6. オルフェとリーヴェの物語

文字数 2,669文字

 リューイは複雑な微笑を返して背を向けかけたが、すぐにまた振り返った。

「ねえ、どうして強くなって欲しいの?じっちゃん、いつも言ってるよね。強く(たくま)しい男になれって。どうして?」

 ロブには、答えるまでもないことのように思われた。

「お前は、今日危ない目に遭ったばかりじゃないか。」

「うん、でも・・・それだけ?」

 食い入るように見つめてくる少年の目には、強い好奇心がうかがわれた。この子はこのさき多くの疑問を抱くようになる。そして思ったことを何でも追求したがるだろう。(つら)いことも教えてやらなければならない日が必ず来る。この子には知る権利がある。どういう形であれ、この子はいずれこの土地から離れてゆくことになるだろう。そういう運命を、ロブはリューイに感じていた。それゆえ、彼はリューイにもっと教養をつけさせようとし、町へも連れていったのだ。

 それでロブには、すぐに答えてやることができた。

「確かに、それだけということはない。リューイよ、お前は優しくて勇気もある。だが、それだけでは足りない。正義感だけでは、力が無ければ、助けてやることや守ってやることは難しい。これから備わるお前の力は、きっと、いろんなことのためになるだろう。多くの人が、お前を待っているような気がする。」

 とはいえ、力にもいろいろある。だからロブは、単に肉体的に強くなることだけを言ったのではなかったが、今は理解できなくてもそれで良かった。あえてそう表現したのは、その真の意味にいつか気づく日のため。

「多くの人?俺、どこにもいかないよ。じっちゃんと皆と一緒に、ずっとここにいる。」

「どうかな。」と、ロブは微笑した。「きっとここには、そういつまでもいられないよ。お前は、そういう目をしている。オルフェは、きっとお前のような少年なんだろうな。」

 ロブが唐突(とうとつ)に言い出して、リューイは面食(めんく)らった顔をした。

「オルフェって?」

「海の神の子の名前だよ。純粋で優しくて、そして(たくま)しい少年なんだそうだ。この海はね、アースオルフェっていうんだ。そして、この森はアースリーヴェ。リーヴェは森の神の娘だ。だけど、リーヴェは北の森へ行ってしまった。神の子オルフェとリーヴェは、とても仲が良かった。神話を一つ聞かせてあげよう。この海と森のお話だ。」

 ロブはそう言うと、一つ咳払(せきばら)いをして語り始めた。

「昔々、神々と人間が一緒に暮らしていた頃、海の神の息子オルフェと、森の神の娘リーヴェは、とても仲良しでした。でもオルフェは森に、リーヴェは海に居続けることができません。二人が一緒にいられる場所は、南の森に面した海の浅瀬や、岩場だけでした。

 二人はお互いに自分が知る森や海の話を交わすうち、一緒にいろんな場所へ行ってみたくてたまらなくなりました。そして、何とか方法はないものかと考えた末、リーヴェが、森の奥深くに住む人間の(えら)い人に相談してみることになりました。

 すると、その人間は言いました。お互いに神の力を捨て人間になれば、どこでもずっと一緒にいられると。

 それを知った海の神と森の神は驚いて、海の神は息子に、お前の力が満ちた時、ネプルスオルフェとなって全ての海の精霊を支配しなければならないと言い、森の神もまた娘に、お前の力が満ちた時、ノーレムリーヴェとなって全ての森の精霊を()べなければならないと言いました。

 さらに森の神は、〝もうここにはいられない。〟と言って、ひどく(なげ)き悲しむリーヴェを連れて、北へ行ってしまいました・・・。」

 リューイは次の言葉を待ったが、ロブは話を続けずに沈黙した。

「ねえ、それからどうなったの。」

「どうなったんだろうね。神話はこれで終わりなんだ。ただ、今でも海の神はネプルスオーク、森の神はノーレムモーヴのままだ。もしかしたら二人は、離れ離れになっても、限りある命を選んで人間になったのかもしれないな。必ずまた出会えると信じて。

 そうそうアースという言葉だが、天も地も関係のない全ての世界を表す意味を持っている。だから、その人間の(えら)い人が、二人がいつまでも一緒にいられるように、南の森と海に同じ名前を付け、この森をアースリーヴェ、この海をアースオルフェと呼んで、人間の世界に広めていったそうだよ。

 この南の海にお前というオルフェがいるなら、北の森にはリーヴェがいるかもしれないな。リューイ、大きくなったらここを出て、もっといろんな場所を見てくるといい。」

 リューイはまた理解に苦しんで、首をひねった。

 それがその面持(おもも)ちに見て取れたので、「リューイ、ちょっとおいで。」と、ロブは手招(てまね)いた。

 リューイが話の続きにはもうこだわらずにそばに来ると、ロブは、リューイのもつれた髪を手櫛(てぐし)でといで一つに(たば)ねた。伸びてくると、昼間は遊びや訓練の邪魔になるので後ろで(むす)んでいる髪も、入浴の時に(ほど)いたままでいた。

「髪が伸びたな。そろそろ切った方がいい。稽古(けいこ)が済んだら、わしのところへおいで。」

 ロブが手を放した真っ直ぐな金髪は、さらさらと少年の肩に降りかかった。

 分かったというようにうなずいたリューイは、それから、おとなしく横になっている黒ヒョウの顔の近くに腰を落とした。

「あとで一緒に寝ようね。」

 そう声をかけて、少年は日課の稽古をしに出て行った。その黒ヒョウとは、もうすっかり親密になれた気分でいた。仲間が増えたと思って、リューイにはそれがとても嬉しかった。

 そんなリューイを見届けると、見計らっていたかのように、(かたわ)らにいるその黒い(けもの)の顔を(のぞ)き込んだロブ。

 そして、思わずこう問いかけていた。
「お前は・・・あの子に何を見ているんだ。」

 すると、黒い獣もそれに答えようとするかのように、しっかりと見つめ返してきた。しかし、その表情からは何も読み取れなかった。

 リューイはどんなふうに、こいつからその意志を感じ取ったのだろう。あの子にはまだ口で説明できないような、もっと精神的に訴えかけてくるようなものも感じたのだろうとロブは思ったが、そういう胸騒ぎがするだけで、(さと)ることはできなかった。

 ロブは軽くかぶりを振った。それから腰を上げ、細いナイフと()ぎ石を棚から取り出し、今度は黒ヒョウの背中側に座って、静かに両刃を整え始めた。

 そうしながら、ロブは時々そいつに目をやった。

 黒ヒョウの方は、もう眠りにつこうとしているようだ。

 ある時、ロブはふいに手を止めた。またそいつを見ると、今度はそのまま、しばらく目が放せないままでいた。

 あの子には、特殊な何かがある・・・。

「お前は・・・何を知っているんだ。」


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