5. 天命の瞳の少年 ― 2

文字数 1,855文字

 悲惨に傷ついた黒ヒョウは、ログハウスの居間の(すみ)にぐったりと横になっていた。手当てを受け意識を取り戻したが、体を支えられる力と元気がなく、その姿勢でいるしかないようだった。ただ、視線はいっときも()らさず、隣に寝そべっている少年に向けられている。その獣の鋭い目には、(うやま)うような、また(いつく)しむような優しさがあふれていた。

 そうしてぴったりと寄り添っているリューイも、同じように、相手をひたむきに見つめ返していた。何度か(たわむ)れに床を転々としても、その瞳は決して恩人(獣)の目から放さなかった。ずいぶん長いあいだ、リューイもただそうしていたのである。

 すると不意に物音が、いや気配がして、リューイはやっとほかに目を向けた。その瞬間、ある理由のせいでリューイはびくっとし、それからおずおずと体を(ちぢ)めた。

 そしてまもなく、家の出入り口に師匠が現れる。

 ロブはリューイを見ると、にらむような厳しい目を向けた。
「リューイ、もう稽古(けいこ)は済んだのかい。」

 リューイが叩き込まれている武術には、基本の構えというものがあった。だがそれは、大陸で一つしかないといわれる流派のものではなかった。

 実は、ロブはもともとそこの出身で、中でも首位を争う達人だったが、己の信念のもとに後継者を決める決闘を(こば)むと、このアースリーヴェの密林に移り住んできたのである。そして、ここで独自の流派を生み出した。

 それをリューイが受け継ごうとしているが、この自由で天真爛漫(てんしんらんまん)な少年が最初で最後になるだろうと、ロブは(さと)っていた。彼は、それでも構いはしなかった。

 起き上がって正座をしたリューイは、「まだ・・・。」と、小声で答えた。

「どうしてしない?」

 口調は穏やかだが、ロブの表情は険しい。

 リューイは肩をすくめた。
「だって・・・心配で。」

「そんなものは理由にならないだろう。お前はそいつをここへ運び、わしは治療をしてやった。だが、わしらにしてやれるのは、それだけだ。あとは、そいつの頑張り次第なんだから。そんなに簡単に決まりを破るものじゃない。今日のお前は勝手が過ぎるぞ。さあ、ちゃんと稽古(けいこ)をしてから眠るんだ。」 

 ロブは言下にそう言い、外へ目を向けて(うなが)した。

「うん・・・分かった。」

 リューイはしぶしぶうなずいて、出口へ向かった。
 だが外へ出る一歩手前で立ち止まると、振り向いて言った。

「ねえ、そいつの隣で寝てもいい?」

「ああ。そうしてやったらいい。」と、それにはロブもにこやかに答えた。

 だが、リューイが嬉しそうに微笑み返して行こうとすると、気になることがあるせいで、衝動的につい呼び止めていたロブ。 

 呼ばれて、リューイは部屋の中へ戻った。そして何かと思い、きょとんとした目で師匠を見上げる。

 そんなリューイに、ロブは妙に真剣な顔と声で言った。
「お前は、本当は弱虫なんかじゃない。」と。

 リューイは驚いた。さっきとはまた違うことを言いだされたように思われ、それをなぜかと少し考えた。

「どうして・・・そんなこと言うの・・・?」 

「こいつの眼だ。」

 そう答えたロブは、黒ヒョウの(かたわ)らに膝を付いた。

「こいつは、なぜかお前をとても尊敬している。こいつの、お前を見る眼差しには、何か特殊な使命感があふれている。その決闘は、もしかすると、こいつにとっては

だったのかもしれないな。こいつはその時、お前に何か言わなかったかい。」

 するとリューイは、とたんに困惑した表情をみせた。確かにそんな気はした。だが本当のことを言えば、それは言い訳にすぎないと感じていたので、言えなかったのだ。

 リューイは、勇敢(ゆうかん)に戦い自分を守ってくれた、その恩人(獣)に目を向けた。それはなおも、まだ何かを伝えたそうにじっと見つめてくる。

「何となくだけど・・・そいつの体から感じたんだ。逃げて・・・って、そう言われたような気がした。すごく必死で俺のこと守ろうとしてくれるような・・・そんな気がした。」

「それで、手だしもできずに見ていたんだな。」

「う・・・ん。」

「そうか。」

 ロブは、ありがとうと言うように、黒豹の頭を優しく()でた。そうしながら、リューイの抜けるような真夏の空を思わせる瞳を見つめた。その目はいつも、吸い込まれそうなほど澄みきった青い色をしている。

 本来この少年は、助けられたと分かったあとで、そんな味方(みかた)がやられそうになっているのを見れば、きっと恐怖心など無意識に吹き飛ばしてしまう。そして無鉄砲に向かっていきかねない、そういう性格なのである。それがロブの(ほこ)りであり、悩みでもあった。


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