第22話

文字数 3,038文字

 振休明けの翌朝。

 何となく重たい気持ちで登校した理子は、ホームルームで蒔田の姿を見た途端、再び胸が痛むのを感じた。

 何故なんだろう。
 教師なんて元々遠い存在ではないか。

 先生も罪な人だ。
 彼女がいるならいるで、最初からそう言えばいいのに。

 そうすれば、みんなこんなにも夢中にはならなかったんじゃないだろうか。
 ファンクラブだってできなかったかもしれない。
 騒がれるのを迷惑そうにしていながら、恋人がいることを隠しているなんて。

 瞼の裏に二人の姿が焼き付いて離れない。
 救いなのは、蒔田が笑っていなかったことだ。
 どことなく不愛想な表情だったように思う。
 あれで楽しそうに笑ってでもいたならば、ショックもひとしおだっただろう。

 美声での出欠が始まった。
 相変わらず女子はみんなウットリしている。
 今日のロングホームルームで修学旅行のグループ作りをするので、各自話し合っておく事と告げられた。

 男子のみ、女子のみ、男女混合、好きなようで構わないが、最低でも四、五人以上のグループになるように、との事だった。
 礼をした後、耕介と理子が呼ばれた。

 何の用だろう。
 二学期に入って以来、こうやって二人して呼びつけられることが多かった。その度に理子の胸は高鳴った。クラスの用事を耕介と一緒に言いつかるだけなのに。

 蒔田は廊下で待っていた。

「今日のグループ作りの事なんだが.....」

 今回のグループは生徒の好きなように任せる事になったが、そのせいで、どのグループにも入れないで孤立する生徒が出るのではないか、との危惧だった。
 さすが担任だ。そういう心遣いには感服する。

