4. 野天風呂での説教

文字数 2,199文字

 湯船は少し血で汚れ、くすんでいた。植物から取れる成分で作った石鹸(せっけん)と、木の実を乾燥させたタワシを使って、リューイは体の汚れをこすり取ってもらっていた。育ての親であるロブは老人と言われる歳だが、その体は少しも(おとろ)えを見せておらず、袖を捲くって(あらわ)になった腕も硬い筋肉で盛り上がっている。

 ロブの説教はまだ終わってはいなかった。

「じっちゃんの言うことを聞かないと、どういうことになるかよく分かったろう。」

「あんな怖い目にあったの初めてだ。みんな、俺に優しくしてくれるのに。」
 すっかり気落ちしているリューイは、うつむいたままそう答えた。

「だがリューイ、そいつはなにも悪いことなどしていないよ。生きてゆくためには、食べないといけないからね。いろんな種類の生き物がいて、草だけを食べるものもいれば、小さな虫を食べて生きているものもいる。そいつの場合は、それが動物の肉だったというだけの話だ。なにも、お前が(にく)くて襲いかかったわけじゃない。リューイよ、お前も広い意味では動物なんだよ。」

「分かってる。」

 だがロブには、実のところ不思議でならないことがあった。ロブはリューイに、初めてお前を目にした野獣は、まず、真っ先にお前を食い殺そうとするだろう・・・と言い聞かせていたが、そうでもないことが多々あった。どういうわけか、突然出くわす野獣の中には、警戒しているロブをよそに、妙に穏やかな顔と物腰(ものごし)でリューイに歩み寄ってきて、意味もなく服従する素振りをみせるものがいるのだ。格闘の末に、ロブが負かした獣がそういう態度を取ることならあるが、それは、ここの自然界においては全く奇妙なことだった。

 そしてそのうち、二人の住処の周りには、ロブに負かされたものと、リューイのことを尊敬するように寄ってくるものが住みつくようになり、いつのまにか異様な王国が出来上がってしまった。そんな妙な子分(野獣や小動物)たちと、二人は一種の家族のような付き合いをしている。

 今、ロブが首筋を洗ってくれているので、うつむいているリューイは、飛沫(しぶき)がぴちゃぴちゃと(はじ)ける度に目に沁みて痛かったが、まだ顔を上げる気にはなれなかった。

 次にロブは、そんなリューイの腕を湯船からつかみ出して洗い始めた。

 リューイは、のろのろと顔を上げた。ロブが腕の(あか)(こす)り取ってくれるのを眺め、それからやっと顔を見て、言った。

「あいつ、大丈夫だよね。死なないよね。」

「ああ、大丈夫だ。あいつは強い。(あきら)めなければ、絶対に死なない。」

 そう答えてやったロブは、リューイの肩をむずとつかんだだけで、後ろを向くように(うなが)した。されるままに、リューイは背中を向けた。何をするのも少し手荒いが、それが彼のやり方であり、リューイはそれに慣れていた。血のつながりはなくても、ロブ・ハウエルという男とリューイ少年は、親子同然の(きずな)で通じ合っている。

 後ろを向いたリューイは、今度は、波の音が聞こえてくる暗い海に視線をやったままで、つぶやくように口を開いた。

「俺・・・ずっと見てたんだ。あいつ本当に勇気があって、血だらけなのに、何度も何度も向かっていくんだ。俺は見てるばっかりで・・・。」

 ロブは、リューイの背中をひたすら洗ってやるだけで、初めそれには何も返さなかった。だが、洗い終えるとタワシを湯の中に捨て、首に掛けていたタオルをすすぎながら、やがて物静かな声で話し始めた。

「リューイよ、前にわしの飼い犬の話をしてやったことがあったね。覚えているかい。」

「キースのこと?」

 ロブは、そこで向き直ったリューイにうなずいた。それからリューイの左頬に片手を当て、もう片手に持ったタオルで顔をごしごしと磨いてやりながら、言葉を続けた。

「あいつの相手は狼だった。その体は、キースの倍はあった。大きな大きな狼だった。初めから勝ち目などなかったはずの勝負に、わしが(いど)ませた。あいつは、わしを守りきる最後の最後まで頑張った。わしは、あいつに助けてもらった。お前と同じだ。」

「違うよ、じっちゃんは怪我してて動けなかったから。でも俺は動けたんだ。なのに・・・何もできなかった。」

 リューイは、そう口を開けた時に流れ込んできた湯を、ぷっと地面に吐き捨てた。

 肩まであるリューイの金髪に手櫛(てぐし)を入れたロブは、そのまま後ろへ()き流しながら言った。

「だがリューイ、二頭の戦いが始まった時から、その勝負は彼らのものになったはずだ。お前の割り込む余地などなかったろう。」

「でも・・・。」

「リューイ、自分は弱虫だと思うかい。さっさと安全な場所に逃げて、助けてくれたあいつがやられそうになっているのを、ただ見ているしかできなかったから弱虫だと。」

 リューイは黙ってロブを見つめていたが、やがて目を閉じた。少年のすっと伸びた綺麗な(まゆ)は、この時、こみ上げた自己嫌悪で(ゆが)んだ。

「俺は弱虫だ・・・。」

 目を閉じたままのリューイは、そのあと不意に体を引き寄せられるのを感じた。
うっすらと(まぶた)を上げてみると、ロブに頭を抱かれているのが分かった。二人の頬はぴったりとくっついていた。

「だが今は、まだそれでいい・・・じっちゃんのために。」

 (おび)えるように震える声は、リューイをよくよく反省させた。どれほど心配をかけたことか。

「無事でよかった。」

 続くその涙声がいっそう胸に(こた)える・・・。

「ごめんなさい・・・。」

 リューイの声もまた、涙でくぐもっていた。

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