21. 無駄には死ねない・・・
文字数 2,096文字
都会での一仕事を終え、まずまずの利益をあげることができた宝石商のマルコと、その行商人一行は、大街道を一直線に南へとまた旅をして、自宅のある町へと戻っていた。
そこはアトリウムのある豪邸だった。召使 いが何人もいた。だが彼らは、田舎の湖のほとりに住んでいた。ここでは商売にならないため、それで売買は移動して行っているという。
報酬 を用意するからという主人の言葉で、この邸宅に数日滞在していたエミリオは、穏やかに晴れ渡った今朝、旅立ちの時を迎えた。
実のところ、それは無謀 で孤独な、苦悩の旅だ・・・。
ハンスとニール、それに奥方とは、玄関ホールで別れの挨拶を交わした。
だが主人は、大きな荷物を持ったまま、まだ見送ろうとしてくれていた。
一緒に外へ出たエミリオは、庭の生垣 と花壇 の通路を通り抜け、そのまま門の下に来て、あらためて彼と向かい合った。
「さあ、旅の支度 は整えておいた。これで、遠い南へじゅうぶんに行くことができる。」
荷物を差し出しながら、主人は万事大丈夫と言わんばかりにハキハキと言った。
「ありがとうございます。」
一方のエミリオは、心から感謝しながら虚 ろに返事をした。
「お前さん・・・。」と主人。「もし死のうなんで考えていたら・・・。」
エミリオは首を振ると、聞き取れないような小声で答えた。
「もう、無駄にそうすることもできないのです。私は・・・。」
かけがえのない犠牲を払って、今、生きているから・・・。そう続きを口にせず黙り込んだエミリオは、悄然 と視線を落とした。
主人はいきなり、そんなエミリオの左腕をぐっとつかんだ。
驚いて顔を上げたエミリオ。
真っ直ぐに優しい目を向けた主人は、声に力をこめて、言った。
「君にはきっと、神がついている。常に助けがあるだろう。俺たちが出会ったように。」
あれから、数日。
エミリオは今また、たった一人きりで歩いている。目的もあてもなく、無意味に・・・。それも、もう下道 どころか何の跡 もない、まさしくだだっ広い原野の中にいた。主人が用意してくれた地図によると、しばらく町には出会えない。あてにするといえば、井戸くらいだ。それでエミリオは、道しるべを探しながら、とりあえずその一つを目指している。
今は、最初に比べれば、萎 えた心はいくらかしっかりしたようにも思えた。
だが繰り返す・・・辛すぎる記憶は、何度でも鮮烈によみがえっては、容赦なく痛めつけてきた。その度に涙がこみ上げた。それでも耐えた。無気力にも、自暴自棄になることもなく、なんとか精神を保っている。まさに今この時も・・・。
ダメだ・・・と、立ち止ったエミリオは、目を閉じて深呼吸をした。それから視線を上げ、努めて冷静に周りを見た。
点在しているのは、どれもオリーヴの木のようだった。ヴルノーラ地方では見られない木が生えている。帝都からはもうずいぶん離れて、とりあえず着実に南へ向かえてはいる。
刺客 たちは・・・彼女は・・・諦 めてくれただろうか。
風が吹き抜けた。辺りは明るく爽 やかな風なのに、少し身にしみた。
一人でいると、気を抜けば本当にもろく弱くなってしまう。誰かといる方が、もう少ししっかりしていられることに気づいた。
ふと、主人の言葉が浮かんだ。
〝君にはきっと、神がついている。常に助けがあるだろう。〟
ようやく、井戸を見つけた。方向を誤 ることなくやってこられたことに、ほっとした。
幸い、井戸は涸 れていなかった。水を汲み上げて飲み、水筒に補給した。それは事務的な作業でしかなかった。とにかくまだ生きていなければならない、という思いだけ。
井戸の縁 に両手をついて、エミリオはまた考えた。この状況で、今すべきことを。それから首をめぐらせて、今度は遠くまで見渡した。灰色と薄茶色の大地が広がっている。ところどころに草地の緑もある。だが、ここは荒野だ。
すぐそばにも、細い小さな葉を茂らせているオリーヴの木があった。幹 の低い位置から横へ枝分かれしているその下は、大きな日陰になっている。
井戸から離れたエミリオは、そこに腰を下ろして彼方 を見つめた。
ただ茫然 と・・・。
〝分かっているはず・・・この御方は死なせてはならないと・・・。〟