 理子が見たところでは、そういう生徒はいなさそうに思えたので、そう言った。

「それならいいんだが。それで、一応、お前ら二人、クラス委員として根回しと言うか、その辺に気を配って事前に調整しておいてくれないか」

 蒔田の話しはそれだけだった。
 いつもと変わらぬ後ろ姿を、つい見つめてしまう。

「そうそう。修学旅行のグループだけど、枝本から聞いてるかぁ?」

 耕介が話しかけてきた。

「うん、聞いた。耕介も一緒だってね。よろしくね」

「いいのか?一緒でも」

 意外な事を言う。

「なんで?いけない理由が無いじゃん」

「そうだけど、やっぱり女子は女子同士の方がいいのかと思って」

「うーん、そんなことないよ。それに、今回は歴史的にも興味の多い街へ行くじゃない。何かと話しが弾みそうなメンバーじゃない?」

「そう言ってくれると有難い」

 何故か耕介は赤くなっていた。


 昼休み、昼食の後に枝本は職員室へと向かった。
 歴研創部の申請書を蒔田の所へ持っていく為だ。

 職員室へ入ると、蒔田の周辺には何人もの女子がたむろしていた。
 いつもこんな風に女子に囲まれているのだろうか。そうだとしたら、それはそれで大変そうだ。

「先生、ちょっといいですか?」

 枝本は蒔田を囲む女子の輪の外から声をかけた。

「ああ」

 蒔田はそう言いながら、取り巻きの女子達を追い払うように手を振った。女子達はブーイングしながら去って行ったが、職員室の入口でたむろしている。

「いっつも、こうなんですか?」

「そうなんだ。鬱陶しくてしょうがない」

 本当に嫌そうな表情だった。

「ところで、何だ?」

「実は、歴史研究会の部を作りたいと思いまして」

「歴史研究会?今さらか」
 
 矢張りそう思うものなのか。

「今さらって.....」

「今さらだろう。もう二年も半分しかない。半年後には三年になって、受験勉強も厳しさを増す。そんな事をしてる暇があるのか?」

 真っ当な考えなのかもしれない。
 普通は誰でもそう思うのだろう。

「だからこそ、じゃないですか。好きな歴史について、仲間と語り合う。その充実した時間を持つことで、学生生活ももっと張り合いが出ると思うんですよ」

「お前の言いたい事もわからないではないが」

「それで、先生に是非顧問をお願いしたいんです」

「俺にか」
 
 蒔田は驚いたようだ。しかも、僅かだが嫌そうに眉根を寄せた。

「吹奏楽部の顧問をされてる事は知ってます。掛け持ちで大変だとは思いますが、先生しかいないんですよ」

 枝本の言葉を聞いて、蒔田山は溜息を吐いた。

「歴史なら、世界史の永島先生もいるじゃないか」

「あの先生ではダメです。みんなが納得しません」

「みんなって」

 蒔田にそう言われて、名簿を渡した。十五人の名前が記されている。

「随分、いるんだな」

「部に必要な、十五人を集めました。だから、お願いします。みんな蒔田先生じゃないと嫌だって言うんですよ」

 蒔田は微かに笑うと、「口が上手いな」と言って、暫く考えてから、諦めたような顔で言った。

「そうまで言うなら、一応、引き受けるかな。校長へは俺が承認して申請しておくよ。もう、来週が修学旅行だから、結果が出るのはそれが終わってからになると思う」

「ありがとうございます。宜しくお願いします」

 枝本はお辞儀をした。

「ところで先生」

「なんだ?」

「昨日、横浜にいましたよね」

 枝本の言葉に、蒔田はひどく驚いた顔をした。

「なんで知ってる?」

「見たんですよ、横浜で。女の人と一緒でした。腕組んで」

「そうか。お前も来ていたのか」

「はい。理子も一緒に」

「理子?」

「吉住さんです」

 蒔田は大きな溜息をついた。

「他の誰かに喋ったか?」
 
「いいえ」

「じゃぁ、頼むから他言しないでくれ。お前らの事だから、喋らないとは思うが」

「どうしてです?あんな風に付きまとわれて迷惑してるなら、いっそ言った方が、ああいうの減ると思うんだけどな~」

「なるほど。そういう考えもあるな。だが、知ったら知ったで、また煩く詮索してくるに決まっている」

「そういうもんですか?」

「そういうもんだ。もう、子供の時からだから慣れてる。冷たくして放っておくに限る」

 そうか。なるほど。確かにこのルックスじゃ、ずっとモテ続けてきたのだろう。

 枝本は一礼すると、職員室を後にした。枝本が出るのと同時に、女子達が再び蒔田を取り巻いた。
 本当に、あれじゃぁ、大変だ。
 自分の教室へ戻った枝本は、職員室での事を理子に話した。

「誰にも言わないでくれって言ってた」

「ふぅ~ん」

 理子の反応は素っ気ない。まるで興味が無いようだ。

「それより、歴研できるといいよね」

 そう言って笑った。その顔が可愛かった。
 その笑顔を見て、昨日の事を思い出す。
 楽しかった。
 だが、手を繋げなかったことだけは残念だった。

 こういう時の女の子の心境がわからない。
 枝本は昨日帰宅してから、最上ゆきに電話をして、意見を求めたのだった。

「ああ見えて理子ちゃんって、結構、恥ずかしがり屋だから」

 とゆきは言った。
 ゆきが言うには、前の三年の彼と付き合っている時も、熱々な雰囲気じゃなかったし、どうも理子は淡泊らしい。
 手も一度も繋がずに終わったと言う。

 それを聞いて、枝本は不思議な感じがした。
 昔、理子と初めて外で会った時、握手したことを思い出したからだ。
 あの時は確か、枝本の方から手を出して、理子が応じた形だった。

 理子が顔を赤くしていたのを思いだす。とても嫌そうには見えなかった。
 握手とはまた違うものなのか。

 案外、「手を繋いでもいい?」なんて聞いたからダメだったのかもしれない。
 自然な感じで繋いでしまえば良かったのだ。
 そうしたら、理子も拒まなかっただろう。失敗したと反省した。
 修学旅行、この時に何とかもう少し、仲を進展させたいと枝本は思うのだった。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み