15. 瓦礫の街

文字数 3,535文字

 アラミスとギルベルトが、傷つき、疲れ果てた兵士たちを引き連れて、エドリース地方をようやく離れようとしていた・・・ある日のことだった。アルバドル帝国軍は、往路でも通過した国の、とある廃墟と化した小さな町を通りかかったのである。

 その有様を一目見るなり、ギルベルトはひどく胸が締め付けられて、例え様のない悲痛感に襲われた。これまで覚えた悲しみやらそういう感情のどれも、まるで比較にならなかった。

 その町はもはや機能しているようには見えなかったが、人ならたくさんいた。だが、誰も彼もがボロ布と化した衣類を(まと)い、火傷(やけど)を負い、血と埃と砂にまみれた体を力無く瓦礫(がれき)(もた)せかけているのである。その眼差しは(うつ)ろで、現実とは別の世界を見ているか、何かしら遠いものでも追っているようだった。何日まともに食べていないのだろうと眉根を寄せるほどにガリガリに痩せ細り、すでに息絶えた屍も無造作に転がっている。その中には、幼い子供の姿も少なくはなかった。

 ギルベルトは、気がどうかしてしまいそうだった。これほど悲惨な光景は、戦場以外で見たことなどなかった。だが、戦場では割り切ることができた。みな死を覚悟で勇敢(ゆうかん)に戦った末に気高く死んでゆくのだから、その姿を悲しいものだとは思わなかった。だが、物心もまだつかないような幼い子供が、何を覚悟するというのか・・・!成す術の無いまま、悪魔に命を取られたとしか思えなかった。そしてその悪魔が何であるか、この時のギルベルトには理解しかねた。

「この土地に、いったい何が起こったというのだ。」
 ギルベルトは、動揺を隠し切れない声でアラミスにきいた。

「敵に攻め込まれたのでしょう。彼らは恐らく家を焼かれ、そこから逃げ出してきたのです。」
 アラミスは声を潜めて答えた。

 ギルベルトは、ハッと息を呑み込んだ。まさかとは思ったが、信じたくはなかった。

「彼らは軍隊ではない!」

 思わず、ギルベルトは感情的に怒鳴っていた。それから、そばに横たわっている小さな死体に手を向けた。五歳かそれくらいに見える少年の・・・。

「あの子・・・あのような子供が戦えると思うのか!その意味では、関係ないはずだ!」

「殿下・・・これが戦争です。」

 ギルベルト皇子の目を真っ直ぐに見つめ、そのやり場のない怒りを受け止めて、アラミスは答えた。

 互いにそれ以上言葉もなく、苦い表情で目を見合っていた。

 すると、ギルベルトのその視線が不意に()れて、アラミスの背後に向けられた。

 見覚えのある姿を見たと思った・・・。

 ギルベルトは、声もなく愛馬のリアフォースから降りた。そして、ふらつきながらそちらへ足を向けた。

 アラミスはどうしたのかと思い、その姿を目で追った。

 すると、皇子が力無く、のろのろとしゃがみ込んだ。その足元にあるのは・・・少女の死体だ。

 ギルベルトは震える手で遺体を拾い上げ、そっと膝に抱いた。

「ルナ・・・」

 まだ幼すぎるそれは、少し前に仲良くなった子供たちのうちの一人だったのである。大きな傷は見受けられない。辺りを見渡してみれば、もはや瓦礫(がれき)の街といっても井戸や泉はある。森もあった。食べ物が手に入る可能性は皆無(かいむ)ではないと思うが、そもそも水を飲む気力すらも湧かないほどに精神がやられている感じの者ばかり。衰弱死・・・。とても可愛らしく笑いかけてくれたその少女の笑顔が、もはや血の通わない冷たくなった今の死に顔に重なった。動かないルナの額を()で、そのまま頬に手を添えたギルベルトの右の瞳から、一滴(ひとしずく)の涙がすっと(こぼ)れた。

「今朝、死んだんだ。」

 驚いてギルベルトが振り向いたそこに、リアルが立っていた。正気を失った虚ろな顔で。

「リアル・・・。」

「ほら、あっちのがレックス。その向こうがアルバ。みんな死んだ・・・。」

 リアルは手に火傷を負い、切り裂かれた腕の血が固まってこびりついていたが、まるで痛みを感じていないかのような無表情で、ひどく痩せ細り傷ついた腕をそちらへ向けている。ギルベルトはもう目をやることもできずにルナをそっと地面に下ろすと、立ち上がって、リアルをぎゅっと抱きしめた。

