7. 乱世

文字数 2,224文字

 事件は残念ながら解決しなかった。曲者が誰かは、その後、その男の姿だけが見当たらなかったのですぐに明らかになったものの、男はあの日以来うまく行方をくらませてしまい、結局その目的も分からず仕舞いで、捜査は打ち切られたのである。

 だが、ダニルスだけは推理を進めていた。至って単純なものだった。彼はその直感のままに行動し、王のいる円蓋(えんがい)天井の一室へと足早に廊下を渡っていく。

 そこは、アーチの窓が並ぶ見晴らしのよい部屋で、空気が澄み渡った天気の良い日には、遠くの青い山脈を一望することもできた。

 そして、この日は抜けるような青空が広がっていた。壁や柱でわずかにできる日陰には、安楽椅子に座って、その景色をただのんびりと眺めているルシアスがいる。

 エルファラム帝国は、大陸の東で最も勢力があるとして恐れられ、そこではほぼ天下を取っていた。西の土地から挑んでくる国もなく、この国にとっては今は平和な時代だった。

 おかげで皇帝ルシアスは、日中はたいてい退屈な日々を過ごしていた。唯一することといえば、会議の間で、小一、二時間様々な報告を聞き、それについて判断を下したり、意見を述べる程度。夜には息子たちと過ごす時間もあり、シャロンも構ってくれるが、それまで息子たちは稽古(けいこ)事などに追われ、シャロンについては好きなようにさせていて、勝手に出掛けられても全く干渉しなかった。

 そこへ、そんな皇帝の退屈 (しの)ぎをしてくれる者がやってきた。

 ランバーグ大佐である。

 ルシアスは快く迎え入れ、立ち上がった。そして、そばに(ひか)えていた侍従(じじゅう)が椅子を大佐の方へ向けると、またゆったりと腰を下ろした。

 ダニルスは、王の前でうやうやしく(ひざまず)いた。どこかのほほんとした感じのルシアスとは違って、ダニルスは何か意気込んでいる様子。 

「軍の方はどうだ。この平和のせいで、たるんではおらぬか。」 

「日々、訓練を(おこたら)らず精一杯励んでおります。ご安心ください。」

「西はいよいよノース(大陸北西部)まで荒れ始めたようだが。」

 大陸の西側で起こっている戦争は、そもそもミドル・エドリース(大陸西部)から始まったものである。

「はい。ノースでは、ガザンベルク帝国が勢いに乗っています。ですがその戦争は、エドリース全域でまず繰り広げられるものと思われます。用心せねばならぬのは、まだ先の話になるかと・・・。ですが、歩兵、騎兵、弓兵、全軍常に万全整えております。」

 ダニルスが確かな口調できびきびと答えると、ルシアスは満足そうにうなずいた。

「ところで近年、アルバドル王国が目をみはる速さで力をつけてきているらしいな。」

「そのようです。今は、かの国は、過去に奪われた土地を取り返すことに懸命になっているようですが・・・。しかし、このエルファラム帝国の敵ではございません。」

「アルバドル王国とは・・・もはや縁は切れてしまったな・・・。」

 嫌な予感に、ダニルスは、好意的な意味でわざとあとの部分を強調して言ったのだが、それに続いたルシアスの声は、ダニルスのその不安を余計に掻き立てるものだった。

「エミリオ様がいます。」

 ダニルスには、皇帝のその発言がやはりフェルミス先代皇后との約束を破りかねないもののように聞こえ、言下に強い口調でそう(いさ)めた。

「確かに・・・エミリオはアルバドル王家の血を引いている。」 

 そう呟いたルシアスの声の響きは、どこか悲しげなものにも聞こえた。だが、皇帝のその複雑な心境はよく理解できず、ダニルスの胸には、ただ危惧(きぐ)の念ばかりが押し寄せてくる。

 ダニルスは、ややおいてから本題に入った。
「陛下・・・エミリオ皇子のことなのですが・・・。」

「申してみよ。」

「皇子の剣のご指導を、どうかこの私めにお任せいただきたいのですが。」

「ランバーグ卿・・・そなたほどの男が、あの虫も殺せぬようなエミリオの指導を自らかって出るとは。エミリオは頭脳 明晰(めいせき)で呑み込みも早いが、優しすぎて見込みもしごき甲斐(がい)もないぞ。本ばかり読んで、剣術にはさっぱり興味を示さん。顔だけでなく、心までフェルミスにそっくりなのだ。」
 ルシアスは冗談の口ぶりで言った。

「陛下、それが問題なのです。この乱世に、このエルファラム帝国を大陸屈指の強国として名をあげ続け、他国への脅威(きょうい)(おとろ)えぬものとし続けるには、上に立つ者に(たくま)しさも必要です。お言葉ではございますが、エミリオ様にはそれが欠けております。」

 皇帝ルシアスは声をたてて笑った。
「まことそなたの言う通りだ。」

「もしお許しいただけますなら、今のこの落ち着いているうちに、エミリオ様につきっきりでご指導させていただきたいのですが・・・。厳しくするかもしれませんが、全てこの私めに任せるとご承知いただきたいのです。どうか・・・。」

 たいして重要でもなさそうなことに、何か思い詰めた顔で熱心に頭を下げ続けるその異様さにルシアスは首を(ひね)り、(なか)呆気(あっけ)にとられた。

「なにをそれほどまで必死になっている。まあよかろう・・・承知した。余は一切口を出さぬから、できるのなら、あれを手厳しく導いて立派な男にしてやってくれ。(あざ)の一つや二つ笑って許そう。歩兵軍のことは大将に任せて、好きなようにするといい。」

「ありがとうございます、陛下。」

 ダニルスは(おもて)を上げ、ほっと胸を()で下ろしたような顔をした。

 だがその胸の内では、これからが(ひと)苦労だという苦い思いと共に、何としてもやり()げねばならないという使命感に燃えていた。


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