21. 癒しの力の秘密

文字数 1,939文字

 閉店の少し前に一階へ下りてきたレッドは、ニックが後片付けをし始めるまで、カウンターの席に腰掛けて待っていた。

 そして今は、店内はひっそりとして、厨房にだけ明かりが灯されている。

 ニックは、アルコール度数が高めの酒をストレートで入れてやり、そのあとは、せっせと売上金の精算を始めた。レッドが強い酒を自らリクエストしてくるなど、珍しいことだった。

 レッドは、丸いキャンドルグラスの中で輝いている蝋燭(ろうそく)の炎を見つめていた。

「なあ、おやじ・・・。」
 ニックが帳簿をつけ終えたきりのよいところで、レッドはやっと声をかけた。

「なんだ。」
 硬貨の(とう)を収益袋にしまいながら、ニックは適当に受け答えた。

 レッドはグラスに口を付け、強い酒をごくごくっと飲み下すと、物憂(ものう)げに言った。
「俺・・・な、ずっとこの町で暮らそうかと思うんだが。」

 次の瞬間、ニックの手から硬貨が一枚滑り落ちた。ニックはあわてて、それがカウンターから転げ落ちる前にパシッと手をついて止めた。そして、まじまじとレッドを見つめる。

「え・・・?」

「伯爵やその息子のルーヴェン子爵から、正式に用心棒にならないかって言われてんだ。子供たちに剣を教えながら、それもいいかな・・・なんて。」

 あんぐりと口を開けたまま、ニックは信じられないといった顔をしていた。

 そのまま数秒が過ぎた。

 店主のふくよかな顔一杯に、嬉しそうな笑みが広がった。

「そ、そいつはいい! 絶対いい! それで、ずっと俺のとこで暮らせ。な、そうしろ、な、なっ?」

「ありがとう・・・。」

 満面の笑顔を向けてくるニックに、レッドはどこか寂しそうな声で答え、弱々しい微笑を返すしかできなかった。ついに覚悟を決めたその心中には、いつまでも黒い(なまり)が沈みこんでいた。





 酔虎亭(すいこてい)の中は、むせ返すような汗臭い熱気が立ちこめていた。夜の九時を回った頃が、まさに活気付くという居酒屋である。

 仕事帰りの客は、香辛料のきいた冷製肉とチーズをつまみに、銀の大ジョッキになみなみに注がれたビールを勢い良く(のど)に流し込んでいた。おかげで三十分と経たないうちに、貿易商の父親をもつラバンは、はや呂律(ろれつ)が怪しくなってきていた。

 そんな調子で合間にビールを飲みながら、ラバンは様々な国の焼酎やワインの話を友人に聞かせた。だが、まともに耳を(かたむ)ける者はいなかった。友人たちは、今口にしている酒がどこのものであれ興味などなく、どうでもよいことで、ただ美味い酒が飲めればそれでいいのだから。

「おいレッド。」

 ラバンの話をろくに聞きもせず、その隣に腰掛けているトラルが声をかけてきた。

「聞いたぜ、お前、イヴ・フォレストと親しいんだってな。」

「ああ・・・まあ。」
 レッドはジョッキを置き、曖昧(あいまい)な返事をした。

「いいよなあ、彼女。」
「あの笑顔は悩殺だよな。」
「優しくて可愛い。」

 トラルのあとに、農家のダイと、鍛冶(かじ)職人のフィンが続けた。

「あいつ、人気あるんだな・・・。」
 どこか後ろめたい思いをしながら、レッドはつぶやいた。

「そりゃあな。会いたいがために仮病を使う奴だっているくらいなんだぜ。」

 フィンがそう言うと案外しっかりした口調で、「怒った顔がまたいいんだ、これが。」と、ラバンが上手く話に入ってきた。

「お前、さては仮病使ったことあるなっ。」

「一度だけだよ。」
 トラルに(とが)められて、ラバンは肩をすくめてみせる。

 そのあとダイが頬杖をつき、ため息混じりにこう言った。
「ああ彼女、神殿を出たあとはどうするんだろうな。結婚する気あるのかなあ・・・。ちくしょう、彼女をただの女にする奴って、いったいどんな野郎なんだ。」

 このダイの言葉の意味合いをおかしく思ったレッドは、「え・・・ただの女って何だ。修道女でなくなることじゃあないのか。」と、いやに深刻な顔で問うていた。

「お前、まさか知らずに彼女と話したり、歩いたりしてたのか。当たらずとも遠からずだが。それでよく手を出さずにいられたもんだな。」
 フィンが呆れて言った。

 実のところ手を出してしまったレッドはドキリとして、思わずフィンの顔から視線を逸らす。

「そのことを思うと、彼女を口説(くど)き落としたくても意気消沈(いきしょうちん)するよな。」と、ラバン。

「だから・・・その・・・どういうことなんだ。頼む、教えてくれ。」

「なんだ、レッド。お前、もしかして彼女に惚れてるのか。まあ無理もないけどな、お前じゃあ彼女を幸せにはできないだろ。それじゃあ彼女があんまりだ。彼女にとって割に合わないから止めておけ。」
 ダイが言った。

 そして、うすうす感づき始めていたレッドに、トラルがついに答えた。

「彼女の(いや)しの力は知ってるだろう? あのパワーはな、男とつながったら無くなっちまうんだとよ。」

 周りの騒音(そうおん)が消え失せた。



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