「お父さんと、お母さんは。」

「二人とも村で殺された。」

 それは淡々と口をついて出てきた。ずっとそうだった。悲しみも不安も辛さも何もない顔と声で、リアルは衝撃的な言葉をすらすらと口にするのである。

 リアルの頭を抱いていたギルベルトは顔を上げ、周囲を見渡して声を張り上げた。
「誰か動ける者は、役所に知らせに行ける者はおらぬか。助けを求めに行ける者は。我らの馬を――」

「殿下、無理です。」
 あわてて駆け寄ってきたアラミスが、そう口を挟んだ。

「なぜだ。」

 アラミスは皇子の腕を構わず引っ張り、リアルから離れたところへ連れていくと、小声で言った。
「見れば分かりましょう。すぐに飢え死にしてしまいます。彼らにそのような気力は、もはやありません。それに、放置されているのは手が回らないのでしょう。この国は今、敗戦直前の悲惨な状態にあると思われます。」

「では、見殺しにしろというのか。」

「そうです。」
 アラミスは、きっぱりと答えた。
「見捨てるのです。我々には何もできません。この国の問題です。」

 すると、そう口論している二人のそばに、リアルよりも年下に見える少年と少女を連れた女性が、よろよろと進み出てきた。その少年は膝の大きな傷口から血を流し、少女の方は、顔に目を覆いたくなるような火傷を負っている。その女性はこの子供たちの母親であったが、彼女は一縷(いちる)の望みにすがりつこうと、干乾びた唇を懸命に動かしてギルベルトに乞うた。

「どうか・・・この子たちを・・・。」
 その女性は死の(ふち)に立ってやっと言った。
「この子たちを連れて行ってください・・・。」

 子供たちもまた、アラミスの言葉を分かろうと葛藤(かっとう)しているギルベルトを食い入るように見つめて、声をそろえた。

「助けて・・・。」と。

 燃え尽きる寸前の、儚い蝋燭(ろうそく)の炎のような声だった・・・。

 その差し迫った悲しい声や表情は、ただ黙って彼女たちを見つめ返すしか仕方がないギルベルトを、無性に不安にさせた。

 このまま無視して過ぎ去れば、まさに見殺しにすることになる。この親子は明日死ぬかもしれない・・・今夜かもしれない。子供が先に死ぬかもしれない・・・。母親が先に死ぬことになれば、この子たちはどうなる・・・どんな思いをする・・・どんな・・・。

 そう考え始めてしまったギルベルトは、また悲愴(ひそう)感に耐えかねてほかを思うことができなくなり、やがてアラミスに目を向けた。

「アラミス・・・。」

 そのあとの無言の指示を理解したアラミスは、辛そうにかぶりを振ってみせた。
「殿下、お止めくだされ。」

「ここにいる、まだ命ある子供たちだけなら。」

「一人や二人なら助けてあげられましょう。ですが、全員は無理です。アルバドル帝国はまだ遥か遠く。長い旅路で一人、また一人と息絶(いきた)えてゆくでしょう。それとも、今ここで生き残れそうな者だけを選べますか。」

 言われて、ギルベルトは首をめぐらした。まだ息のある子供は何人もいたが、確かに長旅ができる健康状態だとは言い難い者も多い。大人なら割り切ることもできようが、見捨てられた子供たちはどんな思いをする。ギルベルトには、全員でなければできないことだった。

「それに、ただでさえ我々の方にも重傷者が大勢います。みな、過酷(かこく)な戦いを終えたばかりで酷く傷ついています。可哀相ですが、ほかを気使ってあげられる余裕はありません。」

 アラミスもこの光景には胸がつぶれる思いだったが、あわてているギルベルトとは違い、冷静を崩さずにそう言いきかせた。

 ギルベルトは、立ち止って待っている兵士たちの、憔悴(しょうすい)しきった姿に目をやった。そして、苦渋の面持ちで親子に向き直った。その肩越しに、どうするつもりかという視線を向けてくるリアルの姿も見える。

「きっと・・・役場の人が来てくれるから。」

「嘘だよ。誰も来ない。」

 気休めだと、リアルに見透かされたのも仕方ない。ギルベルトは恥ずかしい思いがした。辛くて目を閉じたギルベルトは、ため息をつき、やっと言った。

「すまぬ・・・。」

 思い切ってつま先を変えたギルベルトは、おとなしく待っていたリアフォースに(またが)り、その親子と、そしてリアルの視線を避けるようにして愛馬を進めた。

 アラミスも兵士たちも、すぐあとに続く。

「助けなんて来ない・・・ここには。」

 去り(ぎわ)に聞こえたリアルの声。背中を向けているギルベルトは、思わず漏れそうになった嗚咽(おえつ)をグッとこらえた。

 そうして、アルバドル帝国軍の行列は、間もなく黄泉(よみ)の国から手を差し伸べられるだろう人々の前から去って行き、姿を消した。



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