⒑ 森の吊り橋で ― 1
文字数 2,309文字
レッドは、横目にそっと窺 った。長くは目を向けていられなかった。一瞬のこととはいえ、きわどいところまで、彼女の肌を、恥ずかしい姿を見ているのである。それを、彼女も分かっているはずだった。
レッドは重いため息をついて、目を伏せた。
ここに来た最初に一瞬見えた被害者の顔・・・やはり、間違いなかった。
イヴ・・・。
レッドはふと視線を変えた。フード付きの長い外衣が無造作に床に落ちている。この国の修道女に与えられる防寒着だ。レッドは、黙ってそれを拾い上げに行った。
レッドはその間、こんな時どんな言葉をかけてやればいいのかと悩んだ。心の中ではどんな乱暴をされたのか気になって仕方が無かったが、彼女の怯 えようにそんなことをきけるはずもなく、大丈夫かと言うのも無神経に思われ、そう口を開けただけで声にはしなかった。
それで、イヴにそっと外衣を羽織らせてやると、言った。
「送るよ・・・。」
嗚咽 が聞こえた。
レッドの胸に、たちまち痛切感と衝動がこみ上げた。だが差し伸べようとしているその手には、いくらかためらいがあった。彼女は今、男性恐怖症になっているかもしれないから。
そのイヴは床にへたり込んだまま、うつむいて、ぶるぶる震えている。髪はもつれ、それが涙で頬 にへばりついていた。
そんな彼女の前に膝をついたレッドは、そろそろと腕を伸ばして、こめかみのあたりから蜂蜜 色の横髪に指先を入れた。そうされても顔を見ようともしない彼女の瞳から、また大粒の涙が零れ落ちた。
「怖いか・・・」
恐る恐る、レッドはきいた。
「・・・俺が。」
すると、イヴが少し顔を上げた。
レッドは息を止めた。今、やっと気づいた。彼女の左頬が赤く腫れている。急に動悸 がするほどカッとなったが、思わず感情的に床を殴りつけそうになったのを、こらえた。今さら相手もいないのに、怒り任せにそんなことをしたらイヴを怖がらせるだけだ。
くそ・・・っ、半殺しにすべきだった。
その時、少しだけ目があった。イヴはすぐにまた伏し目になったが、それはすがるような瞳に見えた。それに、イヴがかすかに首をふってみせたのにも気づいた。レッドはさっきした質問の答えだと分かり、冷静を取り戻した。
「すまない・・・。」
あんたは助けてくれたのに・・・俺は・・・。
レッドは両手を伸ばして、イヴの細い肩をぎゅっと抱き寄せた。壊れそうな体を黙って預けてくれた彼女を、レッドはいけないと分かっていながら、愛おしく思わずにはいられなかった。
夜も深まりゆく藍色 の空のもと、聖なる森イデュオンの川沿いを、二人は肩を並べて歩いていた。
だがこれまで一言も会話がなく、レッドは、ずっとうつむいて歩くイヴの様子を、ただ隣にいて気にしながら、黙って足を進めていた。
そして、木の吊り橋の真ん中あたりに来た時。
「私・・・何もされてないわよ。」
レッドは立ち止まった。
それで数歩先になったイヴは振り返り、ほほ笑んでみせた。
「何もされてないの・・・あなたがすぐに来てくれたから・・・。」
レッドはどう反応したらいいのか迷った。彼女が言う「何もされていない。」は、正確には、ただ貞操を守れただけのこと。現場の状況からもそれは嘘ではないと分かり、ホッとしたが、どの程度の辱めを受けたのかはずっと気になっていた。
レッドは無言で、イヴの顔を見つめた。それは作り笑顔には見えないほど淡々とした表情に見える。想像したほどヒドイ目には合わされずに済んだのかもしれない・・・と、レッドは思った。
「・・・そうか。」
「ええ・・・。」
イヴもそんなレッドを見てほほ笑んだが、彼の視線が一瞬地面に向けられた時、その笑顔も急に弱々しいものに変わった。
確かに、彼のおかげで自身の能力を守れはした。だが本当のところは、あの男たちから受けた仕打ちは、何もされていないと言えるようなものでは、とてもなかった。だから笑顔も長くはもたず、イヴは進行方向を向くと、顔を歪 めて唇を噛み締めた。
そして、強がりきれなかったそんな後ろ姿は、レッドの安堵 感をたちまち掻き消すものになってしまった。同時に、性的な意味での心配ばかりしていたと気づいて恥じた。男の感覚で想像したほどヒドイ目って、何を考えているんだと。事実、暴行のあとがあり、着衣が乱れていたのに。それに、もし想像したような乱暴をされていても、彼女は知られたくないだろう。だから、今はかなり無理をしているだけだ。
程度がどうであれ、その恐怖と恥辱 は一生、きっと残り続ける・・・。
「送ってくれてありがとう。もうここで。」
イヴは、彼を振り返らずに言った。
「 心配だな・・・。」
「大丈夫よ、すぐそこだもの。ほら、もう見えてる。」
森を抜けきるにはもう少し距離があったが、そこまでは広い森街道 が真っ直ぐに延びている。突き当たりには、確かにミナルシア神殿の正門も見えていた。
俺の前で平気なふりをし続けるのも辛いだろう・・・と、レッドは察した。
