7. 武術の訓練

文字数 2,243文字

 リューイの毎日は、普通の子供なら苛酷(かこく)だ。だが、その少年にはすでに、普通ではない体力や身体能力が備わっていた。倒立(とうりつ)腕立てや、岩を(かつ)いでのうさぎ跳びなど、子供の体にはかなり無理があるはずの訓練を、かつて武術の達人と(うた)われた師匠のもとで、いつも当然のこととしてやりこなしてきた。とはいえ、ほかに比べるものはないし、徐々に(きた)えられていったので、リューイにはそれが一般的に異常だとも無茶なことだとも分からず、それを三度の食事を取るのと同じように考えていて、多少不調を感じても、ただ上手くいかないと思うばかりだった。

 そうして、この少年は十一の歳まで成長した。

 そのリューイは、今、訓練の真っ最中だ。滝のしぶく音が聞こえるところで、水面から突き出している岩を足場にして、師匠と組み合う特訓をしている。ここで稽古(けいこ)をするのは、週に二度ほど。

 気迫満点の雄叫(おたけ)びを上げて、リューイは矢継ぎ早に攻撃を繰り出している。だが、息もつかせぬその早業(はやわざ)を、師匠のロブは余裕綽々(よゆうしゃくしゃく)でかわしていた。力は手加減しても、ほかは何一つとして容赦(ようしゃ)しなかった。

 攻撃をかわされた直後に、師匠の肘が自身の右肩に落ちてきた。リューイは素早く宙返りをして避けた。そして背後にある岩に手で着地したあと、そのままさらに後ろの岩まで飛び退()いた。案の定、師匠が始めの岩に降り立って、右腕の一撃を空振りしているのが見えた。いち早く、腰を落とした師匠の背後の岩に飛び移ったリューイは、すぐさま体当たりを仕掛けた。 

(すき)ありっ。」

 ところがその攻撃はひらりとかわされ、リューイがまだ着地もしないうちに師匠の回し()りが決まって、リューイは横っ飛びに滝壺(たきつぼ)の方へ突っ込んでいった。

 数秒後、(くや)しそうな顔をした少年が水面から顔を(のぞ)かせる。

「参りました。」
「うむ。」

 厳格な顔でうなずいたあとで、ロブは(あき)れたようにこう言った。

「リューイ、今は訓練中だ。わしが教えた技の中に、体当たりは無いぞ。」

 リューイは何か言いたそうなふくれっ面になったが、口答えすることはなかった。
 師弟(してい)の関係では許されないことだと分かっているその様子に、ロブも一変して(ほお)(ゆる)めた。

「リューイ、(もり)を持ってきておくれ。今日の朝飯はここのヤツらにしよう。わしらのせいで集まるまでに時間がかかりそうだが、それまで我慢できるかい。」

「腹減った。」

「集まるまでの辛抱(しんぼう)だよ。」

 これには不満そうにつぶやいたリューイも、ロブの実に見事な漁の腕を知っているので、すぐに納得した。

 (たく)みに岸まで泳ぎきったリューイは、(から)み合う樹木の間の道なき道を駆け抜けていった。

 一方のロブは息を殺して、岩の上に胡坐(あぐら)をかいた。

 そうしていると、ある時ふと気付いた。

 対岸の木々を透かして見えたのは、体にぐるぐると包帯を巻きつけた黒い獣である。そいつは、ぎこちない動きで辛そうに歩いていた。

 ロブがずっと見ていると、それに気付いたのか獣は立ち止まり、首を回してきた。互いの目が合い、ロブはそいつとしばらく見つめ合った。獣の目は何か言いたげで、それがロブには何となく分かるような気がした。

 やがてロブはその相手に向かってほほ笑み、うなずいて、静かに言葉をかけた。
「行っていい。」

 黒い獣は、名残惜(なごりお)しげに何度か振り向きながら、次第に森の奥へ奥へと消えていった。

 そして、それから・・・。

 しばらくすると、ロブが思った通りの事態になった。

「じっちゃん、じっちゃん!」

 すっかり取り乱した様子で、泣きながら駆けてくるリューイの騒々(そうぞう)しさを聞きながら、ロブはため息をつく。

 リューイは岩を()()りやってきて、ゆっくりと立ち上がったロブの腰にしがみついた。

「どうしたんだい。」
 分かっていたが、ロブはあえてそう優しい声をかけた。

「あいつ、いないんだ! いなくなっちゃったよ!」
 リューイは息をしゃくり上げながら興奮して伝えた。

「いなくなった? ああきっと、おうちへ帰ったんだな。あそこはわしとお前の家で、あいつの家じゃあないからね。当然だろう。」

「でもっ。」

「大丈夫だ。あいつはもう誰の助けがなくても、ちゃんとやっていけるよ。」

「でも、あいつまだあんなに傷だらけで、まだちゃんと治ってないのに・・・」

「大丈夫っ。」

 リューイは、ロブに肩を強くつかまれて黙った。その声と手には妙に力が入っていた。それに驚いて、リューイは何も言えなくなったのである。ただきょとんとした顔で、ロブのことを見上げていた。

 すると、腰を落としたロブの顔が、リューイの頭の位置とちょうど同じところに下りてきた。

「リューイよ、涙には見せていい時と、ダメな時がある。難しいことだが、見せないように努力しないといけないのは、誰かを悲しませたり、困らせるような涙だ。じゃあ、今、お前は泣いていいと思うかい。もしお前が悲しむ姿を見たら、せっかく家に帰ろうとしているあいつは、どう思うかな。」

 リューイは口を真一文字(まいちもんじ)にし、目をぎゅっとつむった。その言葉を理解して、涙を止めようと必死になった。

「そうだ。ほら、下唇をぐっと噛んでみるといい。」

 言われて、リューイはそうした。すると、不思議と涙が止まることを知った。だが嗚咽(おえつ)が漏れるのはどうしようもなかった。

 新しい友達を仲間に紹介し、これからたくさん、いろんなことをして遊ぼうと喜び勇んでいた少年には、このショックの大きさはロブが思う以上・・・。

 そんなリューイを抱き寄せたロブは、嗚咽(おえつ)が止まるまで、ただ黙って頭を()で続けてやった。

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