた。途中、隣の整理室にいる松嶋に軽く会釈をした。
 理子は、とりあえず座った。
 蒔田が自分の方へと歩いてくる。胸が高鳴った。

 蒔田は理子の前の席に座った。

「今日は、どうしたんだ?」

 理子は俯く。
 突然登場した蒔田に、胸が高鳴って理性が飛んでしまいそうだった。
 蒔田は答えない理子に溜息をついた。
 そこへ、司書の松嶋がやってきた。

「吉住さん、ずっと最上さんを待ってるんですよ」
「最上を待ってる?」

 蒔田は不思議そうな顔をした。
 松嶋が続けた。

「二人は部活の無い日は、よくここで一緒に勉強をしてるんです。去年の夏休みもそうでした。今日も約束してたようなんですけど、最上さん来なくて。電話を何度かけても出ないようだし」

 蒔田は理子の方を見たが、理子は俯いたまま顔を合わせられずにいた。

「それで、何時から待ってるんです?」
「九時からです」

 今はもう十二時だ。三時間も待っていたことになる。

「お昼はいつも、どうしてるんです?」

 蒔田は松嶋に向かって訊いた。

「二人でお弁当を食べてます」
「持参してきてるんですね?」
「ええ」

 蒔田は理子に向って言った。

「吉住、弁当持って職員室まで来い。いいな」

 そう言い置いて出ていった。

 理子は顔を上げた。一体、どういう事だろう?松嶋の方を見る。
 松嶋は優しく微笑んでいた。

「いってらっしゃい」
「でも、もし、ゆきちゃんが来たら・・・」
「大丈夫よ。その時は私がちゃんと伝えてあげるから。勉強道具はそのままにしておくといいわ」

 松嶋はそう言うと、整理室の方へと戻って行った。
 理子は、この展開が信じられない。もしかして、一緒にお昼を食べると言う事か。

 先生と?
 うわっ、どうしよう?

 急に緊張してきた。
 あの先生と一緒に食事をするという行為に、恥ずかしさが湧いてくる。
 だが、このまま無視するわけにもいくまい。

 理子は決意するかのように持参した弁当を持つと、恐々した気持ちで職員室へと向かった。
 職員室には、蒔田しかいなかった。

「失礼します.....」

 何となく小声になる。

「おお」

 増山が返事をした。
 辺りを見回す理子に、「今日は部活の先生以外は俺しかいないんだ」と言った。

「まっ、ここへ座れ」

 隣の席の椅子を促された。

「お前は俺の受け持ちだから。見捨ててはおけない」

 この台詞、理子にはイマイチよく解らなかった。
「見捨ててはおけない」って、どういう意味で言っているのだろう?
 放っておけないという意味だろうか。

「お前、よく三時間も待ったな。呆れるぞ」

 自分を見る蒔田の視線をまともに受けれず、理子は俯いた。

「だって.....」
「相手が誰でも、そうやって長時間待つのか?」
「誰でもってわけではないですけど、待つと思います」
「馬鹿だと思う」

 蒔田は無下に言った。

「馬鹿って.....」

「人が好すぎる。人が好いにも程があるってもんだ」

「だって。連絡つかないんですよ?心配じゃないですか。もしかして、今こっちに向かってる途中なのかもしれないって思ったら、やっぱり帰れないし」

「もし向かっているとしてもだ。遅刻してるんだ。まずはLINEなり電話なりしてくるだろうが。それが無いって事は、完全に忘れてるんだ」

 理子の目から涙が溢れて来た。

「おーい、何泣いてんだよ」

 蒔田が困った顔をした。

「あぁ、参ったなぁ。そんな事で泣くな。お前らもしかして、レズだちかぁ?」

 理子は頭を振った。

「すみません.....。泣くつもりなんて全然無いのに、涙が勝手に.....」

 涙が勝手に出てくる。
 これには当の理子も困惑した。
 なんで出てくるんだろう?分からない。

「長時間待つ」って言葉と「完全に忘れてる」の言葉に反応してしまったのかもしれない。

 中1の時にずっと好きだった彼とのデートで、長い時間待っても来なくて、電話をしたら忘れられていた事とリンクしてしまったのかもしれない。
 今でもあの時の事を思い出すと、無性に悲しくなってくるのだった。

