12. ランセル皇子の苦悩

文字数 1,651文字

 主宮殿の最上階にある円蓋(えんがい)天井の一室が、エミリオのプライベートルームとなっていた。淡い水色の大理石の床で、全体的に寒色を基調とした落ち着いた雰囲気の部屋だ。一人で眠るには大きすぎる寝台の横には、金の蔦模様(つたもよう)が見事な白いサイドテーブルがある。その上には、決まって何かの本が一冊は置かれてあった。そして、サイドテーブルのそばには猫脚(ねこあし)の優美な椅子。

 そこが、ランセルの指定席になっていた。異母兄ではあるが、尊敬する兄を慕って度々訪れるうちに、いつの間にかそうなった。

 その椅子に座ったランセルは、大剣の(さや)を繰り返し()でつけている兄を、不思議そうに眺めていた。

 エミリオの方は、窓辺のゆったりとした肘掛け椅子に腰掛けていた。そうしながら、その剣の(つば)に施された宝石を、何やら感慨(かんがい)深い表情でずっと見つめ続けているのである。

 それは、アメシストのようだが、気高い輝きを放つ紫色の宝石だ。

「新しい真剣ですね。」
 タイミングを見計らって、ランセルはそう声をかけた。

「ああ。」
 やっとそちらに視線を移して、エミリオも微笑した。

「宝石をあしらってあるのですね。とても美しい。」

「私が頼んだのだ。これは、母上の形見なのでね。」

「では、その母上様が、兄上をお守りしてくださるということですね。」

 エミリオは、思わずドキッとした。

 ランセルの言葉は、自分の想いをほぼ言い当てていたからである。新しいその大剣は、母をイメージして作ってもらったもの。それは、形見である宝石をあしらってあるばかりでなく、ささやかながら精緻(せいち)な花の模様にも表れている。しかし本来なら、エミリオは戦いが好きではないし、心優しい母を武器に重ねて見るべきではないところ。それでもそうしたのは、少年の頃に、ダニルスに言われた言葉が胸に残っているからだった。

〝何を生かし、何を葬るかの判断を・・・。〟

 できることなら誰も傷つけたくはないと思うエミリオだったが、守るべきものを守るためには(ぬる)いことなど言ってはいられない現実に、それを見誤らないため、母の力を借りたいと思ったのである。

 そしてその言葉は、同時にハッとさせられるものでもあった。弟はもしや、暗殺の動きや、それが誰のさしがねによるものなのかに、すでに気付いているのでは・・・。

 だが、そこでエミリオが見たランセルの表情は、何も知らないといったふうだった。

 しかし事実、ランセルは知らないふりをしているだけで、以前から、そのことで一人悩み苦しんでいたのである。

 エミリオは、知らずと引き攣ったような笑みを返していた。

 すると、ランセルの顔が急に曇りだしたかに見え、辛そうにこう問うてきたのである。
「兄上は、母上や私の前ではいつも穏やかで、私には優しくもしてくれますが・・・そのお心は本心ですか。」と。

 エミリオには、ランセルの胸中を即座に察することができた。だから、すぐに笑顔をみせ、それから答えた。
「実の弟のように愛している。思いもよらぬ質問だな。何か私に、そのように見えないことでもあったかい。」

 ランセルは、兄上が母上・・・つまり、兄にとって継母であるシャロンについては上手く誤魔化していることに、あえて触れはしなかった。

 ランセルは首を振り、笑顔を取り戻して言った。
「兄上、今度、剣術を教えてください。」

「そなたには、きちんと指導をしてくれる者がいるではないか。」

「きちんとではありません。どこか遠慮がちで、少しも身が入らず困っているのです。それに比べて、ランバーグ中将(ちゅうじょう)は兄上に対し、愛情をもって手厳しい指導を続けられ、それに兄上も、根気強く見事に応えられた。ですから、私はその兄上に教えていただきたいのです。」

 不意にノックの音がした。
 そのあとに家来のうやうやしい声が続く。

「エミリオ皇子殿下、皇帝陛下がお呼びです。」

「すぐに参る。」
 その声に答えて腰を上げたエミリオは、部屋を出る前にランセルを振り返った。
「それについては、また日をみておこう。」

 ランセルの面上にパッと笑顔が広がった。
「はいっ。」


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