フラッシュバックが起こり、エミリオはハッと目をつむる。
〝生き抜いてください・・・!〟
下を向いて、両手に顔をうずめた。
人知れず死ねる場所へ行けたなら、それもいいとさえ思っていた・・・。
だがもう、それも許されない。もう何も持たない孤独の身でありながら、多くを不幸にしてまで生かされた。その意味を考えながら、命ある限り生きて過ごさねばならないのだ。
どこで・・・。
途方に暮れ、悩み疲れて顔を上げれば、目に映るのは、散在する奇岩と灌木 だけの殺風景な景色。
エミリオは、遠くをまたぼんやりと見つめ、物思いに沈みながら、何度もため息をついた。
無駄には死ねない・・・。
このさき私はどこを目指し、どうやって生きればいいのだろう・・・。
※ 物語は本編『アルタクティス 1 邂逅編 ~ 神の大陸 自覚なき英雄たちの総称 ~』「第1章失踪 」へ続きます。
そこはアトリウムのある豪邸だった。
実のところ、それは
ハンスとニール、それに奥方とは、玄関ホールで別れの挨拶を交わした。
だが主人は、大きな荷物を持ったまま、まだ見送ろうとしてくれていた。
一緒に外へ出たエミリオは、庭の
「さあ、旅の
荷物を差し出しながら、主人は万事大丈夫と言わんばかりにハキハキと言った。
「ありがとうございます。」
一方のエミリオは、心から感謝しながら
「お前さん・・・。」と主人。「もし死のうなんで考えていたら・・・。」
エミリオは首を振ると、聞き取れないような小声で答えた。
「もう、無駄にそうすることもできないのです。私は・・・。」
かけがえのない犠牲を払って、今、生きているから・・・。そう続きを口にせず黙り込んだエミリオは、
主人はいきなり、そんなエミリオの左腕をぐっとつかんだ。
驚いて顔を上げたエミリオ。
真っ直ぐに優しい目を向けた主人は、声に力をこめて、言った。
「君にはきっと、神がついている。常に助けがあるだろう。俺たちが出会ったように。」
あれから、数日。
エミリオは今また、たった一人きりで歩いている。目的もあてもなく、無意味に・・・。それも、もう
今は、最初に比べれば、
だが繰り返す・・・辛すぎる記憶は、何度でも鮮烈によみがえっては、容赦なく痛めつけてきた。その度に涙がこみ上げた。それでも耐えた。無気力にも、自暴自棄になることもなく、なんとか精神を保っている。まさに今この時も・・・。
ダメだ・・・と、立ち止ったエミリオは、目を閉じて深呼吸をした。それから視線を上げ、努めて冷静に周りを見た。
点在しているのは、どれもオリーヴの木のようだった。ヴルノーラ地方では見られない木が生えている。帝都からはもうずいぶん離れて、とりあえず着実に南へ向かえてはいる。
風が吹き抜けた。辺りは明るく
一人でいると、気を抜けば本当にもろく弱くなってしまう。誰かといる方が、もう少ししっかりしていられることに気づいた。
ふと、主人の言葉が浮かんだ。
〝君にはきっと、神がついている。常に助けがあるだろう。〟
ようやく、井戸を見つけた。方向を
幸い、井戸は
井戸の
すぐそばにも、細い小さな葉を茂らせているオリーヴの木があった。
井戸から離れたエミリオは、そこに腰を下ろして
ただ
〝分かっているはず・・・この御方は死なせてはならないと・・・。〟
フラッシュバックが起こり、エミリオはハッと目をつむる。
〝生き抜いてください・・・!〟
下を向いて、両手に顔をうずめた。
人知れず死ねる場所へ行けたなら、それもいいとさえ思っていた・・・。
だがもう、それも許されない。もう何も持たない孤独の身でありながら、多くを不幸にしてまで生かされた。その意味を考えながら、命ある限り生きて過ごさねばならないのだ。
どこで・・・。
途方に暮れ、悩み疲れて顔を上げれば、目に映るのは、散在する奇岩と
エミリオは、遠くをまたぼんやりと見つめ、物思いに沈みながら、何度もため息をついた。
無駄には死ねない・・・。
このさき私はどこを目指し、どうやって生きればいいのだろう・・・。
※ 物語は本編『アルタクティス 1 邂逅編 ~ 神の大陸 自覚なき英雄たちの総称 ~』「第1章
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