 やっぱり私は、待つんだな。待つ女なんだ。なんて思っていると、更に悲しくなってくる。
 先生が言う通り、馬鹿なのかもしれない。

「あのなぁ。今日会えなかったからって、一生会えないわけじゃないだろう。次の約束だってしてるんだろう?」

「はい.....」

「だったら、泣くんじゃない。俺を困らせないでくれ」

「私が泣いたら、先生困るんですか?」

 ベソをかきながら訊いた。

「困る。まるで俺が泣かせたみたいじゃないか」

「でも、誰もいませんよ」

「誰かがいる、いないの問題じゃない。俺の気持ちの問題だ。目の前で女子高生が泣いてて、いい気分でいられるかぁ?」

「そういう人も、いるんじゃないですか?」

「お前、そうやって茶化すのか。なら、もう大丈夫だな」

 蒔田と話していると、何故だか茶化したくなってくる。
 天の邪鬼的気質が頭角を現そうとする。
 困ったものだが、気持ちは少し軽くなっていた。

「先生が私の事を、馬鹿なんて言うからですよ」

 涙を拭きながら理子が言った。

「思った事を正直に言ったまでだ」

「じゃぁ、先生は待たないんですか?」

「待つ事は待つ。だが、五分オーバーが限界だな。連絡が無かったら、五分待って帰る」

「五分?短い!薄情じゃないですか?」

「そんな事は無いだろう。今は携帯の世の中だ。遅れるなら遅れるで、連絡してこない方が悪いんだ」

 それはそうかもしれないが.....。

「泣き終わったんなら、メシ食おうぜ」

 蒔田はそう言うと、自分の鞄から弁当の包みを出した。

「そう言えば、お前って、彼氏がいるんだってな」

 唐突な蒔田の言葉に、理子は卵焼きを口へ運ぶ手が途中で止まった。
 なんでいきなり、何の脈絡もなくそういう話が出てくるんだろう。

「彼氏とのデートでも、いつも待たされて泣いてるのか?」

 なるほど。そういう事か。いきなりで驚いた。

「彼氏、いませんよ」

 その言葉に蒔田が理子の方を向いた。
 大口開けているところだったので、ぎょっとした。
 これだから食事中の会話は嫌だ。まして相手が蒔田じゃ、余計に緊張する。

「生徒会長の彼女だって聞いたが」

 はぁっ、と大きくため息をつく。
 「生徒会長の彼女」か。
 なんで生徒会長の彼女が有名になるんだろう。
 たかが生徒会長じゃないか。生徒会長の彼女なんて、珍しくもなんともないだろうに。

「じゃぁ、そういう事にしておいてください」

 面倒くさくなって、理子はそう言った。

「なんだよ、それは」

 蒔田は納得いかなそうな顔をした。

「先生は、誰から聞いたんですか?」

「石坂先生だ」

(石坂先生?あの数学の?)

 そう言えば、理数系の須田先輩は石坂先生の授業を受けていたが.....。

「お前が熱心にわからない所を聞きにくる事に気を良くしてる。その事でお前の話になった時に、石坂先生が言ったんだ。生徒達の間でも結構有名だって言ってたぞ」

「はぁ。なんか、そうみたいですね」

「そうみたいってのは、どういう意味だ」

「有名らしい、って事です。私自身は有名だって事は知らないので」

「そうなのか」

「この間も言われたんですよ。知らない男子から、『生徒会長の彼女でしょ。有名だよ』って。私からすると、何で知ってるんだろう?って感じなんですよね。しかも、今更って感じだし」

「いつから付き合ってるんだ?」

「去年の、九月頃かなぁ」

「じゃぁ、もうすぐ一年か」

「今はもう、彼氏でも彼女でも無いですから」

 理子は面倒くさそうに言った。

「それは、別れたって事なのか?」

「そういう事です。なのに、まだ『生徒会長の彼女』とか言われるんだもん。たまんない」

 理子はそう言うと卵焼きを口に放り込んだ。

「生徒会長はまぁ、有名だからな。学校内では」

「それはそうでしょうけど、だからって彼女まで何で?そもそも、この四月から、全然一緒に帰ったりとか会ったりとかしてないんですよ。人前で二人でいる姿なんて見せて無いのになぁ」

「一度そういうレッテルを貼られたら、いつまでも付いて回るもんなんだよ」

 そういうものなのか。ならこの先も、ずっと?
 別れた事を公言でもしない限り?

