6. 暗黙の誓い

文字数 1,373文字

 その医師の家までは遠くない。川に()かる吊り橋を渡った向こう岸、そこにある小さな集落に住んでいる。

 橋を渡ると、そこでウィルはいったん立ち止った。(あわ)てている姿を、誰かに見られてはならない・・・と思った。だから、そこからは歩いて目的地へ向かった。

 医師の家には幸い灯りがついていた。玄関の前に来たウィルは、自然な素振(そぶ)りで周囲をうかがい、それからドアをノックした。

 すぐに反応があった。

 客を出迎えた医師は、そのいやに深刻な眼差(まなざ)しにまず驚いて、相手をまじまじと見つめ返した。

「おや、珍しい。ウィルじゃないか。」
「非常事態だ、とにかく来てくれ。」
「いきなり、どうした。こんな時間に。」
「説明している余裕はない。一刻を争う事態だ。訳はひと目で分かる。なにもかも、きっと。」
「子供がどうかしたか?」

 ウィルは思わずイラッとして彼の腕につかみかかり、強く引っ張った。
「一刻を争うと言っただろ!」

 医師は血相が変わったウィルを見て圧倒されたが、「分かった。」というように(うなず)いた。それから、興奮しているウィルをなだめて言った。
「誰か重体の急患がいるんだな、ウィル。それなら、それなりの用意をしなくちゃならん。容体(ようだい)くらい教えなさい。」

 ウィルも落ち着いて端的(たんてき)に伝えた。

 医師は聞いているうちにも動き出して、必要だと思われる医療器具や薬剤をまとめ始めた。時間をまったく無駄にしなかった。

 集落を出るまでは二人は並んで歩いたが、橋を越えたとたん、医師はウィルに腕を引っ張られて走った。体力が(おとろ)えた老体には(こた)えたが、ウィルは歩くことを許してくれなかった。

 ウィルの家に着くと、夫人が待ちかねた様子で迎え入れてくれた。そして、医師はまっすぐに居間へ通された。その部屋はとても暖かかった。暖炉が強い炎をあげている。節約家のウィルには珍しいことだったが、医者の助けが必要な人について、さきほど聞いた話を思い出せば納得(なっとく)がいった。

 そして、ウィルが言った通りだった。医師もまた、ひと目で声もなく驚愕(きょうがく)した。全てを理解することはできないが、だいたいのことは察したようだった。それはウィルも同じだ。だが、それについては互いに何も言わなかった。

 医師は、あれからずっと気絶したままの患者のそばに座った。その青年は肩まで毛布を(かぶ)っていたが、服を着ていなかった。肩の傷口と思われる部位に、止血帯(しけつたい)を巻きつけているだけである。その状態で、即席(そくせき)の診察台 ―― 床に広げたシーツの上 ―― に仰向(あおむ)けになっていた。唇は紫色で、意識が無くても、(まゆ)を寄せて苦しそうな表情を浮かべている。

 医師は、患者の毛布を腰までおろして、その肌に触れてみた。話にきいて思っていたほど冷たくはなかった。まだじゅうぶんとは言えなかったが、夫人が体温の回復に努力してくれたようだ。

 処置をしているあいだ、医師とウィルは何度か目を見合った。だがどちらも、いつまでも本当に話したいことは何も口にしなかった。ただ死にかけているその青年の回復のために専念した。

 できることをやり尽くした医師は、薬と包帯を夫婦に手渡しながら、患者の容体について説明し、今後、どう看護したらいいかなどの話以外は、やはり何も言わなかった。ただ帰り際にウィルの肩に手をおいて、意味深に強く頷きかけた。その時、ウィルは医師と、何か誓いや約束を交わした気がした。


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