9. 5年後

文字数 2,722文字

 ダルレイは総督という地位を剥奪(はくだつ)され、政務官の目の届くところに置かれた。しかしそれこそが、のちに帝都ガザンベルクが見舞われることになる恐怖の始まりだった。

 そして数年後、それは悪夢よりも恐ろしい現実のものとして襲いかかった。

 そのきっかけとなったのが、サガの町から強制連行された者たちによる奴隷 蜂起(ほうき)である。それを鎮圧したのが、人間ではなかったのだ。それらは、この世のものとは思えない、地の底から這い上がってきたような生き物だった。それらを操っていた者・・・それが、ダルレイ・カーネル・サルマン。

 ダルレイは、これを機に皇宮の敷地内にも同じ生物を放ち、皇族を城内に幽閉し、権力者たちを地下牢に閉じ込めて、一時は帝都ガザンベルクを我がものにした。

 だがある日、一人の騎士が知人の神精術師 ―― さすらいを趣味とする貴族にあるまじき性格が幸いして偶然出会った ―― に助けを求めて脱出を計り、これに成功。呪われた皇宮から命からがら抜け出した彼の名誉ある活躍により、ほどなくこの内乱も(しず)まった。

 ダルレイはこののち、手厳しい拷問を受けたあげく追放された。





 無造作に重なり合う毛布の隙間(すきま)から這い出したレッドは、ゆっくりと(まぶた)を上げていき、高くなった太陽を見た。

 夜中に一度目覚めた時は、顔の真横にリオの臭い足と、もう反対側にルイスの腰、そして頭の上にはエディの頭があって、迂闊(うかつ)に動いたために頭突きを食らわされたが、今見るとどれもすっかり消えていた。一人きりだった。

 レッドは両腕を突き上げて伸びをし、のろのろと立ち上がった。仲間たちがどこへ行ったのかは分かっていた。いつもそうなのだ。どこへ行っても、最後まで眠っているのは決まってレッドなのである。

 レッドは実際の歳より、精神的にも肉体的にも大人になった。この数年間、仲間の所業を目の当たりにしてきて、その過激さ ―― 特に、同じならず者同士の血みどろの死闘 ―― に耐え続けるうち、すっかり冷めたぶっきらぼうな感じの少年になってしまった。だが、それはあくまで感じであり、確かに言葉遣いや態度に愛想はないが、内面的には以前と変わるところなどどこもなかった。そして背は驚くほど伸び、十四歳の少年にしては、いい筋肉の付き方をした引き締まった体で、腕力などは、腕っ節の強い仲間を何人か(しの)ぐほどあった。生き別れた父親の願い通りに、彼は強く(たくま)しく育っていた。

 レッドはあくびをしながら歩きだした。

 ライデルだけが違う場所にいた。岩の上に胡坐(あぐら)をかいて、抜かりなり眼差しをじっと遠くに向けている。

 この草原の貿易路を張って三日目になるが、今朝は、強烈な予感が心臓をびんびんと叩いて止まない。今日こそは必ずや収穫が得られるだろう。そう思い、彼はずっと遠くの一点に目を凝らしていたが、ふと気付いて視線を変えた。

「レッド。」
 ライデルは声を張り上げた。

 しばらくすると、目尻の少し吊り上がった少年が悠長に近付いてきて、ライデルの前に立った。

「なに。」
「服を脱ぎな。」
「なんだよ、またかよ。」

 レッドは、いかにも面倒だという顔をした。

「つべこべ言わずに、さっさとしろ。」
「えらそうに。」
「なにをっ、きさま最近可愛くないぞっ。これだから反抗期のガキは嫌なんだ。」

 ライデルは癇癪(かんしゃく)を起こしてわめいた。

 レッドは、今度はうんざりという顔になる。最近やたらと、こんな調子で言い合うことが多くなった。

「・・・ったく、何度見りゃあ気が済むんだ。男の裸を見るのが、そんなに楽しいか。」
「うるせえっ。俺はお前の寝相の悪さより、ヴァージルの寝言より、リヴァの歯ぎしりより、ルイスのいびきより、嘘が嫌いなんだっ。」
「なにワケ分かんないこと ――。」
「いいから、さっさとしろ。言うこと聞かないと丸坊主に ――。」
「ほら。」

 レッドは薄手のシャツをサッと脱いで、ライデルに背中を向けた。

 目を凝らしたライデルは、その気になるところを医者のようにじっと見つめ始める。 

「な、もう無いだろ? えらく日焼けしたおかげで、すっかり消えちまったよ。」
 レッドは数年前に、痛烈な心の痛手と共に負った傷のことを言った。

 いちばん大きな傷は治りが遅かった。ライデルは、手に入れた良さそうな薬を次から次と試したが、傷痕(きずあと)はいつまでも残っているように見えた。それを本人以上に気にした。

 当然レッドも、最初の頃はその傷が忌々(いまいま)しくてならなかった。悔しくて悲しくて、寝床で何度も涙を流していた。

 そんな時、なぜか決まって、気付いたライデルが言葉をかけてくれた。だがそれは、「腹減ったのか?」とか、「小便か?」とか「寒いのか?」とかいう、的外れな言葉ばかりだった。

 それが、(なぐさ)めるのが苦手な彼がわざとしてくれていたことと気付いたのは、背中の傷と共に、心の傷も()え始めた頃になってのことだ。

 ただ、さりげない会話の中にも、ハッとさせられることをライデルはよく言った。
「痛みを知らずに強い男になんかなれやしない。」だとか、「強く生きるってのは、嫌なことを乗り越えることだ。」とか。時には、孤児だった自分の身の上話を自然に語ってくれたりもした。

 それらの言葉に、憎悪(ぞうお)と悲しみで疲れた少年は、少なからず(はげ)まされてきた。五年前の最悪の記憶を消し去ることなどできはしないが、そうして、いつしか前向きに生きられるようになった。ライデルとその仲間たちの陽気さと、そして思いやりに包まれて育ったおかげだ。

 レッドは、今目の前でカッカしているその男には、並々ならぬ恩を感じていた。

「日焼けのおかげだあっ⁉」
「悪い、そういう意味じゃない。あんたにはちゃんと感謝してる。」
「ちゃんとって何だ、いちいち頭にくるぞっ。」
「ああもう、うるさい。とにかく・・・ありがとう。」

 自然と胸に響く声で、レッドはそう口にしていた。

 ライデルはきょとんとなり、それからにんまりと笑った。

「よし!」

 傷の()えたレッドの背中が、バシッという小気味よい音をたてた。
 ライデルが平手打ちを食らわせたのである。

 レッドは短い悲鳴を上げると、(うら)めしそうにライデルをにらみつけてから、服を鷲づかみにしたまま、仲間たちのいる川の方へ下りて行った。

 それを目で追うライデルの顔に、苦笑がうかんだ。(なつ)かしい旧友の顔と、そして、その男に言われた言葉を思い出したせいで。

 青くさい、柔らかい風が吹いていた。

 また視線を遠くへ向けたライデルは、そんな優しい風に吹かれて彼方(かなた)を見つめた。その男が残した言葉を、しみじみと胸の内で反芻(はんすう)しながら。

 そうやすやすと、手放しはできぬようになるだろうが・・・。





             ―― 第1部 END ――



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