「いつ別れた?」

「七月二十五日」

「終業式の日か」

「そうです。まぁ実質、四月からって感じですね。全然会ってなかったもん」

「それでお前は平気だったのか?」

「平気でした」

 理子は淡々と答えた。事実だし。

「お前って、淡泊なんだな」

「私、腕白じゃないですよ」

「淡泊だよ。全く.....」

 ついつい、おちゃらけてしまう。

「最上を三時間も待って泣くようなヤツとは思えないな」

「はぁ、確かに言われてみればそうですね」

「何感心してんだよ。自分の事だろうが」

「だって、本当にそう思うんですもん。人間って複雑ですよね」

「まぁ、そりゃそうだが.....」

 蒔田は呆れ顔だった。

「理子ちゃん!」

 突然呼ばれた。ゆきの声だ。
 入口の方を振り返ると、思った通り、ゆきがいた。

「ゆきちゃん!」

「ごめん、ごめんねー。本当にごめんねー」

 ゆきはそう言いながら、理子の方へと走り寄ってきた。
 二人は抱き合った。

「ごめん、忘れてたの。でもって、気付いて電話しようとしたら、スマホのバッテリー切れちゃって」

「家の電話にもかけたんだけど」

「ごめん、気が付かなかった。家族でテレビ見てたんで.....。本当にごめんね」

 やっぱり、忘れてたんだ。
 それでも思い出して、こうして来てくれた。

「良かったな」

「先生.....」

「こいつときたら、最上が来なくて泣いてたんだぞ」

 蒔田が笑みを浮かべながら言った。

「えっ?本当?ごめんねぇ~」

 ゆきが涙声になってきた。

「もう、先生、余計なことを言わないで下さいよ」

「本当のことだろうが。俺、正直者なんで」

「先生、意地悪なんだから」

「馬鹿言うなよー。慰めてやってたじゃないか」

「慰めて貰った記憶、ないですけど。逆に泣かされたような」

「おい、誤解されるような事を言うのは、やめてくれ。お前が勝手に泣いたんじゃないか」

「わかりましたよ。お世話さまでした。さぁ、ゆきちゃん、行こう?」

 理子はゆきを促して、職員室を出た。
 やれやれ、やっと先生から解放された。

「なんか、先生と理子ちゃん、仲いい感じしたんだけど」

「えっ?」
 ゆきの言葉にドキッとした。

「あんな風に女子と話してる先生、見たこと無いよ」

(ああ、確かに)
 いつも女子にはつっけんどんだもんな。
 そうか。
 そう思って、理子にはわかったような気がした。

「あの先生は、私を女子だと思ってないんだよ。だからじゃない?」

「ええー?そんな事ないでしょ?理子ちゃんはれっきとした女の子だよ。可愛いし」

 そう言われると照れる。可愛いなんて言われたことが無い。

「可愛いとか、そういう問題じゃなくてさ。私って男子が好きになるようなものばかりが好きじゃない?歴史以外でも。親にも性格が男みたいってよく言われるし。だから、話してても女臭くないから話しやすいんじゃないかなーって思うわけ」

「理子ちゃんは十分女の子らしいと思うけど、確かにサッパリしてるし、男子と気が合うから、そのせいなのかもしれないね」

 そうそう。そのせいよ。きっとそうに違いない、と理子は思う。

 これで、先生の態度も納得だ。

 そう思いつつも、それはそれで、ちょっと寂しいような気がする。
 何故なんだろう?

 理子は思いを払うように頭を振った。
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