3. 大国エルファラムと、皇帝ルシアスの過去

文字数 2,252文字

 街の灯りが、地上で(またた)く星のように見渡せる窓辺に立って、皇帝ルシアスはその夜景を眺めていた。それは素晴らしく美しかったが、彼の面持ちは暗く沈んで浮かなかった。

 そんなルシアスの背後では、妻のフェルミスと可愛い息子のエミリオが、高価なサテンのソファーに座り、仲良く寄り添って読書をしている。

 親子がその部屋にいる時には、決まって召使いなどがそばに(ひか)えることはなかった。部屋の内装も、金飾りや壁画で埋め尽くされた豪奢(ごうしゃ)なほかの部屋とは違い、さりげない草花の絵を軽く壁面にあしらっただけという、見事ながら至ってシンプルなものである。皇帝ルシアスにとって、そこは親子水入らずで過ごせる(いや)しの空間だった。

 ルシアスは少し振り向いて、肩越しに妻を見た。

 その美しい顔に、優しい笑みを浮かべて息子に語りかける姿は、本来なら相好(そうごう)を崩したくもなるものだ・・・が、ルシアスの瞳はかげっていた。

 こよなく愛している妻、フェルミス。その彼女の体の異常が何であるかが明らかになったのは、およそ二年前のこと・・・。

 ルシアスは重苦しいため息をついて、窓辺を離れた。

「フェルミス、そなた新しい首飾りなど欲しくはないか。そなたは一度も余にものをねだったことがない。宝石には興味はないか。」

 妻と子のそばへと戻ったルシアスは、長ソファーと同じ素材の肘掛け椅子に腰を落とした。

「いいえ、そのようなことはございませんわ。ですが、その宝石一つでどれだけのことができるかと思うと、心苦しくなるのです。国には、まだまだ安心して暮らすことができない者が、大勢います。」

「そなた・・・街へ行くのはもう()さぬか。」

「なぜでございましょう。」

「余のことは愛してくれておるのか。この国の貧しい(たみ)以上に。」

 国の権力にものを言わせて彼女を手に入れたルシアスには、昔から、それが気になり(さみ)しく思うこともあったのである。確かにフェルミスは、形だけの夫婦というそっけない態度を、初め悪気なくとっていた。もとは暴君と(ささや)かれることもあるほど、強欲(ごうよく)気性(きしょう)の激しかったルシアス。ところがその実、フェルミスにも意外なことに、彼女にだけは弱かった。頭のいい彼女に、微妙な態度で上手くかわされ続けていたルシアスは、その愛想(あいそ)の無さを注意することもできないままでいた。そして、どうにかその愛をも手に入れたいと悩むうちに、その想いが新鮮な感情を芽生えさせたのである。

 そうして、暴君ルシアスは変わっていった。

 また、仮にも夫のそんな健気(けなげ)な愛に、フェルミスも心打たれた。次第に態度を改めるようになり、真心(まごころ)で応え始めたのだ。だからルシアスは、彼女を束縛(そくばく)せず、好きなように街へ行くことも許したのだった。

 そのため、彼女の話題は、いつも町のことばかりに(かたよ)りがち。それでもルシアスは、彼女の方からよく話しかけてくれるようになったことが嬉しかった。

 ただ気になるのは、街から戻る彼女はいつも()えない顔でいた。そして、悩みを親友にだけそっと打ち明けるかのように口にするのである。ああなって欲しい、こうであればいいのに・・・といった具合に。

 それは、臣民全てが幸せになるための密かな提案。エルファラム帝国の君主となった者はみな、遺伝的に臣民の生活よりも軍事に興味を示し、とにかく軍事費をじゅうぶんに保つことばかり気にし、次に皇族の生活を(うるお)すことを考えてきたため、時代と共に世間の生活も変わって問題を提起(ていき)されても、これまで誰も真剣に見直そうとはしなかった。一に軍事、二に皇族、それを踏まえてあとのことは上手くやれと、宰相(さいしょう)に命じるだけである。しかし下手をすると自分の首が飛びかねないため、結局大したことは何もできないまま、庶民の生活は徐々に悪くなる一方。それを、ほかの誰にも真似できない方法でようやく分からせたのが、国の民は家族と(うた)い続けるフェルミス皇后。

 まさに天から舞い降りた幸運の女神そのもののような、彼女だった。

 そして皇帝ルシアスは、ただ妻を喜ばせたいと思うあまり、次々と彼女の願いを叶えていった。動機は不純である・・・が、結果良ければ全て良しと、宰相及び政府関係者たちは嬉しい悲鳴を上げながら、身勝手な君主に従い大急ぎで改革を行った。

 そしてフェルミスは、一つ成立する度に、夫の権力と国の財力を()(たた)え、優秀な人材たちに感謝することを忘れなかった。その彼女の笑顔が見られることが、ルシアスにとって何よりも楽しみであり、喜びとなり、活力となった。

 そうして、フェルミスはさりげなく国政に関わり始めた・・・というわけである。

 ときおり見せる夫のこの弱さと、ある意味子供のように単純で純粋なところが、フェルミスには逆に魅力的だった。

 それでフェルミスは、にっこりと微笑むと心を込めて答えた。
「まあ陛下(へいか)勿論(もちろん)でございますわ。わたくしは、わたくしと共に国の民のことを想ってくださいます心優しい陛下をとても尊敬し、愛しております。」

「そなたは、まこと頭がよいな。」と、ルシアスは苦笑いするしかない。

 ルシアスは、自分に(あき)れたようにため息をつきながら深く腰掛け、フェルミスの隣に座っているエミリオを手招いた。そして、嬉しそうにそばへ駆け寄ってきた愛息子を膝に座らせた。

「エミリオは何もかも、そなたにそっくりであるな。」

 フェルミスは微笑を浮かべたまま、息子に優しい夫の姿を見つめた。そして、夫の気持ちに(こた)えようと、フェルミスは初めて甘えたようにこう言った。
「陛下、わたくし新しい髪飾りが欲しゅうなりましたわ。」



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