⒍ イデュオンの森

文字数 1,642文字

 織り()す光と影の中を、レッドは茫然(ぼうぜん)と歩いた。

 白い木漏れ日が行く先を照らし出しているそこに、野生の野うさぎやリスが、たまに姿を現し横切っていく。先日とは違い、そびえ立つ巨木の傘も足元の野草も、今は青々とした鮮やかな緑。その色合いの美しさに(なか)見惚(みと)れながら、レッドは、頭上から聞こえてくる青や黄色の小鳥のさえずりや、葉擦(はず)れの音にも心奪われた。

 いつの間にか彼の先に立ったイヴは、降り注ぐ光の中、足を弾ませながら度々レッドを振り返った。そして、森の美しさに魅せられている彼の様子が嬉しくて、誇らしげにほほ笑みかける。

「ほらね、素敵でしょう?」

「ああほんとに・・・素晴らしいな。エヴァロンみたいだ。」

「ここを少し南へ下った森ね。この森はイデュオンよ。エヴァロンもイデュオンも、聖なるという意味を持つ名前が付けられているの。知ってた?」

「詳しいんだな。」

「だって、それを説いて聞かせることが私たちの務めですもの。人々が自然を愛するように。自然の恵みを尊ぶように。いつまでも、その清い心を忘れないように。川の歌声や、風の(ささや)きに耳を澄ますことを忘れないように・・・。」 

 レッドは、そう言って空を(あお)いだイヴの横顔を見ていた。そして、妙な気持ちに戸惑っていた。

 もう一度、いや何度でも彼女に触れられたいと思い、その温もりに触れてみたいと思う。彼女は確かに美人で、魅力的だ。だが、そんな女性にならこれまでも出会ってきた。しかし、彼女は何か違った。魂を揺さぶられるものを持っていた。女性を見て、無性にこんな気持ちにさせられたのは、初めてのことだった。

 さらにレッドは、今は不思議と精神が安定していることに気付いた。血みどろの戦い、血生臭い戦場、時に獣のように駆けずり回っている自分が、そら恐ろしくなる。期待に応え、義務を果たそうと必死になるあまり、自分が分からなくなりかける時もあった。

 それが彼女を見ているだけで、辛い出来事や、そんな苛酷な経験を思い出してもなぜか落ち着いていられ、しかも、まだ剣の使い方など知らなかった頃の、まだ無垢(むく)で素直だった子供の頃の心にかえらせてくれる。俺にもあの頃は・・・家族がいたっけ。

「お兄ちゃん、早く、早く!」

 そうして追憶(ついおく)(ふけ)っているレッドの耳に、少年たちの(せわ)しない声が飛び込んできた。

「ねえ、ここで教えてよ。」

 ゼノが両手を一杯に広げて、巨木に囲まれた空き地を示してみせていた。

「よし、じゃあまず、剣の代わりになるものを探さないとな。」
 レッドは、少年たちに追いつくと言った。

「ええーっ、それ貸してくれないの?」

 少年たちはそろって指をさした。レッドが腰に()びているものを。

「指が無くなってもいいのか? あとで困ると思うけどな。」

「あ、うそ、冗談っ。」
 ロビンが右手を激しく振った。

 レッドはふっと笑った。
「そう焦るな。物事には順序ってもんがあるんだ。指が飛んじまったら、そこで終わりだぞ。こんな真剣も握れなくなるんだからな。」

 レッドはそう言って、長剣を(さや)からスラリと引き抜いた。その慣れた手つきに、というより、スマートな姿そのものに、少年たちは(ほう)けたように口を開けて見惚れた。

「簡単に命を奪える凶暴なヤツさ。こいつを手懐(てなず)ける(すべ)を知らなきゃダメだ。」

「じゃあ、木刀を取って来なきゃあ。」と、アレックが言った。

「なんだ、お前たち。そんないいものを持ってるのか。なんで置いてきた。」

 すると、苦い顔をして無言のまま目を見合う五人の少年。

(あき)れた。本気で貸してもらえると思ってたとはな。早く取って来い。」

「はーい。」

 元気良く返事をした少年たちは、一斉に背中を返して、来た道を競争しながら駆け戻って行く。

 その姿が見えなくなると、やれやれといった表情を浮かべたレッドは、背後にある倒木の方へ歩み寄った。そこには、先ほどの子供たちの姿に、くすくすと笑い声を漏らしているイヴが腰掛けている。

 その笑顔にまた参りそうになりながら、レッドはため息をついて、隣に腰を下ろした。


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