⒎ 剣術の稽古 ― 1

文字数 2,073文字

「えいっ。」

 ヴァルの渾身(こんしん)の一撃を、レッドはほんの手首のひと(ひね)りで(はじ)き返した。レッドが握り締めているのは、(さや)ごとの自分の剣である。

「ヴァル、さっき俺が言ったことができてないぞ。そんな構え方じゃあ(すき)だらけじゃないか。いいか、ほら・・・。」

 レッドは自分の剣を脇に挟むと、ヴァルの背後に回った。後ろから、教え子の木刀を握っている両手をつかむ。そして、「こうだ、こう。」と、正しい持ち方と構えに直してやったあと、ふと視線を転じて、ほかの少年たちを見た。

 あとの四人は二人一組になって、レッドが教えた剣捌(けんさば)きや足捌きを、実際に木刀を交えながら復習しているところ。

「おいゼノ、もっと腰を落とせ。膝を使うんだ。」
 レッドはそう注意したが、栗色の髪のその少年が(かが)んだ姿を見ると、ため息混じりにゆるゆると首を振った。
「落としすぎだ。それじゃあへっぴり腰じゃないか。」

 レッドはヴァルを待たせてその四人の方へ行き、防御と攻撃の基本を最初から教え直して繰り返すよう命じると、再びヴァルと向き合った。

 ヴァルは俊敏(しゅんびん)な動きでレッドの脇腹を攻めた。繰り出された時の動きや構えは、ほぼ正確だ。

 レッドはよしと頷いて、それをやすやすと(かわ)す。

「そうだ、なかなか様になってきたぞ。次は、俺から仕掛けるからな。跳ね返してみろ。」

 そう言うと、攻撃の姿勢に切り替えたレッドの眼差(まなざ)しが、さらに鋭いものに変わった。ヴァルも負けじと(にら)み返していたが、圧倒されて(おび)えているのが分かる。

「違う・・・。」と、レッド。「ダメだ・・・。どこを狙われるか、それを気にしてちゃあ反射神経が鈍る。頭で考えるな。目にも頼るな。敵の攻撃パターンを肌で見きるんだ。」

 よく分からない難しいことを言われると、ヴァルはますます戸惑っておどおどしだした。

 レッドは、少年の足がしっかりと地面を踏みしめることができるまで、待とうと思った・・・が、そうしているうちにも、眉間(みけん)にみるみる(しわ)が寄っていく。

 原因は、後ろから聞こえるふざけた掛け声。

「どりゃっ。」
「おおう!」
「でえいっ。」
「とーう!」
「ゼノ、ティム、ロビン、アレーック・・・! 」

 雷を落とそうとしたレッドは、振り向いて思わず言葉を失った。それより先に、イヴの姿が目に入ったせいだ。

 そんな子供たちを見ながら、彼女は魅力的な笑顔で明るい笑い声を上げている。

 突然固まってしまった師匠(レッド)を、ヴァルは不思議そうに見上げた。





 ヴィックトゥーンに帰ってきたレッドは、午前中に開かれる市場の喧騒(けんそう)の中を、のろのろと歩いていた。背後や目の前を、買出し中のシェフや、ほかの地区から来た一般客が忙しなく行き交う。だが、レッドは周りの何も見てはいなかった。器用にひらりひらりと向かい来る人を避けながらも、ほとんど注意をはらってはいなかった。

 イヴ・・・。レッドは小声で、戸惑いながらそう呟いた。彼女の名前だ。ことに月光の中で見たそのほほ笑みを、何度も思い浮かべてしまう。

 レッドはかすかに首を振り、愚かで滅入(めい)る気持ちに活を入れた。なぜこんなにも気になるのか、心も精神も弱り過ぎている、しっかりしろと自身を(しか)った。それに、どう思っても仕方のないことだ。もうきっと、会うこともないだろうから・・・。

 食材の仕入れに来ていたニックは、南国の果実が所狭しと並んでいる露店にいた。店の外側に盛られている、オレンジの品定(しなさだ)め中のことだ。背後を通り過ぎた人影にふと気づいて目を向けてみれば、昨夜帰って来なかった居候(いそうろう)がいる。(たくま)しい長身で見事に均整のとれたスタイルは、視界に入ればたちどころに目についた。

 パイナップルと、そしてバターの代わりにもなるアボカドを抱えたままで、ニックはあわてて駆け出した。支払いは済んでいない。大きな果物を持ち逃げされては、さすがに気づいた店主が身を乗り出して、しきりに呼びたてていた。

「レッド、お前夕べはどこに・・・。」

 やや(なな)め後ろからニックがそう声をかけたが、レッドは立ち止まらなかった。憂鬱(ゆううつ)そうな難しい顔をして、下の方に視線を向けている。

 横について歩きながら、ニックはその様子のおかしさに首をひねり、そして思った。

「まさか、お前に限って金で女を・・・⁉」

「女神が・・・。」

 レッドは無意識につぶやいたあとで、やっとニックに気付いてぎょっとした。

「なにっ⁉ なんだおやじ、バカヤロウ! 何考えてんだ!」

「めがみいっ⁉ お前、いったいどうしたんだ! 悩みがあるなら聞いてやるぞ⁉」

「あっても結構っ、とにかく、そんなんじゃない!」

 ニックはレッドの目を(のぞ)きこんだが、例えそうであっても、驚くべきことだが(とが)めることでもないのでこだわらず、追求もしなかった。どこの町にもルールさえ守れば問題のない、きちんと許可がおりているそういった魅惑的な店はあるし、レッドはそういうお年頃だ。

「そうだ、レッド。グレーアム伯爵の使いが夕べやってきて、待ってるから来てくれってさ。すっぽかしたのか? らしくないな。」

 なんてこった・・・と、レッドは(ひたい)に手を当てた。

「しまった・・・忘れてた。」


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