⒓ ミナルシアのペンダント

文字数 2,663文字

 「あいつが待ってるから。」というジャックの言葉で、予想していたよりもずいぶん早くに白馬亭を出たレッドは、まだ(にぎ)やかな酒場の灯りが照らす道を、帰路についていた。

 今、重い足取りでのらりくらりと歩くレッドの頭の中では、テリーとジャックの言葉と、そして自分自身の気持ちや考えなどが、思わず自棄(やけ)を起こしたくなるほど複雑に渦巻いていた。あまりに深刻に悩んでいたため、店内から響いてくる騒々しい声にも気付かず、とにかく足元ばかり見て、重苦しいため息ばかりついていた。

 俺はあんたに誓った。あんたの分まで戦って死ぬと。死ぬ時は戦場だと。だけど俺・・・こんな気持ちのままじゃあ・・・。

 レッドはおもむろに夜空を(あお)いで、ひときわ力強く光り輝いている一等星を眺めた。

「テリー・・・あんたは、どう思う。」

 いちだんと大きなため息をついたレッドは、うな垂れて、また歩きだした。そして分岐(ぶんき)する近道の方へ曲がり、ゴミくずだらけの小汚い路地裏にさしかかった。

 そこで障害物に気付いたレッドは、顔を上げてぎょっとした。

 前方に見える、積み重なった木箱の向こう。そこに座っているのは・・・間違いない! 着衣が私服に変わってはいるが、間違いない!

 修道院に戻ったはずのイヴ。

 さよならと手を振って帰って行った、もうこれで最後だと思っていた、イヴ・フォレストなのである。

 立ち止って、(つか)の間、唖然(あぜん)と見ていたレッド。だが我に返ると、その顔はみるみる険しくなっていった。

 イヴは、何度もその窓から中を(のぞ)き込んでは、外壁に(もた)れて胸に手を当て、深呼吸を繰り返していた。

 このままでは帰れない・・・今度はお金も用意したし、ちゃんとしたお店の中だから・・・あの人について来てもらいたかったけれど。

 ついに意を決したイヴは、すっと腰を上げて、もう一度その窓から店内を確認した。 

 次の瞬間・・・!

 背後からいきなり口を(ふさ)がれ、後ろへグイと引き戻されたあと、荒っぽく壁に背中を付けて立たされた。それから頑丈そうな両腕が顔の真横に伸びてきて、右にも左にも身動きがとれなくされた。真正面には、その誰か男の人の大きな体がある。

 最初は驚いたイヴだったが、思わず嬉しそうに胸を()でおろしていた。目の前にいるその人が、今、誰か分かったからだ。 

 しかし彼の方は、穏やかならない顔で、彼女のことを(にら)みつけていた。

「あんた正気かっ。またこんな所で何してる。」

「レッド・・・。」

 視線をずらしたレッドは、彼女が(のぞ)いていた窓を見た。そして、ますます怒った様子で険しい顔を向ける。

「どういうことだ。」

 (うな)るような低い声で、レッドはきいた。

 その店内には、ほんの数時間前にレッドがこてんぱんにのした男たち ―― 彼女に乱暴した狼藉者(ろうぜきもの)たち ―― がいたのである。正確には彼らだけでなく、あとから加わったらしい仲間が数名増えていた。その男たちは、とある少々いかがわしい雰囲気の居酒屋の席にいたが、テーブルに座ったり、椅子を大きく後ろへ引いていたりと、はばかりない下品な振る舞いで特に目立っていた。

 だが、すぐに目についた理由はほかにもある。テーブルに腰掛けている男が、そのなりには似合わない綺麗なペンダントを手にしているのが、不自然なことだ。

「・・・返してもらってないの。」と、イヴは言った。

 レッドは、彼女の目を見た。

「とても大切なもの・・・あの人たちに返してもらってないのよ。ほら・・・あのペンダント。」

 イヴは、男が手で(もてあそ)んでいるそれを指差してみせる。

「だからって、一人で・・・。」

「だから、ほんとはあなたを探してたの。でも、その前に彼らを見つけてしまったから・・・。」

「なるほど。」とつぶやいて、レッドは(しか)るのを止めた。そして、呆れたため息をついてみせると、言った。「分かった。あれを返してもらってきたらいいんだな。」

「あ、でも、ついて来てくれるだけで・・・」

「バカ、ここで待ってろ。」

 イヴは、肩をすくめて(うなず)いた。

「ごめんなさい・・・。」

「いいさ、気にするな。一人で乗り込もうなんて考えてたら、こっぴどく(しか)ってたけどな。だけど手段は選ばないぞ。どうせ喧嘩(けんか)になるだろうから、手っ取り早く済ませてくる。」

 実際、普段はそう荒れているわけでもないその店は、日によって客層と(がら)が変わってしまう。今日はその日だった。連中が入店したあとでも気にせず入って来られるのは、腕に自信のある喧嘩()れした強者(つわもの)か、武器を帯びている(いくさ)慣れした戦士か、連中と同類の悪党グループのどれかと決まっていた。入口近くの円卓には、厚化粧のだらしない娼婦たちがたむろしているが、これはいつものこと。彼女たちにとっては、そういう日こそ(かせ)ぎ時となる。特に喜ばれるのは傭兵(ようへい)。彼らは遊べるほどの金と、汚いことはしないというプライドを持っている。連中のおかげで店が空けば、気持ちよく仕事ができるその相手が入って来る率も上がるというわけだった。 

 そしてここに、武器を帯びた一人の若者が、堂々と入口を通り抜けてきた。精悍(せいかん)容貌(ようぼう)の野性的な青年。相手をするには少し若すぎる感じもあるものの、(たくま)しい長身のため気にはならなかった。彼の体躯(たいく)に熱い視線を浴びせかけていた娼婦たちは、仲間内で軽いもめ合いを起こしながらも話はついて、一人が離れた。

 仲間も認める美貌(びぼう)と商売上手であるその女は、彼の肩に手をかけて甘い声で(ささや)く。

 すると若者は立ち止まり、彼女の目を見て、「悪いな。」と言うと、肩にまつわる指先を軽く払い()けた。その目に、彼がここへ遊びに来たわけではないことを、女は理解した。

 若者は再び歩きだした。

 せっかくの獲物だというのに女もあっさりと(あきら)め、苦笑して席へ戻った。そして、驚いた目を向け、呆れ言葉をかけてくる仲間たちにこう言った。関われば、きっと火傷(やけど)するわよ。

 そんな(なま)めかしさもある同じ店の別のテーブル席では、いかにも悪そうな集団が盛大な笑い声を上げている。

「見ろよ、こいつはきっと結構な金になるぜ。」

 赤毛の男が、オレンジ色に輝くペンダントを(つま)み上げて声高(こわだか)に言った。

「ざまあみろってんだ。あの野郎、こいつを見落としてやがるぜ。」

「俺が上手く隠し持ってたからだ、バカ。」

「それにしても残念だったな。いい女だったんだが・・・。」

 無精髭(ぶしょうひげ)の男が、そう(なげ)いてテーブルに頬杖(ほおづえ)をついた。

「まあいいさ。こいつを売れば、もっといい女が買える。」

 ペンダントを揺らしながら、赤毛の男が言った。

「残念だったな、それも返してもらおうか。」

 仲間の誰の声でもなかった。

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