11. 食前の祈り

文字数 2,686文字

 枝から枝を渡っていたリューイは、奇妙にねじくれた木々が(から)む、怪しくも美しい場所へとやってきた。眼下にはシダやソテツ類が群がり、そばには大陸最大のタネを持つ種のヤシの木があった。(ひしめ)き合う葉の間から射し込む白い光が、自然のままの樹海で発生し浮遊する何か粒子(りゅうし)などを照らし出して、このアースリーヴェの秘境をより神々(こうごう)しく幻想的なものにしている。

「キース、キース!」

 ほかに比べようも無い独特な色の葉にも、強い香りを出す花にも気をとられることなく、リューイは一心不乱に親友を呼び続けていた。時折(ときおり)、よく通る遠吠えを上げたりもした。だが、獣の魂を揺さぶる彼のその声だけが、(むな)しく木々の間をすり抜けてゆくばかり。

 やがて、東へ向かってどんどん奥へと突き進んで行くと、ルルーシュ(仮名)の巨大な花が見えた。

 リューイはそこで方向を転換し、もう一段低い枝へ飛び降りて右へ折れた。彼の鋭い(あお)双眸(そうぼう)は、混沌(こんとん)とした深い緑の中をさ迷い続ける。

 そうして彼は、鬱蒼(うっそう)たる草木の間に注意深く目を()らし続けた。

 するとある時、やっとの思いでそれらしい姿を見つけることができた。遠くの大木の陰にいる。

 しかし、ほっと胸を撫で下ろしたのも(つか)の間、キースの様子がおかしい。つまり、威嚇(いかく)の姿勢をとっていると気付いた時には、その向かいに、キースよりも明らかに大きく、肉付きもいい黄色の野獣がいることも確認できた。

 リューイはマズいと思い、そこへ急いだ。だが、一歩間に合わなかった。彼が行くよりも先に、その二頭の()み付き合いが始まってしまったのだ。案の定、衰弱(すいじゃく)したキースは致命傷を(まぬか)れるのがやっとで、早くも血を流していた。

「キース!」

 枝から飛び降りたリューイは、一切 躊躇(ためら)うことなく、その大きな虎の背中に飛びかかっていた。

「お前の相手は俺だ。」

 そうして果敢(かかん)(いど)んだリューイだが、相手は予想以上に手強(てごわ)かった。

 トラは勢いよく体を回してリューイを地面に叩きつけたあと、驚くほどの身ごなしのよさで、すぐに身を(おど)らせたのである。リューイも素早く地面を転がった。だが避けきれず、そいつの左の鉤爪(かぎづめ)が腕を(かす)めて、血が流れた。リューイは、数メートル転がったところで痛みにもがいた。それは一瞬のことだったが、矢継ぎ早に地面を蹴っていたトラは、はや真正面からつかみかかってきた。仰向(あおむ)けになったままのリューイも、とっさにそいつの(あご)と鼻先をつかんでいる。頸動脈(けいどうみゃく)を噛み切られたら終わりだ。だが、そいつの左手は顔の真横の地面にめり込み、右手は肩に食い込んでいた。リューイは一度だけ(あえ)ぐように口を開けた。泣き叫びたくなるほどの激痛。それでも悲鳴はなく、腕の力を抜くこともなかった。歯を食いしばり、驚異的な忍耐(にんたい)力を発揮して耐えた。すぐ目の前に、唾が糸を引いている鋭くて頑丈そうな牙があるのだ。

 必死になってそいつと力比べを始めたリューイは、地面に倒れていたキースがふらふらと立ち上がるのに気づいた。

「来るな!」
 リューイはそれを横目に見て怒鳴りつけると、再び相手を見据(みす)えた。
「もう、こいつと俺の勝負だ。」

 チャンスを待って、リューイはタイミングよく足を動かした。そいつの腹を渾身(こんしん)の力で蹴り上げる。上手くいって、大木の幹に叩きつけられた虎は、意識を失ったように地面に滑り落ちた。

 リューイは一撃でしとめるために、左の二の腕に嵌めているベルトから、折りたたみ式小型ナイフを抜き取った。このベルトは、特に戦士と名の付く者に重宝(ちょうほう)されている装備品だが、リューイはそれを、普段は果物の皮を剥いたり、ちょっとした手作業用に利用している。子供の頃は首から掛けられるものを使っていたが、アクロバティックな動きばかりするリューイには邪魔になるものだったので、町で見かけたそれをロブに買ってもらったのだ。

 そのナイフを手にして立ち上がったリューイは、そいつがまだ倒れている間に駆け寄り、一思いに首を掻き切った。血飛沫が上がった。

 リューイは荒い息をつきながら、血にまみれた死体の顔を見下ろした。生気を失った虚ろな目で、口からも生々しい血を流している。

「悪いな・・・。」

 やがて、その体を無事な方の肩に(かつ)ぎ上げたリューイ。足にすがりついてきたキースを励まし、自身も傷の痛みを(こら)えて気力をふりしぼると、複雑な道を戻り海の方へ向かった。





 今日の夕食場所は、浅瀬に張り出した海辺のダイニングキッチンである。ログハウスの食堂は、丸太を椅子代わりにしているような原始的なものだが、海辺の方には、手造りの椅子とテーブルを置いてある。獰猛な野獣が生息する土地であるにもかかわらず、ロブやリューイにとっては、貴族が休日を楽しむリゾート地とたいして変わりはしなかった。

 ここでの食事は、先に浜辺でざっくりとさばいた獣の肉を、ほかの食材と一緒に調理場で焼き上げるバーベキューが多い。

 二人は、食べられるものなら植物はもちろん昆虫をも食べた。ただ、リューイは幼い頃、肉だけがいっとき食べられなかった。ロブがしとめてくる野獣の死体や料理する肉の(かたまり)と、仲間の姿が重なって見えたからだ。リューイは、そんなロブに(いきどお)りさえ覚えた。

 だが、強くて丈夫かつ健康な体をつくるには、どうしても肉は食べさせなければならない。

 そこで、そんなリューイを分からせるために、ロブは言ったものだった。

「リューイよ、お前が食べてやらなければ、こいつは自然にかえることはできても、もう走ることも飛ぶこともできなくなってしまう。お前の血となり肉となることで、こいつはまだ生きていられるんだよ。」

 幼いリューイは、疑わしそうにロブの瞳を覗きこむ。

「俺の体に?」

「そう、強さを分けてもらうんだ。お前を、体の中から助けてくれる。」

「でも、皆は殺さないで。」

「ああ、そんなことするものか。それにあいつらは、お前を外から助けてくれている。」

 こうして少年は、今あるその筋肉美をつくり上げるための障害を、一つ乗り越えたのだった。

 その夜の食事は、獣の肉を(あぶ)り焼きにしたもの。

 満天の星のもとでロブが肉の焼ける具合を見張り、リューイは香ばしい匂いに食欲がそそられるのを我慢しながら、その様子を眺めていた。

 やがて、よい頃合(ころあい)に肉が焼けてくると、ロブが向かいにいるリューイにうなずきかけた。

 それを合図とするかのように、リューイは心を清めて静かに目を閉じる。そして、いつしかしてきたように、二人は、祈りの言葉を丁寧にゆっくりと捧げた。

 この恵みを与えてくださった森の神と、(なんじ)の血と肉に感謝します。





            ―― 第2部 END ――

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