⒒ 人生の選択

文字数 1,816文字

 レッドは、約束の時間よりも一時間も遅く白馬亭にやってきて、その間にジャックが一人で開けた酒代をおごらされる羽目になった。

「へえ、森でなあ・・・。」

 そう相づちを打って、ジャックはグラスに口をつけた。

「ああ、イヴ・フォレストって修道女だ。俺のために神殿に帰らず、一夜付き添ってくれて。」

「イヴ?」

 この名前を聞くと、ジャックはグラスを卓上に置いて言った。

「知ってるぜ。この辺りじゃあ評判のお嬢さんだ。担当地区だからな。美人だろう? 彼女。気立てもよくて明るくて。だが修道女ってのは・・・。」

 ジャックは急に口をつぐむと、レッドの瞳を(のぞ)きこんだ。

「ひょっとして、()れたのか?」

「な・・・なんでっ。」

 思わずドキッとしながら応えたレッドだったが、この反応には自身でも驚いた。

「だいいち、俺が誰かを好きになっちまったら、迷惑かけるだけだ。」

 とっさにそんな言葉を返したものの、レッドは迷っていた。

 テリーの死に報いなければならないと誓った反面、それを再確認する度、同時に辛い記憶がよみがえる。いつまでも脳裏にチラついて離れない。そして自己嫌悪に陥り、また不名誉なことをしてアイアスの名を汚しはしないかと、恐怖に駆られる。

 レッドは、こんな情けの無い精神状態のままアイアスでいることを、恥ずかしいとさえ思うようになっていた。もしほかに生き甲斐(がい)を見つけることができれば、テリーの期待を裏切る前に辞めた方がいい・・・そんなふうに考えてしまうことすらあった。

「レッド、実はな・・・今日は大事な話があってお前だけを呼んだんだ。」

 そんなレッドに、ジャックは切実な声で告げた。

「彼女と一緒になることに決めた。それもこの町でずっと。」

 レッドは、ハッと息を飲み込んだ。その意図(いと)即座(そくざ)に理解できた。

「まさか、ジャック・・・。」

「ああ、俺は戦士を辞める。体力ももう(おとろ)える一方だ。年には勝てん。」

 見事な大剣の使い手で、今年四十を過ぎたその男ジャックは、ため息をついて椅子の背凭れに寄りかかった。

「あんたほどの男が何言ってるんだ。」

「俺は、彼女とこの町で、生涯平凡に暮らすことに決めた。レッド、もし本気で愛し合える女性とめぐり会えたら、勝手に相手のためを考えるな。アイアスであるお前との関係をどうするかを決める権利は、彼女にもある。」

 二人は互いに目を見合ったまま、どちらもしばらくは何も言わなかった。

 やがて先に口を開いたのは、ジャックだった。

「ところでお前・・・グレーアム伯爵の用心棒するんだってな。」
「ああ・・・。」
「骨休めをしろと言ったろう。」
「悪い。」
「短期契約か。」

 レッドは無言でうなずいた。

「だろうな。フィンから聞いたよ。あいつめ余計なことを。」

 呆れたというように腕組みをしたジャックを、レッドは思いつめた顔で見つめていた。実はレッドにも話したいことがあってタイミングを見計(みはか)らっていたのだが、ここでジャックの方がそのきっかけを作ってくれたことで、ようやく口を切った。

「ジャック・・・。」

 異様に沈んだ声で呼びかけたレッドは、ついにその話をした。

「実は正式にも考えてみないかって・・・言われてはいるんだ。ほかにもいくつか仕事を紹介されてる。このエルティマ王国の各訓練所を回って、剣の指導をするとか。」

 そんなことを真剣な顔で言いだしたレッドを、ジャックは正気かと言わんばかりに見つめ返した。同時に、レッドがそこまで精神的に追い詰められていることを理解した。

「その気はあるのか。」
「少し・・・考えてる。」
「除名と、(紋章を)消す覚悟はできてるのか。」
「その時は、そういうことになるな。」

 ジャックは、しばらく黙って考えた。イヴ・フォレストのことを聞いたあとでの、この話。それを思うと、レッドには相手のことを勝手に考えるなと言っておきながら、ジャックはある直感を覚えたこともあり、彼の幸せを勝手に考えずにはいられなかった。

「そうか・・・。俺の意見を言わせてもらえば、今のお前を見てる限りでは、それも悪くない話だ。あいつだって、お前をそう苦しめるつもりなんて、なかったろうからな。剣の指導か、いいんじゃないか。あいつの期待に、違う形で応えることだってできる。なにも・・・無理にアイアスであり続けることはない。むしろ、誇りを持てないまま続ける方が、どうかと思うぞ。」

「・・・そうだな。」

 レッドは、グラスに半分残っていた焼酎(しょうちゅう)をいっきに飲み干した。



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