「じゃあ、中へ入るまで、ここにいるから。」
彼に向き直ったイヴは、ほほ笑みながらうなずいた。ここにいるから・・・と言ってもらえたことに、とても安心した。
イヴは「さよなら。」と言って手を振り、その広い一本道を一人で歩いて帰って行った。
レッドは、イヴが何度か振り向いてくれた時には笑顔を向けたが、彼女が前を向くと、急に顔を曇らせる・・・ということを繰り返した。
さよなら・・・そう言われたことが、妙に胸に突き刺さった。
レッドは、神殿の正門にたどり着いた彼女の姿がやがて見えなくなっても、このどうしようもない脱力感のせいで、しばらくその場から動く気になれなかった。
レッドは重いため息をついて、目を伏せた。
ここに来た最初に一瞬見えた被害者の顔・・・やはり、間違いなかった。
イヴ・・・。
レッドはふと視線を変えた。フード付きの長い外衣が無造作に床に落ちている。この国の修道女に与えられる防寒着だ。レッドは、黙ってそれを拾い上げに行った。
レッドはその間、こんな時どんな言葉をかけてやればいいのかと悩んだ。心の中ではどんな乱暴をされたのか気になって仕方が無かったが、彼女の
それで、イヴにそっと外衣を羽織らせてやると、言った。
「送るよ・・・。」
レッドの胸に、たちまち痛切感と衝動がこみ上げた。だが差し伸べようとしているその手には、いくらかためらいがあった。彼女は今、男性恐怖症になっているかもしれないから。
そのイヴは床にへたり込んだまま、うつむいて、ぶるぶる震えている。髪はもつれ、それが涙で
そんな彼女の前に膝をついたレッドは、そろそろと腕を伸ばして、こめかみのあたりから
「怖いか・・・」
恐る恐る、レッドはきいた。
「・・・俺が。」
すると、イヴが少し顔を上げた。
レッドは息を止めた。今、やっと気づいた。彼女の左頬が赤く腫れている。急に
くそ・・・っ、半殺しにすべきだった。
その時、少しだけ目があった。イヴはすぐにまた伏し目になったが、それはすがるような瞳に見えた。それに、イヴがかすかに首をふってみせたのにも気づいた。レッドはさっきした質問の答えだと分かり、冷静を取り戻した。
「すまない・・・。」
あんたは助けてくれたのに・・・俺は・・・。
レッドは両手を伸ばして、イヴの細い肩をぎゅっと抱き寄せた。壊れそうな体を黙って預けてくれた彼女を、レッドはいけないと分かっていながら、愛おしく思わずにはいられなかった。
夜も深まりゆく
だがこれまで一言も会話がなく、レッドは、ずっとうつむいて歩くイヴの様子を、ただ隣にいて気にしながら、黙って足を進めていた。
そして、木の吊り橋の真ん中あたりに来た時。
「私・・・何もされてないわよ。」
レッドは立ち止まった。
それで数歩先になったイヴは振り返り、ほほ笑んでみせた。
「何もされてないの・・・あなたがすぐに来てくれたから・・・。」
レッドはどう反応したらいいのか迷った。彼女が言う「何もされていない。」は、正確には、ただ貞操を守れただけのこと。現場の状況からもそれは嘘ではないと分かり、ホッとしたが、どの程度の辱めを受けたのかはずっと気になっていた。
レッドは無言で、イヴの顔を見つめた。それは作り笑顔には見えないほど淡々とした表情に見える。想像したほどヒドイ目には合わされずに済んだのかもしれない・・・と、レッドは思った。
「・・・そうか。」
「ええ・・・。」
イヴもそんなレッドを見てほほ笑んだが、彼の視線が一瞬地面に向けられた時、その笑顔も急に弱々しいものに変わった。
確かに、彼のおかげで自身の能力を守れはした。だが本当のところは、あの男たちから受けた仕打ちは、何もされていないと言えるようなものでは、とてもなかった。だから笑顔も長くはもたず、イヴは進行方向を向くと、顔を
そして、強がりきれなかったそんな後ろ姿は、レッドの
程度がどうであれ、その恐怖と
「送ってくれてありがとう。もうここで。」
イヴは、彼を振り返らずに言った。
「 心配だな・・・。」
「大丈夫よ、すぐそこだもの。ほら、もう見えてる。」
森を抜けきるにはもう少し距離があったが、そこまでは広い
俺の前で平気なふりをし続けるのも辛いだろう・・・と、レッドは察した。
「じゃあ、中へ入るまで、ここにいるから。」
彼に向き直ったイヴは、ほほ笑みながらうなずいた。ここにいるから・・・と言ってもらえたことに、とても安心した。
イヴは「さよなら。」と言って手を振り、その広い一本道を一人で歩いて帰って行った。
レッドは、イヴが何度か振り向いてくれた時には笑顔を向けたが、彼女が前を向くと、急に顔を曇らせる・・・ということを繰り返した。
さよなら・・・そう言われたことが、妙に胸に突き刺さった。
レッドは、神殿の正門にたどり着いた彼女の姿がやがて見えなくなっても、このどうしようもない脱力感のせいで、しばらくその場から動く気になれなかった。
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