5. 一人目の恩人 ― 大将ジェラール

文字数 1,879文字


 頭に誰か大人の笑い声が響いてきて、緩慢(かんまん)に意識を取り戻しつつあったレドリーは、うっすらと目を開けた。すぐ目の前に、先ほどの憎らしくてならなかった男とはまた違う男が、しゃがんでそこにいた。朦朧(もうろう)としてはいたが、違う顔だというのはすぐに分かった。だんだんはっきりしてきたその顔は、優しそうな灰緑色の瞳の二枚目だった。さきの男の極端なかぎ鼻が印象的な、いかにも意地悪そうな顔とは似ても似つかない容貌(ようぼう)だが、レドリーはたちどころに嫌悪感を催して、相手をにらみつけた。

 ジェラールは、レドリーのその怒りの顔に、穏やかな微笑を振り注いだ。
「お前はこれから私と共に南へゆく。バラローマへ向かわねばならんのだ。だが、かの地まで付き合うことはない。途中で別れよう。」

 ジェラールは立ち上がって首をめぐらし、泣きわめく子供たちを見た。そして再び部隊長に視線を戻して、「総督はどこにいる。」ときいた。

「はっ、すでに帰国されましたが。」

「帰国しただと? 事態の収拾も満足にせずにか。」

 気になって来てみれば・・・。ジェラールはまた周囲を見渡し、胸中でそう吐き()てた。それからふと気づいて、こう問いかけた。

「指示書は誰が持っている。総督か。」

「いえ、私が。」
 部隊長は、内ポケットから取り出したそれを手渡した。

 ジェラールはその書類に目を通しながら、「使いの者は送ったのか。」

「いえ・・・。」

「なぜ。漏洩(ろうえい)せぬよう、決行日は当日の事後報告という指示で間違いないようだが?」

「総督が・・・放っておけと。」

「呆れた男だ・・・。隣町の役場へすみやかに連絡しに行け。総督の命に背いた責任の一切は、私が負う。」そしてジェラールは怒りをこめてつぶやいた。「それどころか、国へ戻ったら会議が必要だ。ヤツを裁判にかけてやる。」と。

 そしてそれを、部隊長はそばで確かに聞き取った。

「私は、その隣町レス・アロードの旅籠(はたご)〝黄金の鷹〟に滞在している。この少年の手当てを済ませたのち、そこへ連れて来るように。そこで、この件に関する一部始終を報告せよ。」

 ジェラールが去ろうとしてあぶみに足をかけた時、部隊長があわてて身を乗り出してきた。

「閣下、その・・・町を焼き払えとの命令を受けておりますが。」

「なんだと。」(くら)にまたがったジェラールは、眉をひそめてつぶやく。「ダルレイめ、なにを勝手な指示ばかり出している。」

 確かに、この廃墟(はいきょ)と化す町を取り壊して、我々の軍事基地を設けるという話があるにはあるが・・・それを知ってのことか? だがあまりにも勝手が過ぎる・・・何を企んでおるのだ。

 少し馬を歩かせて兵士たちに近づいたジェラールは、さらに気になって部隊長に問う。

「ほかには何を聞いている。」
「は、食料を調達し、まだ隠れている者は皆殺しだ・・・と。」
「なるほど。」

 ジェラールは顔をしかめた。ダルレイは、単にまだ潜んでいる者たちを焼き殺したいだけなのだと合点(がてん)がいった。

 それからジェラールは、運河にかかる()ね橋を渡って来た時に、昔からある集会所のような建物などを見たのを思い出して、思案した。そこには跳ね橋を操作する者が仕事でやってくるし、そのため、ある程度設備も整っているはずだった。

「では、ほかにもまだ部下が残っているのだな。今は民家を荒らしに行っている最中だというわけか。」

「はい。歩兵の半数が。」

「止めさせろ。食料は、運河沿いの公共施設に集めよ。跳ね橋のそばにある建物だ。通ってきただろう。火を放つのは、残された町民たちをそこへ避難させたのちにだ。だが、一日待て。それが済んだら、何も取らずにさっさと引き上げるがいい。それに必要のない者は、今すぐに帰国させろ。総督に報告するなら、全て私に命じられたと伝えよ。それと、私が直接話をしたがっているともな。」

「閣下・・・まだ隠れている者の処分は。」

「私が一日待てと言った意味を考えろ。お前たちの判断に任せる。根こそぎ奪う必要はない。」

 大人たちが何やら話していることは、子供のレドリーには理解しかねた。ただ、皆殺しだとか、町を焼き払うとか、火を放つという言葉は強烈で、物凄いショックを受けた。

「そんなこと、させるもんかっ。」
 レドリーはひどい傷のせいで(あえ)ぎながら、ジェラールを見上げて叫んだ。

 ジェラールは、無数に傷つけられながらも恐怖を微塵(みじん)も感じさせず、切れ長の鋭い瞳で懸命に訴えてくる少年を見下ろした。その瞳の奥まで、食い入るようにじっと見つめた。

「正義感の強い、いい目をしている。」

 馬を回したジェラールは、およそニ十キロ離れた隣町レス・アロードへと去って行った。




ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み